81 九之尾式抜刀剣術9892
やはり靴を脱いだままで室内を歩くのは、奇妙な感覚である。白狐族は本当に不思議な種族だ。他の種族とは少しも似た文化がなく、まるで空想の世界から飛び出した幻の村とでも表現すべき存在である。
建物の入口にある一段下がった狭い空間、玄関と呼ぶ場所らしいところで俺はブーツを履いた。靴紐をしっかりと結ぶ。格好は購入した普段着だが、靴はいつもと変わらずだ。しかも、このブーツは勇者の頃から履いているものである。そろそろ靴底が擦り減ってきているので、これも買い替えるべきだというのは自覚しているのだが、面倒臭くて放置したままだった。
ついでに厚手のコートを収納魔法から取り出すと、裾が広がらないよう前で留める。
横開きの扉を滑らせて、俺は外へ踏み出した。
この来客用の建物は村の外れにある。そのため、村の中心へ行くには少し歩かなければならない。
深く息を吸い込んでから、俺は歩き始めた。昨夜の内にかなり雪が降ったようである。踏み込むと、下腿の中央まで雪に埋もれてしまう。昨夜、俺たちが案内された時には踏み均された地面が見えていたのに、道はすっかり雪に埋もれているようだ。足跡ひとつない純白の絨毯へ規則的に黒点を刻みながら、俺は進んだ。
しばらくすると、村が見えてくる。木や藁や石や陶器といった珍しい材質で建てられた住居が立ち並び、雪が積もっているからか軒先には出店がなかった。しかし、工芸品を売っている店や料理店は入口に三枚の薄い布を垂らしていて、来客を歓迎しているようにも感じた。
俺は雪を踏み分けながら村の中へ入っていった。ここまで来ると、夜中に積もった雪を掻き分ける仕事でもあるのだろうか、一歩一歩をしっかりしなくても歩める程度の深さになっていた。足跡も多く、どうやらもう一日の営みが始まっているようだ。
目抜き通りと思しき広い道に出ると、人通りが増える。ちらほらと見かける村人たちは、揃って白い獣の耳と尾を持っている。雪と同化するように白い姿をした彼らは、まるで幻影のようで、現実味に乏しい。俺と目が合った者は、ぎょっとしたように視線を逸らした。中には小声で何かを囁き合う者もいる。歓迎されていないことは、ひしひしと伝わってきた。対照的に子供たちは厚手の衣服に身を包んで遊び回っている。雪玉を投げ合ってはしゃぎ、転げ回る声が耳に届く。なんとも微笑ましい光景だ。俺も幼い頃は幼馴染のイザラを連れて駆け回ったものだ。もっとも、俺たちの主な遊び場は深い森の中だったわけだが。
さて、と俺は周囲を見渡した。エリアのおかげで俺がすべきことの方向性は定まっている。問題はどのように若者たちから信頼を得るのかだ。
目抜き通りを少し歩けば、雪を掻く者、荷を運ぶ者、木材を割る者と、若い白狐族の姿はいくらでも目に入った。俺は意を決して、最も近くで雪を掻いている人物に近付いた。花柄の伝統衣装を身に纏った、華奢な女性だった。彼女の丈に対して雪掻きの道具は大きく、その作業はとても大変そうだった。
「手伝おうか?」
俺が声を掛けると、女性は驚いた顔でこちらを見たが、すぐに険しい表情へと変わった。
「いえ、結構です」
語気は強くなかったが、拒絶の意志ははっきりとしている。女性は俺を嫌悪するように、その仕事を中途半端に放り出してそそくさと近くの建物へ入っていった。
気を取り直して次に薪を割っている若者へ声を掛ける。
「力仕事なら慣れている。俺も割ろうか?」
だが、返ってきたのは短く冷たい言葉だった。
「触らないでくれ」
さらに荷を運んでいた青年に並び歩いてみせる。
「それ、どこまで運ぶんだ? 一緒に行こう」
「……自分でやれる」
そう言い残し、彼はわざと足を速めて去っていった。
三度も断られれば、俺の方が気まずさに押し潰されそうだった。振り返れば、遠巻きにこちらを窺う村人たちの視線。あからさまな言葉にはしないが、「余所者は信頼できない」と、全員がそう思っていることは痛いほど伝わってきた。
