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09 : 最後の魔法遣い。





 突然だった。

 異世界から落ちてきた少女がなにかを叫び、その言葉が少女の世界で使われている言葉だとわかったのは、魔法遣いが少女の頬を両の手のひらで包み、ジョエルたちには聞こえない声で語りかけたあとのことだった。

 落ち着いたのは、それからさらにしばらく経ってから。


 少女がことんと意識を手放し、魔法遣いの腕の中に落ちる。


「だいじょうぶかい?」


 問うと、魔法遣いは小さく頷き、少女を大事そうに抱え直した。


「なにか勘違いさせてしまったようだね」


 ギルヴィレスが申し訳なさそうな顔をした。同じことをジョエルも思っていたところだ。


「おれとカイエは同じだ」


 魔法遣いは、少女の黒髪に顔を埋めながらそう言った。その表情は柔らかく、穏やかで、少女の悲しみを喜んでいるようにさえ見える。けれども同時に、その灰色の瞳は悲しげでもあった。


「カイを魔法遣いに、というのは、口実なのだけどね」

「そんなことはどうでもいい」

「おまえの変化が、協会は気に入らないらしい」

「はん……」


 皮肉げに魔法遣いは鼻で一蹴し、さらに深く、少女を抱き込む。その姿は、いとしい者を手中に入れて喜ぶただの青年だ。


「くれてやるものか」

「だいじょうぶだよ。そのためにカイを魔法遣いにして、盟約を交わしたことにするんだから」


 少女を魔法遣いにすることに反対するつもりは、魔法遣いにはないらしい。この腕の中に少女があれば、と考えているのだろう。


「カイをわたしらの弟子にするよ? いいね?」

「好きにすればいい」

「陛下、いいよね?」


 ギルヴィレスにも意思を問うと、彼はにっこり笑った。


「それがきみの答えなら」


 どうとでも読み取れるギルヴィレスの返答に、ジョエルは嘆息する。どうでもいいような答えではないだけましかと思い直すと、少女を抱えて席を立った魔法遣いに視線を上げた。


「陛下の承諾も得たから、協会にそのまま報告するからね?」

「ああ」


 魔法遣いはこちらに視線を向けることなく、すたすたとわが家の中へと戻って行った。


 ジョエルは二度めの嘆息をつくと、椅子に深くもたれて天を仰いだ。

 今日の空は高い。


「ジョエル?」


 ギルヴェレスの呼びかけに、空気だけで答える。

 静かな時間が流れた。


「ジョエルは空を眺めるのが好きだね」

「……あの頃から変わらないのは、この空だけだから」

「僕も変わらないよ?」

「はっ……大きく成長したじゃないの」


 あんなに小さかったのに、と言いながら視線を落とし、茶器に手を伸ばして自分でお茶を淹れる。その手を止めたのは、ギルヴィレスだった。


「僕が淹れてあげるよ」


 一国のあるじに自分はなにをさせるのか。そう思いはしたものの、ここは魔法遣いの家の庭で、皇城ではない。自分もまた、皇佐ではなくただの魔法遣いだ。ギルヴィレスについて来ている護衛の騎士は泡を喰っているだろうが、そもそもギルヴィレスが自ら進んでほかの誰かになにかをするというのはジョエルと魔法遣いに限られているので、ジョエルは楽しげにお茶を淹れるギルヴィレスをただ静かに眺めた。


