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リメイク中作品 ver5  作者: 沿海
4章 疑いを知ることなかれ
91/99

91 過去に縛られた四人12856

 挟まれていた結晶のひとつが、ばきり、と音を立てて割れる。破片がぽろぽろと雪の上に落ちた。しかし、次の瞬間には同じ場所に新しい結晶が握られていた。収納魔法から取り出したのか。

「まだまだあるぜェ? さあァ、どうする。転移の絡繰りを見破っても、使えなくなるわけじゃあない! むしろ、暴かれる心配がなくなり、ここからは躊躇なく利用させてもらうからなァ! 勇者サマよぉ、弱音を吐いてくれるなよ? 本当の悪夢はここからだ」

 ネヴァスは嗤いながら踏み込んだ。カゲクイのような生気を感じさせない、ぬるりとした動きで距離を詰める。体重を乗せた典型的な横薙ぎ。俺は足の裏で砂利の粒度を確かめ、踵に重心を落とした。宵闇の剣を寝かせ、滑らせる。

「――転移」

 火花は散らなかった。代わりに鋭い緑の光が網膜を焼く。

 接触する瞬間にネヴァスの姿が消えて、刹那、後方で殺気が膨れ上がる。考えるよりも先に身体が動いた。横へ飛び退くと、俺の首があった場所を無骨な包丁が通り過ぎる。薄皮が一枚斬られて、ぴりっと小さな痛みが広がる。反撃すべく宵闇の剣を振ろうと前へ出るが――

「転移」

 碧緑の光と共に、姿を晦ます。

 と思えば、前方へ急に現れる。反射的に仰け反ったが、ローブの裾を斬り裂かれる。

 軽率だったかもしれない。俺がその絡繰りを看破してしまったから、出し惜しみを止めたらしい。堂々と転移魔法を戦術に組み込み始めている。場所を瞬間的に入れ替えているため、攻撃の方向やタイミングを読み解くことが難しい。さらに面倒くさいのは、発動までの速さだった。遺物に頼った魔法であるため、詠唱も必要なくて『転移』と一言唱えるだけだ。魔力の流動で予兆も推測できない。しかも、どういうわけなのか、転移先の場所を言葉で指定しなくても、正確に空間を跳躍していた。何かまだ知らない理屈があるのか。

 とはいえ、その移動が転移魔法に頼ったものだと判明したのは大手柄だ。常に背後へ出現するリスクがあることを事前に知れるので、背後にさえ警戒すればいいだけだ。まあ、それが難しいのだが。

 武器が接触する瞬間。技の終了後、気を僅かに抜いてしまう瞬間。こちらが追撃しようと宵闇の剣を構えた瞬間。あらゆる間を利用して、ネヴァスは転移を連鎖させる。次々と気配の場所が移動し、俺を本気で追い詰めようと迫る。骨断ち包丁だけに集中すると、別方向からタイミングをずらして投擲された短剣に対処できない。左手に赤い燐光を纏わせて発動させた古代流派体術オルドモデル、鼬払いで打ち落とす。が、その体術使用後の硬直を狙って、背後にネヴァスが出現した。当然の如く、振り抜かれる包丁の線上には俺の首がある。戦術としては正しい。首元を護る防具は何もないのだから、一撃で致命傷を与えたいのならば、狙う場所としては最適解。俺は世界の理に身体を支配されていて、動けない。避けられない。

「――全開放フルバースト

 突風がネヴァスと俺の間で炸裂する。密かに脳内詠唱していた風魔法だ。攻撃として使えるほどの威力はないが、硬直していた俺の身体を崩すには支障ない。目と鼻の先にどす黒い刃が通過する。必中の一撃を避けた、それがそんなに予想外で嬉しかったのか、ネヴァスが嗤う。いいねェ。濁った声が届いて、姿が世界から抜け落ちる。

 油断なく宵闇の剣を握り直すのと裏腹に、焦燥感が脳裏に芽生えてきた。まだ互角で戦えている。しかし、このような戦闘を続けていれば、先に体力を使い果たしてしまうのは俺だ。無暗な行動をすることもできない。流石にネヴァスが持っている遺物の結晶も有限だろうが、どれだけ残っているのか判別もできない。ここまで連続使用しているのだから、限界はまだまだ先だろう。ネヴァスからすると、姿を隠して放置しているだけで、俺にプレッシャーを掛けることもできるのだ。ゆっくりと不利な状況に近付いている。