俺は大通りの端に立ち止まり、深い吐息をひとつ漏らした。
万事休す。簡単に打ち解けられるなどと思ってはいなかったが、ここまで露骨に拒絶されるとは。どうしたものか。最初の接点さえもなければ、評価をしてもらうなんてできるはずがなかった。
八年前の内戦で彼ら白狐族は世界から裏切られた。その傷は俺一人ではそもそも癒すことなんてできないのかもしれない。どうすれば、この氷のように冷え切った視線を溶かすことができるのだろうか――。
「あんた、ヨソモンだろ」
顔を上げると、一人の青年が立っていた。
脚の左右に分かれた長い布を腰帯で結び付け、裾が雪に触れそうなほど垂れている。まるで広い布の筒に脚を差し込んでいるかのような服装だ。左腰には長い鞘が差されていて、伝統衣装の上から更に赤いコートのようなものを着ている。年齢は俺よりも五歳は年上といったところか。耳と尾は他の者と同じく白いが、纏っている空気は明らかに違っていた。堂々たる風格に鋭利な目付きを持ち合わせている。――村を護る衛兵か。
「……そうだが」
俺が応じると、青年は細めた目を逸らさずに歩み寄ってきた。
「さっきから見てた。雪掻きの姉ちゃんに断られ、薪割りの兄ちゃんに拒まれ、荷運びの奴には逃げられた。三連敗ってやつだな」
嘲るような口ぶりではなかった。むしろ、その声音には冷静な観察と、どこか突き放した現実感があった。
「……見ていたのか」
「衛兵だからな。村の通りを歩く人間は全部目に入る。特にヨソモンなら、なおさら」
彼はぐっと身を寄せ、眼前で耳打ちするように囁く。
「悪いことは言わない。あんたがどんなに真面目に声を掛けたところで、すぐに信用されることはない。俺も含めて八年前のことを忘れてないんだ、みんな」
胸の奥に冷たいものが広がった。やはり、そうなのか。
青年は俺の表情を読み取ったのか、鼻で笑って続ける。
「もっとも、あんたが本気で村と関わろうってんなら……やり方はある。俺に付いてこい」
青年は赤いコートのようなものを翻し、そのまま歩み始めた。僅かに躊躇いが芽生えたが、八方塞がりな状況の今、彼だけが差し込んだ光明だった。遠ざかっていく背中を速足で俺は追う。
通りを外れ、雪を踏みしめながら村の奥へ進む。青年は振り返ることもなく、迷いのない足取りで先を行く。俺は黙ってその背を追った。
やがて家々の並びから離れると、開けた広場のような場所が現れた。雪を払った地面がむき出しになっており、端の方には木製の人形や鍛錬用の丸太が整然と並んでいる。
その中央では白い耳と尾を持つ若者たちが武器を手に、掛け声をあげながら稽古をしていた。鋭い剣閃、雪を蹴立てる足運び、木刀が打ち合う乾いた音。――ここが村の衛兵の修練場なのだろう。彼らは先導していた青年と同じ赤いコートのようなものを羽織っている。
しばらく、誰も俺たちの存在に気付かなかった。しかし、彼らの一人が俺を一目見ると、すぐに動きを止めた。そこから伝播するように武器を下ろしていく。
視線が集まり、ざわめきが走る。警戒、苛立ち、あるいはあからさまな不快感。どれも隠そうとしていない。
やはり、ここでも余所者は余所者として扱われるのか。
先導する青年は立ち止まると、周囲を見渡し、大きな声を張り上げた。
「お前ら、ヨソモンが来たぐらいで稽古を止めるな。集中しろ!」
指示を出す、ということは、青年は衛兵の中でも高い立場にあるのだろうか。
青年の怒声に慌てて若者たちは行動を再開する。広い修練場を利用して、二人一組で武器を打ち合う若者たちが点在している。打ち合い組手の稽古であるらしい、激しい攻防がそこかしこで行われていた。彼らが持つ武器から月光のような薄い黄色が迸った。奇妙なほどに湾曲したそれはカタナと呼ぶべき武器であり、発動された剣技は、地下世界で明滅の魔王アラマサが披露した抜刀剣術だとかいうものだ。ここまで見せられると、俺の疑念は既に核心へと移り変わっていた。
