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リメイク中作品 ver5  作者: 沿海
4章 疑いを知ることなかれ
89/99

89 孤独に鈴が鳴る5783

 収納魔法から出したのか、いつの間にか短刀を握り締めていた。

 仮面の奥にあるスズナの視線が、俺の目を射抜く。彼女は叫んだ。

「――どうして!?」

 その疑問は何を対象としていたのか。仮面の奥の気配が、わずかに揺れた。指の腹に伝わる脈は穏やかで、殺意は全く感じられない。しかし、明らかに俺を殺すための一撃だった。この村へ訪れてから幾度となく思ったことだ、スズナは異常なほどに存在感がなかった。感情も読み取れず、こうして刺しに来ても知覚できない。普通だと回避もままならず、喉の中心に刃を突き立てられていたことだろう。そう、普通ならば、俺もここで終わりを迎えていた。

「どうして、か。……簡単だ。いつもスズナは左手に鈴を持っていた。珍しいが、それは利き手だからだろ? でも、今は右手で握っていて、左手は何も持っていなかった。狙いがあるのは明白だ」

 面の奥で紅玉の瞳が見開かれる。実際にはそこまで考えが回っていたわけではない。ただ違和感があっただけで、偶然にも今回は防げただけだ。同じ状況があれば、次は喉元に刃を潜り込ませられているかもしれない。それほどに殺意は、彼女に存在感はなかったのだ。

 にも関わらず、俺に左手を掴まれているスズナの存在感が、急激に膨れ上がる。激怒、焦燥、困惑、嫌悪、まるで様々な感情をごちゃ混ぜにしたようなものが、俺へとぶつかる。

「どうして! どうして今更わたしたちを助けようと!」

 甲高い声が耳朶を穿つ。慟哭。

「スズナ?」

「――どうして! 来るべきじゃなかった! 閉ざされるべきだった! わたしは、わたしたちはあの日あの時、死ぬべきだった! お父さんも、お母さんもみんな死んだのに、わたしだけが生き残った。死ぬべきだった、閉ざされるべきだった、誰も続きなんか望んでいない。どうして今更わたしたちに手を差し伸べるの。八年前、誰も助けてくれなかったのに。どうして! もう放っておいてよ。閉ざされて死ぬ往く運命を享受しているのに。滅びへ向かうというのに。誰も助けなんて望んでいないのに!」

 感情が爆発する。それは絶望的で象徴的で悲痛的だった。喉を裂くような叫びが、面の穴から一直線に吐き出される。雪気が震え、俺の指にかかる脈が一拍ぶん乱れた。力のない力でぎりぎりと短刀を俺に突き立てようとする。

「死んじまえ。みんな死んじまえ! 生き残ったから苦しい! お父さんもお母さんもどこにもいない。死ねばいいんだ、隠れることしかできなかったわたしなんか! 脈なんてない、息もない! どこにも光なんてない! 生きているのに死んでいるこんな世界なんか、滅びてしまえばいい! 偽善なんていらない! 滅びたいのに、死にたいのに、助けようとするな! 笑うな、偽善者が。お前も多くの魔族を殺してきたくせに、何食わぬ顔でへらへらと笑うな。気持ち悪い。あの口だけの魔王も気持ち悪い。この八年間、何もしてこなかったくせに! 今更わたしたちに関わらるな、遅すぎるのに! 全て遅いんだ!」

 スズナはさらに力を込めて、俺へ刃を突き立てようとする。面紐が頬へ食い込み、赤い瞳が俺を射抜く。怒りと、怯えと、悔しさが、同じ大きさで混じっている。俺は何も言えなかった。これは八年前の清算だ。遅すぎる清算だった。彼女は八年前で止まった時を歩んでいる。全てが死んだ世界で、自分だけが生きている。自分も一緒に死ぬべきだったと心から信じている。だからか、やっと理解できた。彼女に気配が存在感がなかったのは、その本質が死んでしまっていたからだろう。八年間ずっと溜め込まれていた絶望が慟哭となって世界を侵食していた。