 相性的な問題もあった。俺は一通りの剣技や体術を会得しているが、どれも発動までに少し溜めが必要なものばかりだ。古代流派剣術オルドモデル最速の朱閃はあるが、他の手がないため、ここぞという時のために温存しなければいけない。が、そうなると反撃できる機会というものがなかった。リオウだとそうならなかっただろう。彼は初めに刃を鞘に戻すという動作が不可欠だとしても、発動までの隙が限りなく短い抜刀剣術を修めている。例えネヴァスが転移魔法を使っていたとしても、『転移』と唱えるまでに反撃できることだろう。九之尾式抜刀剣術はその名前に表されているように、九つまで技のレパートリーもあるのだからなおさらだ。俺は最も相性が悪い相手と攻防を繰り広げていた。

 どこかで掠れた呟きが落ちる。攻撃のタイミングを悟らせぬように、喉奥で決定的な一言を紡いでいるのだ。移動場所は風の逆流が教えてくれる。雪気の流れ方の歪み。その窪みが着地点だ。瞬時に眼前へ黒ローブが現れたが、しかし、濁り音が畳みかける。後方へ気配が移動し、振り返る前にまた姿が左へ移ろい、そして頭上へ。その位置が変動するに従って、骨断ち包丁の角度も刃の形を変える。叩き下ろしが刺突へ、刺突が横薙ぎへ、横薙ぎが下段払いへ。重さだけは細い糸みたいに継承され、次の場所へ運ばれていく。俺は宵闇の剣を寝かせ、鍔で欠けを噛ませ、肩で押し返し、手首の捻りで詰める。触れた瞬間にはもう次の場所だ。反応は遅れる。遅れるぶんだけ、上回る読みの精度で遅れを取り戻す。

 短く、低く、喉が跳ねた。今度は屋根の影から、折れ梁の根へ。落差を逆利用して、低い角度で背中を刈る線。俺は足の重心を入れ替え、刃の背を滑らせて角度をやり過ごす。すでに次の合図。耳殻のすぐ後ろ。欠けが触れて、薄皮が一枚剥がれた。熱が走り、すぐ冷える。痛みで視界が澄んだ。ばきり、と結晶が割れた音もする。が、気にした様子もなく、相変わらず転移魔法を連発して攻め続けていた。

 稀に剣技が衝突し、共に大きく身体を弾き飛ばされる。家屋の紙戸や木壁を突き破り、横道へ戻ってくる。足元には起点にしていた崩れた井戸の縁石がある。攻防は一通り巡ったが、戦況は変わらない。

 まだ押されていないが、反撃もできていない。それはネヴァスからすると、攻め通していないことと同義だった。彼は痺れを切らしたのか、二人だけの贅沢な世界に新しいルールを持ち込んだ。ネヴァスは必死に抗う俺を嗤うように、無骨な包丁を器用にくるくると回した。

「このままじゃあ、決着しねえなァ。仕方がねェ。――さあァ、さあァ! ついに全ての準備が整った! いま、過去の清算を終わらせようぜェ!」

「……?」

 探るような眼差しを送ると同時に、俺たちを取り囲んでいる濃霧そのものが脈動した。遠く遠くで何か変化が現れた予感。濃霧が鼓動しているように、多くの脈が紛れた。雪の底で遠い太鼓がひとつだけ鳴り、すぐに飲み込まれた。風向きは変わらない。だが、白の膜の厚さが一枚増えた気がした。――何かが、起きている。ここではないどこかで。

 俺はネヴァスが纏うローブの奥を見る。

「……何をした」

「さァて、何だと思う?」

 ローブの奥で、乾いた嗤いが転がった。

「白い尾の連中は真面目だ。霧が少し残ってるだけで、すぐに列が崩れる。そこへよォ……八年前から帰ってきた戦士たちをちょいと混ぜてやるんだ。地の連中も、獣の連中も、鉄の連中も。みんな、お仲間だ。よかったなァ?」

