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リメイク中作品 ver5  作者: 沿海
4章 疑いを知ることなかれ
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87 宵闇に差し込む光4739

 戸の外へ出る前に、俺は改めて自分の服装をチェックする。洗濯された麻シャツに重合金の胸当て、小火龍ファイアドレイクの革製コート。剣帯は緩まずぴしりと腰に巻いて、宵闇の剣を左腰にぶら下げている。これから族長カザヌキとの会談だ。俺にとって戦闘服が公的な服装になるのだが、いつも通りだからこそ、いつも以上に入念な確認を行った。もちろん短いが既に風呂へ浸かっているので、カゲクイとの戦闘で流れた汗は全て洗い流している。用意は完了しているが、心の奥底には不安が巣食っていた。

 対してエリアは、さすが外交業務が多かった魔王なのか、その表情は自身に溢れていて、自身の服装をチェックしようという様子はない。とはいえ、傍から見てもその服装は完璧で、彼女によく似合っていた。もちろんエリアも左腰に彼女専用である星空の剣を差している。

 最後にファイドルはというと……、こちらもまた自信に溢れた表情だ。しかし、エリアと違って、彼は大雑把な性格である。細かいことは気にしていないだけだろう。

「じゃ、行くか」

 二人に向けてではなく、その言葉は自分を鼓舞するためのものだった。戸口で握った拳を一度だけ強く開閉し、半拍遅れて前足が出る。俺は全ての不安を飲み込んで、建物から出る。陽は稜線の向こうへ沈み、代わりに天上は満月によって支配されていた。冬の夜が待っている。

 俺たちは揃って村の方へ向かう。外気は刃のように薄く、肺の奥まで冷たかった。雪を踏む音が、三人で歩いているはずなのに、やけに自分の足音だけ大きく聞こえる。腰の宵闇の剣が歩調に合わせて鞘金具を微かに鳴らすたび、心臓がその音に合わせて跳ねる。歩きながら剣帯の位置を意味もなく二度直し、結び目の緩みを指で確かめる。緩んでなどいない。

 俺は今まで数々の強敵と戦ってきたが、これほど緊張することはなかった。俺が交渉に関して門外漢だとか、相手になるカザヌキが族長という高い立場のものだとかではなく、この二日間の俺の行動が評価されてしまうという不安だった。

 村の目抜き通りまで来ると、村は少し慌ただしかった。カゲクイが倒されたことを祝って、宴会の準備でもしているのか。赤い外套の雪牙隊が松明を片手に、通りを駆け回っている。浮ついた空気だ。カザヌキの元へ向かっていた俺たちに気が付くと、彼は駆け寄ってきて静かに一礼すると、問うた。

「エイジ殿。失礼だが、導き手の姿を見ていないだろうか」

「スズナのことか? いや、あれから見ていないが」

「……了解した。急いでいるところを呼び止めて申し訳なかった。では、これで」

 彼はまた一礼すると、俺たちと逆の方向へ走り去っていた。何があったのだろうか。口振りからすると、スズナがいなくなったのだろうか。彼女を探しているみたいだったが、カゲクイを討伐しての解散から見掛けていないので、助けになることはできなかった。もしスズナへの伝達事項があったのなら、聞いていてもよかったのだが、もう駆け去った隊員の背中は見えない。

 名状しがたい気持ちになったが、まあ、彼のお陰で緊張が解れたのも事実だ。指先の冷たさは遠くに消え去り、足元の感覚もしっかりとしている。俺は深く息を吸い込んでから、歩みを再開する。

 既に俺たちはあの宿で、この二日間それぞれが何をしていたのか共有している。エリアは子供たち相手に外の遊びなどを教えて仲良くなったようで、ファイドルは墓参りや内戦からどのように復興したのかなどの聞き込みなど自由気ままな行動をしていたらしい。詳しいことが気になったが、大切なのは課題を言い渡されている俺のことだ。リオウや雪牙隊との連続打ち合いから始まり、彼らと協力してカゲクイを討伐したことまで伝え漏れがないよう詳細に共有した。はなから二人に頼るつもりはないが、もし俺が失敗しても助けてくれるようにという対策だった。

