第三章・変質
そろそろ物語が動いてきました。
1.白いりんご
「な、んだここは」
入り口以上に巨大な扉を(今度はロクヒトとアキの二人で開けた)くぐると、そこには一本の木が生えていた。
(いや)
生えている、というよりも、むしろ鎮座している、と言った方が良いだろうか。
「……おっきな木だねぇ」
うわあ、と感嘆の声を上げるサリ。
むしろ、大きすぎて気味が悪い。まさしく家一件分ほどの幹が、絡み合って空高く伸びている。
見上げると、ここだけは天井が無いらしく、月明かりが一帯を包んでいた。
「木が、あるだけかよ……」
がっかりしたように首を振るロクヒトを残し、根元に駆けて行くサリ。
「お、おいっ、サリ……」
どうでもいいや、と部屋を出かけた矢先のことだったので、慌てて後を追うアキ。
後ろを振り向くと、だるそうなロクヒトやジュンもついてくる。
「あ、れっ。これ、りんごじゃない?」
一足先に根元にたどり着いたサリがこちらを見て指を指す。
りんご、だって?
「……本当だ」
丁度手が届く部分に生っている、白いりんご。
日が当たらないせいだろうか、病的なまでに白い。
「じゃあ、これ、りんごの木なのか……」
ふーん、と呟くロクヒト。
ぶちり、と一個だけ生っているりんごを採り、「食べてみない?」とサリ。
「え」
そんな不健康そうな色をしたりんごなど食べたくもなかったが、答えを聞く間もなく、手にした小刀でするすると皮を剥いていくサリ。
「おいしいの、かな?」
興味深げに手元を覗きこみながら、ジュンが呟く。
「不味いだろう……多分」
とはいえ、アキもりんごなんて久しぶりだ。交通の便も悪い田舎に住むアキ達にとって、森で採れる動物や芋以外のものは滅多に口にすることができない。少し、食欲が湧いてくる。
りんごなんて食べるのは、二年前の新竜祭の時以来だ。
「あれ……? 種が、無いや。変なの……ま、楽でいいけど。はい、四等分、ね」
四つに分けたりんごを配るサリを見るうち、アキも、まあ食べてみてもいいか、と思い始めた。
ジュンやロクヒトも同じようで、口の端がにやついている。
「じゃ、いただきますっと」
齧りつき、一口、二口。溢れる甘い果汁が口の端を伝う。
(旨い……りんごって、こんなに旨かったか?)
すぐに食べきってしまい、アキはもう一度木を眺める。
(無いのか……一個だけ、か)
「残念……意外と旨かったのにな……?」
同意を求める感じで振り向き、アキは絶句した。
うんうん、と頷くロクヒトの背が、やけに盛り上がっているように見える。
にこにこと笑うサリの口の端に見えるのは……キバ、だろうか?
ジュンは一見何ともないが、良く見ると瞳が金に輝いていないか?
「おい……お前ら、一体?」
その場にへたりこみ、アキは気付く。自分はどうなのか、と。
ゆっくりと視線を自らの体に移す。
サリもお互いの異変に気付いたようで、慌てた様に口元に手を当てる。
ジュンもじりじりと二人から距離を取り始めている。
最も大きな変化をしたロクヒトはまだ気付いていない。
「……爪、が」
硬質化した爪が……まるで獣の様に長く。そこまで確認し、アキは叫んだ。
「なんなんだよ、こりゃぁ!」
2.王都脱出
もう、ここはだめだ。
ようやくマコトが我に返ったのは、わずかに漂ってくる煙によってだった。
どこからかぱちぱちと火が跳ねる音も聞こえてくる。さらに耳を澄ませば兵達の怒号、そして悲鳴も。
「くっ、くそ……」
こうなっては王宮から逃げるほか無い。死を覚悟して応戦する親衛隊には申し訳無いが、今マコトが死ぬわけにはいかないのだ。
部屋に戻り、銀貨と銅貨の入った袋を懐に入れ、短剣を腰に差す。襟元から階級章をむしりとり、適当に放り投げる。
金貨を置いていくのは勿体無いが、身元がばれてしまっては元も子もない。
机から伊達眼鏡を取りだし、かける。無いよりはマシだろう。
竜人用に作られた脱出路まで行き、燭台に指輪を嵌め、まわす。
カチリ、と鍵の開く音を聞き、辺りを見渡して開いた穴に潜り込んだ。
手探りで鍵穴を探し、もう一つの指輪を嵌めこむ。ガツン、と背後の穴が閉まり、ようやくマコトは一心地ついた。
(まさか私一人がここを使う破目になるとは……。情けない!)