「まさか!」

 いや、そんなはずはない。ネヴァスの回りくどい言葉は、白狐族の村へ他種族を侵入させたということだろう。しかし、導き手が鳴らす鈴の音は聞こえなかった、彼女の奇術がなければ境界を越えることなんてできないはず。いや、ネヴァスには転移魔法というアドバンテージがあるのだ。それに彼は元老院などの多くの関係者を呪いという謎の魔法的能力で支配しているのだ。彼らに転移魔法の遺物を分け与えて、無理やり村の中へ転移させてから暴れてもらう。そんなことも可能なのか。――と思ったが、やはり不可能だ。もし遺物でそのまま村に入れたのなら、カゲクイの討伐隊に紛れるなんて手間な真似をしなかったはず。じゃあ、ネヴァスの発言はただのブラフなのか。

 俺がどう考えるべきか悩んでいると、ネヴァスは楽しそうに包丁の柄で肩をとん、とんと叩く。

「嘘だと思っているのかァ?」

 まるで答え合わせをするように。

「じゃ、教えてやる。オレの霧はそんな簡単に消えることがねェ、残してきたものは今もあいつらの村を支配している。そして、オレはオレの霧があるところなら離れていても多少は干渉できる。後は呪いで紐をつけてやった兵を、ぽいっと投げ込む。霧の中じゃ、誰が誰だか見分けもつかねェ。叫びと足音と、死体の数だけが増える。勇者サマも聞こえるかァ? いい音だろ?」

 俺の耳にも空間を越えた悲鳴のような音が入ってきた。幻聴かもしれない。だが、無視はできない。場の空気が変化したのは確実だ。ここではないどこか遠くで。

 喉が渇く。ネヴァスの目的はまだわからない。そもそも目的なんて崇高なものはなく、ただ世界に混乱を齎したいだけかもしれない。その仕掛けが事実だとすれば、彼のひとり勝ちだった。白狐族はまだ八年前の内戦で負った傷を抱えている。そんな彼らの村に外部から他種族の戦士が現れて暴れられる。内戦の時と状況が重なって、混乱を極めるのは想像に難くない。しかも、ネヴァスが送った戦士が呪いの支配下にあるなら、本人の意思とは関係なく暴れ続けてしまう。無力化できなければ、犠牲が膨れ上がることだろう。

 確認のために戻るか。ここで決着を付けるか。究極の選択が残された。

「ネヴァス……!」

「ああ、いいぜェ。その顔だ、憎しみが乗った顔をオレは求めていた。――ただ、いいのかァ? そんな他人の心配ばかりでサ。過去の清算をしなくちゃならねェのは、勇者サマも同じだぜ? レジス、早く参戦しろよ!」

「ああ?」

 その言葉の意味を悟るのは、次の瞬間だった。背後で殺気――ネヴァスのものではない、もっと歪なほどにどろどろした殺気が立ち昇る。反応できたのは奇跡だった。半身へ宵闇の剣を置いた直後、ありえない衝撃が右手を襲う。

「――ぐ」

 尋常じゃない衝撃を受けて、俺は後方へ吹き飛ばされた。朽ちた家屋に直撃しなかっただけマシだろう。空中で何とか体勢を立て直し、よろめきながらも着地する。軽く三十メルは飛ばされた。何という威力だ。右手に痺れを残しながら、俺は不意打ちを仕掛けてきたその存在と対峙する。

 見たことがない顔、会ったことがない存在。しかし、何者なのかは共鳴した魂が教えてくれた。元は完全なる純白だったろうに、返り血を浴び続けて黒く変色した戦闘服。大義のため造られて与えられた豪奢な片手直剣。生気は全く感じさせないほど老けて見えるのに、藍色の瞳だけは壮絶にぎらぎらと輝いている。歳は俺よりも割と離れているだろうが、全く体型も変わらず同じように鍛えられて引き締まった身体。与える印象はちぐはぐで異常な存在。

 彼が六代目の勇者。

「――レジス・ヘルビトス!」

「はっ、俺を呼び捨てか。偉そうな後輩だな。女神を裏切ったクソ野郎のくせして」

「あんたこそ、なぜネヴァスなんて奴に従ってる!」

「それが契約だからな」

 冷たく答えられる。

 六代目勇者レジス・ヘルビトス。

 肩書きからわかるように、俺の先代勇者だった人物だ。そのため、同じように整世教会から魔王の暗殺を命じられていたが、生来の気質が残虐だったのだろう。俺の数倍以上もの魔族を虐殺し、挙句の果てには仲間さえ手に掛けて、最終的に氷結の魔王クラディオによって討たれたと聞いていた。

