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02 : 迷子の魔法遣い。





 皇佐ジョエルは、苛々しながら椅子に腰かけていた。


「ジョエル」

「なにかな皇帝陛下」

「きみ、皇佐だよね」

「だからなんだい」

「仕事しようよ!」


 レヴァルゥド帝国皇帝ギルヴィレスが、ジョエルの不機嫌を無視して怒鳴りつけた。しかし、そんなことでは怯まないのが皇佐ジョエルである。


「あのねえ、わたしの仕事はあんたのお世話じゃないんだよ」

「皇佐でしょっ?」

「立場上ね」

「なら仕事しようよ!」

「なんのための宰相さ」

「宰相は宰相、皇佐は皇佐でしょうが!」

「わたしの仕事は、生きていること、だよ」


 むっつりとしながら言ってやったら、御歳そろそろ三十になろうという若い皇帝陛下は言葉を詰まらせた。


「ナツと一緒に生きていることが、わたしの仕事だよ。ここにいてやっているだけマシだと思いなさい」

「……ナツはどうしたの」

「まだ帰ってきてないよ」

「ああ、だから機嫌が悪いわけね」

「まあね」


 ジョエルは非常に機嫌が悪い。

 その理由は単純明快だ。

 一日で帰ってくるわけがないと思ってはいたが、早くても一週間で帰ってくるだろうと思われた魔法遣いが、二週間経った今も帰ってこない。


「ナツのことだから、また食事もしないでふらついているだろうね。なんのために地図と方位計を持っていったのだか」

「……落としたかね?」

「あり得そうなこと言わないでくれる? これまでにいったいいくつ買い与えてやったと思うの?」

「相も変わらず極度の方向音痴だねえ、ナツは」

「あれはもう病気だよ」


 はあ、と幾度めとも知れないため息がこぼれる。

 極度の方向音痴である魔法遣いにはこれまでにも数え切れないくらい困らせられたが、今回もまたひどい。そこにもの忘れがひどいときているから、もう地を這うほど最悪だ。いや、それ以下か。道に迷い過ぎて、帰ることを忘れているかもしれない。


「迎えに行ったほうがよくない?」

「どこに行けばいいと? あの方向音痴、どこで迷っているのかもわからないのに、闇雲に捜しても無駄になるだけだよ」

「……元も子もないか」

「境界の中で迷っているならいいけどね。それでも、今のわたしは境界の番人ではないから、どうもしようがないよ」

「きみも大変だねえ」

「ナツのことではね」


 互いに、はぁぁ、とため息がこぼれる。

 本当に世話の焼ける魔法遣いだ。


「きみの魔法でも捜せないのか?」

「境界の中にいたら捜せないね」

「境界から出たかもしれないよ?」

「なお悪い」

「……そうだね」


 あの病的な方向音痴は、どうやっても治らない。南に行けと言って北に行くならいい。だが、東か西か北か、或いは正しく南に行くか、そのときによって行く方向が違うから困るのだ。しかも本人にその自覚はない。いつだって正しい方向へと進んでいる気でいる。なぜ目的地に到着しないのか、ではなく、今日もまた随分と遠いなぁ、と考える間抜けだった。


「やっぱりひとりで行かせるんじゃなかった……わたしも一緒に行けばよかった」

「だがきみは皇佐で、ナツは魔法遣いだ。今代は、な」

「立場が逆転していても同じだよ」


 ひとりで行かせるのではなかった、と思ったところで今さら遅い。そんなことはわかっている。それでも、ジョエルは少々悔やんだ。いつだって引き篭もる魔法遣いだから、一週間くらい外に出て遊んでくればいいと思ったのだ。心遣いだ。気配りだ。年長者としての優しさだ。

