第九章・戦争
1.敗北
決して狭いとは言えない空の中、ロクヒトは追い詰められていた。
必死の形相で逃げるロクヒトの背に、炎を、衝撃波を、咆哮を浴びせる竜人。
「そんなものか!?」
(ああ、そんなものさ)
すでに諦めすら感じていた。
狩る者と無力な獲物、という図式が完成してしまっている。
ロクヒトの能力、真空からの衝撃を放つには、ある程度のためが必要だった。
ほんの数秒ほどのその隙を、竜人は決して見逃さない。
速度の勝るロクヒトが離れると咆哮を。翼に力を込めると炎を。特攻しようとすれば衝撃波を。
ロクヒトに出来ることは、中距離で逃げ回ることのみだった。
(まあ、それでも……目的は達成できるんだけど、ねっ!)
時間差で放たれる四つの火球を丁寧に見極め、また少し距離を取る。時間を稼ぎさえすれば、アキとサリが加勢に来る。連れてくるジュンの戦闘能力はまったく当てにならないが、混乱した兵に殺される可能性を無視できる分、闘いに集中できる。
(気に食わない……、が)
竜人の祖。
ロクヒト達が分けて得た全ての力を使いこなし、永い時を経て甦った化物。
(個々の能力で見れば……俺の方が強い!)
先ほどの狼狽を忘れたかのように王者の微笑みを浮かべる竜人を睨み、ロクヒトは翼を止めた。
「……あんた、なんでこんな事をするんだ」
唐突なロクヒトの問いに、竜人も攻撃の手を休め、視線を合わせる。
「城の破壊、のことか?」
「……」
無言でもって先を促す。
「わからないのか。……やはり貴様は竜人ではないな」
軽蔑の色をその目に浮かべ、「復讐……いやいや、躾だな」
「しつけ、だと」
「王に刃向かったのだぞ? あの、シカイという人間は。力の差、格の違い、頭脳、経験、危機管理。自らよりも全てが劣る相手を貴様は何と呼ぶ? 以前、人間はそういう存在をこう呼んでいたよ……奴隷と」
予想以上に傲慢な思考に、ロクヒトは歯を食いしばる。
(怒るな……冷静になれ)
「俺達は、竜人の奴隷か」
「俺達。俺達、か……はは、っははは!!」
突然空を仰ぎ、哄笑を上げる竜人。
「な、なんだ?」
「貴様、まだ人間のつもりでいるのか? 先ほど自分の言ったことを忘れたのか? 『八十ニ代目竜人』と抜かさなかったか? ははは……っ! もう一度聞くぞ。貴様、何者だ?」
その口を笑みの形に歪める、白髪の竜人。
「お、れは。竜人だ」
「人間ではないのだな? ……奴隷の猿を卒業した、半端者の竜人なのだな?」
「俺は半端者じゃ、ねえ!」
竜人は楽しんでいる。ロクヒトをいたぶり、舌戦で圧倒し、歓んでいる。もしくは挑発のつもりか。
(……千年単位で眠りつづけていたんだから、な。会話にも、闘いにも飢えているんだ)
もうじきアキが来る。それまでをしのげれば、ロクヒトの勝利だった。
「……ふ、ん。だから半端だというのだ」
ゆっくりと手を、否、人指し指をロクヒトに向け、嘆息する竜人。
「私は、感情を読めるのだよ?」
竜人の言葉と同時に発せられた、集中された火の糸はロクヒトの右翼を貫通し、瞬時に傷痕を焼いた。
「あ? ……ああああああああっ」
翼に力が入らない。
(遊んで……からかっていたのか!!!)