 実際には魔王城の一件で、彼はアスカラン地下牢獄という場所に封印されていていたようだ。だから初めはそこから脱獄させてくれたからこそネヴァスに従っているのかと思ったが、そんな単純な関係が決してあるはずない。レジスは女神と同じく心から魔族を憎んでいたはずで、まして協力なんて。

 契約。一言で収められる背景には、何が隠れているのか。

「俺も好きで魔族に従ってるわけじゃない。だから、お前がネヴァスをさっさと殺してくれれば手取り早かったんだがな。まあ、参戦の命令に背くわけにもいかない」

「お喋りは許可してねェぞ。命令だ、――そいつを殺せ」

「はいはい。魔族に指示を出されるのは癪だが、ちょいと戦うか。確か、エイジと言ったか? 簡単にはやられてくれるなよ、俺は強いぞ」

 レジスは余裕ぶった態度で勇者専用の剣を構えた。これは随分と悪い流れだ。レジスの実力は全く予想が付かない。が、ひとりで暴れながら魔界の奥地まで侵攻できるだけの実力があるわけだ。理屈的に俺と同程度の戦闘系加護を女神から与えられているのは確実で、余裕を持って戦えるはずがない。付け加えて、彼の後ろにはにやにやと嗤いながら俺を見ているネヴァスがいる。素直に傍観するだろうという楽観的な考えは捨てなければいけない。意地の悪い奴だ、俺が気を緩めた瞬間に介入してくるのは明白だった。

「――行くぞ」

 刹那、レジスの姿が消えた。転移魔法じゃない、脚力による単純な加速だ。閃光のように突撃してきた彼に、俺は宵闇の剣を合わせる。勇者専用の直剣が噛み合った瞬間、骨の芯まで鳴らす衝撃が来る。今度は弾き飛ばされなかったが、瞼の裏側で眩しい光が明滅した。ふざけた威力だ。しかし、呆気に取られている暇はない。剣が触れた刹那には、すでに次の衝撃が来ている。二の太刀が速い。型じゃない、躊躇の無さが速さに化けている。剣尖で逸らして凌ぐ。

 たったこれだけで俺は確信する。レジス・ヘルビトス、彼は俺よりも強い。

「へえ、受けるか。なら、これはどうだ」

 レジスが踏み込む。爆発じみた速度で飛び出し、彼の残像だけが残った。俺はほとんど勘を頼りに、迎撃のため剣を振るった。刃を寝かせ、鍔で欠けを噛ませ、肩で押し返す。受けの三段がなんとか間に合った――そこへ。

「転移」

 碧緑が視界の縁で点滅する。後頭部の皮膚が粟立つ感覚。ネヴァスの姿が器用に俺とレジスの間へ割り込んで、骨断ち包丁を薙いだ。咄嗟に後ろへ跳んだから避けられた。いや、避けれてない。首に新しい筋傷が刻まれる。レジスがネヴァスの身体で隠れた視覚から剣尖を届かせるが、咄嗟に弾き払う。防がれたとわかるや、レジスは右足を軸にして舞うように斬り払う。バックステップで辛くも避けると、流れるように迫る三度の突き。剣の腹で受けきり、位置を入れ替えながら反撃。超高速の剣戟が飛び交うが、迎撃し損ねたレジスの剣が俺のチェストプレートを穿つ。隙間を縫うようにネヴァスの短剣。さらに大きく跳んで、勢いそのまま後ろへ下がる。敵との距離は取り戻せたが、距離そのものの意味がなくなったこの戦場では、安心できる要素にはなりえない。

 これはかなり厄介だ。二人ともそれぞれ別の方向で実力がある強敵だ。敵の刃は二本。対して、俺の武器は宵闇の剣だけ。ネヴァスとレジスが仲違いしてくれるならよかった。しかし、生憎と二人の連携は完璧だった。レジスが超高速で飛び込み、対応へ迫られてしまった俺へ、ネヴァスが想定外の一撃を仕掛ける。悔しくも防ぐことはできない、宵闇の剣はレジスが握る勇者専用長剣『希望の剣』へ合わせているのだから。避けるしかないが、完全に避けきることも難しい。せめて他の武器があれば……。

 はたと思い当たる。

 嘘だろ。まさかそこまで考えていたなんて。エリアの先見性がより恐ろしく感じられたが、今はありがたい。二人の猛攻を必死に捌き続けながら、俺は収納魔法から一本の長剣を取り出すと、左手に握り込んだ。

