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05 : 孤独の魔法遣い。





 カイエという、異世界から境界に落ちてきた少女を見つめる魔法遣いの瞳に、ジョエルは心を騒がせる。

 いやな意味ではない。

 純粋に、心配だった。


「帰る」


 高熱のため意識を失った少女をその腕に抱いた魔法遣いは、少女にと処方された薬もきちんと持って、ジョエルの前を横切る。


「真っ直ぐ帰れるのかい」

「ああ」


 方向音痴の言葉は信ずるに値しない。けれども、少女を見つめる灰色の双眸は信じたい。


「転移門を開く。遣いなさい」


 ジョエルは、自分がそうやって魔法遣いの居住地へ行くように、腕を翳して魔法遣いの足許に陣を敷く。

 ちらりと、魔法遣いはジョエルを振り向いた。


「しばらく来るな」


 その言葉を置いて、魔法遣いは陣の上から消えた。


「来るなとはまた、随分な言葉だね」


 部屋の扉が開いていた。皇帝ギルヴィレスが、宰相を後ろに控えさせ、面白くなさそうに立っている。


「陛下に向けられた言葉ではないよ」

「だとしても、随分な言葉だよ。迷子になったかと思って、こっちは心配したのにね」

「あの方向音痴は病気だから」

「治せる薬があればいいのに」


 ふん、と唇を歪めたギルヴィレスは、豪奢な上着の裾を捌いてジョエルに背を向ける。歩き始めたので、ジョエルは彼を追って部屋を出た。


「だいぶ面白くなさそうだけど、協会からなにか余計なことでも言われたのかい」

「いつもの文句だよ。魔法遣いをこちらに返せ、とね。盟約があると突っ撥ねたけれど」

「境界に落ちたあの子のことはなにも言われなかったわけ?」

「彼らはきみの言葉を信じたよ。さすがだね、ジョエル」


 国の総意たる皇帝の言葉より、魔法遣いでもある皇佐の言葉に重きを置いた協会の態度は、ギルヴィレスをいたく不機嫌にさせたらしい。


「きみたちをまるで道具かなにかだと勘違いしているのではないかな、彼らは」


 魔法遣いに傅きながら、それでいてそうとは思えない態度でも、協会の彼らはギルヴィレスに見せたのだろう。

 くす、とジョエルは笑った。


「心配は要らないよ。わたしもナツも、この国を離れることはないからね。それが盟約、そして誓約……あの人の遺言でもある」

「在り難い、と言いたいところだけれど、僕はきみたちを友人だと思っているからね。魔法遣いだからとか、そういうことは抜きにして、そばにいてもらいたいと思うよ」


 本当にそう思っているからね、と念押しするように軽く振り返って言うギルヴィレスに、ジョエルはわかっているよと頷く。


「わたしの仕事は、ナツと生きていることだからね」

「……そこに僕も混ぜて欲しいね」

「わたしはあの人が愛した国と、あの人が大事にしていたものを護るために生きる」

「大きい枠組みの中の一つはいやだねえ」


 我儘を言う皇帝は、しかし皇帝の顔ではなく、ギルヴィレスというひとりの人間として苦笑していた。


「どうしても、僕は駄目なのかな?」

「さあね」


 どうだろう、と肩を竦めると、ギルヴィレスは「まいったねえ」と困った素ぶりを見せながら顔を正面に向け、ゆっくりと歩く。


「僕はきみの苦労も、悲しみも、寂しさも……わかっているつもりなのだけれどねえ」

「なんだい、いきなり」

「いや。今も昔も、きみを感情的にするのは、ナツだけなのかと思うとね……僕はずっときみたちを見てきたから、ちょっと寂しいかな」

「ナツに婿にいって欲しくないって、そう言っているように聞こえるよ」


 歳を取ったものだね、と言えば、ギルヴィレスが肩を竦めた。


「それはきみだろう?」


 内心、ぎくりとした。


「ジョエル、寂しい?」


 いつのまにか立ち止まっていたジョエルの前に、同じように立ち止まったギルヴィレスは立っていた。


「僕は少し寂しいよ。誰よりもナツを心配し、大事にしているのは、ジョエル、きみだからね」

「……お見通しだとでも言いたいわけ?」

「言っただろう。僕はずっと、きみたちを見てきた」


 寂しくないのか、と訊かれて、素直に「寂しくない」とは言えない。ずっと気にかけていた弟弟子のことだ。少女の出現にほっとしたのも確かだが、根底には、寂しいという気持ちも僅かにある。

