第1話 安眠妨害の震源地
世界には、侵してはならない聖域がある。
それは、私のベッドの上だ。
帝都での騒動から数週間。
私はようやく取り戻した平穏な日常──最高級スライムマットレスと、オーダーメイドの抱き枕に包まれた、至福の睡眠時間を享受していた。
夢も見ないほどの熟睡。
意識は泥のように沈み、重力から解放された浮遊感だけが漂う。
はずだった。
ズズズズズ……。
不快な振動が、背中を伝わってきた。
最初は微かな揺れだった。
風が強いのかな、程度にスルーして、私は寝返りを打った。
ガタガタガタガタ!
揺れが強くなる。
枕元の時計がカタカタと音を立てる。
うるさい。
「……んぅ」
私は眉をひそめ、布団を頭まで被った。
防音結界、出力上昇。
振動吸収魔法、展開。
これで何も聞こえない。おやすみなさい。
ドォォォォォン!!
突き上げるような衝撃。
次の瞬間、私の体はふわりと宙に浮き──
ドサッ!
「いったぁ……!」
床に叩きつけられた。
額を強打する鋭い痛み。
そして何より、強制的に覚醒させられた不快感。
私は冷たいフローリングの上で、ゆらりと立ち上がった。
髪はボサボサ。
パジャマは着崩れ。
目は据わっている自覚がある。
「……いい度胸ね」
私は低く呟いた。
誰だ。
私の安眠を妨害したのは。
帝国の皇帝か? 教団の残党か? それとも、死に急ぎたい魔物か?
バンッ!
寝室のドアが勢いよく開かれた。
飛び込んできたのは、ナイトウェア姿のクラウスだ。
手には剣代わりの魔導杖を握りしめている。
「リリアナ! 無事か!?」
「……クラウス」
「すごい揺れだった。敵襲か? それとも地殻変動か? ……おい、顔色が悪いぞ。怪我をしたのか?」
彼は私の額の赤みを見て、血相を変えて駆け寄ってきた。
私の肩を抱き、心配そうに覗き込む。
「痛むのか? すぐに治癒魔法を……」
「いいえ。痛みはどうでもいいんです」
私は彼の手を優しく押しのけ、床に這いつくばった。
そして、耳を床板に押し当てる。
ズウン、ズウン、ズウン……。
聞こえる。
地底の奥深くから響く、規則的なリズム。
これは自然の地震じゃない。
何かが、動いている音だ。
それも、私の家の直下で。
「……見つけた」
私の体から、青白い魔力がゆらりと立ち昇った。
怒りのオーラだ。
「リリアナ……?」
「地下です。地下深くに、何か非常に『うるさいもの』がいます」
私は立ち上がり、窓を開けた。
外は真夜中。月明かりだけが荒野を照らしている。
庭の自動タレットたちは敵影を感知できず、困惑したように首を振っていた。
「地下? モグラの魔物か?」
「わかりません。でも、私の睡眠を物理的に妨害した罪は重い。……万死に値します」
私は庭へと飛び出した。
クラウスが慌てて追いかけてくる。
「おい、待て! 何をする気だ!」
「決まっているでしょう。苦情を言いに行くんです。物理で」
私は庭の中央、震源の真上に立った。
パジャマ姿のまま、両手を天に掲げる。
(構築開始:対地底用・掘削プログラム)
(参照:前世の記憶『トンネル掘削機』)
(魔力充填:最大出力)
ゴゴゴゴゴ……。
私の魔力に呼応して、周囲の土砂と鉄分が集まってくる。
凝縮され、回転し、巨大な円錐形を形成していく。
直径五メートル。
先端にはダイヤモンド硬度の魔力刃。
全自動シールドマシン『安眠号(仮)』の完成だ。
「なっ……なんだその物騒なものは!?」
クラウスが絶句している。
「ただの穴掘り機です。これに乗って、元凶を叩き潰してきます」
私は生成された操縦席(ふかふかのシート付き)に乗り込んだ。
クラウスは一瞬天を仰ぎ、諦めたようにため息をつくと、私の隣に飛び乗ってきた。
「はぁ……。君を一人で行かせるわけにはいかないな。私も行く」
「危ないですよ? パジャマが汚れます」
「妻(予定)が深夜にドリルで地底探検に行こうとしているんだ。夫(予定)が寝ていられるか」
彼は苦笑して、私の腰に手を回し、シートベルト代わりに支えてくれた。
本当に、世話焼きな管理人だ。
「では、行きます。……安眠妨害の代償、高くつくと思ってもらいましょう」
私はレバー(魔力トリガー)を倒した。
ギュイイイイイイン!!
