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3:知られたくない秘密

天姫殿で一番眺めのいい部屋は、天姫の部屋である。

表と呼ばれる料亭のある建物と裏と呼ばれる遊女屋のある建物、その間にある大きな桜の木を一番綺麗な角度で見られるのが天姫の部屋だ。


聞いた話によるとあの桜の木は竜里のお父さんである桜歩さほさんが産まれた日に先々代の天姫、

つまりは竜里のおじいさんが植えたものらしい。

体が弱く、二十歳まで生きられないと言われていた、だけどそんな一人息子ができるだけ長く生きるように、強く大きな桜の木のようになるようにと、“桜歩”と名付けてあの桜の木を埋めたらしい。


「竜里の名前は、どういう意味があるの?」


アタシがそう尋ねると、アタシの長い黒髪を弄っていた竜里はその動きを止める。

色素の薄い竜里の髪が僅かに揺れる。


竜里の髪は、綺麗。

もちろん竜里自体も綺麗だけど、男の子に対して綺麗っていうのは変なのかな?

藤の花に似た、淡い紫色。


「さぁ?知らない。

父さんがつけたらしいけど、聞く前に、死んでたし。」


竜里はいつも、なんとも思ってない風に桜歩さんのことを話す。

二歳になるころに死んでしまったと言っていたから何も覚えてないのだろうけど、それでも知らない人のことを話すように話す。


「イツクの名前は?」


意識が別方向に飛んでいたアタシの意識は、竜里によってこちらに連れ戻される。

だからと言ってその方法に髪を引っ張るのはやめてほしい。


「なんだったかな…。いつくしむ?っていう字だってお母さんは言ってた。」


「慈しむ?」


竜里は確かめるように聞き返す。

何か変なこと言ったかな?


「別に、変な言葉じゃないじゃない。」


「それはそうだけど、女の子の名前の漢字にしてはおかしいでしょ。」


そう言って竜里は掴んでいたアタシの黒髪から指を離し、綺麗な動作で立ち上がる。

夜も更けてきて、そろそろ竜里は仕事の時間。


「さて、俺はそろそろ仕事行くけど、あんまり部屋から出ないようにね。」


「毎日同じこと言われなくっても、わかってるよ。」


頭を撫でてくれる竜里の手が心地よくって、でもなんでかそれが気恥ずかしくって、アタシは身をよじらせる。

竜里は毎日同じことを言う。

アタシの黒髪と黒い瞳は人目にさらされるにはいささかまずい。


仕事に出る竜里を見送ると、部屋の中にはアタシ一人になる。

もちろんこの時間になると香梓ちゃんもお仕事だから部屋にやってくることはない。

天姫殿当主である竜里の部屋は広くって、たくさんの人がいる天姫殿だけど、天姫の部屋がある最上階は白妙である雅灯さんや樋摘さんの部屋しかなくって、もちろん彼らも仕事中だからこの時間ひどく静か。


人のいない広い部屋は寂しくて、アタシは遠い昔のことを思い出す。

竜里に拾われてもうすぐ二年。

アタシは一五歳、竜里は一九歳になった。

初めて逢ったとき竜里は一七歳で、二年前の竜里よりもアタシはまだ幼い。

そんなアタシにとっての、遠い昔。





















アタシのお母さんは、りんちゃんって言う名前だった。

アタシとは対照的なほとんど色のない銀の髪をしていて、甘い蜂蜜みたいな色の目をしてた。

最初からお父さんはいなくって、なんでアタシにはお父さんがいないの?って聞いたら、凛ちゃんは困ったように笑った。


そうやって聞いたことあるけども、アタシはお父さんが欲しかったわけじゃなかった。

だって、凛ちゃんはいつもアタシと一緒にいてくれたもの。

そりゃあお仕事の時は無理だったけど、それでもそれ以外の時間はずっとアタシと一緒にいてくれた。


凛ちゃんは、お花屋さんで働いていた。

そのお花屋さんはおじさんとおばさんが二人で経営していて、凛ちゃんは従業員ってやつだった。

おばさんはアタシに優しくしてくれたけど、おじさんはアタシに近づこうとしなかった。


小さなおうちで凛ちゃんと二人暮らし。

もちろん今いる竜里の部屋よりはるかに狭くって、それでも凛ちゃんが仕事に出かけると不自然に広い気がして仕方なかった。

近所の人たちはやっぱり変な眼でアタシを見てたから、凛ちゃんも竜里と同じようにあまり家から出ないように言ってた。

凛ちゃんは何も言わなかったけど、おじさんの視線や近所の人の目でアタシは自分の容姿がおかしいことに気づいていた。

何がどうおかしいのかはわからなかったけど、五歳になるころには自分以外の黒髪黒目の人を見たことなかったことから、この色合いがおかしいってことを知った。


お休みの日には、凛ちゃんは教会に連れて行ってくれた。

凛ちゃんはクリスチャンで、でもアタシの髪と瞳は教会に行くには不都合なものだったので、髪を隠して行ってたんだ。教会はきらきらとしてて、すごく綺麗で、凛ちゃんはその風景にひどく溶け込んでいた。