 手のかかる魔法遣いは、少女の出現により、変化する。

 変化を喜ぶ一方で、置いて行かれる寂しさが、ジョエルにはあった。


「わたしは……」


 寂しさに、負けることはない。

 そう思う。

 だから苦笑した。


「あの人が愛したものを、大事にしたいんだよ」


 それだけだ。

 本当に、それだけ。


「やっぱり……命令しておかないと、いけないね」


 ギルヴィレスもまた、苦笑する。


「僕は国主だ。国を護る義務がある。わかるよね?」


 困ったように笑うその姿が、本当に困っているかどうかと言えば怪しい。だが、皇佐である前に魔法遣いでもあるジョエルの前で、そんな嘘などつかないのがギルヴィレス・ヴォルド・セン・レヴァルゥド皇帝陛下だ。


「……カイのことは、わたしに一任してくれるのでは?」


 境界に落ちた少女。

 言葉も通じぬ、異世界からやってきた少女。

 人嫌いする魔法遣いの心に、するりと入ってきた少女。

 なに者であるかなど、ジョエルには然したる問題ではない。少女がどんな人間であるか、そこだけだ。それも先ほど魔法遣いと一緒にいる姿を見て、少しだけわかった気がする。

 あの少女なら、魔法遣いをひとりの世界から救いだしてくれる。

 ジョエルは魔法遣いの変化と、それをもたらした少女を、真の意味で受け入れたつもりだ。

 だが。

 皇帝たるギルヴィレスは、ジョエルのようにはいかない。

 ひとりの人間としてなら、ジョエルと同じように少女を受け入れただろう。しかしギルヴィレスは皇帝だ。国の象徴、総意だ。魔法遣いの領分に手出しできなくとも、国として易々と少女を受け入れるわけにはいかない。その権力は魔法遣いの領分を跳ね退けることだって、本来ならできることだ。


「協会や貴族院には、僕の適当な誤魔化しが通用する。だがそうするためには、僕が誤魔化されるわけにはいかない。だからね、ジョエル、あの子がなに者か、きっちりと調べてくれるかな」

「調べるまでもないのだがね」

「外見上では、僕もそう思ったよ。けれど、そこを疑うのが僕の仕事でね」


 わかってくれるよね、と言うギルヴィレスの瞳に、笑みはない。


「……もし、悪と判断されることがあったら、どうするつもりだい?」

「ご想像通り。僕にはその権限があるからね」

「ナツに殺されるよ、あなた」

「そのときはジョエル、きみも一緒だよ」


 にこ、と優しげにギルヴィレスは微笑む。王城内の女性の人気をひとりで、いや国内外の老若男女問わず集中的に注目を浴びる皇帝は、惜しみなくその艶然とした笑みをジョエルただひとりに注いだ。


「……せめて世継ぎを決めてから殺されたら? わたしは生きるよ。ナツと一緒にね」


 言ってやったら、側妃はいても正妃は未だいない皇帝は茶化すように小首を傾げた。


「うーん……僕はこれでも、かなり口説いているつもりなんだけれどねえ」


 どうして捕まってくれないかなあ、とぼやきながら、くるりと踵を返した。


「メクレム、どうしてだと思う?」


 などと、傍らの宰相に話を振り、ジョエルの嫌味から逃げる。


「陛下に落ち度はござりませぬ」

「でしょう? 僕はあといったい幾年ひとりなのかなぁ」

「一度諦めてみてはいかがでしょう?」

「それは無理だよ、メクレム。僕のこの愛は深いからね」


 ははは、と笑いながら、三十路になろうというのにひとり身であることが災いし、暇になれば縁談の話で休日を潰される皇帝はすたすたと歩いて行った。

 ジョエルはその背を追うことなく、見えなくなるまでその場に留まり、はあ、と息をつく。


 願うならば、魔法遣いの闇が明るく照らされることを。

 願うならば、魔法遣いのもとに落ちた少女が、救いであることを。

 願わくは孤独の魔法遣いに、いとしきものを。


「お師さま……」


 見上げた空は天高く、穏やかだった。

 この空はいつまで続くだろう。







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