第8話 パンデミック ~帝都の衛生崩壊。人力では防げない感染症を、自動化システムで封じ込めよ~
帝都の朝は、不気味なほど静かだった。
いつもの工場の稼働音も、馬車の音も聞こえない。
代わりに聞こえてくるのは、遠くからのサイレンのような鐘の音だけ。
「……ロックダウンね」
私は宰相邸の窓から、眼下の街を見下ろした。
通りには誰もいない。
衛兵たちが検問所を設け、厳重に封鎖している区画がある。
あのスラム街だ。
「状況は最悪だ」
執務室に入ってきたクラウスが、疲れた顔でソファに沈み込んだ。
手には緊急報告書が握られている。
「『変異性魔獣病』だそうだ。高熱、激しい咳、そして魔力回路の暴走を引き起こす。致死率は二割を超えている」
「二割……高いわね」
私は紅茶を彼に差し出した。
感染源はスラム街。
衛生状態の悪さと、栄養失調。そこに何らかのトリガーが引かれて、爆発的な感染が起きた。
「教団の対応は?」
「あいつらは……」
クラウスが苦々しげに吐き捨てる。
「『これは神の試練だ』と言って、広場に信徒を集めて大規模な祈祷会を開いている。『祈れば治る』とな」
最悪だ。
密集、密接、密閉(結界内)。
ウイルスの培養と配布を行っているようなものだ。
「バカなの? クラスターを自分たちで作ってどうするの」
「全くだ。だが、民衆は恐怖でパニックになっている。科学的な隔離よりも、縋れる神の言葉を選んでしまっているんだ」
クラウスは頭を抱えた。
「皇帝陛下も頭を痛めておられる。軍を投入して解散させれば暴動になる。かといって放置すれば帝都は全滅だ。……リリアナ」
彼が縋るような目で私を見た。
「君の技術で、なんとかならないか?」
私は窓の外を見た。
スラムの方角から、黒い澱みのような空気が漂ってきている。
あれがここまで到達するのは時間の問題だ。
私の安眠できる屋敷が、ウイルスに汚染される。
クラウスが病に倒れるかもしれない。
そして何より、客間で眠っているあの子──セラフィナが、目覚めた時に「私のせいで街が滅んだ」なんて知ったら、今度こそ壊れてしまうだろう。
(……あーあ。面倒くさい)
私はため息をつき、カップを置いた。
「やりましょう。ただし、派手にやりますよ」
「構わん。責任は私が持つ」
「言いましたね? じゃあ、帝都の空を借ります」
私は指を鳴らした。
亜空間収納、フルオープン。
在庫一掃セールだ。
◇
スラム街の中央広場。
そこは地獄の様相を呈していた。
数千人の人々が肩を寄せ合い、咳き込みながら祈りを捧げている。
高熱で倒れる者が続出しているが、司祭たちは「信仰が足りないからだ」と叫び、さらに祈りを強要していた。
『祈りなさい! 邪悪なる魔女の呪いを払うのです!』
司祭が壇上で叫ぶ。
彼らの口元には、ちゃっかりと自分たちだけ高級な防魔マスクが装着されていた。
その時。
ブゥゥゥゥン……!
低い羽音が、空から響いてきた。
一つではない。百、いや千の羽音だ。
「な、なんだ!?」
「空を見ろ!」
「虫か!?」
人々が見上げた空を、無数の「黒い点」が覆い尽くしていた。
ドローンだ。
私が農薬散布用に開発した『自動散布ドローン・改』の大編隊である。
『帝都民に告ぐ。これより防疫作業を開始する』
ドローンの一機が、私の声を(ボイスチェンジャーで低く加工して)響かせた。
『これは呪いではない。ただの病気だ。祈っても治らないが、薬で治る』
「薬だと……?」
「嘘だ! 魔女の毒だ!」
司祭が叫ぶ。
私は無視して、全機に命令を下した。
(ターゲットロック:スラム全域)
(散布開始:『特製抗体ミスト(ミントの香り)』)
プシューーーッ!!
一斉に、ドローンの腹部から白銀の霧が噴射された。
霧は雨のように降り注ぎ、広場を包み込む。
「うわぁぁっ!」
「毒ガスだぁ!」
パニックになる人々。
しかし、その霧を吸い込んだ瞬間、彼らの反応が変わった。
「……あれ?」
「息が……苦しくない?」
「喉の痛みが消えたぞ……」
私が散布したのは、ポーションを気化させ、さらに抗ウイルス魔法を付与した特殊ミストだ。
肺に直接作用し、病原体を殺菌する。
さらに、熱を下げる冷却効果と、気分をリフレッシュさせるアロマ効果付き。
咳き込んでいた子供の呼吸が穏やかになる。
高熱でうなされていた老人の顔色が戻る。
劇的な効果だった。
「す、すごい……体が軽い……」
「奇跡だ……これこそ本物の奇跡だ!」
人々は空を見上げた。
そこには、整然と隊列を組み、銀の雨を降らせる無機質な機械の群れ。
それを、彼らはこう呼んだ。
「鋼鉄の天使様だ……!」
勝手に神格化しないでほしい。ただの機械だ。
さらに、私は次の手を打った。
地面に投下したのは、簡易設置型の『全自動隔離テント』だ。
ボンッ、ボンッ! と音を立てて膨らみ、瞬時に無菌室を作り出す。
『重症者はテントへ入れ。中は快適温度に設定してある。水と食料も自動で出る』
アナウンスに従い、人々は我先にとテントへ入っていく。
そこにあるのは、清潔なベッドと、温かいスープ。
教団が与えてくれなかった「物理的な救い」だ。
「ま、待て! 行くな! そのテントは悪魔の罠だ!」
司祭が必死に呼び止めるが、誰も聞く耳を持たない。
一人の青年が、司祭に向かって石を投げた。
「うるせえ! 祈ってて母ちゃんが死にかけたんだぞ!」
「そうだ! お前らだけマスクしやがって!」
「俺たちは天使様の薬を信じる!」
形勢逆転。
教団の権威が、ドローンの羽音にかき消されていく。
◇
私は宰相邸のモニターで、その様子を眺めながらポテトチップスを齧った。
「……制圧完了」
ウイルスの活動反応は激減。
あと数日ミストを撒き続ければ、終息するだろう。
「恐ろしいな、君は」
隣で見ていたクラウスが、呆れたように、しかし誇らしげに笑った。
「教団が数百年かけて築き上げた信仰を、たった十分で塗り替えてしまった」
「信仰なんて曖昧なものより、確実な効果の方が強いってだけです」
私は指についた塩を舐めた。
「それに、これで貸し一つですよ、宰相閣下。……帰りの列車は、もっと豪華にしてもらいますからね」
「ああ、約束しよう。君の望むままに」
彼は私の頭を撫でた。
帝都の空気が、少しだけ澄んで見えた。
これで外の騒音は消えた。
あとは、内側の問題だ。
私は客間の方を見た。
眠れる森の聖女様は、そろそろお目覚めだろうか。
彼女が起きた時、自分の信じてきた世界がひっくり返っていることに、どう向き合うのか。
まあ、その時はその時だ。
「人をダメにするソファ」があれば、大抵の悩みはどうでもよくなるはずだから。




