第5話 夜会のドレスコード ~「パジャマで参加してはダメですか?」→最先端ファッションとして流行る~
夜の帳が下りる頃。
帝都の中央に位置する皇城「鉄鷲城」は、不釣り合いなほどの明かりに包まれていた。
歓迎夜会。
名目は私の歓迎だが、実際は「リリアナ・ヴェルディという素材の品定め」だ。
「……行きたくない」
控室で、私は鏡の中の自分に向かって呟いた。
しかし、今日の私は一味違う。
いつものように憂鬱ではない。なぜなら──。
「準備はいいか、リリアナ」
ドアが開き、正装したクラウスが入ってきた。
黒の燕尾服。胸元には勲章。
相変わらず無駄に顔が良い。
彼は私を見ると、満足げに目を細めた。
「ああ……素晴らしい。その姿なら、このままベッドへ直行しても違和感がない」
「褒め言葉として受け取っておきます」
私は裾をふわりと翻した。
今、私が着ているもの。
それは従来のドレスではない。
素材は、ヴォルグ産の「幻獣蚕」の布地。
空気のように軽く、肌触りは滑らか。
そして最大の特徴は──『ノー・コルセット』であることだ。
ウエストを締め上げる拷問器具は排除した。
代わりに、布地のカッティングと光の屈折魔法だけで、美しいシルエットを作り出している。
締め付けゼロ。
重さほぼゼロ。
名付けて『パジャマ・ドレス』。
「行きましょう、クラウス。早く終わらせて、本物のベッドへ帰るために」
私は彼のエスコートを受け、戦場へと足を踏み出した。
◇
大広間に入った瞬間、数百の視線が突き刺さった。
ざわ……ざわ……。
音楽が微かに霞むほどの、さざめき。
貴族たちの目は、驚きと困惑で見開かれている。
無理もない。
周りの貴婦人たちは、戦艦のようなクリノリン(骨組み)でスカートを膨らませ、呼吸も困難なほどウエストを締め上げているのだから。
その中で、一人だけ重力から解き放たれたような私が歩いているのだ。
『あれは……ネグリジェか?』
『いや、光沢が違う。見たことのない布だわ』
『体のラインが出すぎでは……なんと破廉恥な』
ひそひそ話が聞こえてくる。
批判的な声も多い。
だが、私は胸を張って歩いた。
恥じることはない。誰よりも快適なのは私なのだから。
クラウスが周囲を威圧するように、私の腰に手を回す。
「堂々としていればいい。君こそが、この会場で最も合理的で美しい」
彼の囁きに勇気づけられ、私は皇帝の玉座へ向かおうとした。
その時だ。
バーンッ!
入り口の扉が乱暴に開かれた。
衛兵たちの制止を振り切り、一団が雪崩れ込んでくる。
白装束の集団。聖アルス教団だ。
その先頭に立つのは、見覚えのある金髪の少女。
「お待ちなさい!」
聖女セラフィナだ。
会場が凍りつく。
彼女の姿は、この煌びやかな夜会において、あまりにも異質だった。
ボロボロの僧衣。
泥だらけのサンダル。
髪は整えられておらず、頬はこけている。
「清貧」を通り越して、ただの「浮浪者」に見えた。
「聖女様……? なぜここに?」
近くの貴族が声をかけるが、彼女は無視して私を指差した。
「見つけましたよ、魔女! 神聖な皇城に、そのようなふしだらな格好で足を踏み入れるとは!」
彼女はツカツカと歩み寄ってきた。
体臭……ではないが、埃っぽい匂いが漂ってくる。
私は思わず一歩下がった。
「こんばんは、聖女様。招待状はお持ちで?」
「必要ありません! 神の使者はどこへでも赴きます!」
無茶苦茶だ。
彼女は広間に響き渡る声で演説を始めた。
「皆様、目を覚ましなさい! ご覧なさい、この女の姿を! 体の線を晒し、宝石で飾り立てる……これぞ『傲慢』と『色欲』の象徴です!」
彼女は自分のボロボロの服を誇示するように両手を広げた。
「真の美とは、飾り気のない魂に宿るもの! 贅沢は罪です! 今すぐそのドレスを脱ぎ捨て、悔い改めなさい!」
会場が静まり返る。
貴族たちは顔を見合わせた。
彼らの表情にあるのは、感銘ではない。
「不快感」だ。
煌びやかなパーティーに、薄汚れた格好で乱入し、客人を罵倒する。
