第2話 聖女の来訪 ~スローライフ地区に「働け」というビラが撒かれました。迷惑です~
帝都への出張が決まってから数日。
私は屋敷のリビングで、優雅に図面を引いていた──脳内で。
手元のマグカップから立ち上る湯気を眺めながら、私は思考の指先を動かす。
現在、設計中なのは『特別寝台車両・リリアナモデル』のサスペンション部分だ。
線路の継ぎ目から伝わるガタンゴトンという振動。あれは安眠の敵だ。
風魔法によるエアクッションと、スライム素材のダンパーを組み合わせれば、揺れを九割はカットできるはず。
「……ふふ。完璧ね」
これで移動中も熟睡できる。
私は満足して、紅茶を一口啜った。
その時だ。
ウーッ! ウーッ!
無機質な警報音が、静寂を切り裂いた。
私は眉をひそめてカップを置く。
「……また? 最近、多くない?」
空中にウィンドウを展開する。
エリア監視システムからの報告だ。
場所は、一キロ先の難民村──今は『ヴォルグ・リゾート』の入り口付近。
(対象識別:人間。女性一名)
(ステータス:高密度の聖属性魔力を感知)
「聖属性……?」
嫌な予感がする。
私はカメラ映像を拡大した。
映し出されたのは、一人の少女だった。
年齢は私より少し下、十七、八といったところか。
輝くような金髪を質素な布で覆い、身に纏っているのは継ぎ接ぎだらけの僧衣。
足元は泥だらけのサンダル履きだ。
彼女は村の入り口に仁王立ちし、集まってきた村人たちに向かって何かを叫んでいた。
手には大量のビラを握りしめている。
私は集音マイクをオンにした。
『目を覚ましなさい! これは堕落です! 悪魔の誘惑なのです!』
少女の悲痛な叫び声が響く。
『汗を流さずして得る糧に、なんの価値がありましょう! 神は見ておられます。あなたたちが機械仕掛けの怪物に依存し、魂を腐らせていく様を!』
彼女が指差した先には、私の作った自動農耕ゴーレムがいた。
ゴーレムは彼女の剣幕など意に介さず、黙々と芋を掘り返している。
『壊しなさい! 今すぐに、このような冒涜的な偶像を破壊するのです! 鍬を持ち、自らの手で土を耕しなさい! それこそが贖罪であり、祈りなのです!』
彼女は村人の一人に詰め寄った。
宿屋を営む太った店主だ。
彼は困惑し、おろおろと視線を泳がせている。
「い、いや、しかし聖女様……。このゴーレムのおかげで、今年は豊作で……」
『それが罠なのです! 楽を覚えれば、人は弱くなる。苦しみこそが、信仰を研ぎ澄ませる砥石だとなぜわからないのですか!』
……重い。
朝から聞くには、あまりに胃もたれする説教だ。
「あれが、クラウスの言っていた『聖女セラフィナ』ね」
私は頬杖をついて観察した。
綺麗な顔立ちをしているのに、表情には余裕がなく、鬼気迫るものがある。
何より、痩せすぎだ。
頬はこけ、手首は折れそうに細い。
清貧を美徳としているのだろうが、あれではただの栄養失調だ。
村人たちが動揺し始めている。
彼らにとって、教会の権威は絶対だ。
「聖女」に睨まれて、平気でいられる精神力はない。
(……放置すると面倒ね)
村人たちが罪悪感を植え付けられて、ゴーレムを壊し始めたら困る。
修理するのは私(の自動修復プログラム)なのだから。
私はため息をつき、インターフェースを操作した。
わざわざ出向くのは疲れる。
遠隔対応で十分だ。
◇
村の広場。
セラフィナの演説は熱を帯びていた。
『さあ、その汚れた機械を捨て、祈りを捧げましょう。私が共に断食をし、浄化の儀式を……』
ウィーン。
彼女の声を遮るように、一台のゴーレムが滑るように近づいてきた。
私が店番用に配置していた『接客用ゴーレム・三号機』だ。
丸っこいフォルムに、エプロンを着けた愛らしいデザイン。
ゴーレムはセラフィナの目の前で停止した。
