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リメイク中作品 ver5  作者: 沿海
3章 憎しみは真理にあらず
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69 アスカラン地下牢獄3526

 二代目聡明の魔王アンネローゼは自らその肩書を名乗ったわけではない。彼女は数百年前の人物であるにも関わらず、現代にも伝わる数々の功績を残してきた。有名なものでは魔王城の庭園だろうか。魔王城の大部分は初代原初の魔王が造ったとされるが、庭園はその座を継承したアンネローゼが自身の趣味である土弄りの延長戦で発明したと記録にあった。深い雪が積もる極寒の冬でも、季節を問わず咲き誇る色とりどりの花々。趣味にしては凝り過ぎたそれは、これまで多くの来賓の眼を楽しませ多種族外交に大いなる功績を与えたとされる。

 そんなアンネローゼが残した遺産の中に、一つだけ異彩を放つものがあった。

 アスカラン地下牢獄、名の通り魔王城の地下にその牢獄は存在していた。

 もちろんそれはアンネローゼが開発した以上、やはりただの牢獄ではない。非人道的、という言葉も生易しいもので、そこに囚われることとなる罪人は比喩ではなく永遠の地獄を味わうことになる。外から差し込む光源は一筋もなく、流れ込む風の音すら聞こえない。外部の情報は一切絶たれ、何もない真っ暗な空間で身体の自由を拘束されて孤独に過ごすことになる。しかも、厄介なのは幾重にも張り巡らされたアンネローゼの魔法術式だった。肉体の時間はほとんど凍結され、腹が減ることも喉が渇くこともなく、寝ることも瞬きすることも当然の如く死ぬことも許されない。加えて、食事排泄を必要としない空間であるからこそ、外部からの干渉は全くない。警邏が見回りに来ることもない。変化が存在しない独房で、意識の自由だけは罪人に許された唯一の権利であるが、ただ何もできない時間の経過すら感じられない暗闇でどれほどの人物が自我を保つことができるか。

 加えて、ここに囚われた人物は更生や社会復帰などそもそも前提として考えられていない世界の冒涜者だけであるため、一度ここに囚われてしまえば出ることは構造上不可能であった。内側に鍵が無いのは当然だが、外からも開けることはできない。アダマント製の剣でさえ傷一つ付けることはできない重金属質の壁で出入り口は封鎖されていた。

 非人道的で残酷冷徹、だからこそこの独房が造られてからここに囚われることになった人物は二人しかいない。一人は名前を出すのも憚れる存在、三代目反逆の魔王。即位するなり前代魔王であった自身の父を殺し、当時の元老院を血祭りにあげ、多くの魔族を迫害虐殺し、魔界を混乱に陥れた。結果、何重にも封印術式を掛けられて、アスカラン地下牢獄に収容された。それから数百年もの時が経つことになるが、未だその魂は悠久の牢獄から抜け出せていない。

 そしてその反逆の魔王と同じくここに囚われることとなった人物がもう一人存在する。

 六代目勇者レジス・ヘルビトス。六代目、とあるように、七代目勇者エイジの先代勇者である。整世教会が当時の魔王を暗殺するため自ずから教育した存在で、予想できるように思想が人族中心主義的に染まっていた。命じられるがままに、否、命じられずとも喜んで魔族を虐殺し、その数はエイジとは桁が違うほどだった。流石に見るに堪えず忠告した自身の仲間ですら手に掛け、その勢いは収まることがなかった。ついに彼は魔王城の城下町まで辿り着き、そこでも虐殺の限りを尽くした。しかし、そこで待ち伏せしていた十一代目氷結の魔王クラディオによって拘束され、アスカラン地下牢獄に放り込まれることになったのが十年ほど前のことである。

 アスカラン地下牢獄が造られてから数百年も経つというのに、ここへ隔離されることになった存在はたったの二人だけであった。

 だからこそ、そこに三人目の姿が現れたのはあり得ないことだった。

「――起きろ」

 そう言葉にするのは、黒いローブを纏った男だった。顔は暗闇に紛れて全く見えない。

 それは本当にあり得ないことだった。アスカラン地下牢獄は牢獄として考えると完璧なもので、中から外へ出るのはもちろん、外から中へ入ることも不可能な構造をしている。どうやって男は独房に侵入したのか、いつから男がそこにいるのか、誰にもわからなかった。

