第5話 宰相、堕ちる ~鉄血宰相、人をダメにするソファに敗北す~
リビングに、重たい音が響いた。
ドサッ。
運搬用ゴーレムが、荷台に乗せていた「荷物」をソファの上へ乱暴に降ろした音だ。
荷物──もとい、帝国宰相クラウス・フォン・ガレリア閣下は、ピクリとも動かない。
「……扱いはもう少し丁寧にって設定したはずなんだけど」
まあいいか。
私は彼が転がり落ちないように位置を調整してやった。
彼を寝かせたのは、客用寝室のベッドではない。
リビングの中央に鎮座する、私の最高傑作。
通称『人をダメにするソファ・改』だ。
中身は高級スライムの核を取り除いたゲル素材。
外側は肌触り抜群のベビーシープの革。
さらに【自動温度調整】【微振動マッサージ】【形状記憶】の三重付与魔法がかかっている。
一度座れば、体圧が完璧に分散され、重力から解き放たれる魔の家具だ。
気絶した人間を休ませるには丁度いいだろう。
「さて、お茶でも入れようかな」
私はキッチンへ向かい、自動給湯器のボタンを押した。
お湯が沸く音を聞きながら、戸棚からクッキーを取り出す。
背後で、衣擦れの音がした。
ガバッ、と勢いよく起き上がる気配。
「……っ!? ここは……!」
お、起きた。
流石は帝国のナンバー2。回復が早い。
私はティーポット片手に振り返った。
「おはようございます、宰相閣下。あるいはこんばんは?」
「貴様……! 私をどうした!」
クラウスは瞬時に戦闘態勢に入ろうとした。
右手で腰の剣を探るが、そこには何もない。
武器は回収済みだ。危ないからね。
「落ち着いてください。貴方、私の庭で勝手に倒れたんですよ。親切に運んであげたんです」
「倒れた……? 私が……?」
彼は額に手を当て、記憶を手繰り寄せているようだ。
顔色はまだ悪い。
目の下のクマが、彼の激務ぶりを無言で訴えている。
「くっ、不覚……! 私は戻らねばならない。まだ決裁書類が山のように……」
彼はふらつく足取りで立ち上がろうとした。
ワーカホリックにも程がある。
休むことへの恐怖心でもあるのだろうか。
しかし、私のソファは逃がさない。
ズブブ……。
「な、なんだこれは!?」
立ち上がろうと力を込めた瞬間、彼のお尻と背中が、ソファの深淵へと沈み込んだ。
スライムゲルが彼の体格に合わせて変形し、腰のカーブに完璧に密着する。
「動けな……いや、体が、抜けない……!」
「無駄ですよ。そのソファは、座る人の『一番楽な姿勢』を強制的に維持しますから」
私は淹れたての紅茶をテーブルに置き、彼の向かい側の椅子に座った。
「離せ! これは何の魔法だ! 拘束呪術か!?」
「いいえ。ただの家具です」
「家具だと……? こんな、意思を持っているかのように私の脊髄を甘やかす家具があるか!」
彼は必死に抵抗していた。
腕に力を入れ、上体を起こそうとする。
だが、その動きすら計算済みだ。
彼が動こうとすればするほど、ソファは形を変え、疲労した筋肉の隙間に入り込み、支えてしまう。
──ここが楽でしょう?
──もっと力を抜いていいんですよ?
