表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

5:ずっと明けないように感じて

一七歳になったアタシは、あの日の竜里に追いつけているのだろうか?


近頃よくそんなことを考えるが、追いつけているようにはとても思わない。

初めて出逢った頃から竜里はアタシにとって年上の男の子で、それはもちろん今も変わらないから。


今年も竜里と一緒に、正月を迎えた。

アタシは一七歳に、竜里は二十一歳になった。

やっぱり冬は寒くって、でも過去にストリートチルドレンだったアタシにとって、この天姫殿での冬はとても快適だった。


それにここでは、竜里が一緒にいてくれる。


1年ほど前から結婚しろ、身を固めろとせっつかれている竜里だが、彼は相変わらず独身で、相変わらずアタシと一緒にいてくれる。


「イツク、雪降ってる。」


いつものように膝を竜里の枕代わりに提供していたアタシは、竜里の言葉に本から顔を上げる。

今読んでいるのは、竜里からもらったあの聖書。

聖書はすごく分厚くって、それでいて難しくって、なかなか理解できなかったから竜里にいっぱい聞いてやっとわかるようになった。

わかるようになってくるとそれがとても面白くって、アタシは何度も繰り返し読んだ。


襖の先、中庭のほうに目を向けてみたら、はらはらと舞い落ちる白い欠片。

緩やかに舞い落ちるその欠片はひどく幻想的で、ただでさえ現実味のない美しさを誇る天姫殿をさらに美しいものへと染め上げる。


「竜里っ雪、雪だよっ」


「だからさっき、俺がそう言ったんじゃない。」


はしゃぐアタシの頭を竜里は落ち着けとでも言いたげにポンポンと叩く。





雪を見ると、わくわくする。

もう子供じゃないんだから落ち着けって竜里は呆れるけど、それでも止められない魅力が雪にはある。


天姫殿の表である料亭部分の黒い屋根を、雪がまだらに白く染める。

赤い遊女屋部分の屋根にも白い雪がうっすらと積もり、幻想的。

漆塗りの欄干の上に溜まった少量の雪を、竜里の白くて長い指が払い落とす。

風で舞う雪が竜里の薄紫色の髪に色を増やす。


「竜里っ雪だるま作りたい!」


アタシが両手を広げてそう提案すると、竜里は呆れたように溜息をつく。

呆れたように、ではなく本当に呆れているんだろうけど。


「まぁ、この時間だったらいいか。」


呆れた声とため息と共に、アタシは竜里から部屋の外に出る許可をもらった。





















「竜里っ雪っ!」


「さっきからずっと降ってるでしょう。」


イツクはずっと降ってる雪に飽きもせず、ウサギみたいに飛び跳ねている。

髪を隠すために被いている衣がとれなきゃいいんだけど。


僅かながらの気にしない人以外に忌み嫌われるイツクの漆黒の髪は、やっぱりここ天姫殿でもあまり良くなくて。

天姫である俺と一緒にいる女の子だなんて、髪を隠していてもすぐに見世の者にはイツクだってばれるだろうけども、それでもその視線にイツクが気付きにくくなるなら俺はいくらでも彼女の髪を隠そうと思った。