若者の一人が木製のカタナを鞘に納刀し、腰を低く落として構える。一歩、右足を踏み出した刹那、光が瞬いた。高速で引き抜かれたカタナが相手に肉薄するが、その相手も抜刀剣術を発動して打ち合わせて相殺する。
「どうだ?」
彼らの稽古を見ていると、青年が尋ねてきた。質問の趣旨がわからず俺は問い返す。
「何の話だ?」
青年は顎をわずかにしゃくり、視線を稽古に向けたまま言う
「あいつらの強さだよ。この稽古を見てどう感じる」
俺は思わず眉を寄せた。強さ、か。俺にそんな感想を求めてどうするつもりなのか。まるで試されているようで落ち着かない。
「なぜそんなことを俺に聞くんだ」
「お前、強いだろ」
唐突な断定に、胸の奥がひやりと冷えた。虚を突かれたというより、急所を指先で押されたような鋭さ。思わず隣の青年を凝視してしまった。俺は自覚できるほど怪訝な顔をしていたはずだ。
青年はその表情に構う様子もなく、むしろ確信を深めるようにわずかに口角を上げた。瞳は獲物を射抜く鷹のように揺るぎなく、余所者の俺を値踏みするというより、核心を突き立てるような光を宿していた。
「そりゃそうだろ。魔王さんと地霊族の族長という二人に連れられているんだ。普通の奴じゃねえのは当然だ。それに、俺にはわかんだよ。あの偉いさん二人と同じ気配をあんたからも感じる」
気配。ああ、そういうことか。
不本意だが、納得もできる。青年が感じたのは、加護を持つ者が纏っている独特のオーラのようなもののことだろう。身体を動かさずとも、言葉を発さずとも、ただそこに立っているだけで周囲に圧を与えてしまう――それは俺が望んで身に着けたものではなく、加護を与えられれば結果的にそうなるだけだ。しかし、その気配を感じ取れるのは極少数であるため、それだけで青年がかなりの実力者であることが窺える。
「で、どうなんだ。あいつらは強いか」
視線を戻せば、若者たちはなおも武器を打ち交わしている。鋭い剣閃に合わせて雪が跳ね上がり、光を帯びた木刀が火花を散らすように交錯する。鋭い眼差し、食い縛った奥歯、握り締められた異形の武器。剣を振るう姿は荒削りでありながらも力強く、受け止める腕は震えながらも必死に耐えている。彼らが今の一撃に命を懸ける覚悟で臨んでいるのは、見ればわかる。
俺は一言で答えた。
「強い」
「そうか、強いか。八年前の悲劇を繰り返さないために鍛えた甲斐があったな。――それで、あんた自身の感想はどうなんだ」
ぐっと言葉に詰まる。その問いは核心を射ていた。俺の感想はただの一般論であり、俺はまだ本心からの感想を伝えていなかった。本当に伝えてもいいのだろうか、そんな迷いも生じたが、答えないことこそが不義理なのだ。
「……まだまだ、なのかもしれない。確かに抜刀剣術は強い剣技だと俺も思う。古代流派剣術最速の剣技、朱閃に匹敵する速さをどの技も兼ね備えている。けれど、抜刀剣術の特性上、一度その刃を鞘に収めるという動作が必要なだけワンテンポ行動が必要になってしまうし、初撃はどうしても左からだけしか発動できない。だから、動きが簡単に読めてしまう」
「当然だな。とはいえ、少しは工夫で挽回できていると思うが」
「ああ。だが、その弱点だけは絶対に隠すことはできない。だから、大切なのは――速さそのものじゃない」
言葉を区切り、俺は稽古場で打ち合う若者たちをもう一度注視すると同時に、俺は明滅の魔王アラマサとの戦闘を思い返した。因果応報――彼が見せたカウンター系統の二連撃技だ。アラマサは俺の先制攻撃を前提として待ち構え、吸収し、返した。動きに対応するのではなく、動き出すことすら先読みして技を選んでいたのだ。それと比べると、眼前で繰り広げられる打ち合い組手は遊戯に等しいレベルだった。