ソファの声なき声が聞こえるようだ。
「う、くっ……。貴様、私を骨抜きにして、国家機密を吐かせるつもりか……」
彼の抵抗が弱まっていく。
眉間の皺が、少しずつほどけていく。
張り詰めていた肩の力が、重力に負けて落ちていく。
「あ……」
彼が小さく息を漏らした。
その瞬間、ソファのマッサージ機能が作動した。
凝り固まった背中の筋肉を、絶妙な強さで揉みほぐす微振動。
「ぅ、あ……ぁ……」
鉄血宰相と呼ばれた男の口から、情けない声が漏れる。
氷のような瞳が、とろんと熱を帯びて蕩けていく。
「抵抗をやめた方がいいですよ。疲れてるんでしょう?」
私はクッキーを齧りながら忠告した。
「……否定は、しない。私は、この三日間……一睡もして、いな……」
彼の言葉が途切れた。
瞼が落ちてくる。
限界だったのだ。
気力だけで立っていた男が、強制的に「極上の休息」を与えられたなら、結果は一つしかない。
「……ふぅ」
長い、長い吐息。
そして。
スゥ、スゥ……。
規則正しい寝息が聞こえ始めた。
完全に落ちた。
彼はソファに半ば埋もれるようにして、泥のように眠っていた。
先程までの殺気立った雰囲気は消え失せ、そこには年相応の青年の寝顔があった。
「おやすみなさい」
私は小さく呟いた。
さて、彼が起きるまで、私は私の時間を過ごそう。
読みかけの本を片手に、静かなティータイムの再開だ。
◇
彼が再び目を覚ましたのは、日が暮れかけた頃だった。
約四時間。
過労死寸前の人間にしては短いが、質は最高だったはずだ。
「……ん」
クラウスが身じろぎした。
パチリ、と目が開く。
その瞳に、先程までの澱みはない。
澄み切ったアイスブルーが、天井を見つめている。
「……頭が、痛くない」
彼は自分のこめかみに触れ、呆然と呟いた。
「慢性的な偏頭痛が、消えている。肩の重みもない。視界が……かつてないほどクリアだ」
彼はゆっくりと上体を起こした。
今度はソファも素直に彼を解放する。回復した人間を拘束する必要はないからだ。
「起きましたか。お代わり、いります?」
私がポットを示すと、彼は私を凝視した。
鑑定するような、それでいて畏怖するような目つきだ。
「……貴様、何をした」
「寝かせただけです」
「嘘をつけ。たった数時間の仮眠で、一週間分の疲労が消えるなどあり得ない。回復魔法でも使ったのか?」
「いいえ。ただ『質の高い睡眠』を取ってもらっただけです。人間、寝れば治るんですよ」
彼は信じられないという顔で自分の手を見つめ、そしてソファを撫でた。
「……恐ろしい技術だ」
彼は真顔で言った。
「このソファ一つで、我が国の騎士団の回復効率は三倍になる。文官たちの処理能力も倍増するだろう。いや、それどころか……これがあれば、皇帝陛下の不眠症も……」
ブツブツと計算を始めている。
嫌な予感がする。
これは「国に持ち帰りたい」とか言い出すパターンだ。
「あの、気に入って頂けたなら、そのソファ差し上げますよ。在庫なら倉庫にありますし」
手切れ金代わりだ。
これを持ってさっさと帰ってほしい。
しかし、クラウスは首を横に振った。
「いや、駄目だ」
「え? いらないんですか?」
「持ち帰れば、私はまたあの執務室に戻ることになる。このクリアになった頭脳で、また山のような書類と格闘し、三日後には元の死人状態だ」
彼は立ち上がり、そしてまた座った。
深く、深く、ソファに沈み込む。
「ここでは、こんなに静かに時間が流れている」
彼は窓の外を見た。
夕焼けが森を赤く染めている。
「……決めたぞ」
彼は強い意志を込めた瞳で、私を見据えた。
「私は帰らん」
「はい?」
「ここに支部を置く。私はここから遠隔で政務を執ることにする」
私は耳を疑った。
「はあ!? 何言ってるんですか! 迷惑です!」
「安心しろ、家賃は払う。国家予算から出す。貴様の安全も保証しよう。……だから」
彼はソファの肘掛けを強く握りしめた。
まるで、二度と離さないと誓うように。
「もうしばらく、ここで寝かせろ。これは帝国宰相としての命令……いや、一人の人間としての懇願だ」
鉄血宰相の威厳はどこへやら。
そこには、ただ「会社に行きたくない」と駄々をこねる、一人の疲れた男がいた。
私は天を仰いだ。
どうやら、とんでもなく面倒な居候が出来てしまったらしい。
私の静寂な引きこもりライフは、ガラガラと音を立てて崩れ去ろうとしていた。




