シーン1:崩れ落ちる本棚を押さえる私
毎日投稿チャレンジ挑戦中です。予約投稿も使えばいける、、、はず。
20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
本棚が、倒れてくる。
最初に気づいたのは音だった。
ぎ、ぎ、ぎ——と木材が悲鳴を上げる軋み音。次に振動。石畳の床から足の裏を伝って這い上がってくる、微かな揺れ。
……まずい。
私は反射的に両腕を突き出す。
高さ三メートルはあろうかという樫製の大本棚が、ゆっくりと、しかし確実に私の方へ傾いていく。積まれた本が一冊、また一冊と落ちてきて、頭の上でぱしぱしと乾いた音を立てる。埃が煙のように舞い上がった。
「っ……!」
踏ん張る。五歳の身体で、全体重を両の掌にかけて押し返す。
当然、止まらない。
そりゃそうだ。物理法則は五歳の幼女に優しくない。前世で流体力学の論文を書いていたとしても、腕力は腕力だ。筋肉量ゼロの子供に重力は容赦しない。
でも。
「エルド! そっちに行く!」
「え、あ——っ!?」
ドンッ、と背後から衝撃が伝わってくる。
本棚は私の顔面まで五センチのところで止まった。後ろから、もう一組の大きな手が支えてくれている。
「り、リリア様! 怪我は……!」
「ない。それより押さえてて。ゆっくり戻すよ」
「は、はい!」
十七歳のエルドが歯を食いしばって力を入れてくれる。軋みながら、本棚が少しずつ元の位置へ戻っていく。最後に、どすん、と壁に収まった瞬間——私はようやく息を吐いた。
埃と、古い紙の匂いがする。
本が古くなったときの、あの独特の香り。干し草と甘みを薄く混ぜたような、どこか懐かしい匂い。前世の記憶が染みついているせいか、私はこの匂いがどうしても嫌いになれない。図書館の匂いだ。
「……すみません。棚の補修を後回しにしていた僕のせいで」
エルドが顔を青くして頭を下げる。額に汗が滲んでいる。誠実な目だ。責任を感じている目だ。
「気にしてないよ。棚の根本が腐ってたんだから、いつかは倒れてた」
「でも——」
「エルド」
私は振り返って、彼の目をまっすぐ見る。
十七歳の青年が、五歳の幼女に真正面から見つめられて、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らす。それでも私は続ける。
「今日のことは課題リストに追加しとく。でも優先度は中。今はもっと大事なことがある」
「……大事なこと、ですか」
「うん」
私は視線を上へ向ける。
高い天井。かつては壮麗だったのだろう——梁には精緻な彫刻の跡があるけれど、今は黒ずんで半分が崩れ落ちている。ステンドグラスだったらしい窓は、色付きのガラスがほぼ失われて、鉛の枠だけが残っている。外から侵入した雑草が窓枠に根を張り、石造りの壁の隙間から午後の光が白く差し込んでいた。
廃図書館。
それがここの通称だ。正式名称は「アーベルシュタット辺境図書館」——だけど、王都に近い人間は誰もそんな名前では呼ばない。三十年前に王国の予算管理改革で切り捨てられた施設に、正式名称なんて机の上の話でしかない。
利用者:ゼロ。
予算:ゼロ。
蔵書数:不明。散逸中。
これが私の、転生先だった。
「リリア様? 具合が悪いですか?」
「ない。考えてただけ」
私は足元に落ちた本を一冊拾い上げる。表紙の金箔は剥げ落ちて、題名がほとんど読み取れない。でも慎重に開いてみると——字は生きていた。薄れたインクでも、かろうじて読める。
農業改良論、第三編。作物の生育条件と土壌成分の相関について。
「……ふうん」
読む。一行、二行。頭に入ってくる。前世の知識と照合する——水はけのいい土壌に、有機物を混ぜた腐葉土。施肥のタイミングと収穫量の関係。この世界の農法より百年は遅れているけれど、原理は正しい。
その瞬間。
本棚の最奥、壁に埋め込まれた丸い石が、ほんのりと光った。
「——っ」
私は目を細める。青みを帯びた、淡い光。魔法陣でも魔石でもない。もっと根本的な何か——この図書館の、心臓みたいな何か。
「あれ」と私が指差すと、エルドが「ああ」と小さく頷く。
「魔導知識核です。この図書館が建てられた時から、ずっとあそこにあります。でも最近は……何年も光らなかった。なのに今」
「私が本を読んだら、光った」
「……え?」
「本を読んだ瞬間、光った。一致するでしょ」
エルドが目を丸くする。私は本を手のひらの中でそっと回しながら、頭の中で仮説を組み立てる。
——本を理解することで、現実の技術が向上する世界。
転生してすぐ、骨の髄で感じた、この世界の根本ルール。そして今、目の前で起きた現象。点と点が、線になっていく。確証はまだない。でも仮説を立てるには十分だ。
「ねえ、エルド。この図書館、今いくつ蔵書がある?」
「把握できているものだけで……三百冊ほどかと。ただ状態が——」
「散乱・散逸・劣化。見ての通りだね。他の図書館との連携は?」
「ありません。王都の図書塔は……こちらとの文書往来を、三十年前に打ち切っています」
「補修予算は」
「ゼロです」
「職員は私とエルド、二人だけ」
「……はい」
私はもう一度、壁の核を見る。もう光は消えている。でも確かに光った。たった一冊を数行読んだだけで。
理屈は通る。
「エルド」
「はい」
「ここ、私が管理を引き受けていい?」
長い沈黙。
エルドが私の顔を見て、私の小さな手を見て、また私の顔を見る。困惑と、でも否定ではない何かが、彼の表情の中で揺れている。この人はそういう人だ——理不尽を嫌う。筋が通れば、聞く。
「……リリア様は、まだ五歳で——」
「それは関係ない。できるかどうかの話をしてる」
「……何をするつもりなんですか」
私は答える。
壁に埋まった核の、消えかけた光の残滓を見つめながら。
「この廃図書館を、国家級にする」
エルドが息を飲む音が聞こえた。窓の外で風が一本の枯れ枝を揺らし、石壁の隙間から細い光が差し込んで、床に落ちた本の背表紙を照らす。
図書館は静かだった。
でも——私の中で、何かが動き出した音がした。
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