 だのに、またもやそれが仇になるなど、予想はしていたが失敗したと思う。


「わたしも学習能力がない……ほんと、苛々する」

「落ち着け」

「言われなくても」


 気持ちは苛々としているだけで、落ち着いてはいる。迷子の魔法遣いをどう回収するか、それに対して頭痛がするだけだ。


「どうやって捜そうかな……この前みたいに、賞金首にでもすればいいかな」

「あれは殺されかけたでしょ」

「けど確実だった」

「またやったら死体になって帰ってくるかもしれないよ」

「方向音痴なのに無自覚なのが悪い」

「それは仕方ないというか……ナツ自身は正しいと思っているからねえ」


 ああもう手に負えないよ、とジョエルは、皇帝と並んで項垂れる。


 そこに、扉を叩く音が、空気を割って入ってくる。

 入室したのは宰相だった。


「陛下、魔法遣いどのが謁見を求められておいでです」

「ああそう、魔法遣いがね…………、てぇえっ? ナツが戻ったっ? 自力でっ?」


 吃驚な知らせに、ジョエルも目を丸くする。噂をしている最中に迷子の魔法遣いが帰ってきたのは初めてだ。


「ナツメどのと、確かにお見受けいたしました。いかがなさいますか?」

「広間に……いや、ここに通してくれ。無事な様子だったかい?」

「はい。ですが……」

「ん? どうした?」

「どうも、不思議なものを、お持ちで……」

「ああ、それは境界に落ちたものだ。回収に向かってもらったからね」

「人のようでしたが」

「そうか、そう…………、ひとっ?」


 皇帝が素っ頓狂な声を上げたとき、ジョエルもさすがに口を開いた。


「ナツが人間を連れてきたって?」

「はい。害はないとおっしゃられるので、真に人間であると思われます」

「……嘘でしょう」

「いえ、真にございます」

「ナツが、人間を……まさか」


 あり得ない、ことだった。

 境界に落ちたものが人間だということではなく、魔法遣いが、人間を連れてくることが。


「いかがなさいますか? ここに、お通ししても?」


 促してくる宰相に、ジョエルは首を左右に振った。


「わたしは行く。ここまで連れてくるくらいなら、行ったほうが早い。陛下は?」

「行こう」


 驚いているのは、なにもジョエルだけではない。皇帝も驚いている。

 机を離れた皇帝は、椅子を立ったジョエルの隣にきた。


「宰相閣下、場所は?」

「白の間にお通ししております」

「最良の判断だ。ありがとう、閣下」

「いいえ。ではそちらに、われわれも移動いたしましょう。しばし陛下をお頼みします、ジョエル」

「ああ」


 ジョエルは頷くと、皇帝の肩に手を置く。

 白の間と呼ばれている来客用の応接室を脳内に浮かべた次の瞬間には、その場所へと部屋を移動した。


「ナツ!」

「…………」


 残念な反応をされた。


「相変わらずの沈黙かい……忘れたとか言ったら殴るよ」

「ジョエル」


 今思い出したかのようにジョエルの名を口にした魔法遣いは、次の瞬間ジョエルを瞠目させた。


「……ナツが、人間と、手を」


 あり得ない光景だった。

 魔法遣いは、少しみすぼらしい恰好をした人間の少女と手を繋いで、そこに立っている。しかも、色白な少女はジョエルや皇帝がいきなり現われたことに吃驚した様子で、魔法遣いの影に隠れようとした。魔法遣いは、それを許した。触れることを許しているのだ。

 信じられない。


「ジョエル」

「あ……ああ、ナツ」

「回収した。落ちてきたのは人間だった」

「その、ようだね……」

「陛下……ギヴ? 回収したぞ」


 ジョエルにそれを報告し、皇帝ギルヴィレスに報告し、魔法遣いは満足そうに息をつく。

 この際、魔法使いが皇帝の御名を忘れて「ギヴ」と適当な愛称で呼んだだろうことは、どうでもいい。というか皇帝ギルヴィレスも、どうでもいいと思っているだろう。むしろ呼ばれて幸運とか、思っているかもしれない。


