第3話 帝都への旅路 ~移動中も寝ていたいので、寝台列車を魔改造しました~
ヴォルグ荒野の端に新設された駅には、黒鉄の怪物が鎮座していた。
蒸気機関車。
帝国の技術の結晶であり、文明の象徴。
煙突から白煙を吹き上げ、シュッシュッと荒い呼吸を繰り返している。
「……うるさいわね」
私は日傘を差し、その巨体を見上げた。
威圧感はすごい。
だが、私にとって重要なのは馬力でも速度でもない。
「眠れるかどうか」だ。
「すまない、リリアナ。急な手配で、一般車両を一両貸し切ることしか……」
隣に立つクラウスが、申し訳なさそうに眉を下げた。
彼が指差した先には、機関車の後ろに連結された客車があった。
木と鉄で作られた、武骨な箱。
窓は小さく、車輪にはバネらしきものも見当たらない。
あれに乗れば、一時間後にはお尻が四つに割れているだろう。
「いいえ、クラウス。あれには乗りません」
私は指を振った。
「私の車両は、あっちです」
私が指し示したのは、最後尾に連結された、異質な一両だった。
外装は滑らかな白磁のような素材(強化セラミック魔法加工)。
窓は大きく、中にはレースのカーテンが見える。
車輪部分は怪しげな青い光を放つ魔法陣で覆われていた。
「な、なんだあれは……?」
クラウスが目を丸くする。
そこへ、油まみれの作業着を着た男たちが駆け寄ってきた。
帝国の鉄道技師たちだ。
「おい! そこの令嬢! 勝手な改造はやめてくれ!」
リーダー格の髭面が怒鳴り込んできた。
「連結器に『接着魔法』なんぞ使いおって! あんな重そうな車両、引っ張れるわけがないだろう! 振動で連結部が砕け散るぞ!」
「大丈夫ですよ。浮いてますから」
「は?」
「重量は『重力軽減』で十分の一に。振動は『空間固定サスペンション』で相殺。ついでに遮音結界も張ってあります」
私は淡々と説明した。
技師たちが顔を見合わせ、それから爆笑した。
「はっ! 空間固定だと? そんな高度な魔法を、こんな鉄の塊に維持し続けられるわけが……」
ボーッ!
出発の汽笛が鳴った。
機関車が動き出す。
ガタン! という大きな衝撃が前の車両たちを襲う。
しかし。
私の白い車両は、スゥー……と氷の上を滑るように動き出した。
ガタつきゼロ。
音もなし。
まるで幽霊か雲のように、前の車両に追従していく。
「な……!?」
技師たちの目が飛び出た。
口から葉巻が落ちる。
「う、浮いてる!? 車輪がレールに接していないだと!?」
「まさか、リニア駆動の原理を魔法で再現したのか!?」
「さあ、行きますよクラウス。置いていかれます」
私は呆然とする彼らを放置し、開いたタラップから車内へと乗り込んだ。
クラウスも我に返り、苦笑しながら続く。
「……君には敵わないな」
◇
車内に入った瞬間、そこは別世界だった。
外の轟音は完全に遮断され、静かなクラシック音楽(魔石レコード)が流れている。
床にはふかふかの絨毯。
壁には落ち着いた色合いの壁紙。
そして中央には、私の愛用するソファセットと、湯気を立てるティーポットが用意されていた。
「ここは……王宮のサロンか?」
クラウスが帽子を脱ぎ、感嘆のため息をついた。
「いいえ、移動する寝室です」
私は彼をソファに促した。
彼が腰を下ろすと、ソファが優しくその体を受け止める。
ガタガタという振動は微塵もない。
テーブルの紅茶の水面すら、揺れていなかった。
「信じられん。時速六十キロで走っているとはとても思えない静けさだ」
「でしょう? これなら帝都までの三日間、ぐっすり眠れます」
私は彼の向かいに座り、カップに紅茶を注いだ。
香ばしいアールグレイの香りが漂う。
クラウスはカップを手に取り、一口啜ると、深く背もたれに身を預けた。
緊張の糸が切れたように、彼の表情が緩む。
「……生き返る」
「お疲れ様です、宰相閣下。教団の相手、大変だったんでしょう?」
「ああ。彼らは言葉が通じないからな。『神の意志』と言われれば、こちらは沈黙するしかない」
彼は自嘲気味に笑った。
「だが、こうして君と二人きりで過ごせるなら、苦労した甲斐があったというものだ」
彼は愛おしそうに私を見た。
最近、彼の視線が甘い。
以前のような「便利な同居人」を見る目ではなく、もっとこう、粘着質な熱を感じる。
まあ、悪い気はしないけれど。
「帝都に着いたら、また忙しくなりますよ。今のうちに休んでおいてください」
「そうだな。……少し、眠らせてもらおうか」
彼はアイマスクを取り出し、慣れた手つきで装着した。
数分もしないうちに、安らかな寝息が聞こえ始める。
私は窓の外を眺めた。
景色が高速で流れていく。
荒野から森へ、森から平原へ。
緑が減り、次第に石造りの建物が増えていく。
平和な旅路だ。
この箱の中だけは、誰にも邪魔されない聖域。
しかし、その平穏も長くは続かなかった。
◇
三日後。
列車は減速し、帝都中央駅のホームへと滑り込んだ。
「……着いたわね」
私は窓のカーテンを少しだけ開けた。
そこに見えた光景に、私は眉をひそめた。
空が、灰色だった。
雲ではない。
無数の工場の煙突から吐き出される、黒い煤煙が空を覆っているのだ。
空気全体が薄汚れていて、窓ガラス越しでも喉がイガイガしそうな気配がする。
そして、ホームに溢れる人々。
彼らは皆、同じような灰色の作業着を着て、死んだような目をしていた。
活気がない。
ただ機械の一部のように歩いている。
「これが、大陸一の工業都市……」
ヴォルグの澄んだ青空とは対極の世界。
ここでは「休息」は悪であり、「効率」すらも人間の犠牲の上に成り立っているように見えた。
隣で目を覚ましたクラウスが、身支度を整えながら低く呟いた。
「ようこそ、灰色の帝都へ。……そして、伏魔殿へ」
彼の視線の先、ホームの最前列には、白装束の一団が待ち構えていた。
胸に十字の紋章。聖アルス教団だ。
彼らが掲げるプラカードには、こう書かれていた。
『怠惰なる魔女に、神の鉄槌を』
やれやれ。
どうやら歓迎パーティーの準備は万端らしい。
私はため息をつき、戦闘用──もとい、外出用の日傘を握りしめた。
「行きましょう、クラウス。早く終わらせて、家に帰るために」
ドアが開く。
むせ返るような熱気と敵意が、私を迎え入れた。