片翼を欠きバランスを欠いたロクヒトは、初めての墜落の感触というものを感じた。
猛烈な悔しさに全ての痛覚が消え去り、暗くなる視界の中。ゆっくりと遠ざかっていく竜人を睨み続けた。
2.闘い
空の一角から、どちらかの竜人が落ちていった。
アキは見つめ、続くジュンに問い掛ける。
「あれは……どっちかわかるか?」
「ロクヒトの負けみたい……僕達にむけて謝ってる」
悲しげに顔を歪ませるジュン。
「じゃあ、生きてはいるのか」
「う……まずい、止め刺そうとしてる」
「サリっ、炎を竜人に放て!」
米粒ほどの大きさの竜人に当たるとは思わないが、注意を向けさせればそれで良い。
アキの意を察したか、小型の炎を十数個生み出し、次々と放つ。
「……命中した、か?」
「わからない、けど。すごく怒ってる。来るよ」
「ジュン、お前は離れてろ……俺とサリで倒す」
「……うん。ロクヒトを見てくる」
そう言い残し、ジュンは城門へと向かって駆けて行った。
アキは辺りを見渡す。王宮の中庭にある広場……おそらく訓練場だろう。
学校の校庭三つ分程の広さを青芝が覆っている。サリの周りの芝は熱気にあてられてかその色を変えていた。
「サリ、炎はどこまで扱えるようになった?」
「うん? えっと……数はさっきの十四個が今の限界かな。大きさは……これくらい」
両の手を広げ、抱え込む程の大きさを表すサリ。
「そうか。……まず俺が接近戦をしかける。もし上に逃げたらサリは翼を狙ってくれ」
「うん、やってみる」
「もし敵わなかったら……」
アキの言葉を遮り、竜人による風圧が広場を満たす。
「……その時は逃げるぞ」
頷くサリから目を離し、眼前に降り立った竜人を睨みつけた。
「炎を放ったのは貴様らか?」
「まあな。あんた、初代なんだって?」
「……初代、か。くはは。ニ代目も三代目も所詮は偽者。代理に過ぎんよ。私は真祖、貴様らの長だ。何故刃向かう?」
「知ったことか。……竜人による支配は、もう古いんだよっ!」
叫び、腕を組んだままの竜人に飛びかかるアキ。
上段への蹴りを、身を屈めてかわす竜人に向け、そのまま踵を振り下ろす。
右の腕でその足を掴まれたのを見たアキは残った左足で竜人の顔を蹴りつける。
「むっ」
驚いて掴んだ手を放す竜人に、体勢を崩したアキは飛び退り、再び距離を詰める。
(次は、その翼をもらう)
マコトからもらった短剣を抜き、翼を狙い切りつけるが、わずかに体を動かされアキの体が泳ぐ。
そこに竜人の前蹴りをくらい、大きく距離をとる。
「っ!」
(剣の扱いは……知らないんだよなぁ)
主に素手での修行を続けていたアキにとって、短剣に頼る戦いは未知のものであった。
市井に伝わる武術の目的が心身の鍛錬である以上、農民であるアキには必要がなかったのだ。
「貴様も、半端な竜人か……その爪を隠せばま人間として生きていけるというのに、何故敵対する?」
その手から次々と炎を放ちながら、竜人は独り言のように呟く。
「言っただろ……人間は人間の力で生きる。三千年の昔とは違う! サリ、耳を塞げ!」
大きく息を吸いこみ、横に飛んで火球を避けたアキは、「おお っ!!」咆哮を浴びせる。
王宮全体を包む重低音に、竜人はその動きを止め。
アキは再度飛び掛っていった。
3.罪
「あなたを、断罪します」
静かなマコトの宣言に、シカイはゆっくりと顔を上げた。
「断罪?」
「竜人をその手にかけた罪、王都を混乱に陥れた罪。親衛隊の命、警護番役の命。それらを無為に貶め、失わせた罪。あなた一人の命で償えるものではありませんが、大人しく神にその身を捧げなさい」
厳かに呟き、マコトは腰の剣を抜き、上段に掲げた。
「俺は、腐った竜人のいない国を創りたかっただけだ! 俺に罪は無い!」
「では何故竜人墳に行ったのです? 自分が実権を握るためでしょう?」
振り下ろしたその剣は、シカイの肩を打った。
竜人を守る者としての証。刃を落とした長剣である。痛みに悶えるシカイを冷たく見据え、もう一度打ち据える。
さらにもう一度。肩の骨が折れた感触が手に伝わる。
もう一度。膝の骨が砕ける。
もう一度。肋骨を砕く。
もう一度。腰の骨に当たり、角度が悪かったかマコトの腕に痺れが走る。
「う、ううううあああ……な、ぜだ」
地面に突っ伏し、涎を撒き散らしながらシカイはマコトを見上げた。
「何故。この後に及んで何故ですか。……カゼサキに賜りしこの剣によって、地の獄へと落ちるがいい」
聞く耳もたんと、所構わず滅多打ちにする。
自由にならない四肢を動かし、マコトから少しでも離れようとするシカイを見るにつれ、マコトにも後悔の念がよぎる。マコト自身の復讐の念が薄れ、ただの惰性で剣を浴びせ続ける。
(この男の罪は確かに大きい。だが、命を奪うほどのことだろうか……いや! カゼサキもそれを望んでいる!)