 そしてその絶望は確かな実体となって現れる。

「嘘だろ……!?」

 彼女が握っていた短刀がどす黒く染まり、どろりと血のような高粘度の液体が滲み出て、白い雪の上に滴る。増殖するように黒い血は広がり、足元を飲み込んでいく。水面から数々の影のような手が伸びてきて、俺とスズナの足を掴んだ。朧気で実体はないが、確かな質感があった。

 ――ウラギラレタ!

 ――スベテ、ウバワレタ!

 ――ソトト、カカワルナ!

 歪な声が呪詛を紡ぐ。全方位から今を恨む声が重なる。その内容はカゲクイが呟いていたものと全く同じものだった。まさかカゲクイと同じく、彼らも八年前の内戦で亡くなった被害者なのか。しかも、この状況に俺は覚えのある。魔王城の庭で黒ローブの男と戦った時と酷似していた。その際、正体不明の男は被害者たちの憎しみを糧にして、自分の力を高めていた。それなら?

「ぐっ!?」

 苦悶の声が漏れる。呪詛が強くなると、短刀を押し込むスズナの腕力も比例して強くなっていく。その細い身体のどこに秘められた力があるというのか。死者の手がスズナの身体を押して、俺の身体を血の池へ引き摺り込もうとする。ありえない重さだった。スズナの手首を握る俺の右手が痛み始め、限界を訴えかけてくる。憎しみの連鎖は俺を追い込んでいた。騒ぎを聞きつけた雪牙隊の隊員たちが集まってきたが、狂気を逸している彼女の様子に恐れているのか、遠巻きに見ているだけだ。

 俺は必死に彼女へ呼び掛けるが、深い闇の中には届かない。

「スズナ! 聞こえるか!?」

「――続きなんて、もう要らない! 生き残った罪は、まだ終わらない! 導いて、送り出して、ひとり残って……それでやっと、静かになった。だから閉ざすんです! 死んだみんなが言っている。全て奪われた、裏切られたと! お父さんもお母さんも外と関わるなと言ってる。それが本当の声。わたしは、わたしたちはもう奪われたくない!」

 駄目だ、届かない。まるでカゲクイと対話を試みようとしていたリオウと同じだった。何度も彼女の名前を呼ぶが、伝わらない。その腕力もどんどん強まっている。角度的に心臓はチェストプレートが守ってくれるが、もしものことがある。楽観的には考えられなかった。抑える右手が震え、じりじりと刃が俺へと迫る。吐いた息が面に弾かれ、俺の頬へ返ってくる。右手の指が痺れ、一本ずつ感覚が薄れていく。握りを緩めれば、そこで終わる。

 スズナは叫び続けた。慟哭に合わせて、不可解な重みがさらにのしかかった。背後から誰かが体ごと押している。いや、誰かじゃない。幾人分もの、冷たい掌だ。スズナの小さな肩が軋み、だがその押しは止まらない。死者の手が、彼女の骨を通して、俺の胸へと意志を流し込んでくる。

 雪が悲鳴を上げて潰れた。足裏から伝わる地鳴りのような震え。膝が沈み、俺の重心が崩れる。いけない。このままでは力の線が一直線に俺の心臓へ届く。意思の力が全てを定めるこの世界だ。濃縮された憎悪がチェストプレートを貫いてもおかしくない。

