第五章・炭化
1.はぐれ
背後から猛烈な熱波を感じ、アキはその場に伏せ、ゆっくりと振り返った。
(樹が……サリか!?)
何かの冗談かのように燃えていく樹。根元の部分から広がる炎は、瞬く間に樹の表面を覆い尽くした。
「逃げろっ」
こんな近くであんなものが燃えたりしたら、死人が出る。そう判断したアキは兵たちに向けて叫んだ。
既に熱波は耐え難いものとなっており、ちりちりと髪の先がたてる音が危機感を煽る。
先ほどまで戦っていた兵も、剣を下ろし呆然と樹を眺めている。
「早くここから逃げろ!! 八十ニ代目竜人、アキの命令だ!」
見入られたかのように炎を眺める兵の肩を揺さぶり、耳元で叫ぶ。
その言葉に正気を取り戻したのか、「は、はいっ!」小さく返事をし、気絶した仲間に向かっていった。
「おい、サリ、ジュン、お前らも……!」
サリに目を向けると、倒れたロクヒトの足に何かを巻いていた。
(ロクヒト、やられたのか?)
向かってくる兵がいないのを確認し、アキはロクヒトに向かって駆けた。
「どうした……斬られたのか?」
「う、うん……毒があるって言ってた。ど、どうしよう!?」
(毒だって?)
ロクヒトの顔は白く変色し、大量の汗も流れている。息は荒いが、脈拍は少し速い程度で正常の範囲内だ。
「これくらいなら大丈夫だ……。多分」
サリが傷口に巻いた服の切れ端を、太ももの根元に巻きなおし、アキはロクヒトの体を背負った。
「逃げるぞ……。ん、ジュンはどこだ?」
「え?」
言われてサリもあたりを見渡す。
樹を覆う炎は、既に目に見えない程上部まで侵食している。大量の煙のせいで辺りの視界は最悪だ。
既に息も苦しく、目にも涙が浮かんでくる。
「ジュン!!」
煙でしわがれた大声で叫ぶが、アキたち三人以外にはもう人の気配は無い。
あれだけいた兵たちも逃げ出してしまったらしい。
「ジュン! 聞こえてるなら、いつもの木の下で待ち合わせるぞ!!」
返答は無かったが、今のアキに出来る事はこれくらいだ。いかに竜人とはいえ、これだけの煙や炎に巻かれて無事に済むとは思えない。
先にジュンが脱出したことを祈り、アキはロクヒトを抱え、出口に向けて走った。
2.隔離
縄で後ろ手に縛られた屈辱的な格好で、マコトは藁の敷き詰められた地下室で寝転んでいた。
湿気が多く、酷く不快だが、これはこれで慣れれば楽なものだ。
考えてみればこのニ年間というもの、ゆっくりとした時間など取れなかった。
それを思えば、楽なものだ。ここの隊長であるアラシが来るまでの間、のんびりと考えを進めよう。いっそそんな気分になってきていた。
「しかし、この格好、どうにか……ならんものですかね」
壁に寄りかかるように体勢を変え、我慢していた息苦しさから開放される。縄で擦れた手首はじりじりとした痛みを伝えてくるが、大したことではない。
(反乱か……裏には誰がいるんだ?)
ようやく落ち着いた姿勢をとれたことで、マコトはこの事件についての推理を始めた。
昼過ぎに、王室警護番役隊長付きと名乗る男が、予算の栽可を得に竜人の部屋へとやってきた。
マコトも流し読みをしただけだったが、あの書類に不備は無かった。
(無かったはずだが……)
その後、日が変わってからすぐに、反乱を起こした。
反乱部隊の主力は王室警護番役。マコトが気付いた時には竜人は殺され、親衛隊の半分は壊滅して散発的な抵抗を続けるのみとなった。
(何故だ。竜人を殺し、警護番役に何の益がある?)
実質的な支配権は、閣僚とそれに連なる政治団体にある。竜人を殺し、さらに閣僚を殺したとしても、王国各地にいる政治団体までは手が回るまい。農民主体の兵にその後の政治を動かす力は無い。
(このままでは、大規模な内乱が起きる……?)
