78 白狐族族長カザヌキ4609
女性は俺たちのように魔王の加護を得ているわけではないようだった。しかし、やはり他者を統べる者はみな似たような雰囲気というべきものがあるのか、その鋭い眼力は不思議と俺の背筋を正させた。
いつだったかファイドルが説明していた。彼の親友でもあった以前の族長は八年前の内戦で、掛けられた濡れ衣と批判の眼差しで憔悴し病に臥せって、最終的に亡くなったと。ファイドルの発言から考えると、カザヌキと呼ばれた彼女はその後を継いで族長になった人物なのだろう。必要なことだけを簡潔に問うその姿勢には、厳格な気配と表現すべきものが伴われていた。
思わず気圧されてしまった俺をエリアは横目に紹介する。
「彼はエイジ。かつて七代目の勇者として知られていた者であるが、今は妾の騎士をしておる」
その言葉に、空気がぴたりと止まる。彼女にとってそれは想定外の言葉だったのだろう。
カザヌキは微笑みを変えぬまま、指に挟んだ扇をそっと伏せた。
「……なるほど、なるほど。あの七代目勇者とは」
声には怒りも拒絶もなかった。ただ、事実を受け止めるような冷静さだけがあった。それが逆に、俺の胸をざわつかせた。罵倒されるよりも、よほど痛かった。
カザヌキは小さな声で続ける。
「そして今は、エリア様のお側に」
その言葉は明らかに俺へ向けてのものだった。エリアは黙ったままだ。
確認なのか、ただの探りなのかはわからなかった。だが、ここで曖昧に返すわけにはいかない。
同じようなやり取りはクルーガともファイドルとも行ってきたことだ。とはいえ、慣れてしまってはいけない。過去は消せないのだから、これから何回も何十回も同じ説明をすることになるだろう。否定されることがあるかもしれなくても、ただ眼前の相手へ真摯に向かい続けるのが、俺が赦しを得る唯一の手段だった。
「俺はかつて女神から勇者の役目を与えられて、貴方たちの同胞を命じられるがまま数え切れないほど殺してきた。その過去はあまりにも重い。悔いるだけで許されるものではないことも理解している。けれど、俺は今度こそ本当の正義を間違えないために、エリアの騎士としてここにいる」
静かに、されど力強く言い切る。
カザヌキは扇で口元を隠した。思ってもいなかったことに、その表情は怒りも憤りも読み取れない曖昧なものだった。
「貴方の行いは許されないかもしれません。しかし、どれほど貴方が過去を悔いていても、私には微塵の興味もありません。私たち白狐族にとって勇者も、戦争も、外の世界は既に等しく遠い存在なのです」
その曖昧な表情は無関心に因るものなのだろう。それも当然かもしれない。彼らが内戦に巻き込まれたタイミングと俺が故郷を失ったタイミングは、微妙に時期がずれるかもしれないが同じ八年前のことだ。白狐族は閉鎖的な関係性を求め、対して俺はそこから四年後に勇者となった。つまり、女神から勇者へ選ばれた俺による被害を彼らは直接的に受けていないのだ。
被害を受けていないから、恨みも憎しみもない。
恨みも憎しみもないから、俺がどのような存在であろうと興味はない。
激昂されるのなら、まだやりようはあった。真摯に何度でも説明する覚悟もあった。しかし、こうまで無関心であるならば、それこそ立つ瀬がなかった。
カザヌキは、この話は終わりとでもいうように扇をぱたりと閉じ、エリアへ視線を移した。
「本題へ移りましょう。魔王エリア様、朽ち往くこの村に如何なる用がおありなのですか」
「そなたへ頼みたいことが二点ある」
カザヌキが目を細めた。
「二点、ですか」
「まず、もしご存知ならば教えていただきたい魔法がある。転移魔法、もしくはそれに準ずる何らかの長距離を移動する方法。訳あって妾たちは遠く離れた人界の地へ行かねばならぬ。白狐族は既存の魔法形態に囚われない奇術を知ると聞く。可能ならば教えていただきたい」
それは一種の頼みの綱だった。これのために俺たちが白狐族の村に訪れたと言っても過言ではない。
アルベルト騎士団三代目総長オリバーが、騎士団として俺たちに協力する条件として提示したもの、魔王エリアがルベルク共和国首都ヴァルナを訪れること。そこには騎士団の本部があり、そこへ魔王本人が来訪することでそれまでの協会至上主義を打ち破るという、整世教会を相手取るためにオリバーが考えた策だ。しかし、魔界の奥地であるここからヴァルナまでの距離は二万キロルを超え、普通に移動すると数年は掛かる。転移魔法などの長距離移動方法がなければ、辿り着く前にタイムリミットを迎えてしまう。
しかし、転移魔法は古の大戦で失われた魔法である。これまで俺は二回それを目撃する機会があったが、それはクルーガがエリアに託したという太古の遺物によるもので、自ら再現したものではなかった。それに転移魔法が刻まれていた遺物は残念ながら使用上限に達し、粉々に砕け散ったため、唯一無二であったそれに頼ることはもうできない。
白狐族は一般的な魔法形態に反した奇術をいくつも知っているというのは有名な話だ。一部は眉唾物だとしても、エリアが検問越えの時に使った変化魔法や、この村へ入る時に導き手の少女が使った謎の奇術を考えると、全てがありえないものだとは思わない。長距離を移動する魔法が門外不出で伝わっている可能性も捨て切れなかったのだ。
だが、カザヌキは静かに首を振り、目を伏せた。
「ご期待に沿えず、面目ございません。確かに我らの族には古より数多の奇術が伝わっております。しかし、長距離を一息に移動する術となれば、いかに探してもそのようなものは存在いたしません」