「抜刀剣術の本質は、相手の攻撃を見切って一瞬先へ割り込むことにある。相手の剣が振り下ろされる寸前に合わせるからこそ、抜刀の刹那は絶対の強さを発揮するんだ。しかし、彼らはその肝心な予測と対応ができていない。互いに同じ構え、同じ型で打ち合っているから、動きも予測も似通っている。これじゃあ稽古の域を出ない。外の剣術を相手取って、変則的な動きをされたら簡単に崩される。原因は明白だ。八年間、村の外との関わりを断った。その結果、他流の剣を知らない。外の流派と刃を交えていない。だから未知の攻撃に対して、抜刀剣術の本質である先読みと合わせが働かなくなっているんだ」
「……なるほどな。貴重な意見だ」
青年は深く頷き、そして周囲へ視線を投げた。
「――おい、稽古を止めろ!」
鋭い声が修練場に響く。打ち合っていた若者たちが一斉に動きを止め、こちらを見た。ざわめきが再び広がる。
「集まれ。今から大事なものを見せてやる」
青年の一言に従い、若者たちは俺たちの前方へ半円を描くように集まった。鋭い眼差し、不審げな囁き、白い尾が雪を払う。彼らは露骨に余所者を敵視している。何をするつもりなんだ、と戸惑っている俺をよそに、青年は振り返ると言った。
「口先だけじゃないことを証明しろ。……あんたと俺で模擬戦だ」
青年が収納魔法から一本の木刀を投げてよこした。手中に収められたそれは宵闇の剣と比べれば落ち着かないほど軽く、怪我をしないよう配慮されたものだ。模擬戦、これで彼とここで刃を交えるというのか。
やるべきか。信頼を得るためなら話に乗るべきなのかもしれないが、俺の力は示すためには過ぎている。加護があるかないかでは絶望的な差があり、普通に戦えば一方的な戦闘になってしまう。信頼を得るどころか、恐怖を植え付ける結果になるのではないか。
そんな思案をしたが、青年の顔に現れていた絶対的な自信を見て、おもむろに息を吐いた。彼は俺の気配を知覚したのだ、心配は必要ないのだろう。
「……わかった。やろう」
その瞬間、若者たちのざわめきがさらに大きくなり、雪を払うような気配が広がった。俺の決意を疑うような視線もあれば、何かを期待する視線もあった。どちらにせよ、もう退路はない。
青年は俺から十歩ほどの距離を離れて、深く腰を落とす。左腰に差された異形の武器の柄を触れてから言った。
「名乗りがまだだったな。俺は雪牙隊衛士長リオウだ。じゃあ、始めようぜ」
「俺は魔王の騎士エイジ。宜しく頼む」
応えるように名乗ってから俺が木刀を正面に構えると、リオウと名乗った青年はゆらりと動き出した。まるで風に舞う木の葉のような動きで、その間合いを溶かしてくる。鞘の奥で淡黄色の燐光が瞬いたと思うと、刹那にしてその刃が俺の首元まで迫っていた。
――速い。
だが、俺は既に行動していた。後ろへ身体を倒しながら発動していたのは、古代流派剣術紅弦。紅色に染まる一般的な木刀が、肉迫していたカタナ型の木刀と激突して、甲高い音を響かせる。
「――明鏡止水」
その剣技の名前がリオウの口から紡がれる。明鏡止水、まるで攻撃の意思を悟らせない一撃だった。もし初見でこれを受けていたら、反応もできなかっただろう。しかし、俺は何度もこの技を見ている。
激しいスパークが収まり、リオウは後方へ跳んだ。理由は明白だ。抜刀剣術の特性上、その刃を鞘へ納める必要がある。接近した状態では次の攻撃へ続けられないのだ。それに、彼が握るカタナという異形の武器も俺と同じく木製なのだが、俺の木刀よりも薄い刀身なので、剣技なしに打ち合えば簡単に折れてしまうのだろう。剣技による世界の理は武器の強度まで一時的に引き上げる。
リオウが刃を鞘に収めた。その瞬間を見計らって、俺は踏み込みながら次なる剣技を発動する。腰下に構えていた木刀が燃え盛る炎を纏って、引っ張られるように加速する。体重を乗せた左足の踏み込み、腰を捩じる動きと手首の捻り。最大限に強化された古代流派剣術、旋緋。
