ループ再考
ホラーから始まったリング三部作の最終作。だが、ホラーだったはずのストーリーが何故かSFに。その事であまり評価が芳しくないのだが、神の存在や神がどこにいるのかと言う哲学は、壮大でまとめ切れなかった面はあるが、挑んだ甲斐がある。
要は、アーサー・C・クラークの『幼少期の記憶』に出てくるオーバーロードを持ち込んだのである。オーバーロードとは、人類を導こうとする異星人の存在。つまり、ワンランク上の高次の存在と言える。比較的よく似たシチュエーションが出てくるのだ。
・姿を見せない高次の存在に単身接触する人間(現実世界に移行するタカヤマ)
・新たなる存在による人類の変貌と地球の滅亡(ヤマムラサダコ因子によるガン化と転移性ヒトガンウイルスの蔓延)
・知らず知らずの内に、管理されている地球(ループプログラム内の人間)
・管理される地球に、歳を取らないまま再び降り立つ人間(二見馨)
オーバーロードは静かなる侵略者に見える。だが、視点を変えれば、人類に進化をもたらす一種の神の存在にも捉えられる。神は、存在するものではなく、人が心の中で定義するものと考えれば、オーバーロードは宇宙人でありながら、人類の存在そのものに干渉できる神の存在に位置付けることも可能だ。実際に、人類はオーバーロードの要求を受け入れ、共存と平和と豊かさと言う幸福に満ちた方向に向かっていくが、その行き先は既に人類ではない。かつての人類は人類自身の選択によって滅びるのだ。
『らせん』において再生した山村貞子は、既に人類ではなく無性生殖を可能にし、メディアを使って増殖可能な新人類である。高山竜司は、貞子の再生と人類の滅亡を、それは人類が心のどこかで望んだ結果だと言う。平等で平和な安定した世界を望んだ結果、貞子と言う新たな種が生まれたと。
もちろんこれは、宇宙の誕生や生命の進化に、何らかの意思が働いていると言う照明不可能な説にモトズク設定であるが、オーバーロードの干渉を受け入れ、待ち望んでいた世界を手に入れることと引き換えに人類と言う種が滅亡し、地球も同じ運命を辿る流れと一致する。ガン化した世界は、人類が望んだ結果と言う事になる。
そして、このガン化した世界は、仮想世界と言う管理されているループと言う世界である。ループ内の生物は、自分達が何者かに創造された事を概念では感じても、検証することはできない。創世記における神のような行いを見ることも確かめる事が出来ないのと同じと考えてみる。
神と言う存在に創造され、なおかつ管理される世界と言うのは、プログラマーによって作られ、その中のルールで動くデータと同じ構造である。勝手に誕生したのではなく、何者かの意思によって作られ管理される世界は仮想世界、ループ界と言う概念になる。ここにおける神は、プログラマーであるがその存在をソフトの中にいる存在は観測不可能である。その不可能を成し遂げ、オーバーロード達のいる高次の存在に移行したのが、ループ界のタカヤマと言う個体である。
現実世界に移行したタカヤマは、現実世界での肉体を手に入れるが、別の存在にならざるを得ない。記憶まではループ界のプログラムから再生し、現実世界の記憶のシステムに置き換えるのが不可能だったからだ。こうして誕生するのが、タカヤマの因子を持つ現実世界の人間、二見馨である。一つの世界に誕生する新たな存在の人類。この点では、山村貞子と並立存在になり、ループ界と現実世界はリンクすることになる。
ループは、地球の生命誕生から現在までの変化や歴史をシミュレーションする実験用のプログラムである。その中で発生した、バグと言っていいヤマムラサダコの誕生。それが、オーバーロードの意思によって現実世界に二見馨と言うデジタル世界から誕生した新時類と言うバグを誕生させることにより、ループの予測道理に現実世界でも、人類の意思で新たな人類の存在を誕生させる結果になる。ループのシミュレーションでは、行きつく先は世界のガン化。タカヤマの移動により、リングウイルスも現実世界に流入し、転移性ヒトガンウイルスが世界中に感染し、人類だけでなく生命体すべてを蝕んでいく。一つの意思による世界の転換が現実に起こったわけである。
育った環境が違うとは言え、頭脳が同じレベル以外はまるで似ていない人格の馨と高山。両親の愛情と程よい変人ぶり、特に親父の浮き世離れ具合が良く作用したのだろう。人間づきあいがとことん下手な高山とは違い、人妻すら惚れさせてしまう馨。嫉妬したくなるリア充。どこか欠点が目に付く前作の登場人物とはかなり違う。
やがて、自分の出自を知り、仮想世界に舞い降りる馨。彼が移行することで、その損失と引き替えに転移性ヒトガンウイルスが収束に向かう。ループ界も、リングウイルスが駆逐され、高山と貞子という対にして、特異点の二人も運命をともにしてループ界から姿を消し、二つの世界は多様性と可能性を獲得して、袋小路から抜け出す。
気がつかないだろうか?この構成はマトリックスとほぼ一緒なのだ。しかも、ループの方が発表が早い。
仮想世界と上位概念である現実世界。仮想世界の生命を管理するプログラム。現実世界同様に仮想世界も崩壊しが始まる。単一指向と多様性の対になる存在同士。物語の根幹がほとんど一緒である。また、仮想世界は現実世界の法則をプログラムで再現したに過ぎず、その仕組みを理解して認識すれば、法則を無視した事がある程度は可能だと言うマトリックスのアクションも、ループ界における呪いのシステムの概念と一緒と言える。