「……死に、た、く、ない」
うつ伏せに倒れ、頭を庇うことしかできなくなったシカイに、マコトは剣を振りつづける。
マコトは気付いてはいなかったが、その剣先は徐々に腕や足といった、致命的な部分を避けるような部分に移動していた。
(これは断罪だ。カゼサキの意志を継ぐ私がやらなくてはいけないのだ)
「駄目です。死ね」
マコトが諌めていた、カゼサキの柔らかな笑みを脳裏に浮かべ、決意を固め、渾身の力を持って剣を叩き下ろす。
その剣はシカイの頭のすぐ横の地面へと当たり、音を立てて折れた。
狙いを外してしまったマコトは呆然と折れた剣を眺める。
「……なぜ、わたしは」
シカイは気を失い、時折痙攣するのみとなっていた。
(……殺せなかった。いや、殺さなかった)
骨を砕かれ、横たわるシカイを仰向けにし、機械的に怪我の具合を確かめていく。
折れた肋骨の位置を直し、脱臼した部分を嵌めていく。
「……生き残る」
このまま適切な治療を施せばシカイは助かる。
殺すべきだ。
頭ではそう理解していたが、これ以上動けないシカイを痛めつける気にはなれなかった。
「もう、いいです。断罪なんかではありません。……これは、ただの私の復讐でした。カゼサキを理由にしては、いけませんね」
確認するように呟くマコト。
「後は牢の中で一生を償ってください……」
扉の開いた牢にシカイを移動させ、扉を閉める。
猛烈な高熱と痛みに襲われるだろうが、運が良ければ助かる。その程度の怪我のはずだった。
「カゼサキ……あなたの願い、叶えましょう」
二度と顧みることもなく、マコトは牢を後にした。
4.阻止
竜人は、体中に走る悪寒を抑えきれずに膝をついた。
予想した以上に強い低周波に、体が耐えきれなかったのだった。片方の鼓膜も破れたらしく、遠くから耳鳴りのような音が聞こえてくる。
(まずい……)
アキが構える小刀では、竜人の命を奪うことはできない。だが翼を切り裂かれては非常に不利な状況に陥る。
目の前に立ち、次々と刃を繰り出すアキの腕を取り、直接咆哮を食らわせようと口を開ける。
しかし即座に喉を掴まれ、息自体ができない。
少しづつ動くようになってきた腕でアキの腕を掴むが、尋常ではない力によってそれも適わない。
締めつけられた喉からはめきめきと嫌な音が響いてくる。
(この、力は……なんだ)
明らかに竜人は劣っていた。
ロクヒトには翼で劣り、力ではアキに劣る。
(私は、わたしは……真祖だ)
「くっか、は」
ごきり、と声帯が潰れる感触。
「ぎ、さま……」
無言のままアキは、喉を掴み持ち上げたまま、片手に握った小刀を翼に突き立てた。
「……っ!」
息も吸えず、悲鳴すら上げることができない。
ゆっくりと翼を切り裂かれる感触に、竜人の頭は赤く染まった。
白濁する視界の中、無意識のうちに炎を生み。
竜人は喉を締め付ける圧力から開放された。
地面にひざまづきながらも顔を上げ、離れたアキを見ると警戒しながらも大きく息を吸っている。
(炎を嫌った……?)
