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リメイク中作品 ver5  作者: 沿海
3章 憎しみは真理にあらず
61/99

61 VS, 守護者(1)8053

 暗い。とにかく暗すぎて気を抜いてしまうと、階段を踏み外してしまいそうだ。

 しかし、光素を使うことはできない。いや、使うことはできるのだが、なぜかここだと簡単な魔法であっても消費される魔力量が多い。たった数秒ばかり光素を指先に灯しただけなのに、少なくなったとしても常人よりも多い俺の魔力が、半分ほど削られたのだ。諦めて進むしかなかった。

この先、何があるのか分からない。だからこそ、魔力は温存しなければならなかった。

 眼前は漆黒に包まれ、俺は壁と段差の気配を頼りに、慎重に階段を下り続ける。

「おい、小僧。なんか話題とかないか?」

 階段を下り始めて早五分。変化が全くない景色に飽きたらしく、俺の隣を歩いていたファイドルが、続いていた沈黙を破る。

「は、はあ? 話題って、どんな?」

「何でもいい、とにかくこの退屈さを紛らわしてくれればな。小僧がしてきた冒険譚でもいいし、コズネスだかいう街の観光名所の話題でもいいし、エリア嬢ちゃんとの関係についてでもいい」

「んな無茶な」

 ファイドルの声には、珍しく張り詰めたものが混じっていた。確かに、ただ沈黙のまま歩いていると、この暗さと静寂に飲まれそうになる。音が響かず、魔力の感覚も鈍るこの場所は、現実と夢の境のようだ。俺は必死に話題を探した。

「……この先、もしかしたら過去の魔王に出会う可能性があるんだよな?」

「ああ、そうだ。どこまで本当なのかは知らんが」

 石の階段を踏みしめる音だけが、長い沈黙の中にこだましていた。その階段の先がどこに続いているのかも見えず、ただ深い暗闇が下へ下へと続いているだけだ。僅かに湾曲しているようで、どうやら螺旋階段になっているみたいだ。

「となると、歴代の魔王について基本的なことを聞いておきたい」

 ファイドルの足音が、一瞬だけ止まった気がした。

 その気配の揺らぎから、彼が慎重に言葉を選び始めたのが伝わってくる。

「そうだな……数百年前の魔王にもなると、あくまで伝承と記録と妄説の綯い交ぜだが、それでもよければ話してやろう」

「頼む」

 返事をすると、ファイドルは再び歩き始めた。足音は石と皮革の鈍い接触音を交互に響かせ、暗闇の中で律動を刻む。

「まずは初代原初の魔王ヴェルゼ。その名のとおり、最初に魔王の座についたとされる存在だ。伝説によると――大地を浮かべ、火山を凍らせ、空を裂いたなんて逸話もある。まるで世界そのものを作り替えたような、規格外の魔王だったらしいが、何も数百年前どころか千年前のことだ。そもそも実在していたのかさえ怪しいものだ」

「記録もないのか?」

「ああ、ほとんど残っていない。文献の多くは時代の混乱で失われたらしい。今となっては、祭壇や石碑に彫られた断片的な名前と、いくつかの口承しかない。それでも魔族の多くはヴェルゼはいたと信じてるよ。伝説があまりに壮大すぎて、逆に否定しようがないんだ。たとえば俺ら地霊族の村は縦穴洞窟にあるが、明らかに自然のものとは思えない。伝説通りの存在なら、原初の魔王ヴェルゼが洞窟を造ったとしても納得できる」

「なるほど」

 背後の闇が深く、足元が自分の影にすら呑まれていく。温度のない空気が、まるでヴェルゼの記憶そのもののように掴みどころなく漂っていた。

 ファイドルの話だと他の魔王は既に加護を与えているようで、加護を得るなら原初の魔王ヴェルゼ以外は不可能とのことだったはずだ。彼が実在していることを願うばかりである。ファイドルは言葉をつづけた。

「二代目聡明の魔王アンネローゼも直接的な記録は残っていないが、原初の魔王とは少し事情が異なる。こっちは実在してたって言い切ってもいい。少なくとも証拠が残ってるからな」

