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美しくあることが難い

 一週間というのは曖昧だけど一瞬だ。

 結局のところ、変わったことと言えばウルリケの行動くらいでそれ以外はいつも通りだった。

 あっという間にやってきた適性儀式の日は朝から雨が降っていた。

——今迄の歴史では一度もオクトに雨が降ったことがない。そういえば向こうでは日にちの呼び方も違ったな。オクト、だと八月って言うんだっけか。

 窓の外を見つめて、ウルリケは手を握りしめる。少しずつ前世の記憶が馴染んで溶けてきていた。

「オクトなのに雨が降るなんて……」

「誰かが祝福されたのかもしれないわね」

 季節外れの雨をここでは誰かが祝福を受けたとして、愛していた。けれどもウルリケの憂鬱な気分はその程度では晴れなかった。

「ズザナ、そろそろ」

「ウルリケお嬢様、ドレスを選ぶと楽しくなりますわ。少しだけ見に行きませんか?」

 ズザナに優しく声を掛けられ、ウルリケは今迄どんなにワガママだったのか改めて実感する。些細な言葉の端々に癇癪を起こさないような気遣いを感じて肩を落とした。

——そうだ。私はずっとワガママだった。胸の中に、記憶の中にその感覚がある。でも……それを抑えなきゃいけない。

 深呼吸して、両手を開いては閉じて、ウルリケは広い衣装室に向かう。そして普段より多くドレスが並んでいることに気付いた。

 いくつもある沢山のドレスはその日、その瞬間で直ぐに気分が変わってしまうウルリケのために用意されたもの。本来ならば何日も前から一つのものだけに決めておくのだが、ウルリケはそれが出来なかった。今回もそうなるのを避けて数を増やしたのだろう。

 どんな癇癪が起きても良いように離れた端の壁際で三人のメイドが立っているのをみて、ウルリケは溜息を()く。

——今迄の私なら気に入らないと服を破ったし、手に取れるものを投げた。でも今はしない。

 前世を思い出すのは悪いことばかりではない。あって当たり前のもの、些細なことに感謝の気持ちが浮かぶようになっていた。

 ウルリケは改めて深呼吸してドレスを見つめる。

 豪奢で派手な子供らしくないドレス、リボンやフリルが沢山ついた可愛らしさを重視したドレス……どれもが目立ちそうなもので、静かで落ち着いたものは二着しかなかった。

「これにする」

 手に取ったのは深い緑のマンチュアと呼ばれる型のドレスを子供用に少し裾を短くアレンジしたもので、今迄一度も選んだことのない傾向に、メイドたちの息を呑む音が響く。

「髪はおろしてほしい」

 頷いて準備を始めるデリアとズザナに付き従うメイドたちを見つめて、ウルリケは深呼吸する。

——今日がきっと私の運命の日。


=■■=■■=■■=


 全ての準備を終えて、玄関まで向かうと既に父が待っていた。

「ウルリケ」

 ウルリケを優しく抱き寄せて腕の中に収めて満足気に微笑む姿に、胸がじんと熱くなる。

 こうして無条件に愛してくれる。もちろん今迄通りでも。けれどもそれではいけないのだと確信していた。

「そうだ、ウルリケ。今日から専属の護衛騎士をあげようと思ってね」

 父の視線の先を見つめれば、薄緑の髪を一つに結んだ女性騎士が立っていた。尖った耳と細い線のような瞳孔の瞳が人間とは異なる種族であることを示す。その容姿にウルリケはとても見覚えがあった。

——漫画では国に対する忠誠心の高さで私を最初に裏切った人。この子の所為で私の情報が筒抜けになって、悉く失敗した。

 騎士としての敬礼をする彼女をじっと見下ろす。

「名乗りなさい」

「お嬢様、初めまして。アイシェ・アストゥラビィです」

「彼女は五年前の戦争で武勲を立てて、男爵位を授かったんだ。我が家の騎士団長が次期団長候補に指名しているくらいに実力がある凄い子なんだよ」

 ビナー侯爵家は代々外交官として国を支えているが、その分危険な地域に赴くこともあるし、狙われることもあるので国で二番目に強い騎士団を抱えているのだと設定資料に書いてあった。ウルリケはそれを思い出しながら、その黄色い瞳をじっと見つめる。