「はぁッ!」
「――参・乾坤一擲ッ!」
やはり、やはりその抜刀剣術を選んだか。超高速で薙ぎ払われる紅の一閃は、果たして身を屈めるという最小限の動きで避けられ、動きを終えた木刀からは燐光が幻のように消滅する。ここで俺は瞬きするほど短い時間だけ、身体の動きを世界に禁じられる。対して、俺の懐まで潜り込んだリオウは下から上へと刀を振るった。硬直した身体は避けようのない一撃に侵され――
「――鼬払い」
赤き光が迸ったのは、何も握られていなかった俺の左手。硬直した身体で体術の光を宿した左手だけが動き、木製のカタナと正面から接触する。ぱしん、と乾いた音と共に、左手の甲で木製のカタナが弾かれる。
「な!?」
当たると思っていたのだろう。隠し切れていない驚愕の声が漏れた。乾坤一擲と呼ばれるらしいその抜刀剣術は、敵の攻撃を僅かな動きで避けてから僅かな動きで攻撃する、という一連の動きだ。これも初見だと対応しにくいが、相手が本質を知っていさえすればその強みは活かしきれない。
思わずたたらを踏んでしまったリオウは、俺の後方へと抜ける。そこから一拍、互いの硬直が解消されるが、先に俺が動き出す。振り返りざまに、右腰に構えた木刀を前へ押し出す。選んだのは、元は女神から与えられていた勇者専用剣技スターダスト・レイン、それが黒く変色した剣技。
「……」
対面するリオウの表情に僅かな動揺が滲んだ。俺がこれまで古代流派剣術を使用していたのには、この剣術には単発技か二連撃技がないため、彼が抜刀剣術で対処しやすいと考えたからだ。しかし、古代流派剣術特有の赤色以外が木刀に灯ったのならば、それは現代流派剣術であるのが明確であり必ず多連撃技となる。普通ならここで相手の色を見ることで、剣技の流派を予測し合わせるという行為があるのだが、彼らは八年間も外の世界と交流を断っていた。現代流派剣術の知識はあっても、どんな剣技なのか予測できるはずがない。
実際にはもともとが勇者専用剣技であるため俺にしか使用できない剣技なのだが、恐らく現代流派剣術だろうということしか想像することができないリオウは、必然と多連撃の抜刀剣術を選ばざるを得なくなる。
「――くっ、陸・死屍累々ッ!」
誘導されたとは気付かないまま、悪手を選んでしまう。その剣技は抜刀剣術の中でも珍しい多連撃技で、剣技全体でも珍しいことに理論上ならば無限に連撃することができる特殊な技だ。とはいっても、斬り結ぶ回数を重ねるごとに剣技の灯が薄くなっていき、それに比例して速度と威力も徐々に低下していく。攻撃として活用できるのは五回までだろう。
神速の剣技と剣技が衝突し、次の一撃へ。更に次の一撃へ。黒と白の対極する二色が弾け、俺とリオウの横顔を照らす。最初はまだ普通の表情だったが、打ち合う度に彼は少しずつ苦しそうな顔になっていく。当然だ、無理やり次の一撃を防いでいるのだから。
六、七、八。やがて黒いスターダスト・レインの最大連撃数である九連撃目が終了し、リオウは辛くも全てを捌き切った。疲れたような顔。俺とリオウは互いに身体が動かせなくなる。三歩分の距離で俺たちは剣を構えたまま向かい合う。両者とも九連撃の技だったため同時に硬直から回復して、同時に動き出した。
俺は前へと。
リオウは後ろへと。
彼の狙いは、場を改めることだ。予想外の攻撃に曝されたことで、落ち着くための距離が欲しいと思っているはずである。だが、俺は逃がさないと更に一歩と前進する。
握る木刀からは古代流派剣術の赤い燐光。対処を迫られたリオウは、しかし、ほっと安心したような顔で、後方に跳びながら鞘に手を添える。加速する俺の刀身へ、彼はカタナを振るった。
「壱・五風十雨!」
移動しながら放たれた両者の一撃はその中央で合わさり、更なる轟音を響かせた。とはいえ、リオウの目的は距離を取ること。その衝撃のまま後方へ跳ぼうとして――そこで失敗を悟った。