 ファイドルは、階段を下りながらふと上方を顎で示す。

「たとえばエリア嬢ちゃんも話してたろ? あの庭園――この上にあったやつだ。あれもアンネローゼが造ったって言われてる。あの造形、魔界の常識からは外れてたが……逆に聡明の魔王が造ったって聞くと納得できる。技巧と魔法を極めた魔王だったからな。伝説じゃ、失われた大昔の魔法すら趣味で扱ってたらしい。どんな趣味だよって話だが。それにな、エリア嬢ちゃんに加護を与えてるのもアンネローゼだからな。少なくとも、名前だけの神話とは違って、実体を残した魔王ってわけだ」

 俺は静かに頷いた。エリアも本人とは夢の中とかで会ったことはないみたいだが、実在したのは事実なのだろう。

「……さて。次は三代目だが、こいつの話は……正直、あまり口にしたくはねぇ」

「どうして?」

 問いかけた瞬間、ファイドルの気配が一拍遅れる。足取りは変わらないが、空気に僅かに迷いが混じった気がした。彼は珍しく言い淀んだ。だが、結局は肩を竦めて続けた。

「――三代目、反逆の魔王イシュルヴァ。名の通りだ。反逆に次ぐ反逆を重ねた魔王だよ。誰に対してってか? そりゃあ、自分の同胞にだ。魔王の名を冠しながら、奴がしたことは……大半の魔族にとって忘れがたい悪夢だ」

「まさか、同胞を……殺したのか?」

 言葉にするのも恐ろしいが、それが現実だったのだと、ファイドルは肯定する。

「大量にな。気に食わねぇ血統、気に食わねぇ思想、ただ顔が気に入らねぇって理由だけで、魔族を狩った。自分こそが選ばれし者で、理想の魔界を創るとかほざいてな。その実態は、血と火で染まった粛清の嵐だった。……あの時代の記録は、意図的に破棄されたものも多い。語り継ぐ者も少ねぇ。だが、確かに存在した。小僧がエリア嬢ちゃんの騎士であるなら、知っておけ」

「……そのイシュルヴァは、どうなったんだ?」

「倒されたよ。次の四代目魔王にな」

 そこでファイドルは少し口元をほころばせた。先ほどまでの重苦しい空気とは違う、どこか誇らしげな色が混じる。

「四代目明滅の魔王アラマサ――異形の武器を扱い、光が瞬くよりも早く相手の懐に潜り込む実力者で、近距離戦闘力では歴代魔王最強と言われている。彼はイシュルヴァの狂気に終止符を打った。血で血を洗う時代を終わらせ、真っ二つに分断されかけていた魔界を一つに戻した英雄でもある」

「イシュルヴァは……死んだのか?」

「いや。奴はアスカラン地下牢獄ってとこに封印されている。今もずっとだ」

 背筋がひやりとする。階段の奥には、ただの魔王の遺産ではなく、今も目を覚ましかねない狂気が封じられているというのか。

「今も?」

「ああ。滅ぼすには、あまりにも危険すぎたんだろう。魔王城の地下深くにある牢獄、あそこに封じることでしか、世界との隔絶を果たせなかったって話だ。……俺は行ったことはねぇが、聞いたことはある。あの牢獄では、時の流れさえ鈍るという。外界からの干渉さえ受け付けないらしいから、目覚めることはないだろうな」

 そこでファイドルはふと、少しだけ声を低くする。

「……まあ、イシュルヴァが蜥霊族だったってのも、いまだに尾を引いてる。先代魔王暗殺事件の時、俺を含んで色んな奴にその容疑が移り変わったが、最終的にあの一族だからってことで、蜥霊族が槍玉にあげられた。実際には、証拠なんてまともなもんじゃなかった。ただ、イシュルヴァがそうだったってだけで、決めつけられたんだ。誰もが不安と恐怖に取り憑かれてて……犯人がいてくれた方が楽だったんだろうな」