ドリルの回転音が夜気を切り裂く。
次の瞬間、私たちの体は地面へと吸い込まれていった。
◇
暗闇の中を、猛スピードで掘り進む。
土魔法で壁面を固定しつつ、重力制御で落下速度を上げる。
深度百メートル。
二百メートル。
まだ底が見えない。
「深いな……。ただの巣穴にしては深すぎる」
クラウスが防護結界を張りながら呟いた。
「魔力反応もおかしい。生物というより、もっと無機質な……」
ガキンッ!
突然、甲高い音がしてドリルが止まった。
硬い。
岩盤ではない。金属の層にぶつかった感触だ。
「着いたみたいね」
私はドリルの出力を上げた。
キィィィィン!
火花が散る。
普通の金属ならバターのように切れるはずだが、これは……オリハルコン合金? いや、もっと未知の素材か。
「リリアナ、無理だ! 一度引こう!」
「引きません。意地でも開けます」
(追加プログラム:高周波振動ブレード)
(出力:限界突破)
ドカンッ!
装甲板が砕け散った。
同時に、私たちは広い空間へと放り出された。
浮遊魔法で着地する。
そこは、信じられない光景だった。
「……なんだ、ここは」
クラウスが息を呑む。
広大な地下空洞。
天井には、太陽の代わりとなる巨大な発光結晶が埋め込まれ、昼間のように明るい。
そして眼下に広がるのは、整然と区画整理された「都市」だった。
石造りではない。
銀色の金属と、明滅する光のラインで構成された、未来的な摩天楼。
私の前世の記憶にある「SF映画」に出てくるような光景だ。
「遺跡……? いや、古代文明の遺産か?」
クラウスが周囲を警戒する。
生き物の気配はない。
ただ、機械的な稼働音──私を叩き起こした振動の正体──だけが、都市全体から響いている。
「……見て、クラウス」
私は都市の入り口に立つ、巨大なゲートを指差した。
そこには、朽ちかけた看板が掲げられていた。
書かれているのは、今の帝国の言葉ではない。
もっと古く、そして私には馴染み深い文字。
『株式会社アルカディア・ヴォルグ生産拠点』
『今月のスローガン:限界を超えてこそ、成長がある』
「……は?」
私は目を疑った。
日本語?
いや、古代語だとしても、書いてある内容が……。
「株式会社……? スローガン……?」
クラウスが首を傾げている。彼には読めないようだ。
だが、私には読める。
そして、その意味も痛いほどわかる。
ここは、ただの古代遺跡じゃない。
私の前世を死に追いやった元凶──「ブラック企業」の成れの果てだ。
「……最悪」
私は頭を抱えた。
安眠を妨害した犯人が、まさか「過去のトラウマ(概念)」だったなんて。
ズズズ……。
都市の奥から、無数の赤い光が灯った。
警備ドローンか、あるいは自律稼働するゴーレムか。
歓迎する気配はゼロだ。
「リリアナ、退くぞ。ここは危険だ」
「いいえ」
私はパジャマの袖をまくり上げた。
怒りの炎は、鎮火するどころか、業火となって燃え上がっていた。
「許せません。こんな地下深くにまで『社畜精神』を持ち込んで、あまつさえ私の眠りを妨げるなんて」
私はゲートに向かって一歩踏み出した。
「更地にしてやります。働き方改革(物理)の執行よ!」




