2話 ロールプレイング・ウラシマ
そういうわけで、僕は浦島太郎の世界に突入して、あろうことか浦島太郎張本人になってしまったのだけど、一旦亀を助けるのは後回しにさせてほしい。流石に急展開過ぎて頭がついていけないからだ。
『イヤイヤ、タスケロヨ、カメヲ。』
「え、なに!?」
どこからか、機械的な無機質な声が聞こえた。その声は拡声器を通して喋っているようで、頭に響く。しかし周囲を見てみても、声の主は見つからない。
『ワレハ、ガイドダ。コノセカイニツイテ、サイテイゲンハ、オシエテオコウト、オモッテナ。』
「どこから…声を出してるんだ…?」
『クチカラニ、キマッテルダロ。ナンダ?ハラカラコエダセ、トカイッチャウタイプ?』
その煽りでなんとなく分かったけれど、この声の主はあの書見台に文字を書いた者と同一人物だ。
『トリアエズ、コノセカイハ、ウラシマタロウノセカイダ。アノダイザニモノガタリヲオクト、ソノモノガタリノナカニ、ハイレルノダヨ。ワタシカラノセツメイハ、オワリダ。セイゼイタノシムンダナ、コノセカイヲ。』
なんだか説明が少なすぎる様な気がするが、分かった。しかしもちろん分からないこともある。それは、この世界からの脱出方法だ。あるいはこれが夢で、覚めるまで待てばいいのかもしれないけれど、一旦言われた通り、シナリオを進めることにした。
僕は虐められている亀に駆け寄り、虐めている三人の男児を睨みつけた。
「おいお前達、亀をいじめるんじゃない。」
普段の僕なら、人がいじめられていても見て見ぬふりをしてしまうのだけど、浦島太郎という存在のロールプレイとしてならば、迷いなく行動できるのだった。
少年達は、自分達より倍の背丈の男に睨まれて怒鳴られると、途端にその顔を青ざめさせて「すみませんでした!」と言って一目散に駆けて行った。その場に残されたのは僕と亀のみ。亀はその顔を僕に向けた。
「大丈夫か?さ、早く海に帰りな。」
僕は亀の前足と後ろ足の間を持って、砂浜の、波が打ち付けているところまで持って運んだ。亀の重さは一般的に百キロ近くあるらしいのだけど、それが持ち上げられるのは、まあこの世界が虚構だからなのだろう。浦島太郎がガチムキムキの可能性も捨てられないけれど、だったら絵本にガチムキムキ浦島が描かれていないのはおかしい。
海の方を向けておいたのだけど、亀は足をバタバタさせて、何とか頭をこちらに向けた。
「いやはや、彼らの攻撃は全く効いていなかったのですがね、あのままだと干からびて死んでしまうところでしたよ。」
妙に色っぽいダンディな声で喋りだしやがった。確かに絵本の中じゃ声までは描かれないけれど、流石にこの不意打ちは笑いそうになった。
「助けてくださりありがとうございます。お名前をお聞きしても?」
「ああ、きむ……浦島太郎だよ。」
「きむ浦島太郎さんですか。」
「いや、浦島太郎だ。」
「いや浦島太郎さんですか。」
「浦島太郎だよ。」
見事な禅問答を披露しつつ、僕はその場から離れて行った。
『数日後、浦島太郎はいつも通り、釣りをしていました。』
「え?」
と、先程砂浜で亀と別れたばかりだったはずなのに、いつの間にか僕は、海に向かって釣り糸を垂らしていた。いや、確かにこの数日の記憶はぼんやり、うっすらあるのだけど、過ごした記憶もあるのだけど、まるで遠い記憶のように、全然思い出せない。というかさっきのナレーションの声は何だったんだ。
一瞬の内に時間が経つ感覚、これはまるで―――
「浦島太郎さん、お久しぶりですね。」
聞き覚えのあるダンディな声が、海の方から聞こえた。しばらくすると、緑色の亀が、波の下から姿を現した。
「先日は助けていただきありがとうございました。このことを姫様に報告したら、ぜひ直接会ってお礼を言いたいと。ですので、よろしければ、竜宮城へお連れします。」
良く知っている展開が来たな、と思うと同時に、僕は浦島太郎の物語を思い出していた。竜宮城に行って帰ってきたら、何百年も経ってて、玉手箱を開けたら老けてしまう、そんな話だった覚えがある。うろ覚えだけど。
この話から学ぶべき教訓として、人の約束はちゃんと守らないといけない、というものがあるが、鶴の恩返しの方がより分かりやすく、無駄なくその教訓を体現してくれてると思う。じゃあ浦島太郎の物語は、どうして存在しているんだ。
「…浦島太郎さん?」
「あ、ああ、ぜひ行くよ。」
目の前の海ならず、思考の海に沈んでいた。僕は偶に考えすぎる。考えすぎて、周囲の事を忘れてしまう事がある。街中で見かけた飲食店の、看板に描かれたロコモコ丼を見て、いったいどういう意味なのか、立ち止まって二十分も考え込んでいた事もある。店の人に声を掛けられて、急いでその場から逃げたけど。
考えながら、亀の甲に乗った。
「では、竜宮城まで、出発進行!」
声だけはとても勇ましく、しかし亀は、砂浜でヒレをバタつかせるだけで、ちっとも前に進まなかった。
「ふっふっ……ふん…ふぬぅ…!ぬあ……!ぬおぉ…!」
「……少し運ぼうか?」
「あ、ああ、ぜひそうしてもらえると助かる。」
亀から降りて、以前と同じように前足と後ろ足の間を抱えて持って、最低限ヒレが機能する波打ち際の少し奥まで運んだ。そして再び、亀の甲羅に跨った。
「改めて、竜宮城へ、出発!」
なんだか少し不安な気持ちはあれど、僕は亀の甲羅に乗ったまま、海の底へと誘われた。