 どこかで雫の音が落ちた。水か、血か、それとも……ただの錯覚か。

 そこでファイドルはわずかに息を吐く。怒りでも、嘆きでもなく、諦めに近い吐息。

「――結局、蜥霊族は滅んだよ。容疑は晴れないまま、疑いだけが積もり積もってな。だから、俺たちには今更かも知れねえが真犯人を見付ける義務がある。なんとしてでもだ」

「…………」

 その声には、どこか悔しさと、それでも折れなかった意志が滲んでいた。

 俺が何と声を掛けるのが正解なのか考えていると、空気の流れが前髪を揺らした。

 風、なのだろうか。肌を撫でる空気の温度が変わっていた。階段の終わりが、近いのだと直感した。

 ファイドルも気付いたらしい、ふっと彼は息を吐いて、重い空気を霧散させた。

「重苦しい話はやめだやめだ。……っと、それよりも着いたみたいだな」

 続いていた階段が途切れ、どこかの空間に当たったようだった。

 とてつもなく広い。

 薄暗い空間が眼前に広がっている。

 奥は暗闇で見えない。

「なんだ、ここ」

「小僧、俺に聞いてもわかるわけないだろう?」

 無機質で硬い床。ありえないほど冷たい空気。

 地上と雰囲気が違う。重々しい圧がそこにはある。

 暗闇の中から敵が現れてもおかしくない。何が起こっても反応できるように、俺とファイドルは並んで剣を構えながら、すり足で前進する。ゆっくりとゆっくりと、前へ進む。しかし、何かが起こる様子はない。

 仕方ない。魔力消費が多くなってしまうが、暗闇の奥に何があるのか確認をしよう。移動中に多少は魔力を回復できていたから、一回ぐらいの魔法なら大丈夫だろう。

光素召喚サモンシャインエレメント――」

 だが、その詠唱は最後まで続かなかった。想定していなかった現象が起こったからだ。

 瞬間。

 ぼっ、と。

 青い灯が、唐突に、何の前触れもなく、ただ世界を切り裂くようにして点いた。

 場所は遥か前方の左右。どこまでも広がるかに思えた漆黒の海に、ひとつ、裂け目ができたようだった。

 それのお陰で、やっと左右がどれだけ広いかがわかった。壁まで百メルはある。どれだけ広いんだ。

 ぼっ、と。

 青いそれが隣に灯る。

 ぼっ、ぼっ、と。

 連鎖するように、青白い光が等間隔に灯りはじめる。まるで誰かの歩幅に合わせて、世界が目を覚ましていくかのように。

 ぼぼぼっと遥か彼方にある天井付近でも光が点いた。巨大なシャンデリアだろうか。

 そして――

「……なんだよ、あれ」

守護者ガーディアンだな。クラディオから聞いていたが、これは……」

 青い光が、広間の奥をあらわにした。動いてすらいないのに、生きていると錯覚するほどの威圧感を持っていた。

 暗闇から現れたのは、体長五十メルは軽く超えるだろう巨大な像。

 人型、なのは何とか理解できる。だが、異質な見た目だ。四角い頭部。角ばった胴体。無骨で直線的すぎる手足。あまりに粗雑で、全てが人体と似て似つかない。まるで子供が土を固めて造ったような不格好さが前面に押し出ている。材質は石なのか、何なのか。とにかく、その質量は莫大なものだろう。身体の表面は苔に覆われており、長い年月ここにあることを示していた。