「綺麗な瞳」

 びくっと肩を震わせた彼女に向けてくすりと微笑む。

——別に前みたいにそれをちょうだいとか言わないよ。あれだけ怒ったのに結局もらえなかったし、あんまり言ってたからその人辞めちゃったし……気に入ってたんだけどなぁ。

「ダッド、早く行こう」

 直ぐに興味を失ったことに驚いたのか、目を見開く父とアイシェを交互に見つめてウルリケは父の襟を引く。

「急いでも逃げないよ」

「そうだけど」

 滅多に屋敷の外に出ることが出来ないので、ウルリケは早く外に行きたかった。

 使用人のお陰で雨に濡れることもなく馬車に乗り込むと、窓に張り付く。

「ウルリケ、あんまり窓に近いとぶつけちゃうから」

 父に引っ張られて、渋々窓から離れる。

「ビナー卿、本日は教会側の——」

「いつも通りデリアとズザナも乗ってくれると助かるよ。私一人だと大変だからね」

「かしこまりました」

 普段よりも上品なドレスを纏うデリアとズザナが向かいに座るのを見届けると、父の合図で馬車は動き出した。

 上質な座面と整備された道のお陰で揺れや気持ち悪さを感じることなく、ぐんぐんと進んでいく。

——改めてちゃんと見ると綺麗だったんだなぁ。家が豪華だからつまらなかったけど。

 前世で見たローテンブルクのようにカラフルなレンガ造りの街並みを抜け、人の流れがある広場を通っていく。雨だというのに人々は濡れることを厭わず、忙しそうにしていた。

「そろそろ城門を通るよ」

「え、もう」

 王城付近で勤務する貴族はみな、城の近くにある貴族街に居を構えていた。お陰で馬車で少し走るだけで直ぐに王城に着いてしまう。ウルリケはもう少し外を楽しみたかったが、ここでワガママになるのは違うと手を握った。

——領地にも行ってみたいな。

 王都から少し離れたところにビナー侯爵領はある。ウルリケは一度も興味を持ったことがなかったがこうして気分を改めて外に出てみると、色々なものを見てみたくなった。

「今日は適性儀式の日ですから他のご令嬢も……」

 そのことでも話そうと視線を向ければ神妙な面持ちで話し合うデリアとズザナ、そして嫌そうな父の顔が視界に入る。

——今迄一回も他の家の子と遊んだことも会ったこともないから気になるんだろうな。

 父に連れられて第一王子を遠くから眺めたりすることはあったが、パーティーやお茶会に一度も出たことがなかったので、他の子供と遊ぶことは一切なかった。ウルリケは今迄そこに疑問に思うことはなかったが、何となく今日はそれが気になった。

「どうして他の子と遊んじゃダメって言うんだ」

「だって遊ぶ必要ないだろう。ウルリケはずっと家に居れば良いからね」

 にこやかに、穏やかに笑う父をじっと見上げる。

——何となく解っていたけど、私が似すぎているのがいけないんだろうな。

 ウルリケに良く似た母の絵を脳裏に思い起こしながら、デリアとズザナを見つめる。

「今日は他の人と話さない、勉強してないから。でも……私はちゃんと勉強したい。ずっと家にいるのはイヤ」

ガン

 ウルリケは思わず飛び上がって、向いの二人に張り付いた。そうして大きな音がした父の方をじっと見つめる。

「ダッド……」

 窓に思い切り頭をぶつけたらしい。心配そうにズザナが手を伸ばしているのを、父は首を振って何でもないと跳ね除けていた。

「ビナー卿、お嬢様も成長されて——」

「そうだな。そうだな」

 虚ろな瞳で俯く父を見るのが怖くて、デリアの胸に顔を埋める。

「本当に変わりましたわ」

「怖かったのかもしれないわ」

「そうね。気にしなくても良いのに」

 頭を撫でられてウルリケは目を閉じそうになった。寝てしまう、と慌てて首を振ってデリアを見上げる。

「今日はデリアとズザナは何処で待ってるんだ」

「そうね……。お嬢様に付いて行きたいけれど……」

 ちらりと父を見つめるズザナを見上げて、ウルリケは手を握りしめた。

 屋敷の外に出る時は必ず父に抱かれており、二回か三回程度しか歩いて外を回ったことはない。だから前回は脱走したのだけれども。

 今回もそうなるのだろうか、と首を傾げる。

「今日は外せない仕事があるから二人に任せるよ」

「かしこまりました」

 二人の声が揃うと同時に馬車が止まった。

 数度ノックの後に父が合図をして扉が開く。

「さて、行ってらっしゃい」

 デリアとズザナに手を引かれて馬車を降りた。

「私はこのまま仕事に行くから」

「いってらっしゃい」

 ウルリケが馬車に手を振ると、直ぐに走って行ってしまった。寂しさなのか少し泣きそうになる気持ちを振り払いながら、振り向いて姿勢を正す。そうして眼前に広がる純白で巨大な教会を目を見開いて見上げた。