お買い物に行くにもやっぱりアタシはお留守番で、少しそれが悲しかったけど、凛ちゃんはちゃんと帰ってきてくれたから別にかまわなかった。

今はもうないけどあの頃お気に入りだったクマのぬいぐるみを抱えて、凛ちゃんが帰ってくるのを玄関で待っていたのを今でもよく覚えてる。


そんなことを思い出してたアタシの意識は、いつもこの時間にはないものによって引き戻された。

悲しいほどに静かな空間に響いた、物音。


「死…神……?」


知らない人の、アタシに対する、蔑称。

それだけならまだしも、知らない人じゃ、なかったの。


「凛の…娘?」


教会に来ていたのはもちろん凛ちゃんとアタシだけじゃなくって、

その中にはもちろん男の人もいて、凛ちゃんは綺麗だったから、よく人に話しかけられてた。


アタシと凛ちゃんは色合いだけは全く違ったけど、顔立ちは凛ちゃんにそっくりで、特に近頃はさらに凛ちゃんに似てきたと自分でも感じるほどだった。


凛ちゃんを知ってる人が見ればすぐわかる、アタシと凛ちゃんが他人じゃないということ。


「お前っ…死神だったのかっ」


アタシに詰め寄るその男の人は確かにどこかで見た覚えがあって、教会だとは思うんだけどアタシはあの時小さかったからはっきりとは思いだせなかった。


凛ちゃんは、病死とかじゃなかった。アタシを庇って、死んじゃったの。


凛ちゃんのお葬式はお花屋さんのおじさんとおばさんが開いてくれて、アタシはその隅っこで髪を隠して小さくなって泣いてた。


アタシのせいで死んだ凛ちゃんを、好きだった人。


「死神がいたから、凛はっ」


あまりに驚いたからか、頭がついて行かない。

竜里は、天姫の部屋には関係者しか来ないって言ってたのに。


男の人は、アタシに詰め寄る。

アタシは反射的に、彼から離れようと後ろに下がる。

竜里の部屋を出て、部屋の外の廊下へ。

天姫殿の廊下は普通の家の廊下よりずっと広いんだろうけど、それでもやっぱり距離に限りはあって。


アタシは欄干のそばへ、あっという間に追いつめられる。


竜里の部屋の前の廊下は、反対側に別の部屋があるわけでもなく、そこは表と裏を繋ぐ中庭…あの桜の木のある庭に面している。


つまりは、行き止まり。


よくわからないことを叫んでいた男の人が少しずつアタシに近づき、アタシは怯えることしかできない。

彼の言ってる言葉の意味が理解できなかったのは、彼が錯乱して本当におかしなことを言っていたからか、それともアタシが理解したくなかったのか。


「ナニを、してるの?」


聞こえてきたのは、目の前にいる男の人とは別の、男の声。

凛と澄んだ、静かな声。


視線を向けると、いつもと同じように豪奢な女物の着物に身を包んだ、竜里の姿。

長い薄紫の髪は繊細な装飾を施された白い簪で結いあげられて、竜里の動きに合わせて小さく揺れる。


「何をしてる、って聞いてるんだけど?」


そう言って竜里は、アタシたちのほうに近づき、男の人の腕をつかみ上げる。


「あま…き…。」


「そう、天姫。

そしてここは天姫の私室の前であり、お客様が立ち入ることは禁じられてる場所だよ。

その上それに近づくなんてどういうつもり?それは天姫のものだよ?」


絶対零度の微笑みを浮かべ、竜里はその男を突き飛ばす。

美しく冷たい微笑みを浮かべる竜里は、アタシでさえも少し怖い。


「タエ、それつまみ出して。」


竜里のその言葉に、竜里と一緒に来ていたのだろう雅灯さんが、男を拘束して連れて行く。

アタシはと言うと、気が抜けたのだろう、腰が抜けてしまい、その場にしゃがみこむ。


「イツク、大丈夫?」


言葉と共にアタシへ延ばされた竜里の手に、アタシの体は大げさなほどに震える。

竜里が怖いわけじゃない。

ただ、先ほどまで向けられていたあの男の人の言葉が怖くって、少しだけ心が疑心暗鬼になってただけ。


そんなアタシに竜里は目を丸くして、首をかしげる。


「俺のこと、怖い?」


「そんなことっ」


そんなこと、あるわけない。


アタシのその言葉は紡がれることなく、アタシは竜里の腕の中。


「恐がらなくてもいいよ。大丈夫だから。」


優しい竜里の声が心地よくて、アタシは思わず泣いてしまう。

すると竜里は困ってるとも呆れてるとも取れるように溜息をついて、アタシが泣きやむまで抱きしめていてくれた。




















「そう言えば竜里、なんでいたの?」


泣きやんだアタシがまず疑問に思ったのは、今は仕事中であるはずの竜里がなんでここにいるのかということだった。


「別に俺の部屋なんだから、いてもおかしくないでしょう?」


「それはそうなんだけど、今はお仕事の時間じゃないの?」


アタシの言葉に、竜里は袂から何かを取り出す。

そうやって取り出されたのは、小さなクマのぬいぐるみ。


「どうしたの?これ。」


手のひらサイズのそれを、竜里はアタシの手に乗せる。

首に赤いリボンを巻いた、茶色いクマのぬいぐるみ。


「お客さんから貰ったから、イツクにあげようかと思って。」


それは昔大切にしていた、凛ちゃんがくれたクマのぬいぐるみによく似ていた。


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