第7話 祖国の崩壊 ~リリアナがいなくなった王城、書類の山に埋もれる~
その日、私はリビングの「人をダメにするソファ」で、優雅に二度寝を楽しんでいた。
隣のリクライニングチェアでは、同居人の帝国宰相クラウスが、なにやら分厚い報告書を読んでいる。
静かで、平和な午後。
窓の外では、私の作った自動農耕ゴーレムがせっせと畑を耕す音が、心地よいリズムを刻んでいる。
「……リリアナ」
不意に、クラウスが低い声で私を呼んだ。
「んぅ……あと五分……」
「起きてくれ。極上のコメディが届いた」
「コメディ?」
私は片目を開けた。
クラウスの手には、映像通信用の魔導具(タブレット型)が握られている。
彼の唇は、愉悦とも軽蔑ともつかない、冷ややかな弧を描いていた。
「我が国の諜報員が、君の祖国──アルグリア王国の王城内部に潜入した。その現地映像だ」
「……へえ」
正直、どうでもいい。
あの国にはもう未練も興味もない。
だが、クラウスがあまりにも楽しそう(性格が悪い笑顔だ)なので、私は渋々体を起こした。
「ポップコーン、いる?」
「もらおう。塩味で」
私はスナック菓子を用意し、彼の端末をリビングの大型モニターに転送した。
◇
画面に映し出されたのは、ゴミ捨て場……ではなく、王城の大広間だった。
『なぜだ! なぜ水が出ない! 風呂も沸かせないとはどういうことだ!』
ヒステリックな金切り声が響き渡る。
声の主は、かつての婚約者、ギルバート王太子だ。
映像の中の彼は、見る影もなくやつれていた。
自慢の金髪は脂ぎってボサボサ。
目の下にはクマ……いや、あれはただの不摂生によるたるみだ。クラウスの知的なクマとは種類が違う。
着ている服も、どこか薄汚れて見える。
『申し上げます! 城内の魔導ポンプが全停止しております! 浄化槽も溢れかえっており、これ以上の復旧は……!』
『ええい、言い訳など聞きたくない! 貴様ら魔導師団は何をしている! 給料泥棒め!』
ギルバートが近くにいた騎士に花瓶を投げつける。
ガシャーン!
破片が飛び散るが、誰も拾おうとしない。
床には既に、破られた書類や食べかすが散乱していた。
「うわぁ……汚い」
私は思わず顔をしかめた。
私がいた頃は、裏で「自動清掃ロボット(スライム製)」を夜通し走らせていたからピカピカだったのに。
「君がいなくなって一ヶ月。インフラ維持の魔力供給が途絶えた結果だな」
クラウスが淡々と解説する。
「上水道の浄化、空調管理、害虫駆除の結界……それら全てが停止し、城内は今、スラム街以下の衛生状態だそうだ」
「自業自得ね。メンテナンス要員くらい確保しておけばよかったのに」
「確保しようにも、そのシステムが『誰によって』『どう動いていたか』を知る者がいなかったのだろう」
映像の中で、ギルバートがさらに喚き散らす。
『財務はどうなっている! なぜ税収が上がってこない! ミナのドレスも買えないではないか!』
隣には、愛人のミナ嬢がいた。
彼女もまた、以前のような愛らしさは消え失せていた。
化粧は崩れ、爪を噛みながら、ギルバートを睨みつけている。
「玉の輿に乗ったはずが、泥船だった」という顔だ。
『で、殿下……申し上げにくいのですが』
進み出てきたのは、白髪の老人。
王国の宰相だ。
彼は疲労困憊の体で、震える手で書類を差し出した。
『国庫は空です。各領地からの税計算が……計算が、合いません。これまで行われていた複雑な関税計算や物流調整が、全て停止しております』
『はあ!? 手計算でやればいいだろう!』
『量が膨大すぎます! これまでは、夜の間に「魔法のように」書類が処理されておりました。我々は、それが殿下のお力によるものだとばかり……』
宰相の言葉に、ギルバートが硬直した。
『私だと? 馬鹿を言うな! 私はサインしかしていないぞ!』
『で、では、誰が……?』
広間が静まり返る。
全員が顔を見合わせた。
そして、ある一つの事実に、ようやく思い至ったようだ。
──夜通し城に残り、誰よりも早く登城していた人物。
──いつも眠そうに目を擦りながら、それでも決裁箱を空にしていた人物。
──「地味で無能」と罵られ、追放された公爵令嬢。
『まさか……リリアナ嬢が?』
誰かが呟いた。
その名は、呪文のように広間に伝染した。
『リリアナ様だ……あの方が、全てを支えていたんだ』
『インフラも、財務も、陳情の処理も……あの方一人で?』
『馬鹿な、そんなの魔法使い百人分以上の仕事量だぞ……』
真実が露呈した瞬間だった。
私の正当な評価が、私が消えたことによって証明される。
なんとも皮肉な話だ。
「ふん。遅すぎる気付きだな」
クラウスが鼻で笑った。
「失って初めて大切さに気づく、か。三流恋愛小説のようだが、現実は残酷だ。覆水は盆に返らん」
映像の中で、ギルバートが顔を真っ赤にして震え出した。
後悔? 懺悔?
