4:身を苛む不安
竜里に拾われて三年。
アタシは一六歳に、竜里は二十歳になった。
天姫殿は相変わらずたくさんの女の人で溢れていて、竜里も相変わらず忙しい。
三年も一緒にいるとあれだけ掴みどころがないと思っていた竜里のこともある程度わかってくる。
竜里は、アタシの髪をいじるのが好き。
紐や簪を使って結って遊ぶ時もあれば、ただ触っているだけの時もある。
竜里の手は白くって指が長くって、でも男の子だからか、アタシの手よりずっと大きくてごつごつしている。
でも天姫だからか爪は長くっていつも綺麗に整えられている。
竜里は、歌うのが好き。
この頃は当たり前のようにアタシの膝を枕にして、そんな竜里を放置して本を読むアタシのそばで小さな声で歌っている。
男の人にしては少し高い竜里の澄んだ声がメロディーを奏でるのを聞くのは、すごく耳に心地よい。
「ねぇ竜里、それって何の歌だったっけ?」
かすかな声で歌う竜里の歌。
どこかで聞いたことのあるそれを、アタシははっきりと思い出せない。
「何の歌って…讃美歌でしょう。」
サンビカ。
どこかで聞いたことのある響きに、アタシは首をかしげる。
サンビカ…サンビカ…なんだったけな?
「教会で歌う、神を讃える歌。」
そう言われ、アタシはどこで聞いたのかをはっきりと思い出す。
昔教会で、凛ちゃんが歌っていたんだ。
「そういえば竜里って、クリスチャンなの?」
休みの日には教会に通っていた凛ちゃん。
彼女は確か、クリスチャンだった。
首にロザリオもかけていたしね。
だけどアタシが思うに、竜里はクリスチャンであるようには思えない。
確かに初めて会った時も教会の前にいたし、よく讃美歌も歌っているけれど、何となく神様を信じてるようには思えないんだ。
「イツクは、クリスチャン?」
竜里は寝そべっていた体を起こす。
膝の上に乗っていた頭がどいて確かに楽になったはずなのに、それを寂しく思うのは何でだろう。
「アタシは…この髪だからさ、髪を隠さないと教会に入ることもできなかったから、ちゃんと教えを受けたことないの。だからクリスチャンじゃないよ。」
少しだけ凛ちゃんが教えてくれたこともあったけど、
その時アタシは幼かったからまったくと言っていいほど理解することはできなかった。
「ふぅん。」
一言そう言って、竜里は立ち上がる。
彼の動きに合わせて薄紫の髪が揺れ、キラキラと煌めく。
「これ、読んでみなよ。わからないとこあったら教えてあげるから。」
そう言って手渡されたのは、一冊の聖書で。
重みのある黒い表紙には読み込まれた跡があり、何となくそれに、ぬくもりを感じた。
「あぁ、そういえば俺はクリスチャンじゃないよ。
神様は信じてないけれど、教会とか讃美歌とか、あと聖書とかが好きなだけ。」
そう言って竜里は再びアタシの膝を占拠して、昼寝を始めた。
近頃、竜里の周りは、少し騒がしい。
と、いうか雅灯さんがよく竜里のところにやってくる。
いつもその時、アタシは席をはずすように言われて、雅灯さんの奥さんの雪葉さんと一緒にいる。
話の内容は聞いたことないけど、大体の予想はつく。
先代天姫である竜里のお父さんの桜歩さんは、一八歳で結婚したそうだ。
桜歩さんと竜里の間に代行という形で天姫をしていた雅灯さんは一六歳で婚約し、一七歳で結婚したそうだ。
竜里は現在二十歳。おそらくこの頃雅灯さんがよくやってくるのは、竜里の結婚のこと。
そのことを考えると、アタシの胸は不自然に痛む。
なぜかは、わからない。
知らないふりを、もう少しだけ。
「イツク、どうかしたのか?」
ぼうっとしていたアタシを不思議に思ったのか、雪葉さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
そんな雪葉さんになんでもないよと微笑み返し、アタシは襖の外に見える桜の木に視線を向ける。
もう少しだけ、今の幸せを味わっていたい。
竜里と二人、優しい時間を過ごしていたい。
たとえその時間が、あと少ししか残っていないとしても。
漠然とした、でも確かに何かが変わっていくというアタシの不安は、
思いもよらない形で裏切られることになる。
ねぇ竜里、知ってた?
初めて逢った時、貴方のことを天使や悪魔のように思ったけど、
そんな漠然とした綺麗なものでしかなかった貴方が、アタシにとって、いつの間にかかけがえのないものになってたの。
貴方は一度しか言ってくれなかったけど、アタシは何度だって繰り返すよ。
アタシは竜里を、愛してるから。