人間が現実だと思っていた世界がマトリックスと言う仮想世界であり、そのそちに地獄と化した元日世界があるこの世界観は、現実世界もガン化しつつあるループの世界と同様である。そして、プログラムから乖離したエージェントスミスによってシステムが支配され、コンピューターそのものが危険な状況になる点も、貞子と言うループのプログラムから逸脱し、その上さらに干渉可能な存在を生み出したことでガン化と言う滅亡を迎えるループ界と一致する。
そして対になる存在と言うものが全く同じである。ネオは、マトリックスに不安定をもたらし、プログラムとして進化ができない状況に陥ったマトリックスに変革をもたらす、救世主プログラムのバグである、本来、救世主のシステムは、マトリックスは定期的に人間を淘汰し、初期化しながら果てしない循環を繰り返す完璧なものであった。だが、古いプログラムが生き残り、エグザイルも生み出しているため、次第にシステムそのものが疲労していくのだが、システムを構築するプログラムである設計者は可能性という不確定要素を排除する存在のため、現状を変えることができない。結果的に、マトリックスは遠い将来に自滅する恐れがあった。
反対に、不安定をもたらし、進化や革命をもたらす要素を生み出すのが預言者のプログラム。不安定をもたらすには、水面に波紋を作りだすような刺激が必要である。そこで生み出されたのが、プログラムを無視することができる人間であるネオと、プログラムを書き換えるエージェントスミス。結果として、ネオはマトリックス内の能力を現実世界に移行し、メインコンピューターとアクセスし交渉する。スミスは、内部のプログラムを自分と同一化し、全員がスミスになり、天候システムもおかしいのか暴風雨が吹き荒れるなど、マトリックスのほぼ全システムを乗っ取る。この対極にある二人が一度世界を混沌と秩序によってリセットし、新たなステージを作り上げることになるのだが、この背景はループでも起こっている。
ループ界の山村貞子は、最初は超能力を持ちながらも半陰陽者と言う特色を持っていたため、一代限りで削除されていく存在だったし、いらないデータが削除される様に、誰も知らない井戸の中でそっと朽ち果てるはずだった。しかし、その念写能力と天然痘ウイルスが結びついたことで呪いのビデオが完成し、そこから再生した時には、あらゆるメディアに干渉してコピーを生み出しながら無性生殖も可能になると言う、圧倒的多数の同一個体を生みだす方法による永遠の命を得て、ループ界をガン化させて機能を停止させる。その上、リングウイルスは現実世界に流出し、現実世界にも猛威をふるう。マトリックス内でも、ネオの選択があったとはいえ、電源たる人間を根絶やしにしようとしたり、人間の意識に侵入して現実世界に侵入するなど、スミスもまた同様の結果を招こうとしている。
ネオは、トマス・アンダーソンと言うマトリックス内での個体名を持っている。ネオは、本来の救世主プログラムであり、あるべきシステムから逸脱するハッカー名でもある。二つの名を持つ、混沌と多様性を目指す者。これは、ループにおける二見馨=高山竜司の存在と重なってくる。
二見馨は、ループ内の個体であるタカヤマが現実世界に移行したことで繁盛した、一種の新人類であり、存在してはならない遺物的な存在でもある。彼の現実世界での誕生により、転移性ヒトガンウイルスの発生が始まるのだから、ループ界出身の彼による現実世界への影響はシンクロしている。また、ループ界に戻った時、彼はそこが仮想世界であることを理解しているため、プログラムを解除していくという考えで呪いのシステムを寸断していくのは、システムを解読して無視できるネオと同様の存在と言える。
ネオも、本来はマトリックス内の初期化に必要なプログラムされた救世主のはずであった。だが、預言者の介入により、マトリックスのシステムを完全に無視することが可能になり、救世主プログラムを無視して、人としての意思で救世主の役割を果たす。結果的に、彼は意思はマトリックスと人間世界に多大な影響を与えることになる。自由意思による生存が可能になったのだ。
馨が新たな高山竜司としてループ界に戻ったことで、貞子と高山と言う対極の存在と位置づけが出来上がる。二人は拮抗し、干渉しあい名ながら次第に収束に向かい、二人とも消滅する。対極が肥大化してぶつかり合えば、すべてが消滅しかねない。ネオとスミスが共存できないように、高山も貞子もループ界では共存できないほど、対極にあったのだ。
こうして、生態系に多様性を取り戻し、たった一つの絶望と結果しかなかった現実世界とループに希望をもたらされていく。馨が愛した礼子も、死ぬことしか考えていなかった姿から、『ハッピーバースデイ』では、生きて彼の子供を残す事を選択する。しかし、ループと現実世界は呼応する。多様性を取り戻したのは生態系だけではない。選択できる可能性ができた結果、向かう事の出来る未来に行ける選択肢が生まれるのが多様性とも言える。また、礼子が馨の子供を新たにこの世に誕生させると言う事は、ループ界にも何かの呼応を生むことになる。勘ぐりすぎだろうが、これが自作『エス』のストーリーにそれなりに結び付くのだ。
この『ループ』は、マトリックスよりも先にできていて、これだけの類似点を見せている。現実世界と仮想世界の呼応。互いに違い過ぎ、最も近い対極の存在。たった一人の混沌とそれによってもたらされる自由、無数の同一個体による秩序。元々、リング自体がホラーの雰囲気とギミックを持つミステリーであった。今度はそれを科学で斬り込み、仮想世界と言う概念で解体していく。仮想世界オチは禁じ手の一種ではあるが、ここまで前作までをきっちりとやられると、あまり抵抗はできない。