 ――白百合の剣。

 右手には漆黒の剣、左手には純白の剣。その姿を見て、レジスは鼻で笑った。

「よりにもよって二刀流か。知らないわけないよな、二刀流は馬鹿と子供だけがやるものだ」

 それぐらい知っている。

 俺はいつも宵闇の剣を右手だけで振っていて、左手には何も握ることがない。となれば、『もう一本の剣を持てば攻撃力が単純に倍増するのでは』と考える奴もいるだろう。が、二刀流をしている冒険者がいないことからもわかるように、そう簡単な話でもない。理由はひとつ。この世界ではどういう理屈なのか、両手に武器を装備すると剣技が発動できなくなるのである。世界の理を捻じ曲げる意思の強さがあれば、とかそんな根性的なことではなく、原理的に剣技が使えない。そうなると、どれほど二刀流の扱いに熟練していたとしても、相手の防御を破ることができる技を一式ほど失うわけだ。ゆえに二刀流は、戦術として大きな穴を抱える。俺もこれまで二刀装備を避けてきたし、冒険者に限れば実例は皆無と言っていい。

 しかし、今は違う。剣技というのは発動前にも発動後にも大きな隙を曝すものである。普段なら戦略で何とでもなる。けれど今の俺は、俺よりも速く踏み込むことができるレジス、瞬時に転移魔法で俺の背後へ回ることができるネヴァス、この二人を相手にしているのだ。ひとたび剣技を使ってしまえば、溜めの最中に抉られ、抜け際に首を刈られる。剣技に頼った戦術はむしろ自殺に近い。

 だったら発想をひっくり返す。剣技を捨てる代わりに、両手に刃を持つ。正面と背面、左右と頭上、二方向以上の同時侵入に二刀の構えで耐える。刻みで受け、角度で逸らし、距離で遅らせる。必殺の一撃を狙うのでなく、まずは死なないことを最優先にする。

 もちろん、俺は二刀流の名手じゃない。左手の運びは粗いし、刃筋の立て方も右ほど綺麗に出せない。それに白百合の剣そのものがアダマントよりも軽い素材で造られているので、攻撃にも重さが乗らない。だから、この剣はネヴァス相手に扱う。

 ――レジスが踏んだ。速い。長剣が白霧を割る。俺は斬り上げた宵闇の剣で受けて、衝撃を後方に流す。直後に弾けるのは転移魔法の光。左後方に出現した殺気に対して、白百合の剣を合わせる。轟、とこれまでと違った衝撃音と共に、左手にびりびりと痛みが走る。骨断ち包丁に宿っているのは、黒いオーラ。剣技。まさか剣技の準備をした状態で転移したのか、そんな使い方があったなんて。正面から受けてしまって体勢が崩れるが、その隙をレジスは逃がさない。

 さらに鋭い踏み込み。正面の白が裂け、直剣の風が鼻先を撫でた。宵闇で受け、足を入れ替える。崩れた井戸の縁石に踵を掛け、連なる屋根に飛び移る。これで一拍ぶん、余裕を戻せる。深呼吸をしようと吐いた息の合間に、転移、ネヴァスが詰めてきた。無造作に振り払われる骨断ち包丁を左右の長剣で即応する――レジスの姿はどこへ?

 瞬間、身体が浮いた。地面が消えた。足元が崩れた、つまり屋根が崩落したのだ。瓦礫と共に落ちて無防備となった俺に、待ち構えていたレジスが襲い掛かる。梁や柱を壊して崩したのか。初撃を辛くも避けて、しっかりとした足場を取り戻してから、剣を一閃した。レジスが弾き、続けるように剣を振り返す。高速の剣戟を打ち合いながら、ダンスするように足の位置を交換して、同時に外へ転がり出る。レジスの縦一文字。宵闇で受ける。腕が痺れる。痺れを足下へ落とすため、踵を縁石に滑らせる。同時に、どこからともなく現れたネヴァスの横薙ぎ。白百合で払う。

