第1話 皇帝からの招待状 ~「帝都に来ないと宰相をクビにする」と脅されたので、仕方なく出張します~
秋の陽気が、窓辺のサンルームに満ちている。
私はロッキングチェアに揺られながら、膝上の猫型クッション(保温機能付き)を撫でていた。
平和だ。
本当に、平和だ。
かつて「魔の森」と呼ばれたこのヴォルグ荒野は、今や大陸有数のリゾート地へと変貌を遂げている。
私が作った自動化システムを基盤に、難民たちが宿を営み、美味しい料理を提供し、温泉を沸かす。
世界中から疲れ切った人々がやってきては、泥のように眠り、笑顔で帰っていく。
私はその様子を、丘の上の自宅から眺めるだけでいい。
実務は全て、優秀な「管理人」がやってくれるからだ。
「……はぁ」
その管理人が、リビングで重たい溜息をついた。
私は視線を巡らせる。
帝国の宰相であり、私の夫(仮)であるクラウス・フォン・ガレリア。
彼は休日の特等席であるリクライニングチェアに座りながら、手元の封筒を睨みつけていた。
珍しい。
この家での彼は、スイッチが切れたように脱力しているのが常だ。
眉間にこれほど深い皺を刻んでいるのは、数ヶ月前の「過労死寸前時代」以来かもしれない。
「どうしたの、クラウス。コーヒーが苦すぎた?」
私が声をかけると、彼はハッとして顔を上げた。
すぐに笑顔を作ろうとするが、引きつっている。
「いや……なんでもない。リリアナ、君は気にせず寝ていてくれ」
「気になるわよ。貴方の溜息一つで、室内の快適指数が下がるもの」
私はチェアから降り、パタパタと彼の元へ歩み寄った。
彼の手から、分厚い羊皮紙の封筒をひったくる。
封蝋には、ガレリア帝国の紋章である「双頭の鷲」が押されていた。
「これ、皇帝陛下から?」
「……ああ」
クラウスが観念したように天井を仰いだ。
「来月開催される『建国記念式典』への招待状だ。……宛先は、リリアナ・ヴェルディ。君だよ」
私は封筒を、即座にゴミ箱へ放り投げようとした。
「却下です。行きません」
「待て待て待て!」
クラウスが慌てて私の手首を掴む。
「中身くらい読んでくれ! これは勅命に近い親書なんだ!」
「だって、帝都でしょう? 遠いし、馬車は揺れるし、空気は煤煙臭いし。何より、式典なんて立ちっぱなしじゃないですか」
想像しただけで疲労感が襲ってくる。
コルセットで腹を締め上げ、愛想笑いを貼り付け、興味のない貴族と挨拶を交わす。
そんな労働をするくらいなら、この部屋で一生カビが生えるまで寝ていたい。
「私はここで留守番をしています。クラウスだけ行ってきてください」
私は封筒をテーブルに戻し、再び自分の寝床へ戻ろうとした。
しかし、クラウスの言葉が私の足を止める。
「君が来ないと、私が更迭される可能性がある」
ピタリ。
私は振り返った。
「……はい?」
クラウスは真剣な眼差しで、私を見つめていた。
嘘をついている目ではない。
「どういうこと?」
「帝都では今、聖アルス教団の発言力が強まっている。彼らは『労働こそ美徳』を掲げ、君のこの街を『人々を堕落させる悪魔の巣窟』だと批判していてね」
ああ、あの宗教団体か。
何度かここへ抗議の使者が来たけれど、入り口の警備ゴーレムに追い返されていたはずだ。
「私は議会で君を擁護し続けてきた。『これは新しいライフスタイルであり、国益になる』とね。だが、教団の聖女セラフィナ殿が、こう言い出したんだ。『その魔女を御前に引きずり出しなさい。正体を暴いてみせる』と」
クラウスは苦々しげに言葉を継ぐ。
「陛下も、教団の突き上げを無視できなくなった。そこでこの招待状だ。『顔を見せろ、さもなくばリリアナを庇護する宰相の立場も見直す』……という政治的圧力だよ」
私は腕を組み、脳内で高速計算を開始した。
私が帝都へ行かない場合。
メリット:今の安眠が守られる。
デメリット:クラウスが宰相をクビになるかもしれない。
もしクラウスが失脚したら?
