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リメイク中作品 ver5  作者: 沿海
3章 憎しみは真理にあらず
73/99

73 吟遊詩人の寄り道5440

「主から頼まれた護衛はここまでだな」

 異種族の緩衝地フロゥグディに入るなり、馬車の幌の上に座っていた屈強な男がひょいと飛び降りて言いました。

 煤けた麦藁色の髪を無造作に短く刈り込み、顎から首にかけては灰色の髭がまばらに伸びていて、過不足なく鍛え上げられた腕と胸板は、鎧すらも不要と感じさせます。背中に吊り下げられているのは、人が持ち歩くにはあまりにも過ぎた重量と凶器性を備えた大剣です。

 アルベルト騎士団師範長と呼ばれる彼、アングリフがわたしと商人ベゼルをここフロゥグディまで護衛してくれたのでした。わたしたちも御者台から降りると、彼は真面目な顔で言います。

「最後に忘れないよう主の指示をもう一度だけ伝えておく。セシリスとベゼルには魔界の中心にある街、群雄都市ドロッセルに向かってもらい、そこで俺の馬鹿弟子――勇者エイジが魔族にとって害がない存在であることを事前に伝えていて欲しい。その後、彼と合流してから、ドロッセルと同盟の交渉へ移ってくれ。仲間として惹き込めなくてもいい、せめて戦争への不干渉さえ確約できれば及第点だ、と主は言っていた。もちろんこれから冬の時期になる。無理して動かなくてもいいが、来年の冬あたりには終わらせてもらいたい」

「わかりました」

「私も承知しました」

 わたしと商人ベゼルが頷くと、彼はにやりと笑いました。

「ああ。それと……前にここへ来た時よりも騒がしいな。何かあったのか? 気になるが、俺は早く戻らなくちゃならん。セシリスにベゼル、あんたらの安全を祈ろう」

「ありがとうございます。アングリフさまもお気を付けて」

 彼は最後に商人ベゼルと握手を交わしてから、颯爽と踵を返します。背中越しに片手をひらひらと振って、東の城門から出ていきました。このまま彼の主オリバー・アルベルトが待つコズネスへ戻るのでしょう。

 さて、ここからは商人ベゼルとドロッセルまで二人旅です。緊張はありません。八年前、初めて魔界へ踏み出した時は身も心も震えていましたが、もうあの頃のような不安は自信に置き換えられています。ただ、群雄都市ドロッセルは長らく魔界を旅したわたしですら訪れたことがない場所です。どんな街なのか少し楽しみですね。

 とはいえ、このままベゼルの馬車で向かうわけにはいきません。ここで群雄都市までの道や魔物などの危険を確認したり情報収集しなければいけません。目的地は魔界の中心です。保存食を買い込んだ方がいいですし、馬車が途中で壊れた時のことも想定して修理用の木材や布も準備した方がいいでしょう。無理に急いで立ち往生なんて冗談になりませんから。

 何から始めようか、とわたしが考えていると、ベゼルが提案しました。

「とりあえず分担して準備をしましょうか。私は保存食などの必要物資を調達してきますので、セシリスさんには道中の情報収集をお願いできますか。貴女は昔から他人から話を聞くのが得意だったでしょう?」

「そうですね。では、必要物資の調達を頼みます。集合場所は……そうですね、中央に架かる橋はどうでしょう」

「異論ありません。では、お先に」

 商人ベゼルは馬車の御者台へ乗り込むと、商業区へ向かいます。わたしはその姿を見送ってから、目抜き通りへ足を進ませました。集合場所の中央橋もあるこっちは人通りも多いので、情報収集も簡単でしょう。

 異種族の緩衝地、フロゥグディ。八十年前の大地融合により大陸同士が押し合ったことで、隆起した小高い丘に造られた村。人界と魔界を隔てる場所に位置しており、ちょうど中心には太い河が横切っています。

 村の成り立ちは簡単なものです。人界の女神が始めた異種族間の戦争に辟易した兵士や、戦争に巻き込まれたり未然に防ぐため避難してきた人たちが集まり、ひとつの村を形成したと聞きます。そのため、この場所では人族も魔族も等しく共存していて、異種族の緩衝地と名付けられたのです。

 いつしか人族と魔族の間に『フロゥグディは攻め入るな』という暗黙の了解が生まれているほどで、魔物が襲ってきても助けを両陣営へ求めることができないにしても、この村こそが『平和』を体現した場所でしょう。