闇の中、腹ばいになってひたすら進む。風通しの悪い抜け道に煙が入りこんできたらお終いだ。一刻も早くここを抜け出さなくては。
五分ほど進み、歩けるほどの通路に合流する。
擦れて破けかけている服を気にしながら、マコトは歩き出した。
「さて、どうしましょう……?」
歩きながら、反乱の裏側を想像する。
おそらく、あのとき予算の栽可を貰いにきた男。シカイ、だったか。
あの紙片に何か細工がしてあったのではないか。
今から反乱を起こす者が竜人に予算の融通を頼みに来るはずも無い。
「例えば……」
手段はわからないが、次代の竜人を王室警護番役の誰か……隊長、もしくはシカイ自身にする、と書き換えることができたら。
それは立派に反乱を起こす理由となり得る。最近の民は度重なる天災に苦しんでいたから、大方減税を大儀に立ち上がったのだろう。
「と、すると……次に向かうのは、……竜人墳か?」
当世の竜人が死んだことで、竜人墳の大樹には、白林檎が生っているだろう。食せば竜人になる、神の林檎が。
二年前、カゼサキもあの林檎を食べて竜人になった。
(あれを食われたら……反乱は完成する……!?)
「急がねば……カゼサキが亡くなった以上、私も竜人候補の筆頭です……。カゼサキ、貴方の遺志は私が継ぎましょう!」
竜人による直接統治。難しいが、マコトの頭脳と竜人の力があれば、成すことは不可能ではない。
暗く沈んでいた気力を引き上げ、走り出した。
――既に林檎は、四人の少年達の腹に消えてしまったことも知らずに。
3.四人の竜人
なんだこれ。今までの、皆。竜人達の、記憶?
部屋で眠っていたカゼサキが目を覚ますと、目の前には剣を構えたシカイがいた。
剣を突き立てられたところまでを『思い出して』、ジュンは腹の底に怒りを感じた。
三人の乱れた気配が伝わってくる。
(頭が痛い)
悪い病気にかかった時のように痛む頭を押さえながらも、ジュンはゆっくりと落ち着いてきた。
おそらく、これは。
「……なんなんだよこりゃぁ!」
叫ぶアキに、座りこんだサリ。ようやくロクヒトも気付いたか、背の翼をびくびくと動かそうとしている。
混乱の極致にある三人を見渡したジュンは、緊張を抑えこんで口を開いた。
「み、みんな。大丈夫!?」
「う、うん……なに、なにこれ?」
真っ先に反応したのは、固まったままのアキを心配そうに眺めていたサリだった。口元から牙が見え隠れする。
「み、みんなを、集めないと……」
「え? う、うん……アキくん!」
少し離れていたアキに駆け寄るサリを確認し、ジュンはロクヒトに近づいていった。
「ロクヒト、大丈夫?」
「あ、ああ。なあ、ジュン、俺の背中に、何か付いてないか? 痛いんだけど」
「う、うん。まず、落ち着いてよ」
「……? 余裕だな、ジュン。何か知ってるのか?」
不思議そうな目を向けてくるロクヒト。おそらくロクヒトには記憶が宿ってないのだ。
「うん……多分、今は僕だけがわかる」
「じゃ、じゃあ教えろよ。……それより、何が背中についてる? 痛いんだって」
「……落ち着いて聞いてよ? ロクヒトには、翼が生えてる」
「……?」
待ってて、そう呟いて鞄から小刀を取り出し、邪魔な服を切り裂く。
「お、おい」「黙ってて」
背の部分をほとんど切り落としてしまったが、これで楽になるだろう。
抑圧を取り払われて解放された翼が、大きくうごめいた。
「な、何これすっげー!」
ばさばさと翼を動かしながら、興奮した声で叫ぶロクヒト。一瞬で思考が止まったアキとは正反対だ。
理解しようとするアキと、感覚で生きていくロクヒトの違い。
どちらが良いというわけでもないが、パニックになることが無い分、どちらも優秀だ。
「う、わ。ロクヒトくん……?」
「お前は、翼か」
目を見開いて驚くサリと、ある程度事情を理解しているようなアキも戻ってきた。
「で、お前は何だ? ジュン。暗闇を見とおす目、か?」
さすがに立ち直りが早い。
「ううん。記憶と、他人の感情を読めるみたい」