舞い散る雪と同じくらいに美しい、何にも染まらない漆黒の色。


「イツク、あんまり飛び跳ねると転ぶよ。」


そう言った矢先に彼女は思い切り足を滑らせる。

驚いて慌てて足を踏み出し、俺はぎりぎり彼女のその小さな体を受け止める。


出逢ってから、彼女の背丈は幾分か伸びた。

だけど俺の背丈も幾分か伸びたので、俺からすれば彼女は出逢ったころと変わらず小さい。


俺の腕の中で、彼女はポカンと呆けている。

もう少し落ち着けっていつも言ってるのに、人の言うことを聞かないから足を滑らせたりするんだと思いつつも、彼女が無事だったことに俺は安堵の息をもらす。


「ほら、言わんこっちゃない。」


俺のそんな言葉にも彼女はどこ吹く風、ニッコリ笑顔を浮かべて俺の腕の中から飛び出していく。


「竜里っありがとっ」


そう言って走っていく彼女の頭には、被いていた衣はなくて、自分の腕の中を見れば、さりげなく衣が押し付けられていた。


「イツクっかぶっとけって!」


そう叫ぶ俺に、イツクはニッコリ笑って手を差し出す。


「竜里が一緒に雪だるま作ってくれるなら、それ被いとく。」


俺がイツクと一緒に雪だるまを作るはめになったのは言うまでもない。





















「天姫…あれはなんだ。」


春になればそれは見事な桜の花が咲き誇る天姫殿の中庭に

あまりにも似つかわしくない雪だるまが二つ。


「雪だるま以外の何に見えるっていうの?」


白妙である雅灯にそう聞かれ、不機嫌そうに天姫である竜里は答える。

不機嫌そうに見えるその様子も、いつもの不機嫌とは違い、

なんだか子供が拗ねているような様子で。

優雅で幻想的な天姫殿にそのどこか微笑ましくも子供っぽい雪だるまはひどく歪で、

違和感を感じさせる。


「こないだ雪が降った日に、イツクと作ったの。」


竜里のその言葉に、確かにイツクは雪だるまとか好きそうだ、と雅灯は一人納得する。

そんな雅灯に向って、竜里は自分の両手を突き出す。


「見て、この手。

ずっとイツクと素手で雪弄ってたから、手がしもやけになったの。

それもイツクは何ともないのに、俺だけこうなったの。」


もう年なのかなどとぼやきながら、竜里は自分の手を見つめる。

その様子がひどく子供っぽく見えて、雅灯は思わず笑みをこぼす。


「何がおかしいって言うの。

確かにイツクよりは年取ってるけど、そんなに衰えるほど年取ってないと思うんだけど。」


「そうじゃなくって、昔はひどく子供らしくないガキだったのに、

今はなんだかあの頃よりも子供っぽい気がするなって思って。」


雅灯のその言葉に、竜里は首をかしげる。

幼い頃の竜里は、十二になったら天姫になることが決まっていることや、

片親しかいなかったこともあいなって、ひどく子供らしくない子供だった。

可愛げがない、と言うか…ひどく冷めた子供だったのだ。

淡々として、大人びた物言いをしていた。


だけどここ数年…イツクを拾ってきてからは、なんだかひどく、竜里は楽しそうだ。


「俺…退化してるって、こと?」


そう呟いてショックを受ける竜里を見て、雅灯はまた笑った。





















降り続ける雪を見上げ、窓の外にそっと手を伸ばす。

指先に乗った雪は、あっという間にその熱で溶けてしまう。

仕事が終わり、部屋に帰る途中、ふと廊下で歩いては立ち止まり、歩いては立ち止まり、雪に…手を伸ばす。


何度目だっただろうか…指先に乗った雪が解けたとき、頭がひどく痛んで思わず近場にあった柱に手をつく。

頭の痛みはいっこうに治まらなくてだんだん平衡感覚が危なくなってきて、倒れるかもしれない、そんなことを意識の端っこで感じた時、俺にとって何よりも鮮明に聞こえる声が、聞こえた。