それはマナー違反以前の、生理的な拒絶反応を引き起こしていた。
私は扇子を開き、口元を隠した。
「聖女様。一つ訂正を」
「言い訳など聞きません!」
「このドレス、贅沢に見えますか? ……実はこれ、締め付けが一切ないんです」
私はくるりと回ってみせた。
布地がふわりと舞い、すぐに元のシルエットに戻る。
「コルセットも、パニエも着けていません。ただの布です。とても軽くて、深呼吸もできますし、美味しい食事もお腹いっぱい食べられます」
その言葉に、反応したのは貴婦人たちだった。
『……えっ? コルセットなし?』
『嘘でしょう、あのラインで?』
『いいなぁ……私なんて、さっきから肋骨が悲鳴を上げているのに』
羨望の眼差し。
そう、彼女たちは疲れているのだ。
教団の「慎ましさ」の強要と、貴族社会の「見栄」の板挟みで。
「楽をすることは、罪ではありません」
私は会場全体に聞こえるように言った。
「自分を痛めつけて、苦しい顔をしているのが『美徳』だなんて、私は思いません。心地よく、笑顔でいられる服こそが、その人を一番輝かせるはずです」
セラフィナが唇を噛んだ。
「詭弁です! 苦しみこそが……!」
「──そこまでだ」
重厚な声が、頭上から降ってきた。
玉座の間への階段。
そこに、一人の男が立っていた。
白髪交じりの髭。鋭い眼光。
ガレリア帝国皇帝、ヴァルター3世だ。
「へ、陛下……!」
セラフィナが慌てて膝をつく。
周囲の貴族たちも一斉に平伏した。
私とクラウスだけが、立ったまま頭を下げる(クラウスの指示だ)。
皇帝はゆっくりと階段を降りてきた。
その視線は、セラフィナを一瞥し、すぐに私へと向けられた。
「リリアナ・ヴェルディと言ったか」
「はい、陛下」
「その衣装……『ナイトウェア・スタイル』とでも呼ぶべきか? 斬新だな」
皇帝は私のドレスを興味深そうに観察した。
「機能性を極限まで追求し、装飾を削ぎ落としながらも、品位を保っている。……余の好む『合理主義』そのものだ」
肯定された。
空気が一変する。
皇帝が認めたのなら、それは「奇抜」ではなく「最先端」になる。
「それに引き換え……」
皇帝は、床に伏せるセラフィナを見下ろした。
「聖女よ。余の祝いの席に、その薄汚れた格好で来たのは、余への当てつけか?」
「い、いいえ! これは清貧の……」
「TPOを弁えよ。場にそぐわぬ服装は、ただの自己満足だ。不愉快である」
バッサリだ。
セラフィナの顔から血の気が引いていく。
「下がれ。これ以上、余の客人を不快にさせるな」
「っ……!」
セラフィナは涙目で私を睨みつけ、よろよろと立ち上がった。
そして、逃げるように会場を飛び出していく。
二度目の敗走だ。
会場の空気が緩む。
貴婦人たちが、ほっとしたように扇子を動かし始めた。
そして、その視線は熱を帯びて私に向いている。
『ねえ、あのドレス、どこの仕立て屋?』という無言の問いが聞こえてきそうだ。
「さて、リリアナ嬢」
皇帝が、不敵な笑みを浮かべて私に近づいてきた。
「宰相から聞いているぞ。面白い技術を持っているそうだな。……明日の『御前試合』、楽しみにしている」
「……御前試合?」
私は聞き返した。
そんな予定、聞いていない。
隣を見ると、クラウスが「しまった」という顔をして視線を逸らした。
「教団が納得せぬのでな。聖女の『奇跡』と、そなたの『技術』。どちらが帝国の兵を救えるか、競ってもらうことになった」
皇帝は楽しそうに告げた。
「負ければ、そなたの領地は教団の管理下に置かれる。……精々、気張るがよい」
私は天を仰ぎたくなった。
やっぱり、タダで帰れるわけがなかった。
ドレスコード対決の次は、医療対決か。
まあいい。
私の安眠を守るためなら、神の奇跡だろうが何だろうが、自動化システムで上回ってみせる。
私は覚悟を決め、皇帝に不敵な笑みを返した。
「お任せください。私の技術は、誰よりも『楽』をするためにありますから」