少し、顔をしかめるアキ。やはり気持ちの良いものじゃあないのだろう。
「そうか、じゃあ、俺の考えも?」
「えっと、あんまり。怒ってる、とかそういうのだけ」
感情ははっきりと読めるが、言葉にするような思考は、ほとんどと言って良いほどわからない。
「ふうん……じゃあ、記憶って?」
「代々の竜人達の記憶……ロクヒトにも話さないと」
はしゃいで辺りを飛びまわるロクヒトに視線を向ける。
(もう飛べるのか……それなりの訓練は必要なのに)
「おい! ロクヒト、まず降りろ!」
ぶんぶんと腕を振りまわすアキに呼ばれ、危なっかしく着地するロクヒト。
「ぷはーっ。……楽しいな!!」
「うるせえ。今の状況、理解してるのか?」
「俺に羽が生えた」
「……ジュン、俺が説明しても良いか? 間違ってる所とか足りない所があったら言ってくれれば良いが」
そのほうがジュンにとってもありがたい。
「う、うん」
その場に座り、アキは話し始めた。
「……多分、俺達は、竜人になっちまったんだ」
「!」
にわかに緊張した雰囲気を見せるロクヒトとサリ。手を上げて、何かを言いかけた二人を遮り、アキは続ける。
「俺は、この爪。それに、体中に凄い力を感じる。ロクヒトは、翼。ジュンは竜人の記憶と感情を読む力。えっと、……サリは、何だろうな」
「なんだろうね?」
不思議そうに首を傾げるサリ。補足が必要だろう、とジュンは口を開く。
「多分、炎を吐く能力じゃないかな……口からも吐けるし、慣れれば掌からも出せるようになる、と思う」
「ふうん……」
分かっていないように頷くサリ。
口を開き、試してみようとするのをジュンは慌てて止めた。
「や、やめたほうが良いよ。後で、外でやってみよう?」
「うん? わかった」
竜人の吐く炎は危険だ。全てを焼き尽くすまでおさまらない。
一段落ついたのを見て取ったアキは、再び話しだした。
「原因は、あの白い林檎だ。新しく決まった竜人候補が、あれを食うことによって本当の竜人となる、んだと思う。俺達はそれを四つに分けて食ってしまった。だから皆、中途半端な力を持つ竜人になったんじゃないかな」
間違いはないか、という目を向けるアキに、頷くことで返す。
「そういうこと、か」
納得したように頷くロクヒト。
「えーっと。他には何かあるかな……、ジュン?」
正しい。アキの言っていることは間違っていない。だが、ジュンには一つ、言っておくことがあった。
「うん。……何で、今林檎があったか、分かる?」
「ん? さあ、前の竜人が決まったのが、二年前だったよな。二年も経てば、普通に生えたんじゃないのか?」
違う。それは違うんだ。
「こ、この樹は自然に生えたものじゃない。初代竜人の遺体から生えたんだ。……林檎が生ったってことは、現竜人……八十一代目竜人の死をあらわすんだ」
「そ、そんな。代々の竜人は、不老になるんじゃ……」
ようやく、といった感じで口を開くアキ。サリとロクヒトは絶句してジュンの次の言葉を待つ。
竜人は、自殺によってその役目を終える。現、否、前竜人は即位して二年。アキがありえない、と思ったのも納得はいくが。
「……殺されたんだ。警護番役の一人に。反乱だ」
前竜人、カゼサキの記憶すらも受け継いだジュンは静かに語る。
「反乱、だと」
オウム返しに問うロクヒト。
「ひどい、話だよ。まだ小さかった竜人を……滅多刺しさ」
まるで、自分の身に起こったことのよう。痛み、苦しみすら思い出せる。
「じゃあ、今いる竜人は、私たち四人だけになるの?」
何でもないことのように呟くサリ。分かっているのかな?
「……僕らは、決めなければいけない。竜人としてこの国を治めていく、覚悟を」
重々しく放ったジュンの一言に、再び場は緊張に包まれた。
サリ。十七歳。子供のころからアキを慕い、既に家族以上の存在として見ている。人の意見に反対することが少なく、基本的にはアキの意思に沿う癖がついている。実家の薬屋の手伝いをしていた故か、交渉に関しては自信があり、薬の知識も完全に頭に入っている。