 こうなれば仕方がない。多少の犠牲を払ってでも、スズナを取り戻す。

 俺は空いている左手を、短刀の切っ先と胸の間へ差し込む。ついに拮抗していた力量関係が崩れて、スズナの刃が届く。

 痺れるような痛み。左手の中心に短刀が突き刺さった。黒と赤の血が混ざる。

 その様子を見て、自分を僅かに取り戻したのか。スズナの叫びが刹那だけ途切れた。いましかなかった。

「スズナ、聞け! それはお前の声じゃない!」

「――違う! わたしたちの声です! 続きは罰だって、ちゃんと……ちゃんと、わかっている!」

 届いている。通じている。畳み掛けるようにその名を呼ぶ。

「痛いだろう。そりゃそうだ。過去の罪を背負って生きているから痛い。俺も、お前も! 痛みを抱えたまま生きるしかないんだ!」

「だから、わたしたちは終わらせたい! 貴方がいなければ、そのまま終わることができたのに!」

「スズナ! 終わりはずっと先だ。生き抜いて、生き抜いて、そして終わるんだ!」

「嫌だ! もう何も考えたくない。嫌だ、寂しい、怖い。お父さん、お母さん……!」

 スズナの声が掠れる。本質はそこか。八年前、彼女に何があったのか詳しいことはわからない。けれど、言葉の断片から両親を失ったのは確か。大切な存在を失い、自分も死ぬべきだったと信じて、孤独に現世を彷徨っていた。もう一度、その声を聞きたいと望み続けて。憎悪の声までこの世界に生み出してしまった。

 孤独か。俺も八年前、生き残ってしまったから理解できる。愛しの故郷シレミスを魔族に滅ぼされ、イザラと俺だけが生き残った。全てが血の海に沈み、粉塵に帰した。衛兵として村を守っていたお父さんも、シチューを作って待っていたお母さんも、もうこの世界のどこにもいない。心を蝕む孤独。それを魔族に対する憎悪で塗り替えて、俺は勇者になった。

 選ぶ道が違っただけだ。俺とスズナは本質的に同じ存在だった。

 吐いた息が面に当たって、俺の頬へ返る。刃はまだ胸骨の上で軋んでいる。俺は抵抗を止めた。意志が鋼を軋ませる。短刀が左掌を貫通し、チェストプレートすら打ち抜いて、皮膚を斬り裂いて、心臓に至るその直前で静止する。あと少し刃を押し込めば、致命傷を負ってしまうような、そんな距離。しかし、俺は掴んでいた右手を離して、彼女の背中に回し、穏やかにその身体を包み込む。互いの息遣いが交わる。

「……嫌でいい。怒っていい。遅かった、遅すぎたな。すまない、罵りは全部俺が受ける」

「嫌だ、いやだ――」

「スズナの言葉、ずっと黒い風が混ざっていた。わたしたちの声だ。お前は『わたし』で自分の声を伝えられるはずだ。脈がここにある。温い。生きてる」

「わ、たしは――嫌だ」

「どうして否定を続けているのに、いまだ鈴を握り締めている」

「……っ」

「その鈴は外と関わるためのものだ。本当はずっと望んでいたんじゃないのか? いつか暗闇から連れ出してくれる光を。左手に短刀、右手に鈴。否定と肯定。矛盾している。リオウは選んだ。スズナ、お前もいま選ぶべきじゃないのか?」

 俺の言葉が届いたと信じたい。スズナは黙った。面の穴から漏れる息だけが熱い。俺の左掌を貫いた刃は胸骨の上で止まり、互いの鼓動が柄越しにぶつかっては跳ね返る。黒い血溜まりはまだ足首を絡め取っているが、押し包む重みはさっきより僅かに薄い。

 逡巡はどれだけ長かったのだろう。五秒か、あるいは五分か。短いようで長かった。

 やがて、ぽつりと呟く。

「……痛い」

「痛くていい」

「怖い」

「怖くていい。それが生きることだ」

「寂しい。……わたしは、嫌だ。怖い、痛い、けれど寂しい」

「それでいい。それがお前の声だ」

 身体の震えが鈴を微かに鳴らした。彼女の存在感が世界に認められる。短刀がスズナの手元から零れ落ちる。黒い血溜まりが縮小し、そして消える。彼女は未来を選んだ。

 面の縁から、ぽつ、と温かいものが俺の胸に落ちた。ひと雫で終わらない。二つ、三つ、と途切れずに零れ、やがて堰が切れたみたいに溢れ出す。肩が跳ね、喉が詰まり、声にならない声が漏れ、次の瞬間には――