当たり前である、輝きが失われた彼のカタナに対して、俺の木刀はまだ鮮やかな炎を纏っていた。
リオウが俺の剣技を単発技だと間違えてしまった原因は、俺の構えにある。この古代流派剣術の構えと初撃は先ほど彼に披露した旋緋と全く同じであったからだ。その他を卓越した記憶力と対応力が逆に仇となった形である。
俺は右足を斜めに踏み込みながら、勢いそのままに反転する。周囲の風を巻き込んでより燃え盛る炎と共に、二連撃目を放つ。
俺が発動したのは古代流派剣術、紅車。相手に僅かでも背中を見せる必要があるため難しく、俺が苦手としていた技だ。しかし、コズネス攻防戦でファイドルと戦った時に彼が完璧な紅車を扱ってから、俺は密かに練習していた。
硬直を強いられたリオウにとってこれは、完全に避けられない一撃だった。
空中を焦がしながら木刀は加速し、身動きできない彼の首筋を断たんと――
「――ッ!?」
ふっと、俺の木刀から光が消滅する。その刀身はリオウの身体に当たることなく、ぴたりと首筋の横で静止している。いつだったか俺が発見した、剣技を中断させる技術である。
決着は付いた。俺は跳び退ると、最初の十歩分を離れてから、剣を下げた。
リオウは荒々しい吐息を整えて、困ったように苦笑した。白い耳がわずかに伏せられる。
「完敗だ、俺の」
乾いた声だったが、澱みは一欠片もなかった。彼は左拳を胸に当て、短く腰を折る。それだけで、修練場のざわめきが雪の下へ沈む。
「まさか俺の行動まで誘導していたなんてな。なるほど魔王の騎士と名乗るだけの実力はある。俺の負けだ、エイジ」
「リオウも強かった。特に初見の多連撃技を捌き切ったのは称賛に値する」
「だが、それすらも戦術に組み込んでいたとは。それと、さっきの止め。首筋の横で光を落としたやつだ。あれは初めて見た。刃を立てずに勝ちを示す。嫌いじゃない終わり方だ。――雪牙隊、聞け」
リオウの眼が半円に並んだ若者たちを射抜く。白い尾が、一斉に動きを止めた。
「いま見たものが外の剣だ。速さで押し切るのではない。相手の選択に割り込む剣だ。俺たちは八年、同じ型だけで殴り合い、同じ色だけを見てきた。今日それを思い知った」
ひとりが堪えきれず声を上げる。
「隊長、でも相手は――」
「見る目を鍛えろ。あの男は速いから強いんじゃない。読むから強い。俺も、お前らもそこから目を逸らすな。八年の停滞は長かった。俺たちは外の知識と共に、自らの身を護る技術さえ失ってしまった。それを自覚する時がついに来たんだ」
反論は消え、吐息だけが白く立ち昇る。リオウはそこで言葉を切ると、わざとらしいほど軽く木刀を肩に担いだ。赤い外套と彼の白い両耳が風に揺れる。
「――で、だ。まだ疑ってる顔が何枚もあるな。いいさ、疑え。そして確かめろ。これから順番にこの男と打ち合ってみせろ。一合でいい。斬り結び、心で感じて、何を盗めるかを試せ」
は、と数人が息を呑む。俺は思わず眉を顰めた。
「勝手に決めるな、とは言わないが……」
「お前にとってもここで疑いを晴らした方が得策だろ?」
まあそうだな、と俺はしぶしぶ頷いた。リオウとの試合では大きく引き離して勝利したが、疲れなかったわけではない。ここからの連戦はかなり堪えるものだが、若者から信用を得ることができる機会だ。俺は若者たちと向かい合った。
「抜刀は各自の裁量。ただし斬り勝つ必要はない。読むこと、割り込むこと、崩されても形を戻すこと――そこを見せろ。怪我は俺が止める」
白い尾がざわめき、木刀の柄が雪明かりを跳ね返す。若者たちは互いに顔を見合わせ、やがて列を作った。前に出たのは、頬に若い傷のある青年だ。あからさまな敵意はないが、瞳の奥に棘があった。
「俺が先だ」
「……了解した」
精神的な疲れを押し殺して、俺は剣を構える。それから俺が解放されたのは、二刻ほど経って右手が痺れ始める頃だった。