いいえ、違う。
彼のような人間が抱く感情は、もっと醜悪なものだ。
『ふ、ふざけるな……!』
ドンッ!
ギルバートが玉座を蹴り上げた。
『あいつだ……あいつがやったんだ! 去り際に呪いをかけていきおったな! 私の治世を妨害するために、国中の機能を止めやがったんだ!』
すごい。
斜め上の解釈だ。
私の「自動化が切れただけ」という現象を、「呪いによる妨害」と変換したらしい。
自分の無能さを認めるより、私を悪者にする方が楽だからだ。
『許さん……許さんぞリリアナ! 近衛騎士団、出撃だ!』
ギルバートが剣を抜き放ち、虚空に向かって叫んだ。
『ヴォルグ荒野へ向かえ! あのアマを捕らえろ! 引きずってでも連れ戻せ! そしてこの呪いを解かせた後、火炙りにしてくれるわ!』
おおーっ、と騎士たちが呼応する……ことはなかった。
まばらな返事と、嫌々そうな足音だけが響く。
士気はゼロに近い。
映像がプツリと切れた。
諜報員が撤収したのだろう。
リビングに静寂が戻る。
私は最後の一粒のポップコーンを口に放り込み、ため息をついた。
「……めんどくさいことになった」
捕縛命令。
つまり、軍隊がここに来るということだ。
私の平穏な引きこもりライフ最大の危機である。
「火炙り、だそうだ。怖いか?」
クラウスが試すような目で私を見た。
私は肩をすくめた。
「怖くはないですけど、鬱陶しいです。庭が汚れるし、騒がしいし。……引っ越そうかな」
家ごと移動する魔法を開発するべきだろうか。
そんなことを考えていると、クラウスが立ち上がり、私の頭に手を置いた。
「逃げる必要はない」
彼の手のひらは、大きくて温かい。
「契約を忘れたか? 君の安眠は私が守る。害虫駆除は私の仕事だ」
「でも、一国の正規軍ですよ? 宰相閣下の権限でも、他国の軍事行動までは止められないんじゃ……」
「正規軍? あれをか?」
彼は冷酷に笑った。
その笑顔は、かつて「鉄血宰相」と恐れられた男のそれだった。
「補給線も確保できず、指揮系統も崩壊し、大義名分もない烏合の衆など、軍隊とは呼ばん。ただの暴徒だ」
彼は懐から通信機を取り出した。
「それに、丁度いい。我が帝国軍の新型魔導兵器のテスト相手が欲しかったところだ。実戦データが取れる」
……あ、これ、ギルバート殿下終わったな。
私は直感した。
有能な仕事人間と、無能な感情人間。
勝負は見えている。
「任せておけ。君はただ、そこで昼寝をしていればいい」
「……はい。期待してます、管理人さん」
私はソファに深く沈み直した。
彼がいるなら大丈夫だろう。
そう思えるだけの信頼が、この数週間で築かれていた。
王国の軍隊が到着するのは、おそらく数日後。
それまで、私は精一杯ダラダラして、英気を養うことにしよう。
……まあ、念のため、家の周りの落とし穴は深く掘っておくけど。自動で。