「……っ、ひっ……うぁ、あああぁあ――!」

 号泣だった。子どもの泣き方。面紐が頬に食い込むことも構わずに、スズナは俺の胸元へ顔を押し付けて泣いた。右手の鈴が握りしめられたまま小刻みに震え、しゃら、しゃら……と途切れ途切れの音が、涙の合間に混じる。黒い血溜まりはもう消えているのに、足はまだ震えて立てない。俺はその場で膝を折り、彼女の体を抱えたまま、雪の上にゆっくり腰を下ろした。

「……よし、よし」

 背を撫でる。襟元から中に入った冷気で、濡れた布が冷えるのがわかった。左掌の傷は脈打って疼くが、いまは離さない。右手のひらで肩甲骨の線をゆっくり辿り、こわばった筋を温めるみたいに円を描く。泣き声は高く低く波打ち、言葉にならない母音が雪へ崩れていく。世界がやっと、ただの夜に戻っていく。

「……っ、ひどい……いやだ……おとう、さん……おかあ、さん……っ、ひっく……!」

「俺はここにいるから、全部、言っていい」

「ひとりは……いやだ……! こわい……こわい……!」

「うん。こわいな。――よし、よし」

 言葉はそれだけだ。慰めの理屈も、未来の話も、今はいらない。背を撫でながら、額をそっと面に寄せる。硬い狐面の角が俺の額に当たり、ひやりとする。その冷たさを、お互いの呼気で少しずつ溶かしていく。八年分の涙で身体の奥に張り付いていたものが、音を立てず剥がれ落ちていくのを、ただ見守る。雪の上に落ちる滴が、静かに輪を広げて消える。泣き疲れの合間に、鈴がまた細く鳴る。しゃ……らん。澄み切った一音が、彼女の喉の痙攣を少しだけ和らげた。

 やがて、嗚咽の波が少しずつ浅くなる。肩の上下が緩み、掴んでいた衣の皺が、解け、また弱く握られる。面の奥から、掠れた声が洩れた。

「……ごめ……んなさい……っ」

「謝らなくていい」

「いたい……こわい……、でも……」

 その先が出ない。出なくていい。俺は背を撫でる手を止めず、乱れた帯の結び目が当たらない場所を確かめてから、肩口をそっと包み直した。左掌の血がコートの内側へじわりと広がる。雪気が火照りを冷やし、痛みはやがて遠のく。

 周囲で息を潜めていた隊員たちが、互いに目で合図を交わし、さらに一歩分だけ下がった気配があった。誰も口を挟まない。橙の灯が遠くで揺れ、風が尾根を渡る音が細く戻る。

 最後の一音は、驚くほど澄んでいた。面の奥で、息がひとつ落ちる。

「はぁ……」

 夜が深くなる。雪はもう、悲鳴を上げていない。俺は彼女の背をゆっくり撫でながら、肩越しに月を一度だけ見上げ、また視線を戻した。抱えた体温は確かで、脈は早いが、整いつつある。泣き顔は見えない。それでいい。いまは、このまま――

 ――悪いことは上手く進んでいる時ほど邪魔してくる。

 暖かい世界に割り込んだのは、酷くざらざらとした男の声だった。

「面白くねェ。興ざめだ」

 不愉快な声は空から降ってきた。俺はスズナを護るように抱え込み、声の方向へ視線を移す。

 連なる家々の一角、そいつは屋根の縁に腰掛けていた。右手に無骨な骨断ち包丁を握り、深淵色のローブを纏っている。

「久しぶりだなァ。勇者サマよぉ」

 黒ローブの男。全ての元凶がそこにいた。


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