「遅いぞ」

 レジスの言葉が白に溶ける。遅いのは自覚している。だが、遅れたぶんだけ、読みを先行させる。視線で追わない。音で追い、風の筋で選ぶ。息が上がっていく。同時に相手するのがこんなに厄介だとは。二刀流になったことで、まだ余裕は保つことができている。だか、長続きはしないだろう。どこかで必ず追い詰められる――ぱきり、と不穏な音が思考を邪魔した。慌てて宵闇の剣で二人を牽制しながら後退し、確認する。くそっ、と悪態が漏れた。ネヴァスの強攻撃を受け続けていた白百合の剣に小さなひびが入っていた。

 仕方ない。白百合の剣は宵闇の剣と違って、不壊黒鉄と呼ばれるアダマントでは造られていない。加護を失ってしまった俺でも握り振れるように、勇者専用装備『希望の剣』を鋳潰して炭素鋼と混ぜて鍛造されたものである。重さもさることながら、同時に強度も保証されていない。このまま攻撃を受け続ければ破壊されるのは当然だ。

 だが、他の手があるわけではない。収納魔法にまともな武器はない。このまま戦い続けるのは自分の首を絞める愚策であると自覚しながら、それでも二刀流で戦場に立つ。少しでも戦闘を長引かせて、少しでも選べる手段を探し出すために。

 正面。レジスの直剣が横へ。宵闇で受け流し、同時に左足を半幅前へ。右足は縁石に触れたまま。体の軸は折れない。崩れると次を殺せない。碧が右上、屋根の影から。白百合を頭上へ滑らせる。ぴきり、嫌な音が響く。ネヴァスはすぐに離脱しようとする。逃がさない。転移、そう呟くまでの空白で、宵闇の切っ先をネヴァスの喉元へ滑らせる。届く寸前、顎が一つ分だけ沈む。刃は喉を外れ、鎖骨の上を掠った。だが、離脱を防いだ。予測通り、音が死ぬと転移もできないようだ。ネヴァスは嗤った。

「はっ、悪くない。だが、いいのかァ?」

 愉悦の声。その嘲笑は当たり前だ。俺は選択を間違えた。姿勢が悪く、流れるように繰り出されたレジスの一撃を俺は白百合の剣で受けなくてはならなかった。身体を揺るがす轟音。――ばきり、とひびが白い刀身全体を支配して、ついに折れる。飛び散る白い破片、柄だけが残る。足りなかった、これでもまだ。再生を象徴する白き花は邪悪な脅威に届かなかった。片膝を着いて、肩で息をする。レジスとネヴァスは満身創痍の俺を追撃せず、飄々とした顔で見下した。

「だから言っただろ、二刀流は子供のお遊びだ」

 白い破片が雪と見分けがつかないほどに散った。柄だけを握りしめた左手が、情けないほど空虚だ。膝に冷えが染みる。宵闇だけが、まだ生きている。レジスが鼻で笑い、刃先で俺の額の高さをなぞるように空を切った。止めはいつでも、という意思表示。ネヴァスは包丁を肩へ戻し、とん、とんといつもの癖で鳴らす。

 負けた。だが、まだ一度だけだ。まだ諦めていない。反撃の機会を俺は狙い続ける。

「さァ、勇者サマ。清算の時間を進めようぜェ? お前も導き手ちゃんを見習って選んでみろよ、自分の首か、それとも首以外か」

 息を整える。焦りは胸の奥に押し込め、舌の裏で血の味を確かめる。時間を稼ぐ。会話でいい。会話で、十分だ。

「……清算ね。俺は自分が行ってきた罪を認め向き合ってきたつもりだが。何を清算させようとしているのか、まずはお前たちの口で教えてくれないか」

 軽口に、レジスの眉が少しだけ動いた。苛立ちか、興味か。どちらでもいい。止まってくれれば。俺は信じているのだ。まだ何かあると。俺は今まで何度も失敗して遠回りして人生に負け続けてきた。だから、俺は俺自身をこれっぽっちも信じられていない。だが、俺はエリアを信じている。どんなことがあっても疑いを持つことがない。そんなエリアが助言と白百合の剣を託して、俺を戦場に送り出したのだ。全ての手が通用していなくても、まだエリアは何かを残しているはず。

