第10話 決着と幸福 ~永遠の二度寝と、隣で眠る宰相~
季節が二つ巡り、ヴォルグ荒野に秋が訪れた。
かつて「魔の森」と呼ばれたこの地は今、大陸で最も予約の取れない場所になっていた。
名付けて、『ガレリア帝国特別自治区・ヴォルグ』。
通称──お昼寝特区。
私が作った自動化された街並みは、難民たちの手によって美しく整備され、世界中から「疲れ切った人々」が癒やしを求めてやってくる。
ブラック企業の戦士、創作に行き詰まった画家、引退した老将軍。
彼らは私の作ったスパに浸かり、美味しい野菜を食べ、泥のように眠って帰っていく。
私はといえば。
相変わらず、丘の上の屋敷で引きこもっていた。
「……平和だ」
テラスのロッキングチェア(自動揺らし機能付き)に揺られながら、私は紅茶を啜った。
空は高く、風は涼しい。
最高の居眠り日和だ。
「リリアナ。またそこで寝ていたのか」
リビングから、呆れたような、しかし温かい声がかかった。
クラウスだ。
彼は以前のような軍服ではなく、ラフなニットとスラックス姿で現れた。
顔色は健康的になり、目の下のクマは完全に消滅している。
「おかえりなさい、クラウス。今日は早いのね」
「ああ。今週のタスクは全て『自動決裁システム』に任せてきた。月曜まではフリーだ」
彼は自然な動作で私の隣のチェアに腰掛けた。
最近、彼は週の半分をこの屋敷で過ごしている。
帝国とここを繋ぐ「転移ゲート」を私が設置してしまったからだ(通勤時間をゼロにするため)。
「君に、話がある」
クラウスが改まった口調で言った。
空気が少し変わる。
彼は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。
「……なに? 新しい魔道具の素材?」
「違う。……契約更新の打診だ」
彼は箱を開けた。
中に入っていたのは、透き通るような紫色の宝石──アメジストの指輪だった。
私の瞳と同じ色だ。
「リリアナ・ヴェルディ。私と結婚してくれ」
ド直球だった。
私は瞬きを数回した。
「……結婚?」
「ああ。事実婚状態も悪くないが、対外的な牽制も含めて、法的に身を固めたい。それに……」
彼は少し言い淀み、視線を逸らした。
耳が赤い。
「……独り占めしたい。君のその、だらけた姿を。私以外の男に見せたくない」
なんて独占欲だ。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
この半年、彼と過ごす時間は「楽」だった。
言葉を交わさなくても通じ合える。
お互いの沈黙を愛せる。
そんな相手は、世界中探しても彼しかいない。
でも。
「……お断りします」
「なっ……!?」
クラウスが目を見開いた。
絶望したような顔をするので、私は慌てて付け加えた。
「結婚が嫌なんじゃなくて、『結婚式』が嫌なんです! 準備とか、招待状とか、着慣れないドレスとか、長いスピーチとか……考えただけで過労死しそうです!」
そう。
貴族の結婚式は、まさに労働の極みだ。
あんな苦行に耐えるくらいなら、独身のまま死んだほうがマシだ。
私の主張を聞いて、クラウスはきょとんとし、それから吹き出した。
「くっ、ははは! そう来るか!」
「わ、笑い事じゃありません!」
「すまない。だが、安心しろ。君がそう言うと思って、準備はしてある」
彼は指を鳴らした。
「プラン名『完全自動化・超省エネ・ウエディング』だ」
◇
一時間後。
私たちは屋敷の中庭にいた。
参列者はゼロ。
いるのは、証人役のゴーレム一体のみ。
そして私の衣装は、村人たちがプレゼントしてくれた「純白のシルクパジャマ(レース付き)」だ。
クラウスも、お揃いのタキシード風ナイトウェアを着ている。
「……これ、本当に結婚式?」
私はバージンロード(敷かれただけの白い絨毯)の上に立ち尽くした。
「歩かなくていいぞ」
クラウスが手元のスイッチを押すと、絨毯が『動く歩道』のようにスライドし始めた。
ウィーン。
私たちは直立不動のまま、祭壇へと運ばれていく。
「誓いの言葉も簡略化してある」
祭壇の前で止まると、ゴーレムが機械音声で問いかけてきた。
『新郎クラウス。貴方は、新婦リリアナの睡眠時間を生涯守り抜き、彼女が布団から出たくない時は食事を運び、マッサージをし、全肯定することを誓いますか?』
なんだその奴隷契約みたいな誓いは。
「誓う」
クラウスは即答した。迷いがなかった。
『新婦リリアナ。貴方は、新郎クラウスの過労を未然に防ぎ、彼が働きすぎた時は強制的にソファに沈め、共に二度寝することを誓いますか?』
それは、私の得意分野だ。
「誓います」
『契約成立。では、誓いのキスを』
ゴーレムの目がピカッと光った。
クラウスが私に向き直る。
彼は優しく微笑むと、私の腰を引き寄せた。
顔が近づく。
「……愛しているよ、私の怠惰な女神」
甘い囁きと共に、唇が重なった。
ほんの一瞬、触れるだけのキス。
でも、心臓が跳ねるには十分すぎた。
「……私も、嫌いじゃないわ。貴方の勤勉さ」
照れ隠しにそう言うと、彼は嬉しそうに目を細めた。
パンパカパーン!
どこからともなくファンファーレが鳴り、空から自動散布装置によるフラワーシャワーが降り注いだ。
花びらが舞う中、私たちは世界一楽な結婚式を終えた。
◇
その夜。
寝室のキングサイズベッドには、二つの枕が並んでいた。
「……結婚しても、やることは変わらないな」
クラウスがベッドに入り込み、私を抱き枕のように引き寄せた。
彼の体温が心地いい。
「そうね。でも、一人で寝るより暖かいから、光熱費の節約になるわ」
「ロマンのない妻だ」
彼は苦笑して、私の額にキスをした。
「明日はどうする? 視察に行くか?」
「まさか。明日は日曜日ですよ? 一日中、一歩も外に出ません」
私は彼の胸に顔を埋めた。
規則正しい鼓動が聞こえる。
これが、私の新しい睡眠導入音だ。
「……そうだな。私も、明日は休暇を取ろう」
クラウスの手が、私の背中を優しく叩く。
窓の外では、月が静かに輝いている。
かつて「役立たず」と捨てられた私は今、世界一の権力者に腕枕をされながら、誰よりも贅沢な時間を過ごしている。
努力も、根性も、我慢もいらない。
ただ、自分の「好き」を貫いただけ。
それで手に入れたこの場所は、どんな王宮よりも輝いている。
私は幸せな微睡みの中で、最愛の夫に告げた。
「おやすみなさい、クラウス」
「ああ。おやすみ、リリアナ」
意識が溶けていく。
私たちは深い、深い夢の中へ。
そこにはきっと、明日も変わらない、愛すべき怠惰な日常が待っている。
(完)