 しかし、平和なはずの村が妙に騒がしいことはすぐに気が付きました。村を護る衛兵や冒険者たちが慌ただしく駆け回り、なにか重大な事件が起こったのでは、とわたしは思いました。ですが、対称的に村の住民たちは何かを祝っているのか、昼前なのにも関わらずお酒を飲み交わしています。

 アングリフも、前に来た時より騒がしい、と言っていました。何か関係あるのでしょうか。

 少し興味があったので、近くにいた露天商の方に尋ねてみましょう。

「あの、皆さん騒がしいようですが、何かあったのでしょうか?」

「ん? ……あ、ああ、嬢ちゃんは村へ来たばかりなのか。ちょっと前にな、この村に魔王が現れたのさ」

「魔王?」

 わたしは思わずオウム返ししました。魔王、その言葉を聞いて思い当たるのは、勇者エイジと行動を共にしていた一人の少女です。長い髪を肩下まで靡かせ、遠目でも可憐な印象を与える少女でした。わたしは彼女が何者なのかは知りませんでしたが、騎士団の総長オリバーが彼女の正体を教えてくれました。十二代目霹靂の魔王エリア、伝え聞くに聡明で政治に優れた人物です。

 彼女がここに現れた……。確かに一カ月ほど前、彼女は勇者エイジと共にここへ訪れて、襲撃してきた魔物ニードルベアを討伐していました。とはいえ、あの時の彼女たちは正体を明かしていませんでしたし、別人のことなのでしょうか。

「ええと、その魔王というのは……?」

「反逆の魔王イシュルヴァのことだよ」

「アスカラン地下牢獄に封印されているという?」

「そう、そいつだ」

 三代目反逆の魔王イシュルヴァ。かなり昔の魔王です。魔界を統べる王でありながら、多くの魔族を迫害し虐殺し続け、最終的に次代の四代目明滅の魔王アラマサによってアスカラン地下牢獄へ封印された、と調べたことがあります。魔界では、亡くなった魔王は数十年掛けて神格化し、神様となるそうです。しかし、反逆の魔王イシュルヴァの魂は時が経つこともない牢獄に封印されているため、神様になることもできず、ただ暗闇で苦しみ続けているらしいです。

「封印が解けたのですか?」

「いや、違う。反逆の魔王を信仰するカルト集団が大掛かりな儀式で、その魂を魔物に憑依させたらしい。伝説ほどの力は出せなかったみたいだが、甚大な被害になってな……。だが、そこで英雄の登場さ」

「英雄、ですか?」

「ああ。百獣の牙――四人組の冒険者パーティーだ。彼らはカルト集団を壊滅させただけじゃなく、顕現した反逆の魔王イシュルヴァまで倒したんだ。ちょうど三日前のことだな。それで村人たちは新たな英雄の誕生に浮足立っているのさ」

 百獣の牙、これも聞いたことがある名前です。確か一カ月前、ニードルベアが現れた時に上級冒険者のパーティーがいなかったため、彼らが迎撃に当たったのでした。しかし、全く歯が立たず大傷を負ってしまいました。その時は冒険者エイルと名乗るエイジが現れたため、ニードルベアは討伐されましたが、百獣の牙は長期療養しなければならなかったはずです。療養から復帰して活躍しているようですね、妙な因果です。

「では、衛兵たちが慌ただしいのは?」

「カルト集団の置き土産のせいさ。村の周辺に突然変異して毒持ちになった魔物が大量にうろついていて、そいつらの討伐に向かっているみたいだな。これの解決も時間の問題だろうが、もしすぐに出立しなければならないなら気を付けろよ」

「ご忠告、ありがとうございます」

 欲しい情報は全て手に入りました。毒持ちの魔物、ですか。解毒魔法ならわたしもベゼルも使うことができますが、もしものことがあります。あまり道中を急いでいませんし、騒ぎが収まるまで暫く村に滞在した方がいいかもしれません。けれども、もう本格的な冬が迫っているので、ここに腰を据えてしまうと春まで身動き取れなくなる可能性もあります。どうするかは同行者のベゼルと話し合って決めましょう。

 情報料の代わりとして、わたしは露天商で売られていた小さなネックレスをひとつ購入しました。月の模様に雨粒形の蒼玉をあしらった可愛いネックレスです。嬢ちゃんなら似合う、と言われて買いましたが、可愛いアクセサリーが似合わないのは自分でも知っています。着けることなく収納魔法に放り込みました。いつか知り合いにでも贈りましょうか。

 露天商の方と別れて、中央橋へと向かいます。目抜き通りには多くの人が行き交っています。目抜き通りは、朝から立て続けに焚かれた油煙と、焼きたての黒パンの匂いで少しむっとしています。石畳は昨夜の霜が溶けきらず、日陰の目地だけ白く縁取りが残っていて、靴底がそこを踏んだ時の、しゃり、という乾いた音が耳を楽しませました。