『な、なんです、このふざけた見た目の魔物は……』
セラフィナが後ずさる。
私はゴーレムのスピーカーを通じて、声を届けた。
『はじめまして、聖女様。この地の管理人のリリアナと申します』
セラフィナがハッと顔を上げ、周囲を見回す。
姿が見えないことに気づき、さらに表情を険しくした。
『姿も見せずに……。あなたが、この地を汚染する魔女ですね』
『管理人です。……それより聖女様、遠路はるばるお疲れでしょう? 顔色が優れませんよ』
挑発ではない。本心からの気遣いだ。
目の下にクマがある。私とクラウス以外で、あんな見事なクマを作っている人間を初めて見た。
『黙りなさい! 私の体などどうでもいい。それより、即刻この欺瞞に満ちた自動人形たちを停止させなさい!』
『どうしてですか? みんな助かっていますよ』
『それが罪だと言うのです! 苦労なくして得た幸福など、砂上の楼閣。魂が鍛えられません!』
彼女は懐から、ボロボロになった聖典を取り出し、突きつけてきた。
『聖アルスの教えにあるでしょう。「汝、額に汗してパンを食せ」と!』
ああ、なるほど。
典型的な根性論だ。
議論しても無駄なタイプだ。価値観の前提が違いすぎる。
なら、議論はやめよう。
私は別の手段を取ることにした。
生理的欲求へのアプローチだ。
『パン、ですか』
私は指先を操作した。
ゴーレムの腹部のハッチが開く。
プシューッ。
甘く、香ばしい湯気が噴き出した。
焼きたてのパンの香りだ。
最高級の小麦と、たっぷりのバターを使った、私の特製ブリオッシュ。
内部の保温庫で、常に一番美味しい状態に保たれている。
ゴーレムのアームが、黄金色に輝くパンをトレイに乗せて差し出した。
『どうぞ。額に汗しなくても、美味しいパンは焼けますよ』
セラフィナが息を呑んだ。
湯気が彼女の鼻先をくすぐる。
彼女の視線が、意思に反してパンに釘付けになった。
『な……っ! ば、馬鹿にしないでください!』
彼女は顔を真っ赤にして、トレイを払いのけようとした。
『こんな、悪魔の恵みなど……! 私は断食の行の最中で……っ』
グゥゥゥゥゥ……。
盛大な音が鳴り響いた。
村中の静寂を破るほどの、低く、切実な腹の虫の音。
時間が止まった。
村人たちが、気まずそうに目を逸らす。
ゴーレムだけが、ニコニコ顔でパンを差し出し続けている。
『……』
セラフィナが凍りついた。
顔色が、白から赤へ、そして土気色へと変わっていく。
『あ、あの、聖女様? よかったら……』
宿屋の主人が気を利かせて声をかけようとした瞬間。
『う、うわぁぁぁぁぁっ!』
セラフィナは悲鳴を上げ、脱兎のごとく駆け出した。
パンも、教化も、威厳も放り出して。
その足取りはふらついていたが、驚くべき速さで森の方へと消えていった。
後に残されたのは、甘い香りのパンと、微妙な空気。
◇
私はモニターの前で、ふぅと息を吐いた。
「……勝った」
いや、勝負したつもりはないけれど。
生理現象には勝てないものだ。
人間、どんなに高尚な理屈を並べても、お腹は空く。
私は手元の冷めた紅茶を飲み干した。
「でも、面倒なことになったわね」
あの子の去り際の目。
あれは、撤退の目じゃない。
恥辱を燃料にして、さらに燃え上がった復讐者の目だ。
次に会うのは帝都だろうか。
きっと、もっと面倒な理屈(お説教)を用意して待ち構えているに違いない。
「……クラウスに報告しておかないと」
私は通信用の鏡を手に取った。
彼には「聖女撃退しました」と伝えるだけでいいだろうか。
いや、「パンで撃退しました」と正直に言ったら、また頭を抱えそうだ。
まあいい。
私はパンの乗ったトレイを回収するようゴーレムに指示を出し、再び寝台列車の図面に向き直った。
帝都への旅立ちまで、あと三日。
私の安眠を守るための戦いは、もう始まっているようだった。