 なんにせよ、あの人間嫌いな魔法遣いが、人間の少女を連れてきただけでなく手を繋いでいるこの事態は、信じられないものだ。


「ジョエル、わたしは幻覚を見ているのかな。それとも頭がおかしくなったのかな。ナツが人と手を繋いでいるように見えるのだけれど」

「殴ってあげようか」

「いやけっこうだ」

「そう言わずに」


 ごん、とギルヴィレスを、一国の国主を殴ってみる。しかし目の前の光景が変わることはなく、魔法遣いの影に隠れた少女を怯えさせただけだった。


「ナツ、それ、本当に境界で?」

「境界を歩き回ったが、見つけたのはカイエだけだ」

「カイ……なに?」

「この人間の名前」


 名まで聞き出している。なんてことだ。

 今まで人間嫌いが激しくて、まともに会話ができたのはジョエルとギルヴィレスくらいだというのに。


「ジョエル、カイエを連れて行ってもいいか?」

「連れて行くっ?」


 なんだそれは、と声が裏返る。


「家に連れて帰る」

「連れて帰るだってっ?」


 その人間の少女をか、とジョエルは吃驚だ。

 ギルヴィレスなどは吃驚し過ぎてもはや言葉もない。


 しかし。


「カイエはおれと同じだ」


 魔法遣いがそう言った瞬間、それまでの気持ちがすっと、冷水を浴びせられたがごとく冷えた。


「おれと同じ。世界から零れ落ちた」

「……落ちた?」

「だから、連れて帰る」


 魔法遣いはその目を細め、背後で怯えている少女を見やる。その双眸は思いのほか優しく、今までに見たことのない瞳だった。


「ナツ……おまえ」


 漸くあの人の言葉を、理解したのだろうか。

 やっとわかってくれたというのだろうか。

 人間を怖がるな。

 人間を嫌うな。

 人間を愛せ。

 その言葉を、魔法遣いは受け入れたのだろうか。


「ギヴ、だめか?」


 魔法遣いは放心している皇帝にも申し入れた。


「……ジョエル、この事態をわたしはどう受け入れたらいい?」

「わたしに聞くな。国主はあなただ。けど……ナツは嘘を言わない」

「では受け入れるしかあるまい。わたしは皇帝、魔法遣いの領分はわからない」


 ギルヴィレスは了承した。魔法遣いが人の少女と手を繋いでいる、その現状を受け入れた。

 皇帝は絶対だ。いくら魔法遣いの領分がわからないと言っても、魔法遣いを支配下に置く皇帝なのだ。皇佐のジョエルがなにを言っても、それはただの助言にすらならないことだってある。


 しかしながらジョエルは、ずっと昔から、魔法遣いにはあの人の言葉を受け入れて欲しいと思っていた。ジョエルも、皇佐という立場にはあるが、もともとは魔法遣いだ。この魔法遣いとは師を同じくする。同じ弟子として、この弟弟子を心配するのは当然だった。


「ナツ」

「ん」

「どうしても?」

「どうしても」

「責任を持てるかい?」

「カイエは、おれと同じだ」


 これまで見たことのない真剣な目だ。これは本気と捉えるほかない。


「……わかったよ」


 この変化を喜ぼう。共に育った弟弟子の成長を、嬉しく思おう。受け入れなければ、認めなければ、この魔法遣いは孤独なまま寿命を終えてしまう。それはあんまりだ。

 少女がもたらした魔法遣いの変化、それが「自分と同じ」だという理由からだとしても。


「陛下、お許しください」


 ジョエルは口を改め、ギルヴィレスの前に出て膝をついた。


「魔法遣いナツメ・ユエ・ジェイルに、境界に落ちたものをお譲りください。その責任はこのジョエルが、今代皇佐ジョット・サエ・ジェイルが全面的に持ちますゆえ」

「人の子だよ? わたしがどうこうできるものかね」

「ありがとうございます」

「ただね……」

「なんでしょう」


 落ち着きを取り戻したらしいギルヴィレスが、些か不納得そうな顔をして、人間の少女を見やった。


「落ちてきたのが人の子というのは、どうも不思議だ。境界には、番人たる魔法遣いしか、入ることができないはずだからね。ジョエルが皇佐ゆえに入れないように」

「調べますか?」

「そうしたいところだね。まあ、それはジョエルに任せるよ。協会にはなんて報告しようね」

「ナツメが実験でもしたことにしましょう」

「それはいい。宰相、よろしく頼むよ」


 やんわりと宰相に脅しをかけたギルヴィレスは、にっこりと微笑んだ。


 その、瞬間。


「あ、やっぱりなにも食べずにふらついていたようだね」


 少女の悲鳴と、ギルヴィレスののんびりとした声に、ジョエルは背後を振り向く。


 魔法遣いが倒れていた。







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