その声音には偽りも誤魔化しもなく、淡々とした事実の提示に過ぎなかった。けれど同時に、どこか申し訳なさを含んでいるように感じられた。
「お世話になった魔王エリア様の頼みだとしても、こればかりは私にもどうしようもなく」
彼女は深く頭を垂れた。
俺は言葉を返せなかった。期待していたぶん、落胆が胸に広がる。けれど、目の前の女性が嘘を付いているとは思えなかった。
広がる沈黙を払拭するように、エリアは僅かに前方へ移動した。
「ならば、二つ目の頼みじゃ。妾たちは魔族と人族の戦争を終わらせ、世界平和を実現させたいと考えておる。しかし、その道は限りなく遠く、一歩進むのも容易ではない。どうか妾たちと同盟を結んでくれぬであろうか」
カザヌキは僅かに眉を寄せ、長い沈黙の末に口を開いた。
「……白狐族は世間との関わりを断ち、孤独を選びました」
肯定とも否定とも付かない唐突な言葉に、エリアは何も言わない。
「八年間も厚い殻に籠っていたのです。いまさら外の世界と関わりを取り戻して、どうなりましょうか。私たちはただこの村と共に朽ち果てるのみです」
「……それは」
「滅びを受け入れることは、弱さではありません。抗わず、静かに終わりを待つこともまた、ひとつの選択です。八年前、根も葉もない罪で血を流さされたあの日から、私たちは滅びを待つだけの亡霊なのですよ」
静かに寂しそうに紡がれる声音は、落ち着いていても痛みに似た影が差していた。まるでそれは、己に言い聞かせているようでもあった。狐耳の根元から流れる銀の髪が、灯火の揺らめきに溶ける。澄んだ瞳は夜の湖面のように澄んでいて、どこか遠く、誰の姿も映してはいない。
その姿を前にして、俺とエリアは言葉を失っていた。俺は単純に八年前に何があったか詳しくを知らない部外者であるからだが、エリアが黙ったままなのは、八年間彼らに関われる存在でありながら関わらなかった申し訳なさからくるものだろう。
そんな俺たちに見かねたのか、次の言葉はそれまで傍観を貫いていたファイドルのものだった。
「そりゃないぜ、カザヌキの嬢ちゃん。俺たち地霊族も八年前の内戦で目に見えぬ傷を負った。血を流す戦争に辟易したのも事実。だからこそ、俺たちはエリア嬢ちゃんと小僧に未来を見出したんだ。なあ、白狐族はいつまで過去を引きずっているつもりだ? 確かにあんたらは硬い殻に籠った。だがな、殻に籠ったままじゃ新しい未来を見ることはできねぇ。過去を守ることと未来を捨てることは同じじゃねぇんだ」
俺とエリアが何もできなかったからこそ、同じ当事者目線であるファイドルの言葉は響いたのだろう。カザヌキの頭上で一対の白耳が所在なさげに揺れた。
「そう、ですね。それぐらいわかっています。八年前の出来事は既に過去と風化し、今こそ未来を生きる必要があるのかもしれません。しかし、私たちが他種族から裏切られたという深い心の傷はまだ癒えておらず、外の世界を信頼することはできないでしょう」
カザヌキは思案するように瞳を閉じた。肩越しに見える灯火の揺らめきが、その頬の影を濃くしたり薄くしたりと、彼女の心情を表しているようでもあった。
「……けれど、外の者をただ拒むばかりでは、我らは本当に滅びるだけでしょう。わかってはいるのです。ですが、私ひとりが言葉で外の世界を信じよと告げても、誰も耳を傾けはしない。八年間閉ざされた心は、容易に開けるものではありません」
冷淡に響くその言葉が、彼女の本心なのか、あるいは一族を背負う立場ゆえの建前なのか、俺には見抜けなかった。ただひとつだけ確かなのは、この巫女が誰よりも強い壁を心に築いている、ということだった。
彼女は瞼を開くと、俺の見据えた。その赤い瞳に俺の姿がしっかりと映っている。だが、それは俺の姿そのままだとは限らない。彼女もまた俺が信用できる者なのかどうか捉えかねているようだった。
「もし本気でこの村と同盟を結びたいのであれば――まずは村の者たちの信を得てください。彼らの中には外から来た者をすぐに信じることもできない者も多いでしょう。ゆえに、民へ示してください。例え元勇者という敵であったとしても、我ら魔族と共に歩める存在であると。彼らの心が少しでも揺らぐなら、私もまた応じましょう」
つまり同盟が結べるかどうかは、全て俺に委ねられているということか。それも当たり前か、白狐族にとってファイドルもエリアも既に見知っている存在であり、村にとっての異物は俺だけなのだから。逆にその言葉は、俺が村人から信用を得ることができさえすれば、同盟を結んでくれると明言しているようなものだ。重く圧し掛かる責任感に、俺はきつく拳を握り締めた。
「二日後、再びこの時刻にこの場で会いましょう。その時に貴方たちの手を取るか判断します」
「必ず信用を得てくる。今日は突然訪れたにも関わらず丁寧に対応してくれてありがとう。じゃあ、二日後だな」
カザヌキは頷くと、視線を俺から外して、小さく手を叩いた。紙戸が開かれて、奥に名前のわからない導き手の少女が現れる。二人の間に主従関係が見て取れるが、どこか単純なものでは収まらなさそうなそうでもある。
「宿は既に手配しています。――スズナ、彼らを案内してください」
「はい。こちらです」
スズナ、という名前らしい少女が手で示す。俺たちは揃って席を立った。部屋を出る前にもう一度ちらりと見たが、静かに座る彼女は見送るように俺たちの姿を目で追っていたが、その視線は鋭く厳しさを孕んでいるようにも感じた。