 俺がぽかんとそれを眺めていると、像の頭部にあたる場所で赤い光がちかりと二つ瞬いた。

 ――眼だ。

 ぎぎっ、と不気味な異音が鳴り響いた。

 関節部分にも光が灯り、血管のように脈動する青白いラインが走る。

「……まさか、動くのか?」

 ありえない。

 その言葉は声にならず、喉の中で木霊する。

 巨像が一歩を踏み出す。

 たったそれだけの動作で、世界が震えた。

 唾を飲み込もうとしても、喉が粘ついて動かない。

 ありえない。

 炎龍イグニスドラゴンならまだ納得できる。

 だが、あの像は生物ではないのは明らかだ。

 二歩目。広がる振動と轟音。

 動く巨像に対して、俺は指先さえ動かせなかった。空気は乾いているのに、なぜか呼吸が詰まる。息を吸うたびに、肺の奥がじんわりと冷えていくような感覚。

 その一体が腕を振り上げ、そして、斧のように振り下ろす。迫る拳。

「――小僧!」

「ッ!」

 ファイドルの声が俺に自我を取り戻させた。

 さもなければ、俺は動けなかっただろう。

 身体を跳ねさせるようにして、俺は後方へ飛ぶ。すんでのところで避けきった拳が、床を抉り取る音が耳を裂いた。

 ずどんっ、と眼前すれすれの床に巨大な拳が叩き付けられる。危なかったと安堵する間もなく、避けようがない衝撃波に足を取られる。体勢が崩れて――

「しっかりしろ、小僧!」

 がっしりとしたファイドルの腕が、俺の身体を支えた。そのまま彼は俺の身体を手荷物の如く脇に担ぐと、階段の場所まで後退する。

「死にたいのか! 何のためにここへ来た! 強くなりたいんだろ、あれぐらいで竦むな!」

 怒声が、稲妻のように頭蓋の奥底を焼いた。凍りついていた血がぶわりと脈打ち、手足へと命が還る。

「……すまん、少し我を失っていた。もう大丈夫だ」

「しっかりしろよ」

 そう言って、ファイドルは俺の身体を静かに地に下ろした。

 だが、瞳の奥には怒気ではなく、むしろ焦燥が滲んでいた。あの一撃が、寸分の差で命を奪っていたことを、彼は理解している。だからこその言葉だった。

「いいか、小僧。俺も半信半疑だったが、守護者ガーディアンの話はクラディオから聞いている。どうやらあいつはこの先を護っているそうだ。小僧、あそこが見えるか?」

 クラディオの指で指し示された先を、視線で辿る。

 この広間は縦三百メル横二百メルと、ありえないほど広い。

 そして、その向こう側の壁、つまりここの対角線上にぽっかりと穴のようなものが見える。それがこの地下に存在する唯一の出口にして関門であることを、空気そのものが語っていた。

「俺の予想だと、あの先に小僧の求めるものがあるはずだ。要するに、小僧は守護者ガーディアンの攻撃を掻い潜ってあそこへ辿り着く必要がある。俺が隙をなんとか作るから、本気で走れ。わかったか?」

「あ、ああ」

「なら、共に飛び出すぞ。俺の背中に付いてこい」

 俺とファイドルは揃って階段から走り出す。必然的に魔族でありかつ加護持ちのファイドルが先を走り、その後ろを俺が追うようになる。足の裏に石の硬質な感触。鼓動が足音に混じり、脳を震わせる。

 広間の中央付近へ至ったときだった。

 ――気配が、変わった。

 風が動く。地が震える。空気が、重くなる。

 あの巨像が、こちらを認識したのだ。五十メルを超える異形の巨体が、前のめりに姿勢を落とし、鉱山の崩落のような鈍い音と共に拳を薙いだ。その拳の軌道は、地面ぎりぎり。まるで大地をなぞるようにして押し潰してくる。

「――朱閃」

 ファイドルが踏み込み、大剣を振るう。古代流派剣術オルドモデルの輝きを宿し、肉迫する巨大な拳と激突した。鈍い衝撃音。ファイドルはその巨体から発生するエネルギーを全て一身に受けて後方へ吹き飛ばされたが、確かに、守護者ガーディアンの動きが逡巡で僅かに止まった。

「行け、小僧!」

 ああ、と返事を返して、俺はその横を通り過ぎる。

 疾走。

 心臓が限界を越えて鳴り響く。でも、全力で走らなければならない。

 守護者ガーディアンは標的を俺に決めたのか、こちらを向いたのが気配で感じた。

「――風素召喚サモンフレイムエレメント加速補助エイドアクセレイション全開放フルバーストッ!」

 詠唱が、魂から迸る。魔力が燃えるように消費され、両脚に灼熱の力が注がれる。風が爆ぜる。一歩踏み出すたび、身体が疾風のように加速していく。

 だが、それでも足りない。

 届く足音が後ろから迫る。

 それもそうだ。俺の十倍以上も守護者ガーディアンは背丈が高いのだ。その歩幅も俺を遥かに越えるのは考えべくもない。

 目指す壁はまだ百メルほど先だ。辿り着く前に追いつかれる!