 視界の先に、他より大きな建物が現れた。他の建築を知ってから改めて見ると、やはり立派な屋敷だ。屋根が広く、戸口の両脇には雪よけの板が立てられている。前にはひとり雪牙隊の隊員が立ち、俺たちを見ると隣へずれて、道を開けた。

「エイジ殿、中で族長さまがお待ちです」

 彼はカゲクイ討伐に参加した隊員のひとりだった。本当に態度が軟化したものだ、俺を見る顔から厳しさがなくなっていた。彼は開かれるという宴会に参加しないのだろうか。だが、彼らは村を護る存在なのため全員が参加できるはずないので、そういうものなのだろう。

 三枚繋がった薄い布を手で押しのけて、俺は中へ入っていく。あの一段と低くなっている場所で俺はブーツを脱いだ。最初は室内で靴を履かない文化は慣れなかったが、こうして数日間ここで過ごしているうちに、これもいいものだなと思い始めていた。もちろん靴下は履いているが、裸足の解放感は説明しがたい何かがあった。

 柔らかい木製の床を踏み締めながら、俺たち三人は奥へと進む。二日前は緊張していて気付かなかったみたいだ。廊下や天井の木材には動物の姿などが緻密に彫られていて、目を楽しませる。躍動感のあるその姿は、職人の手によるものだろう。

 案内役がいないみたいだが、薄暗い廊下に奥の部屋から光が漏れ出ていたので迷うことはなかった。前回と同じ紙戸の前まで来ると、深呼吸をひとつしてから、静かに開ける。

 三人の来訪者をそこで白狐族族長のカザヌキが待っていた。

 室内は、焚かれた香木の匂いが充満している。二日前と同じく、彼女は背筋をぴんと伸ばして正面に座していた。カザヌキは俺たちの入室には反応を示さず、白い獣耳も微動だにしていない。準備されていた三つの敷物へ俺たちが腰を下ろして、初めて彼女は細く瞳を開いた。

 澄んだ紅玉の瞳が俺を射抜いた。

「約した刻を違えず来訪、そこに揺らぎがないのは良いことです。では、始めましょうか」

「ああ、よろしく頼む」

 俺が応える。エリアもファイドルも何も言わない。この場は俺の行動がカザヌキによって評価されるためのところであり、二人の存在はあまり意味あるものではないのだから。

 固唾を飲み込んで、彼女の言葉を待ち構えていると。

 それは思ってもいなかったものだった。

「話を始める得る前に、エイジ殿。貴方へひとつ尋ねたいことがあります。導き手スズナの居場所を知りませんか? 討伐隊が帰ってきた夕刻から、彼女の姿が見付からないのです」

「スズナが……? いや、雪牙隊の奴にも聞かれたが、俺も知らないな。最後に見たのは討伐隊が解散した時だ。どこにもいないのか?」

「ええ。雪牙隊が村を捜索しているのですが、まだ発見しておらず。もしかすれば村の外へ出たのかもしれませんが、まさかスズナひとりで外に行くとも思えません。どちらにせよもし彼女の身に何かあれば、私たち白狐族は外界と完全に遮断され取り残されます。もちろん、貴方たち来訪者も」

「それは……。道が断たれるのも困るが、スズナが心配だな。俺たちも捜索に協力しよう」

 あまり周辺の地理には詳しくない。とはいえ、俺もエリアもそしてファイドルも魔王の加護を持っている。気配察知が得意だから、少しは協力できるだろう。

 しかし、カザヌキは少し焦ったような疲れたような顔をしていたが、俺の提案に頷かなかった。

「いえ。申し出はありがたいのですが、いずれ雪牙隊の皆さまが見付けてくださるでしょう。エイジ殿が何も知らないのであれば、問題ありません。いまこの時は本題に参りましょう」