「後輩のくせに言葉だけは達者だな。教える必要はない、お前はここで終わる」

「契約ってのは便利だな、レジス。女神の犬から、お前が嫌う魔族の犬へ。鎖の色が変わっただけで、吠え方は同じか」

「……もう一度言ってみろ」

 声の温度が、わずかに落ちた。ネヴァスが愉快そうに肩を揺らす。

「勇者ってのはそんなに恥も外聞もないのかって聞いているんだ」

「ああ? ちっ、もう手加減はやめだ。すぱっと綺麗に首を斬り落としてやるから安心しろ」

「おいおい、仲良くしろよォ。オレの可愛い番犬同士じゃねェか。契約ねェ。ほら、古い勇者サマ。語ってやれよ、お前の英雄譚をよォ」

「黙れ」

「くはは、つれないねェ。いいか、契約は簡単だ。こいつはオレに逆らえない。オレに嫉妬しているのさ」

 ネヴァスが愉しそうな顔で話すと裏腹に、レジスは面白くなさそうに顔を歪める。しかし、話を遮ろうとはしなかった。

「嫉妬、だと?」

 俺が眉を顰めると、ネヴァスは肩を震わせて、わざとらしくゆっくりと言葉を置いた。

「話を噛み砕いてやるよ、勇者サマ。――まず、こいつは十年前だ。氷結の魔王クラディオに叩き伏せられて、アスカラン地下牢獄に封印された。息をするたび凍てつく独房で、噛みしめるのはたったひとつ、クラディオへの復讐。それだけを燃料に、腐らずに生き延びた」

 そこでネヴァスは指を一本立て、口角を吊り上げる。

「ところがよ、ある時に知ってしまうんだ。――誰かさんが、先代魔王クラディオを暗殺した、ってな」

「お前が殺したんだろ……!」

「さて、どうだかなァ」

 と、黒い影は愉快そうに肩を竦める。

「重要なのは結果だ。標的だった憎しみの柱が、先に倒れた。復讐の剣は宙ぶらりん、行き場を失う。さて、ここで思い出せ。そもそも氷結の魔王クラディオを殺すという目的は、あの女神サマに与えられていたわけだ。どうやってその憎悪を見も知らぬ相手に向けさせていたのかは知らねェが、憎悪の契約がひとつ果たされようとしていたワケだ。それをオレが更新させて、結び直したってそんなトコだなァ? 空洞になった契約の向け先を、オレの手で付け替えた。まあとはいうが、嫉妬だの何だのは飾りだ。本心はもっと殺したい、殺し足りないからオレに従っているだけだろうよォ」

「おい、ちょっと待てよ。ということは、憎悪の契約はもともと女神がレジスに掛けていたのか?」

「あァ? 当然じゃねェかよ。勇者を走らせた車輪はいつだって女神製だ。お前らは『正義』って名の手綱で引かれて、魔族を斬ってきた。憎悪の契約、呪い、魔法的な何か、それを表す言葉は多いが、どれもあの女神サマが始めたものだろ。――それに、勇者サマも同じだよなァ」

「同じ? 何のことだ」

「勇者サマも女神に従って数え切れないほど多くの魔族を殺してきたじゃねェかよ。まさか、それは自分で選んだ復讐だとかのたまうワケか? 与えられた道じゃない、って本心から言い切ることができるのかァ。与えられた路を『これは自分の意志だ』と錯覚して走ってただけじゃねェのかァ」

「っ……!」

 否定は、できない。俺でも何度か考えたことがある。俺は蜥霊族に故郷を奪われた八年前から、ずっと魔族に復讐することだけを望んでいた。勇者に選ばれて、魔界に旅立った。魔族にも生活があり、涙もあると知ってもなお、教会の義務と責任に縛られて刀を振り続け、葛藤は血の味になって喉に張り付いた。だからこそ、あの日、あの教会で――世界平和を謳う霹靂の魔王エリアに、俺は短い対話で手を伸ばした。

 おかしい。いま振り返れば、俺はあまりにも容易く説得されている。あのときの俺は『何も考えず殺し続ければいい』と自棄に近い場所へ落ちかけていたのに、半刻も満たない言葉で舵は切れた。俺の意思が弱かったから、ではないのかもしれない。――それまでの俺が誰かに行動を操作されていたと考えた方がずっと自然だ。視野が狭まって、狭窄して、前だけを見るように仕込まれて、眼前の魔族を殺すことしか考えられなかった。もしかして、それが憎悪の契約なのか?