「竜里?」


長い黒髪が、雪と共に風に揺れる。

大きな黒い瞳が、俺を映す。


「イツク…。」


それだけ呟いて、俺の意識は途絶えた。





















いつも仕事が終わって部屋に帰ってくる時間になっても竜里が返ってこなかったから、こっそり部屋を抜け出して、竜里を探しに来た。


もうこの時間になってくると天姫殿であってもみんな寝静まっていてひどく静か。

しんしんと降りつもる雪は綺麗で、それでいてこの静けさに拍車をかける。

雪は、音を殺すのだと竜里が言っていたから。


見下ろした天姫殿の中庭には、アタシと竜里が作った雪だるまが二つ並んでいる。

幻想的な天姫殿の中にそんなものがあるのはなんだか不釣り合いで、

それでいてなんだか楽しくなる。


静かな天姫殿の廊下を進んでいくと、遠くに人影が見えてきた。

長い薄紫の髪をいつもと同じ繊細な作りの白い簪で結いあげ、豪奢な女物の着物に身を包んだ長身の青年。


彼の白く長い指が外へと伸ばされ、雪に触れる。

その様子はひどく幻想的で、アタシは思わず声をかけることも忘れて立ち止まる。


そんな時、竜里がふらつき柱に手をつく。

完璧な美しさを誇っていた空間は竜里によって壊され、アタシは我に返る。


「竜里?」


アタシの声に、竜里はこちらを向く。

竜里の濃紺の瞳はどこか虚ろで、アタシはとたんに心配になる。


「イツク…。」


そう呟いたきり、竜里の体は大きく揺れて、床に倒れた。


「竜里っ竜里っ!」





















「で、医者に診てもらえって言ってるのにおまえは何文句を言っているんだ。」


あの日倒れた竜里は、次の日にはけろりとしていて、周囲を驚かせた。

本人はどうせ疲れが溜まっていただけでしょ、などとあっさりしており、周りだけが心配している。


「だってわざわざ面倒じゃない。仕事だってあるんだし。」


心配して言う雅灯さんになんともない風にそんなことを返すが、ちゃんとお医者さんに診てもらってほしいと思っているのはもちろん雅灯さんだけじゃない。

何やら聞いた話では、竜里は幼いころからひどい医者嫌いで、よっぽどのことがない限り行かないらしい。

でも今回は倒れたのだ。

それでも竜里にとってはお医者さんに行く必要のないことなのかな?


「さて、と。そろそろ仕事の時間だし、着替えるとするかな。」


そう言って布団の中に押し込まれていた竜里は立ち上がる。

言うことを聞こうとするそぶりさえ見せない竜里に、雅灯さんはため息をつく。

アタシはというと構わず着替えだす竜里が着替えを始める前に、慌てて別室に避難した。






















「それで、イツクを追い出して何を話すんだ?」


イツクがいなくなった部屋の中、そんなことを言うタエに俺はため息をつく。

母さんはタエのことを鈍いと言うけど、俺からすればタエは嫌味なほどに勘がいい。


「昔の可愛かったというみーちゃんが見てみたいなぁ。」


「……いったい何の話だ…。」


「近頃母さんが、しきりに『昔のみーちゃんはあんなにかわいかったのにっ』って繰り返す。」


そう言う母さんを想像してどっと疲れたのか、タエは頭を抱える。

まぁ確かにいつまでたっても少女のような母さんの相手をするのって、失礼な話だけどちょっと疲れるよね。


「まぁ母さんのことは置いといて、嫌な話だけど、次の天姫を考えた方がいいかもしれない。」


俺のその言葉に、タエは顔を上げる。

男前と称される端正な顔は悲しげに歪められており、なんとなくもったいないなと感じた。


「お前、やっぱり医者に…。」


「医者に見せても、たぶん無駄だと思う。頭がずっと痛いから、俺はきっと長くないよ。」


未婚で、なおかつ子もいない天姫が、おそらく長くない…。

それは天姫殿にとって致命的なことだけど、幸いなことに今の白妙であるタエ…雅灯は先代の従弟でもあるし、彼には三人の子がおり、なおかつその次男は隔世遺伝により、天姫と同じ薄紫の髪と濃紺の瞳をしている。


雅灯の父は、先々代の天姫の実弟で、その容姿は天姫と酷似していたから。


「結婚しろ。

俺の息子がいると言ったって、やっぱり天姫を継ぐのは、お前の子供の方がいいんだから。」


死を身近に感じるような病になった、そんな話をしながらも話の内容は天姫殿の跡取りのことで。

やっぱりこういうとき俺たちは狂ってるのかもしれないと、強く感じる。


「結婚はしないよ。」


「お前、この期に及んで何を言ってるんだ。自分に時間がない、そう言ったのは竜里だろう!」


雅灯に怒鳴られ、俺は苦笑する。

脳裏から離れることのない、たった一人の女の子。


「イツクと結婚したいのなら、それでも構わないと前から言っているだろう。

俺や桜歩兄だって禿かむろだった少女を妻に迎えているんだ。

それに比べれば、イツクを妻にしたって天姫殿に損害は出ないんだ。」


禿は、天姫殿が金を払って買った少女である。

その少女たちを買った代金は、禿が遊女となって初めて利益を取れる。


つまりは、禿が遊女となる前に妻へと迎えたら、その禿を買った時に支払った代金は、

天姫殿の損害となる。



「確かに、イツクを妻にしても天姫殿に損害は出ないね。

でも俺は、イツクとは結婚はしないよ。誰とも、結婚はしない。」





















たった一つ、理由があった。

あの何にも染まらない色を持つ彼女が、俺を見た瞬間に、何かが変わるとそう感じたから。


たった一つの、特別になった。

だから俺は、守ろうと思った。

すべてのものから迫害され続ける彼女が、笑って暮らせる世界を守ろうと。


言葉は、紡がない。

それが嘘であれ言葉なら並べることができると、俺は知っているから。

それでも彼女が望むなら、きっと俺は本当の言葉を紡ぐだろう。


イツクを、愛してる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