第9話 将軍の末路 ~痛覚遮断を解除され、蓄積された疲労が一気に押し寄せる~
「ぎゃああああああああああッ!!」
地下空間に、喉が裂けんばかりの絶叫が響き渡った。
人間が出せる音域を超えている。
獣の咆哮でもない。
魂が砕け散る音だ。
ザガン将軍が、床に倒れ込んでのたうち回っている。
「い、痛い! 熱い! ぐああああッ!」
彼は自分の腕を掻きむしり、頭を床に打ち付けている。
無理もない。
私が解除したのは、彼が数十年間にわたって使い続けてきた『痛覚遮断コード』だ。
戦場で受けた銃創。
訓練で断裂した筋肉。
改造手術で切り刻まれた神経。
そして、今さっきクラウスに突かれた横腹の傷。
それら全ての「痛み」の請求書が、利子をつけて一括請求されたのだ。
「ひぐっ、あ、足が……足がぁ……!」
ザガンが自分の右足を見て悲鳴を上げる。
そこは、不自然な方向に曲がっていた。
さっき私のパジャマ結界に蹴りを入れた時、実は骨折していたのだろう。
痛みを感じないから気づかずに動き続け、さらに悪化させていたのだ。
「これが現実よ、将軍」
私は冷ややかに見下ろした。
憐れみはある。
けれど、同情はしない。
彼はこの痛みを他人に強要し、部下を使い捨てにしてきたのだから。
「貴方は進化なんてしていなかった。ただ、壊れていることに気づかないフリをしていただけ」
「う、うぅ……嫌だ……認めん……!」
ザガンは脂汗と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら、私を睨み上げた。
血走った目。
そこにあるのは、まだ消えない狂信だ。
「苦痛こそ……生だ……! 私は……強者だ……! 止まる……ものか……!」
彼は折れた足を引きずり、震える腕で這い寄ってきた。
凄い精神力だ。
普通ならショック死していてもおかしくない激痛の中で、まだ私を殺そうとしている。
社畜の鑑ね。
死ぬまで働くという信念だけは本物だ。
「……鬱陶しいわね」
私はため息をついた。
ここまで来ると、もう言葉は通じない。
彼は「止まり方」を知らない暴走機関車だ。
なら、強制的にブレーキを掛けるしかない。
「いいわ。そんなに『生』を実感したいなら、とびきりの極楽を見せてあげる」
私は亜空間収納を開いた。
取り出すのは、私のコレクションの中でも封印指定されている、禁断の家具。
(オブジェクト召喚:『人をダメにするソファ・深淵モデル』)
ドスンッ。
ザガンの目の前に、巨大な黒い物体が落下した。
それはソファというより、黒いスライムの沼のようだった。
表面が波打ち、手招きするように蠢いている。
「な、なんだ……これは……」
「入りなさい。そこなら、痛みは消えるわ」
私は指を振った。
ソファの一部が触手のように伸び、ザガンの体をしたたかに絡め取る。
「離せ! 貴様、私をどこへ……!」
「お布団の中よ」
ズズズッ……。
ザガンの巨体が、黒い沼へと引きずり込まれていく。
彼が抵抗しようと力を込めるが、柔らかすぎるクッションが全ての衝撃を吸収してしまう。
「やめろ……! 休んだら……私が、私でなくなる……!」
「ええ、そうね。貴方はただの『疲れたおじさん』に戻るのよ」
彼の体が半分まで沈んだ時。
ソファの特殊効果が発動した。
──超強力・筋弛緩波動。
──強制・脳内麻薬分泌促進。
「あ……」
ザガンの動きが止まった。
苦悶に歪んでいた表情が、ふっと緩む。
「……痛く、ない」
彼が呆然と呟いた。
ソファの圧倒的な包容力が、彼の体の痛みを優しく包み込み、遮断ではなく「緩和」させていく。
「温かい……。これは……」
彼の目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
それは悔し涙ではない。
母親の胎内に還ったような、絶対的な安心感への降伏だ。
「……母、上……?」
最後に漏れたのは、幼児のような言葉だった。
最強の将軍の仮面が剥がれ落ちる。
彼は抵抗をやめ、自らソファの奥底へと身を委ねた。
ズブブブ……。
彼の姿が完全に見えなくなる。
黒いソファは一度だけ大きく波打ち、そして静止した。
中から聞こえるのは、大きく、安らかな寝息だけ。
「……おやすみなさい」
私はソファに向かって、短く告げた。
これで終わりだ。
彼は二度と、戦場には戻れないだろう。
「休息」の味を知ってしまった社畜は、もう元の歯車には戻れないのだから。
◇
静寂が戻った制御室。
機械の稼働音も消え、今は淡いブルーの照明だけが静かに灯っている。
私は急いで振り返った。
壁際に、クラウスが倒れている。
「クラウス!」
私は駆け寄り、彼の血まみれの体を抱き起こした。
顔色が悪い。
呼吸も浅い。
「……ん……リリアナ……?」
彼が薄く目を開けた。
焦点が合い、私を認めて、微かに口元を緩める。
「……無事か?」
「バカ! 自分の心配をしてください!」
私は涙目で怒鳴った。
ポーション(最高級エリクサー)を取り出し、震える手で彼の唇に押し当てる。
「飲んで。早く!」
クラウスは素直にそれを飲み下した。
魔法薬が光となり、彼の傷を修復していく。
折れていた腕がボキリと音を立てて繋がり、顔色が少しずつ戻ってきた。
「……ふぅ。不味いな、相変わらず」
「文句を言えるなら大丈夫ね」
私は安堵で力が抜け、その場にへたり込んだ。
本当に、心臓が止まるかと思った。
彼がいなくなったら、誰が私の安眠を守ってくれるというの。
「敵は?」
クラウスが周囲を見渡す。
生体ゴーレムたちは停止し、ザガンは黒い塊の中で寝ている。
「片付けました。全員、無期限の有給休暇中です」
「……そうか」
クラウスは呆れたように、しかし愛おしげに笑った。
「君にかかれば、最強の軍隊も赤子同然だな」
「当然です。私の睡眠時間を削った罪は、高くつくんですよ」
私は彼の胸に頭を預けた。
鼓動が聞こえる。
生きている。
その温もりが、冷え切っていた私の心を溶かしていく。
「帰ろう、リリアナ。……家に」
「ええ。帰りましょう」
私は立ち上がり、クラウスに肩を貸した。
満身創痍だ。
パジャマもボロボロ。
でも、気分は悪くない。
私たちは互いに支え合いながら、静まり返った古代遺跡を後にした。
背後では、マザーのクリスタルが、祝福するように青く明滅していた。
地上に戻ったら、まずはお風呂だ。
それから、この遺跡の排熱を利用した「温泉計画」を練らなくては。
タダでは転ばない。
迷惑料として、ここを世界最高のスパ・リゾートに改造してやるのだ。
私のスローライフ計画は、転んでもただでは起きない。
二度寝するために起き上がるのだから。