 もしそれが、契約という名の超常現象だとしたら。ネヴァスの更新は、レジスを黒い手綱で引くのに成功している。俺の過去を引いていた白い手綱と、構造は同じだ。違うのは、握っている手の色だけ。

「だが、それでも――」

 作り物ではなかった。あの日、エリアの手を取ったのは。

「それでも、世界平和を選んだのは俺だ。復讐に逃げるお前らとは違う」

「へえ、威勢だけは強いなァ。だが、どうするつもりだ。白い剣は折れて、強敵に挟まれている。味方を期待しようにも、村の中は混乱を極めていて、あの高貴気取りの魔王サマだって抜け出せない。くはは、この状況でどうオレたちと戦うつもりだァ?」

 俺は応えずに、再び宵闇の剣を構え直す。最後まで諦めないその姿にネヴァスは肩眉を上げた。

 この状況がもしエリアの意図だとするならば、たぶんそろそろ現れるはずだ。そう考えて言葉で時間を稼いでいたが、どうやらこれが正解だったらしい。意識の大半を費やして強化していた聴覚が、こちらに走り寄る足音を捉えた。

 雪を踏みしめながら、一直線に迫る存在。

「ん、なんだァ?」

 俺に遅れてネヴァスとレジスが足音に気付く。意識が逸れた、今だ。

 俺は準備していた加速魔法を身体に掛けてから飛び出し、発動した古代流派剣術オルドモデル紅弦を振り下ろす。さすが先代勇者だ。隙を突いたのに、反射的に迎撃される。動きが止まった俺へ隣にいたネヴァスが踏み込むが――

 しゃらん、と鈴ではない、鋭い金属音が白に割り込んだ。白が裂け、風が逆巻く。霧の膜に、真っ直ぐな線が走る。そこから、夜を斬る一条の光。ネヴァスは辛くも骨断ち包丁の腹で受けたが、激しい火花だけを置き去りにして、霧の奥へと吹き飛ばされた。

「――遅れてすまない」

 氷のように澄んだ声。次いで、刀身が鞘に収められる。

 長い白銀の髪を高く結った青年。カタナという武器を腰に差していて、身には紺色の薄い伝統衣装を纏っている。まるで白狐族と完全に同じ装いだが――瞳の色は黒色で、特徴的な獣の耳もない。俺が知っている彼の姿そのものだ。

 ソラカゼが立っていた。

「間に合った、エイジ。息はあるか?」

 半身の姿勢のまま、俺にだけ鋭い一瞥を寄越して問う。

 彼の姿を見た瞬間から、胸の奥で別の脈が打ちはじめる。俺はずっと、彼と再会するのが不安だった。ソラカゼは先代の白狐族族長の直系で、本来なら村の未来を継ぐはずの跡継ぎだった。けれど八年前の内戦ですべてが壊れた。両親は殺され、村は焼かれ、彼は誰が火を点けたのかを探るために一人で村を出た。

 その旅の中で、彼は変化魔法で自分の姿を捨て、素性を隠し、やがて勇者である俺の仲間としてそばに立った。内戦で他種族から浴びせられた暴力は、彼の中で憎しみの芯を硬くしたのだと思う。俺が躊躇いと罪悪感の間で足を止めがちだったのに対し、彼は魔族を斬るとき、一片の震えも見せなかった。そう「思えて」しまうだけかもしれないが、少なくとも俺の目にはそう映っていた。

 だからこそ、俺は不安だった。勇者を降り、エリアと並んで世界平和なんて大層な言葉を選び取った俺を、ソラカゼはどう見るのだろうと。俺たちは似た傷を持っている。家も家族も燃やされたあの日から、同じ地面に立ってきたはずだ。なのに俺は、与えられた責務から逃げたのではないか。彼はそれを裏切りだと罵るのではないか。

 そしてもうひとつ。彼だけは、いつか俺たちの前に敵として立つのではないか。平和を口にする俺たちの理想が、彼の復讐の道と真っ向からぶつかる日が来るのではないか——その可能性が、ずっと喉の奥で錆の味を残していた。

 しかし、今の彼はどこか安心できる目付きだった。復讐を忘れたわけじゃない。復讐の相手を間違えなくなった目付きだ。だから、俺は心置きなく言葉を返せる。

「ああ。最悪だが、最高だ」

 俺は宵闇を握り直し、並んだ彼の足運びに呼吸を合わせる。一カ月以上も会っていなかった彼の背中は、随分と立派に思えた。

 いま、過去に縛られた四人がこの戦場へ揃い立つ。時間稼ぎは終わりだ。


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