我こそがと、王国の勢力のほとんどがこの竜人墳に殺到し、ここを主戦場とした内乱が起きる。
そうでなくとも、警護番役からの竜人を認めない領主が反旗を翻したら。
戦乱は長引く。そこに他国が突け込むのは時間の問題だろう。
真っ先に兵を送り込んでくるのは、海の向こうの国、麗だろう。長年こちらが擬似支配していただけに、恨みは深い。
もし竜人が代変わりし、国も混乱の極みにある中、血気にはやった麗の兵を抑えることができるか。
「……無理、ですね」
自らの想像に、ぶるりと体を震わせる。
それを阻止するには……一刻も早い支配体制を作り上げることだ。
新たな竜人をたてて、王と仰ぎ、反乱軍を滅ぼし、屈服させる。
「……それなのにっ」
(私はこんなところで何をしているのだ!)
唇を切ったか、どろりとした感触が溢れ、顎を伝った。
「起きろ……、おい。起きろ」
マコトは、何者かに肩を揺らされるのを感じ、目を覚ました。
知らぬうちに眠っていたらしい。やはり疲れはたまっている。
「アラシ……ですか?」
手を封じていた縄は、眠っていたうちに解かれていた。
「お前、何してるんだ?」
心配そうな口調で聞くアラシ。高等部卒業以来、まったく変わっていない。ぎっちりと詰めこまれた筋肉に、短い髪。それに似合わない優しい声が、辺りの者に安らぎと信頼を与える。
親衛隊の隊長の座を辞退してあえて地元を離れないのも、病床の母が心配だからという心根の暖かい男だ。
「聞いていないのですか? ……反乱が起こりました」
「……ああ」
答えるアラシの表情は重い。
「知っているのですか。なら早く……私が竜人になります。私なら、問題無いでしょう」
「……それは、手遅れだ」
沈痛な面持ちのアラシに、マコトは激昂する。
「ま、まさか王室警護番役を通したんじゃないでしょうね!?」
もしそうなら、最悪だ。政治のなんたるかも理解していない無頼に竜人の力を与えたらどうなるか。先ほどの空想が真実になる可能性がある。
「ああ。通した、が。ありえない事が起きた」
ゆっくりと首を振るアラシ。
「なんです……それは」
「竜人の樹が、燃え落ちた」
今度こそ、マコトの脳は完全な怒りに支配された。
「き、貴様ーっ!!」
疲れを吹き飛ばす怒りに任せ、アラシの胸倉を掴み上げる。体格差のあるアラシにとって、その手を振り払うことは容易なはずなのに、大人しくされるがままになっていた。
「……すまん」
簡潔な謝罪に、一気に攻撃意思が消える。
(そうだ、何百人もの兵に迫られては、いくらアラシといえども開けないわけにはいかないんだ)
「い、いや。こちらこそ……八つ当たりでした。くっ、竜人はもう、生まれないというのですか……!」
土壁に拳を放つ。
(これから、どうする……? 竜人がいない以上、この国はしばらく迷走を続けるだろう。なら、どうする……)
拳を壁に押し付けたまま、混乱していたマコトの思考を遮ったのは、アラシの一言だった。
「竜人は、いる」
「……そうか。そいつは、最後の竜人となるために、樹を燃やしたのか」
(絶対に、殺してやる)
「誰です! そいつは! 警護番役の隊長ですか? それともシカイとかいう野郎ですか!?」
「う、む」
何故かアラシはいくばくかの間、逡巡していた。
「……教えてくださいよ、その、最後の竜人の名前を」
「……ああ、ジュンという地元の学生らしい。そのシカイが連行していたが……詳しくは知らないのだ」
「学生、ですか?」
しん、と。薄暗い地下室に沈黙が落ちた。
3.囮
三時間。森の外れの木の下で、夜が開けるまでアキはジュンを待ちつづけた。
薬師を生業としているサリの父にロクヒトを預け、すぐにここに来たのだが、ジュンは来なかった。
(家に、戻ったのか?)
空腹を感じたアキは、辺りに耳を澄ます。
ざわざわと、木の葉ずれの音以外には特に何も聞こえない。竜人になったことで、聴力も上がっていた。
ある程度気配も探れるのだが、元々獲物がいないのならば何の意味も無い。
「ウサギでもいたら、捕まえたんだがなぁ」
情けないほど力の抜けた声で呟く。
(帰るか……ジュンも家に戻ってるかもしれないし、な)
「よし」
気合を入れて木から体を離し、アキは村へと向かった。
村が視界に入ったところで、アキは足を止めた。
妙にざわついている。
(何だ?)
