第2話 古代のブラック企業
ゲートをくぐった先は、無機質な廊下が続いていた。
天井の蛍光灯めいた光がチカチカと明滅し、床には埃ひとつ落ちていない。
清潔だが、生気がない。
ウィィィン……。
前方から機械的な駆動音が響いた。
現れたのは、三体の警備ゴーレムだ。
人型だが、頭部にはカメラレンズが一つあるだけ。右腕にはスタンバトンのような武器が装着されている。
「侵入者確認。排除する」
クラウスが即座に杖を構えた。
彼の周りに氷の魔力が渦巻く。
「待って、クラウス」
私は彼を手で制した。
ゴーレムたちの胸元にあるプレートが見えたからだ。
そこには『総務部・保安課』と刻まれている。
……やっぱり。ここはダンジョンじゃない。オフィスだ。
「警告。就業規則第4条違反。無断欠勤および遅刻者は、給与カットの刑に処す」
ゴーレムが機械音声を発し、バトンに電撃を纏わせて突っ込んでくる。
物理攻撃ではない。「減給」という名の精神攻撃(物理)だ。
「リリアナ、下がるんだ!」
「いいえ。……定時退社します」
私は指先で空中にコードを描いた。
この遺跡の魔力パターンは、私の【自動化】スキルと驚くほど構造が似ている。
というより、私のスキルはこの古代語をベースにしているのかもしれない。
(コマンド入力:強制退勤)
(理由:労働基準法違反によるボイコット)
(実行)
ピロン♪
軽快なチャイム音が鳴った。
その瞬間、襲いかかろうとしていたゴーレムたちの目が青色に変わった。
「業務終了。お疲れ様でした」
ガシャン。
ゴーレムたちはその場で敬礼し、壁際の待機ポートへと戻っていった。
スリープモードに入ったようだ。
「……な、何をしたんだ?」
クラウスが呆気にとられている。
「『仕事は終わったから帰る』と伝えただけです。彼らは真面目な社畜ですから、規則には従うんですよ」
私はため息をつき、先へと進んだ。
嫌な予感がする。
入り口でこれだ。中にはもっと酷い光景が待っているに違いない。
◇
廊下を抜けた先には、広大なホールがあった。
体育館を十個繋げたほどの広さ。
そこに、無数の机が整然と並べられている。
数千、いや数万はあるだろうか。
それぞれの机には、発光する板と、書類の山。
そして──。
「……っ」
クラウスが息を呑み、思わず口元を覆った。
椅子に座っているのは、人間ではない。
干からびたミイラ、あるいは白骨化した遺体だった。
彼らは皆、ペンを握りしめたまま、あるいはキーボードのような盤面に指を置いたまま、前のめりに突っ伏していた。
誰一人として、席を立っていない。
逃げようとした形跡もない。
ただ、働いて、働いて、そのまま電池が切れるように命を終えている。
「これは……墓場か? いや、虐殺の跡か?」
クラウスの声が震えている。
戦場を知る彼でさえ、この異様な死に様には寒気を覚えるらしい。
「いいえ、クラウス。これは『職場』です」
私は乾いた声で答えた。
近づいて、一番手前のミイラの机を見る。
モニターには、まだ文字が表示されていた。古代の保存魔法のおかげだろう。
『進捗率98%……あと少し……納期間に合わせなきゃ……』
『眠い……帰りたい……でも部長がまだ帰らないから……』
『有給申請……却下……再申請……却下……』
画面に残る文字が、私の胸を抉る。
怨念ではない。
ただの、悲しい義務感の残骸だ。
「この文明は、敵に滅ぼされたんじゃありません」
私は確信した。
「自滅したんです。効率を突き詰め、システムに人間を合わせようとして……全員が『部品』になって、摩耗して、壊れた」
アルカディア文明。
一千年前、高度な魔法技術を誇りながら、突如として歴史から消えた謎の超大国。
その滅亡の原因が、まさか「全人類過労死」だったなんて。
私は自分の手を握りしめた。
震えそうになるのを必死で抑える。
怖い。
ゾンビやドラゴンなんかより、よっぽど怖い。
これは、前世の私が歩んでいたかもしれない未来の姿だ。
「リリアナ」
温かい手が、私の肩に置かれた。
クラウスだ。
彼は私が何に怯えているのかを察したように、強く引き寄せてくれた。
「見るな。君が背負う必要はない」
「……大丈夫です」
私は顔を上げた。
恐怖はある。でも、それ以上に怒りが湧いてきた。
こんな最期を、誰が望んだというのか。
こんなシステムが、今も私の家の地下で動いているなんて。
「壊しましょう、クラウス。こんなふざけた場所、一秒だって存在しちゃいけない」
「ああ、同感だ。不愉快極まりない」
クラウスもまた、冷たい怒りを瞳に宿して頷いた。
その時。
ホール全体を揺るがすようなアナウンスが響き渡った。
『ピーンポーンパーンポーン♪』
場違いに明るいチャイム音。
続いて、女性的だが抑揚のない合成音声が流れる。
『業務連絡。フロアAにて、新規リソースを確認しました。魔力適性ランクS。有望な新人です』
赤いスポットライトが、私とクラウスを照らし出した。
『ようこそ、株式会社アルカディアへ。我が社はアットホームな職場です。さあ、席についてください。貴方たちの席は、永遠に用意されています』
ガチャリ。
近くの空席から、手錠のような拘束具が飛び出した。
「座れ」と手招きしているようだ。
「ふざけるな」
私はドリル(安眠号)の操縦桿を握り直した。
「誰が座るもんですか。私は私の意思で、二度寝するためにここへ来たのよ!」
『拒否を確認。……残念です。労働意欲の低い社員には、再教育が必要です』
ズズズズ……。
ホールの奥、重厚な扉が開く。
そこから漏れ出る魔力は、先ほどの警備ゴーレムとは比較にならないほど濃密で、禍々しいものだった。
『人事部長、出勤してください。面接の時間です』
巨大な影が現れる。
それは、複数の骸骨を組み合わせて作られた、悪趣味な巨大兵器だった。
「……面接官が物理攻撃タイプなんて、聞いてないわよ」
私は苦笑いし、クラウスを見た。
「夫(予定)さん。ブラック企業の圧迫面接、付き合ってくれますか?」
「喜んで。不採用通知を叩きつけてやろう」
クラウスが不敵に笑い、氷の杖を構えた。
安眠を取り戻すための戦いは、ここからが本番だ。