 中央橋へ近付くにつれて喧噪は大きくなりました。酒樽を抱えた男が駆け、反対側では薬師が解毒薬の瓶を布で拭いています。祝祭のざわめきと、仕事の焦りが隣り合っているのは面白いですね。露天商の言っていた「置き土産」のせいでしょう。誰もが浮かれているわけではなく、笑いながらも、腰の短剣に指を添えたままの客がいます。わたしも無意識に、マントの下で手袋越しに指を開閉しました。関節が冷えて軋みます。

「セシリス殿……?」

 不意に名前を呼ばれて、はっと振り返りました。すると、彼は確信を得てもう一度、わたしの名前を呼びました。

「ああ、セシリス殿ではないか」

「一カ月ぶりですね、ギルドマスター」

 わたしたちは互いに手を差し出して、握手を交わしました。歳は四十ほどで、白髪頭で体格のよい男性です。彼はここフロゥグディの冒険者ギルドを束ねている人物で、過去にわたしがここへ滞在する際、色々と便宜を図ってくれた方でもあります。

 彼は目尻を綻ばせて言いました。

「いい時に来たな。ちょうどこの村に新しい英雄が誕生したところだ」

「百獣の牙ですね」

「ああ。お前の趣味は英雄譚を語り伝え広めることだっただろう。これも縁というものだ、紹介しよう」

 彼は一歩下がると、隣に立っていた青年の肩を叩きました。青年はわたしと同じほどの身長で、四肢は鍛えられており、左腰には長い剣を吊り下げています。彼は緊張した様子で前に出ました。どうやらギルドマスターはここで青年と話をしていて、そこにわたしが通ったようです。

「彼はパーティー『百獣の牙』でリーダーをしている剣士のカイだ。近日の功績を評価されて上級冒険者に格上げされたところだ」

「初めまして、カイといいます。ええと、歌姫のセシリスさんですね。お会いできて光栄です」

「ご丁寧にありがとうございます。畏まらなくてもいいですよ。わたしはそこのマスターに贔屓されて上級冒険者にされただけですから。実力で評価された貴方の方が凄いです。もっと砕けた口調にしましょう」

「ありがとう……?」

 青年は照れ隠しのように鼻先を擦りました。お世辞ではありません、その若さで上級冒険者になるのは本当に凄いことです。これまで堅実に努力してきたことが窺えます。

「顔合わせは終わったな。どうだ、セシリス。いい機会だろ、お前の歌に彼らの冒険譚を加えてみては。この村には彼以外のパーティーメンバーもいる。ひとりずつ本人たちから話を聞くことだってできるぞ」

「それは、ありがたい提案です。しかし……」

 わたしは答えを渋りました。各地の冒険譚や英雄譚を収集することが趣味であるわたしにとって、最も新しい鮮度がよい話題は垂涎の的です。しかし、残念にも時間が限られていました。わたしはドロッセルへ向かわなければいけません。毒持ち魔物の件があったとしても、ここに滞在できるのは少しだけでしょう。もし留まっている間に、雪が本格的に降り始めてしまえば、雪解けの季節まで足止めされてしまいます。今は少しでも進みたいタイミングでした。ですが、百獣の牙が行った冒険も気になります。多少の遅れを許容してでも聞いた方が後悔も少ないに違いありません。

 どうするべきか、と頭を悩ませていると、予想外の声が響きました。

「いいじゃないですか、セシリスさん。雪解けまで留まりましょう」

「ベゼルさん……!」

 わたしが顔を上げると、商人が馬車の御者台から降りてくるところでした。荷台の荷物を見るに、道中の物資を買い込んできてくれたようです。しかし、彼はその準備が無駄になることも厭わず、わたしのために留まろうと促しました。

「私たちは急いでいません。ドロッセルに着くのは遅くて来年の秋でよさそうですし、ここでの滞在が長引けば道中を急げばよいだけです。それに情報というのはお金では買えない大切なものです。滞在するだけの価値がきっとありますよ。ここは少し寄り道して、落ちている物語を拾いませんか?」

「そう、ですか。……そうですね」

 わたしは頷きました。彼の優しさに心が温かくなりました。慎重に動向を見守っていた剣士カイにわたしは向き合いました。

「カイさん。宜しければ、貴方たちの物語を聞かせてくれませんか」

 青年は嬉しそうに笑いました。彼らの物語を語り伝えるのは、まだ先のことになりそうです。


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