わき道に身を隠し、目を閉じて集中する。
「……犯罪」「領主補の家……斬首」「竜人……」「ジュン……」「息子が……」
十分だった。
アキは一目散にサリの家に向かう。
「サリっ」
がらんとした土間には、誰もいなかった。
ロクヒトを寝かせていた布団に触れるが、すでに冷たくなっている。
「サリ!?」
「……アキくん」
家に響くように叫んだアキに答えるように、床板が外れ、サリが顔を出した。
「な、何でそんなところに……?」
「はやく、入って」
言い残し、サリは顔を引っ込める。
(どういうことだ? まるで、隠れている、ような)
不安を感じながらも、サリを追い地下室に滑り込むアキ。
松明に照らされた狭い地下室の中には、眠っているロクヒトと、暗い表情のサリがいた。
「どうしたんだ?」
問いかけるアキに、サリが答える。
「父さんが、兵に連れてかれて……隠れた方が良いと思って」
「兵士に? 樹の部屋に来た、あいつらか?」
「うん、多分……鎧が同じだったから」
反乱軍がサリの父を?
「それで、サリも、ロクヒトも無事だったのか?」
「うん……『娘さんはいますか?』って、それだけ。父さんが首をふって、それで、連れていかれて」
それならばまだ、アキたちがここにいるのは知られていない。
ほう、と息をつくアキ。
「ジュンの事は、聞いてるか?」
「あっ、うん。ジュンくん、……捕まっちゃったみたい……だね」
「詳しく聞きたいな……俺はずっとあそこにいたから分からないんだ」
「うん。えっとね、明後日、王都で処刑されちゃうみたい。……勝手に竜人になったあげく、聖なる樹を燃やした罪、だって。広場に高札が刺さってた」
「そう、か」
腕を組み、しばし悩むアキ。
サリは泣きそうな顔で、
「助けに、行くよね? ねえ、アキくん? ……っなんとか、してよぉ」
アキが来た事で張り詰めていたものが切れたのか、ぐずぐずとしゃくりあげるサリ。
実際に樹を燃やしたのは、不本意とはいえ、サリの力だ。罪悪感を感じているのだろうし、ジュンを見捨てることなんてできないのだろう。
それはアキも同様だった。表には出さないが、既に計画は練り始めている。
「……ロクヒトは、どうなんだ?」
「っく、ロクヒトくん? すぐ、良くなるって。神経が、麻痺してるだけだって……」
「いつ頃になる?」
「今日中には、治るって言ってたけど」
良かった。それならば成功の可能性は十分に高まる。
「わかった……。ロクヒトが治り次第、王都を攻める」
「ほ、本当!?」
途端に泣き顔を収めて抱き着いてくるサリ。
「や、やめっ、やめろってこら。……まずはロクヒトが復活しないと、何も出来ないんだから、さ」
空を駆ける能力。
ロクヒトの力と、竜人という『名前』があれば、そう難しいことではない。
(ジュンを助け、新たな治安を取り戻す。憂いを断って、旅に出る)
暗がりの中、静かにアキは決意した。
4.敗走
牢から出たマコトは、心身ともに疲れきっていた。
旧知の仲であるアラシに見逃してもらったとはいえ、マコトの身が危険なことに変わりはない。反乱軍にとっては是非とも殺すべき存在なのだ。
竜人になる術はもう、無い。
マコトに出来ることもまた、無い。
ただ、今後の成り行きを見守ることしか出来ない。
気力を失ったマコトの足は、ふらつきながらも二年前にカゼサキと共に祭で来た、近くにある村に向かっていた。
以前マコトが来た時には活気が溢れていたその村は、暗く沈んだ雰囲気を辺りに発していた。
(まあ、前は祭の時期だったからな……)
広場まで足を進め、さらにマコトの違和感は大きくなる。
人の気配が無い。
閉ざされた家の中からそっと、マコトを観察する視線は感じるが、外を歩く村人に一人も出会わない。
異常なことだ。
少なくとも畑仕事をする為に出歩かなければならないし、その農夫を相手にした食堂も活気がなければいけない時間帯だった。
広場の中央に立ち、ぐるりと辺りを見渡す。
がらんとした通りに面した家々があるだけで、時折吹く風の音が聞こえるだけだった。
(宿を貸してくれれば、ありがたいのだが……?)