この「お昼寝特区」を守る政治的後ろ盾が消滅する。
教団の狂信者や、利権を狙う貴族たちが、直接この地へ雪崩れ込んでくるだろう。
その対応を、誰がやるのか?
私だ。
私がタレットを整備し、結界を張り直し、毎日のようにやってくる苦情の手紙を処理しなければならない。
(……面倒くさい!)
それは地獄だ。
私の怠惰な生活は、クラウスという最強の防波堤があってこそ成立している。
彼を守ることは、私の睡眠時間を守ることと同義だ。
「……はぁ」
私は今日一番の深い溜息をついた。
ゴミ箱行きを免れた封筒を、指先で弾く。
「わかりました。行きます」
「本当か!? 無理をしなくていいんだぞ。私がなんとか……」
「なんともならないから、そんな顔をしているんでしょう?」
私は彼の眉間の皺を、指でぐりぐりと伸ばしてやった。
「貴方がクビになったら、私が困るんです。私の平穏な生活のために、貴方の地位を守りに行きます」
クラウスの表情が、ぱぁっと明るくなった。
現金な男だ。
でも、その安心した顔を見ると、少しだけ「行ってあげてもいいかな」という気分になるから不思議だ。
「ありがとう、リリアナ。……では、最高級の馬車を手配しよう。クッションを三層に重ねた特別製だ」
「いいえ、結構です」
私は即答で断った。
「どんなに高級でも、馬車は馬車です。ガタガタ揺れる箱に一週間も閉じ込められるなんて、耐えられません」
「し、しかし、他に移動手段は……」
「ないなら、作ればいいんです」
私は窓の外を見た。
ヴォルグから帝都までは、長い道のりだ。
だが、幸いなことに帝国は現在、新しい交通網の整備を進めていると聞く。
「ねえ、クラウス。帝都への『線路』は、どこまで繋がっていますか?」
「線路? ああ、蒸気機関車の……。ここから馬車で半日の地点までは敷設が終わっているが、まだ試験運用中だぞ」
「十分です」
私はニヤリと笑った。
「その線路、お借りします。私の『寝室』を運ぶために」
「……はい?」
クラウスがポカンとしている。
「言ったでしょう。私は快適に眠りたいんです。移動中も、一秒たりとも不快な思いはしたくありません」
私は指先を動かし、空中に設計図のイメージを展開した。
既存の狭苦しい客車ではない。
ベッド、ソファ、キッチン、そしてお風呂。
揺れない、うるさくない、完全なる移動要塞。
「私の家ごともっていきます──とまでは言いませんが、私の部屋の環境を完全再現した『特別車両』を作ります。それなら、帝都まで行ってあげてもいいですよ」
クラウスは数秒間硬直し、それから吹き出した。
「ははっ、そうこなくては! 帝国の技術者たちが腰を抜かす顔が目に浮かぶようだ」
彼は楽しそうに笑い、私の手を取った。
「交渉成立だ。君の旅路を、世界一快適なものにすると約束しよう」
こうして、私の重い腰がついに上がった。
目指すは灰色の帝都。
待ち受けるのは、勤勉を美徳とする聖女様。
まあ、どんな相手だろうと関係ない。
私の安眠を妨げる敵は、すべて自動迎撃システムで排除するだけだ。
たとえそれが、神の愛し子であろうとも。
私はサンルームの窓を開け、北の空を見上げた。
遠い空の向こうで、何やら面倒な気配が渦巻いている気がした。
……あーあ。
やっぱり行きたくないなぁ。