「おおお っ!!」
びりびりと辺りが震えるほどの咆哮。覚悟していただけに、先ほどよりはダメージは少ない。
さらに大きく息を吸おうと構えるアキに向け、残った翼を操り、竜人は真空を作る。
目標は小さい。アキの顔の周りを真空にすれば。
「うっああ?」
肺の空気を全て目の前に現れた真空の空間に吸い取られ、うめくアキ。さらに鎌鼬が全身を切り裂く。
後方に下がっていた少女が悲鳴を上げ、駆け寄ってくる。
(逃げなければ……早く!)
少女はアキに構い、竜人には目も向けない。
逃げるなら今しかなかった。
鋭い痛みを堪え、竜人は飛び上がった。
空を追う手段は無い。炎にさえ気をつければ、逃げ切れる。
(次……だ。次こそは……)
高く舞いあがり、アキからの追撃が無いことにふっと気を抜く。
「が、ああ!」
次の瞬間。竜人は、胸を貫く衝撃に力を奪われ、ゆっくりと墜落していった。
(何だ。何の能力だ?! わたしは、こんなちからなんてしらない……)
5.死
シカイを牢に放置したマコトは医療室へと行き、医師にシカイの容態を告げた。
逃げようともせずに怪我人を治療していた医師は、マコトを睨みつけると自ら牢に向かった。
「すまない……」
医師にはここに残って患者を診ているように言われたが、残っている怪我人はいずれも軽傷で、これ以上の処置をする必要を感じなかった。
医療室を出たマコトは、そのまま武器庫へと向かった。
(彼らだけでは、竜人は倒せまい)
雑多に溢れる剣や鎧を押しのけ、マコトは奥の壁の前に立つ。
その手に嵌めた指輪を、叩きつけるようにくぼみに合わせ、そのまま体重をかけ押していく。
重い音を立てて滑っていく壁の脇から中に入り、目当ての物を探す。
中には百を越える薬品漕が整然と並べてあった。
最も奥にある硝子瓶を手に取り、中身をボウガンの矢の先に染みこませる。
透明な液体が鉄に反応し、見る間に紅く染まる。次々と矢を薬品に浸していく。真紅に色を変えた矢が十本を越えた所で、満足して硝子瓶を元に戻す。
次に、壁に掛けられた剣を一本手に取り、腰に刺す。
これは、禁中の禁。
竜人を殺す毒。
城に勤める者の中でも、親衛隊のそれぞれの隊長とマコトしか知らない研究。
いつか来る、竜人の暴走の為に進めていた研究だったが、まさか本当に使う時が来るとは思わなかった。
静かに息をつき、マコトはバルコニーへと向かった。
幾度となく轟く咆哮によって生じた吐き気を抑えながら、マコトは事態の推移を見守っていた。
倒れるアキに、寄りそうサリ。
アキの猛攻に、『倒せるか』とも思ったが、やはり竜人の総合能力には勝てなかった。
ケリは、マコトがつけるしかなかった。
襤褸切れの様になった翼を動かし、空へと逃げる竜人へと、ゆっくりとボウガンを構える。
倒れたアキに安心したか、その動きを止める竜人。体を城門へ向けた瞬間を狙い、マコトは矢を放った。
胸を押さえ落下していく竜人を確認し、マコトは新たな矢をボウガンにつがえた。
竜人。自らも正確な年齢を知らない。西方で生まれ、郷を飛び出した後、まだろくに文明の発達していなかった国に目を着け、その礎を作った。
長い年月の間一人でいた為、寂しい、という感情が自覚できず苛立っている。