 その言葉を境に、一気に空気が張り詰める。刹那のことだった。香の白い煙が細く揺れ、彼女の存在が膨れ上がったような感覚だった。俺は喉を鳴らす。改めて彼女と相対すると、二日前とはまた違った印象を抱く。まるで騎士団の総長オリバーのような、他人の上に立つ者が持っている独特な圧。強くないのに、確かな強さを与えていた。

「リオウから報告を受けました。昨日は雪牙隊の隊員と長時間に渡る打ち合いを行い、本日は彼らと協力してカゲクイを討伐したと。悪手を選んでしまったリオウの後始末を行い、見事カゲクイへとどめを刺したと。族長として礼をさせていただきます。ありがとうございました」

 カザヌキは深々と頭を下げた。俺はそんな丁寧な姿に面を食らってしまう。

「いや、そんな感謝なんて必要ないですよ。俺は俺ができることをしただけで」

 自分でも驚くほど声は平坦だった。胸の奥では、まだどこか信用されていないかもしれないという不安が、薄氷のように張りついていたからだ。

 あんなにも鋭かったカザヌキの目元が、柔らかく綻んだ。

「貴方にはとても感謝しています。――村の民たちは、神出鬼没のカゲクイに長く困窮していました。これまで何度も討伐を試み、ことごとく退けられてきた。今回の討伐隊は入念に準備されたものだったのですが、リオウによるとそのままでは倒し切れず、さらには犠牲も出ていただろうとのことです。貴方が加わったことで誰も欠けることなく討伐に成功したと、雪牙隊全員から感謝を聞いております。改めて申し上げます、ありがとうございました」

「あ、ああ」

「二日前、私は貴方に課題を出しました。村人からの信を得よと。私は貴方が信用に足る存在なのか判断できませんでした。そのため、無理難題を出して今回は保留にしようと考えておりました。雪に閉ざされれば、春まで貴方たちも行動できなくなるだろうという浅はかな考えです。しかし、貴方は村の脅威であったカゲクイを討伐して、その揺るぎない事実が排他的であった村に伝わった。雪牙隊の隊員のみならず、被害を受けていた村人、そして若い人を中心に、貴方への印象が良好へと移り変わりました。当然ですが高齢の者の中にはなお懐疑を手放さぬ者もいる――それもまた事実。ですが二日という刻で、大半の民から信は得られました」

 言葉が、張りつめていた氷にひびを入れる音に聞こえた。俺は思わず息を吐く。胸の奥を圧していた見えない手が、少しだけ退く。

「……そう、ですか」

「はい。口先ではなく、足跡で示した結果でしょう。雪牙隊と剣を交え、愚を正し、共に獣を斃す。行いが民の秤を動かしました。貴方はたった二日という限られた期間で大半の民から信用を得たのです。――その行いに報いて、私も重い腰を上げなければいけない、そう思わされました。貴方を信じましょう、エイジ殿」

「ありがとう」

 短く、それだけが自然に零れた。白い耳が僅かに解けた。優しい微笑みはそのままに、けれども、カザヌキは扇を立て直して静かに続ける。

「忘れないでください、エイジ殿。貴方が行ってきた過ちは消えません。ですが、消えない過去の上に、今この場で積み重なる事実はあります。今、ここで貴方が得た信は、白狐の殻に入ったひと筋の亀裂。その亀裂は、内から外へと光を通す。宵闇に一筋の光を齎したのはエイジ殿です」

 横で、エリアが静かに目を伏せる。星空の剣の柄頭が、香の光を受けて淡く瞬いた。ファイドルが肩で笑い、俺の背をぽんと押す。

「よくやった、小僧。これはお前の手で掴んだもんだ」

 悔やんでも戻らないものがある。消えない血がある。それでも、今目の前で交わされた感謝は、本当にここに在るのだ。ふっと、肩の力が抜けた。二日前、紙戸の向こうの未知に足を踏み入れたときからずっと固まっていた何かが、ようやく息を吹く。

 俺のしてきたことは、無駄じゃなかった――そう思えた。香の匂いが深くなる。俺は剣帯の結び目に触れる。緩んでいない。胸の内側に、新しく結び目ができる感覚がした。ほどけないように、固く。


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