そうでなくとも、旅をする為の雑貨くらいは買い揃えたい。最悪、亡命という手段もとらなくてはならないのだから。
広場の隅に立てられた高札に目が止まった。
(この村に、何が起こったのだろう)
ゆっくりと近づき、書かれている内容に目を止める。
『告
村民、領主補の長男ジュンは中央閣僚の正式な許可を取らずに竜人となり、あまつさえ竜人墳の遺跡を破壊した。
よって二日後、王都にて斬首が行われる。
この裁に不服とする者があれば本日中にその旨を書いた書状を提出すること。
次に共犯関係にある三人の身柄を引き渡すこと。
アキ、ロクヒト、サリ。
褒美は一人に付き金貨二十枚。生死は不問とする。
隠匿した場合にはその者も斬首とする。
新王国宰相・シカイ
』
(新、王国だと?)
革命は成った、ということか。
ならばマコトにすることは本当に何も無い。
王国の関心が無くなるまで逃げつづけるか、国外に脱出するか、の二者択一になってしまった。
(ならば尚更仕度をしなければ……)
多少焦りながら辺りを見渡すと、怪我・薬草という看板に目が止まった。
「薬、か」
長い旅になるだろう。薬も必要だ。
そんな考えで、マコトは薬屋の扉を叩いた。
5.助力
こんこん、と、扉を叩く音に、アキは身を固くして黙り込んだ。
少しの間を置いて、もう一度。
「……誰だ?」
声を潜ませて聞くアキ。
「わかんない。父さんじゃないと思うけど」
同じく小さな声で応じるサリ。
ロクヒトに目を移すが、まだぐっすりと眠っている。呼吸も落ち着いていて、今すぐに目を覚ます様子はない。
「……薬が欲しいのですが?」
躊躇ったような、控えめな声を上げる訪問者。
「お客かな……」
「そう、かも」
アキは少し悩んだ。
どう対処すべきか。
「誰もいないのですか……?」
「いいかな?」
うずうずと、今にも板を跳ね上げて応対に向かおうとするサリ。既に眼の端をぬぐい、涙の痕を消している。
確かに、客ならばこのまま返すわけにもいかない。緊急の場合もありえるだろう。
こくり、と頷くアキ。
「……はいはい、お待たせしましたー」
「う、うわっ? なんでそんな……」
「あーいえいえ、薬の保存を確認していまして……何のご用でしょう? 怪我ですか、病ですか?」
慌てたような男の声に、飄々とした感じで答えるサリ。はぐらかしにかけてはサリにかなう者はいない。
「え、ええ、実は旅の途中なんですが。薬を切らしてしまいまして。傷に効くのをいくつかもらいたいのですが」
「はい……切り傷、擦り傷、止血とありますが?」
「全部を。少しづつ袋に詰めてくれませんか」
「はいはい、少々お待ちを」
さすがに鍛えられているだけあって、客相手にははきはきと答える。
階段を上がっていく音が聞こえ、アキは胸をなでおろした。これならすぐに客も帰るだろう。
「……うわああっ!?」
「……!?」
突然ロクヒトが大声を上げて起きあがった。
「あれ、ここは?」
(こっこの、馬鹿が)
慌ててロクヒトの口を抑える。
地下室の入り口となる板は開いたままだった。サリが閉め忘れたのだ。
(まずいまずい……サリ、早く!)
みしみしと床を踏む音が近づいてくる。
さすがに興味を引かれたのだろう。まずい。
どうしようもない。
(監禁するか? 旅人だというのならいなくなって騒ぐ者もいない……しかし本当に旅人か? いやしかし)
「失礼……おや?」
混乱するアキの思考も知らず、男は地下室に顔を突っ込み……ロクヒトの口を塞いだままのアキと目を合わせた。
マコト。二十六歳。幼少のころから神童として周囲の尊敬を得ていた。責任感が強く、自分の生き方に矜持を持っている。
尋常ではない努力で秀学院の主席に上り詰め、次期竜人は確実と言われていた。
カゼサキの父の必死の説得により、竜人の座を辞退したが、それを今でも後悔している。