「こんなときに無粋だと思うけれど、訊いてもいいかな」

「無粋だと思うなら訊かないでくれるかな」

「カイはなに者?」


 ギルヴィレスの問いに、ジョエルは淹れてもらったお茶を受け取りながら唇を歪める。


「本当に無粋だね、陛下」

「僕は国主だから」


 にこ、とギルヴィレスは微笑む。小憎たらしい。


 ジョエルはお茶を口に含み、その美味さにほっと息をつくと遠く空に視線を送る。

 本当に、今日の空は高い。

 そしてこの空だけは、昔から変わらない。

 愛する者を得たあの人が命を散らせたのは、こんな日だった。

 その記憶が痛い。


「お茶、美味しくない?」


 問われて、いつのまにか眉間に皺が寄っていたらしいことに気づく。目頭を揉んで、痛む記憶を和らげた。


「無粋なことを訊くからだよ」

「ああ、それはごめんね? けれど、僕は知らなければならないから。それが僕の責任だから」

「……一端の口をきくようになったね」

「いつまでも子どもではいられないからね。僕はもう、きみの外見年齢を超えたおとなだよ」

「歳下のくせに」

「そこは勘弁してもらわないと。僕よりさきに産まれて、しかも魔法遣いなんて……きみはひどいね、ジョエル」


 くす、と苦笑にも似た笑みをこぼしたギルヴィレスが、茶器を広げている卓に肘を乗せ、寄りかかるようにしてジョエルを見やってくる。


「きみとナツが生きる世界に、僕も生きたかったな」

「たかだか五十年……大差ないよ」


 僅かな違いしかない、と鼻で笑えば、ギルヴィレスは悲しげにする。


「僕は焦っているんだよ」

「ふぅん」

「どうして、わかってくれないの?」

「どうしようもないことでしょう」


 考えたって無駄、と切って捨てれば、ギルヴィレスは腕の中に顔を埋めて嘆息する。


「ひどいよ……ジョット」

「……ジョエルだよ」

「きみはジョットだ」


 ギルヴィレスは俯いたまま、そっと静かに椅子を立った。


「陛下?」

「カイがなに者か、それはあとで聞こう。またね……僕の魔法遣い(ジョット)


 薄っすらと笑みを浮かべたギルヴィレスは、豪奢な上着の裾を捌いてジョエルに背を向ける。護衛の騎士が控えているところまですたすたと歩いて行くと、ふっとその姿を消した。

 ジョエルはたびたび嘆息する。


「ほんと、面倒臭い……」


 弟弟子のことだけを考えていられたら、楽なことはない。それなのに、ギルヴィレスはいつだってジョエルの邪魔をする。いくら邪険にしても、めげない。むしろその執着は増すばかり。


「どうしてわかってくれないの、か……ふん、わかっているよ」


 そんなこと、と呟き、ギルヴィレスが淹れてくれたお茶を飲み干す。


「わたしが魔法遣いで、あなたがそうでない以上、どうにもならないんだよ」


 種族が違う。

 ただ、それだけのこと。

 そして魔法遣いという種族は、滅びへと向かっている。

 少女が「少子化に悩んでいるのか」と考えていたが、そのとおりだ。弟弟子である魔法遣いを最後に、それ以下の幼い魔法遣いは存在しない。


 魔法遣いは終わるのだ。

 きっと。

 自分たちを最後に。

 魔法遣いと呼ばれる者たちは、滅ぶ。

 それは近い将来のこと。


「……ん?」


 空を眺めながら、ふと、ジョエルは考えつく。


「カイがナツの前に現われたのは……」


 もしかして、と考えたことを、だがしかし、とすぐに否定する。


「そんなわけ、ないよね……」


 滅びへと向かっている魔法遣いを、少女が変えるかもしれない。末裔たる魔法遣いに及ぼした影響が、それに繋がるのかもしれない。

 それは限りなくあり得ない、僅かな可能性。

 だが。


「……カイを協会に奪われるわけには、いかないな」


 どんなことがあっても、異世界から落ちてきた少女を、護らなければならない。

 それは弟弟子たる魔法遣いのため。

 この国のためではなく、自分たちの幸せのため。

 最後の魔法遣いは、漸くそれを選んだのだから。


「カイ、ナツをひとりにしないでね」


 ジョエルは魔法遣いと異世界の少女がいる家を振り返り、静かに祈った。







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