 何か、手段はないのか。

 距離を稼ぐ。隙を生み出す。何でもいい、どうにかしなければ踏み潰される。

 魔力は残り僅か。高威力の魔法はもう使えない。

 風魔法の暴発を誘導して、無理やり前へ進むのはどうだろうか。いや、だめだ。間違いを犯せば、俺の身体が地面に叩きつけられるだけで、行動できなくなる。

 自身に手段がなければ、周囲の環境を活用しなければならない。

 ほとんど耳元で感じる足跡に焦りながら、俺は狭まっていた視野を必死に広げる。

 そして初めて気付く。

 ばしゃり、と。

 水。

 走る俺の足元に水溜まりができている。なぜ。

 その出所を視線で辿ると、いくつもの白い結晶のようなものが聳え立っていた。

 氷だ。

 記憶と記憶が繋がり、納得を得る。つまり、あれはエリアの父親である氷結の魔王クラディオと守護者ガーディアンが行った戦闘の名残だろう。この広間に来て始めに感じた冷気は、ここから漏れてきていたのだ。床を凍らせて滑らしたのか、奴の足ごと凍らせて動きを封じたのか。どちらでもいい。これを活用できるだろうか。

 まるで加速魔法が俺の疾走力のみならず思考力まで加速しているのかと勘違いするほど、刹那の間に考えが何重にも巡る。

 あの氷の塊を背にすれば、守護者ガーディアンの攻撃を防げるだろうか。防げるかもしれない。しかし、あそこまで移動するのに、どれだけの時間が必要なのか。間に合わない。なら、そこから溶け出したであろう床に広がる水溜まりは活用できるだろうか。

 脳裏で奇策が構築された。――できる。

 俺の後方で大きく風が動いた。守護者ガーディアンが拳を振り上げたのだ。

 俺は残り少ない魔力を全て消費して、最初で最後の賭けに出る。

熱素召喚サモンフレイムエレメント物体加熱ヒートオブジェクト過度オーバー瞬間モーメント広範囲エクステンシブ全開放フルバーストオオォォッ!」

 喉が裂けそうな叫び。魔力を、限界まで捻り出す。ありったけの魔力を注ぎ込み、ありったけの装句を込めて詠唱した魔法の効果は果たして。

 呼び出されし熱素が足元の水溜まりを瞬時に蒸発させ、辺り一面を白い帳で埋め尽くす。

 視界が刹那のうちに白色だけで満たされ、何も見えなくなる。だが、それは守護者ガーディアンも同じだ。

 俺の姿を見失った守護者ガーディアンが、拳をあらぬ場所に降り下ろした。

 ズドン、という衝撃波が背後で響く。白濁の霧の向こうで、拳が空振りに地を撃ち、地響きが身体を貫いた。

 白い海を越えれば、目的地はすぐそこだ。勢いそのままに、俺は壁にぽっかりと開いていた穴へ飛び込む。

 風が一瞬、耳元で消えた。壁を越え、俺の身体が闇に包まれる

 思わず一筋の汗雫が、ぽたり、と頬から落ちる。

「……助かった、のか?」

 身体の力が抜け、膝が崩れそうになる。息は荒く、肺が焼けるように熱い。

 魔力はすっからかんになってしまったが、命は助かったのだから他に望むことは何もない。

 振り向く。守護者ガーディアンの瞳に俺の姿が映る。屈んで片目でこちらを覗き込んでいるが、その巨躯に対してこの穴は狭すぎるため、手も足も出ないようだった。

 危なかった。あと少しでも遅かったら、詠唱を一句でも噛んで言い間違えてしまっていたら、床に赤い染みを作っていただろう。人体ぐらいなら無造作にでも潰せる質量を、あの守護者ガーディアンは持っていた。俺をここへ辿り着かせるために、わざわざ隙を作ってくれたファイドルには感謝しかない。彼は逃げることができたのだろうか。無事でいてくれればいいのだが――

「まあ、それはともかく」

 俺は守護者ガーディアンが護っていた穴の奥を見た。

「……冗談だろ」

 そこには、また階段があった。

 まるで、この地の深淵が底を見せるつもりはないと言わんばかりに、またもや階段が見た限り湾曲しながら続いていた。それならその目的地が見通せそうなものだが、暗すぎてどこまで続くかわからなかった。いったい、あの中庭からどれほど下へ降りることになるのか。

 不安だ。この先に何が。

 しかし、俺には先へ進むしか道が残されていない。とりあえず俺は階段を降り始めた。


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