「起きろ」

 男は先ほどと同じ言葉を繰り返す。しかし、静寂が返ってくるだけで、期待外れだとばかりに男は溜め息を付く。

「はぁ、聞こえてんのかァ、勇者サマよぉ? まさかこんな独房に閉じ込められて数年で、頭をいっちまったのかァ? 軟弱だなオイ」

 男が語り掛けたのは、その独房の主人だった。壁に四肢を固定された囚人。完全に自由を奪われている彼は、心臓の鼓動一打ちすら聞こえず、生気を全く感じさせない。しかし、存在を主張するように、ゆっくりと顔を上げ、そこにいるはずの黒ローブの男を見据えた。

「――喋り掛けるな、魔族」

 存外に冷たい言葉を被せられた男は、大げさに肩を竦める。

「つれないねェ、勇者サマよ。あるいはこう呼んだ方がいいかァ? 六代目勇者レジス・ヘルビトス」

 レジスと呼ばれた彼は嘲るように笑った。

「はっ、今さら俺に何のようだ、魔族。まさかここから出してくれるとでも仰るつもりか?」

「そうでもなければ、こんな息苦しい場所に来るワケねェだろ?」

「……お前、俺がしたことを知っているのか?」

 レジスは大罪人だ。数え切れないほどの魔族をたった一人で殺した大罪人だ。だからこそ、ここに収容されその魂は永遠の地獄を彷徨うことになった。許されざる大罪人だ。その身分は課せられた拘束が物語っている。身体に巻き付けられた鎖は表面に魔法発動阻害と魔力強制吸収の術式が緻密に施され、壁へ拘束する楔は肉体を貫通するように打たれており、絶え間ない激痛を与え続けていた。それなのに顔色一つ変えずに独房へ籠り続けたレジスは、果たして正気を保っているのだろうか。そもそも、元から狂っていたのだろうか。

 常人ならば彼を解放させるなんて、天と地が反転したとしても想像できないだろう。

 しかし、同じく常人ではない黒ローブの男は肯定した。

「当たり前だろォ? まあいいや。とりあえずレジス、あんたをここから出してやる。その代わりにオレを手伝え」

「契約か? 俺を出してくれる救世主ってなわけならありがたい。だが、俺がそう簡単に――」

「裏切って当然だよなァ。わかるぜ、オレが魔族である以上、オレと対等な取引関係になるわけないだろう? 当然だ、当然……ゆえに、当然これは対等な対等な取引じゃあない。――十一代目氷結の魔王クラディオを殺したのはオレだ」

「――っ!?」

 孤独ですら激痛ですら生温いと感じていたレジスが、初めてその無表情を崩した。ぎょろりと血走った目でそこにいるはずの男を睨む。空気が軋むほど濃密な殺気を前にして、黒ローブの男は飄々とした態度を崩さなかった。

「それもわかるぜェ。オレ達は本当に似た者同士だからなァ。憎かったんだろ? お前をここにブチ込んだ野郎がなァ。憎くて、憎くて、憎い。いつかここから抜け出してその手で殺してやりたかったんだろォ? 光一筋すらない暗闇でも煮え滾る憎悪がオレには見える。殺して死体を弄んで冒涜するまで果てない憎悪……! だが、その切望が叶うことはない。オレがクラディオを殺したからなァ? 憎いだろ、オレが憎いだろ。この世界が憎いだろォ? オレがお前を縛るものはそれだけだ。これでお前はオレを裏切れない、間違えちゃいないだろ?」

 十年前、レジスは十一代目氷結の魔王クラディオに敗北した。正面から戦い、手足も出ないまま負けて、氷漬けにされて、ここへ封印された。為す術もなくいいようにやられたあの瞬間は魂に刻まれた屈辱だった。この暗闇の中でレジスは彼に復讐することだけを考えて過ごしてきた。

 いつか、クラディオを殺す。

 魂が軋むほどの劣等感と、魂に刻み込んだその決意だけが、この暗闇の中でレジスを支えた理性と狂気の綱だった。

 しかし、氷結の魔王クラディオは眼前の男に殺されたという。

「本当にお前が、殺した……のか?」

 噛み締めるように言葉を吐く。闇の中に立つ男からの返事はなかったが、レジスはそれが事実なのだと直感した。そして、男が沈黙で何を言わんとしているのかさえ。

 レジスはそれまでの殺気を収め、不本意そうな声で答えた。

「……なるほど、憎悪の契約か。確かにそれが事実だとすれば、俺はお前に抗えなさそうだ。仕方ない。おとなしくシャバの空気でも吸いに戻るか」

 実質の脱獄宣言を前に、黒ローブの男はにやりと妖しく笑った。その数刻後、独房から囚人の反応が消失することになる。六代目勇者レジス・ヘルビトスの行方はまだわかっていない。


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