——すご……てか外は雨降ってたのに、ここだけ晴れるんだ。大きな傘があるみたいだな。

「お嬢様、あんまり見上げていますとひっくり返ってしまいますわよ」

「うん」

 差し伸べられたデリアの手を握り、教会へと向かう。

 もう既に儀式は始まっているようで喜んだり、泣いたりしている子供が多く見受けられた。

「順番、待つのか?」

「待たなくて良いわ」

 手を引かれながらデリアとズザナを交互に見上げて数度瞬きした。

——そういえば二人は何歳なんだろ。見た目は三十歳とか、もうちょっと下にも見えるけど。

 すらりとした高い背丈と皺一つない美しい容姿はここ数年ずっと変わることがない。周囲の人間を見ても、少し年を重ねているのを感じられる者が多いので余計に気になってくる。

 前世の資料では脇役として名前などが載っていただけで、年齢も過去も書かれていなかった。

 ウルリケは聞いていいのか少し迷い、足を止める。

「お嬢様?」

「周り見てたら気になったんだけど……」

 首を傾げて視線を合わせるのにしゃがんでくれるデリアとズズナを見つめて、小さく頷く。

「二人っていくつなんだ?」

「七十二よ」

「え」

「元々時間の流れが緩やかな種族なの」

 ウルリケは思わず口を開けて呆然と二人を見つめる。

 その膨大な時間を何とも思っていないのか、二人は特に気にすることなく微笑んでいた。

「今度ちゃんと時間がある時話すわ」

「ええ、外の世界を知るのに一番良いタイミングにね」

 揃って手を差し伸べられて、ウルリケは二人の手に自分の小さな手を重ねる。

——私が十九と七で大人になった気分が全部溶けた……。そうか、二人からしたら私の癇癪は大したことなかったんだ。

 だからこそずっと隣に居て、味方で居てくれたのだと俯く。

「今度、話したいことがあるんだ」

『いつでも聞くわ』

 重なった二人の声に頬が熱くなった。何があっても、何を話しても二人は受け止めてくれると根拠もなくウルリケの胸に響いていく。

「さ、参りますわよ」

 デリアとズザナに手を引かれて教会の中へ歩を進めた。

 外観よりも広いのではと思えるくらいに荘厳な内部と、そのあまりの明るさに目が眩むようだった。

 そして中央に大きく鎮座する林檎の樹に視線が引き寄せられる。天井から降り注ぐ光を受けて、きらきらと枝葉を輝かせるその姿に息を呑んだ。

——これが主神と女神が出会った樹。人間だった彼女にこの樹の下で出会い、恋をして、彼女を女神にした。

 本物はこれほど圧倒的なのか、と手を震わせる。

 樹を囲うように円形に配置された椅子には数名の修道士が腰掛けて祈りを捧げており、それが更に美しさに彩りを与えていた。

——私ではないけれど、記憶の中の私が憶えているって叫んでいる。ここが本当に漫画の中だと伝えてくる。

 ウルリケは茫然と立ち尽くして、ただその樹を見つめていた。

「ようこそいらっしゃいました、ごきげんよう。ビナー侯爵令嬢、イソド辺境伯夫人」

 不意に声を掛けられ、ウルリケは遠退いていた意識を引っ張り声の方を向いた。

「ごきげんよう」

 デリアとズザナが寸分の狂いなく声と仕草を揃えてカーテシーするのを見て、慌ててウルリケも続く。

——デリアとズザナが根気良く教えてくれていて良かった。挨拶も出来ないなんて、良い子じゃないからな。

 指摘されたり、指導されるのが嫌で何度もひっくり返って拒絶したが、諦めずに二人は教えてくれていた。ウルリケにとってあまり記憶に残ってはいないが、憶えているところでは四歳の頃からずっと。

「初めまして、教皇のイオアニスです」

「え」

 思わず声に出て顔を上げてしまい、慌てて姿勢を正す。

——確か聖女を見つけ出した人だっけ……重要部分じゃなかったからどういう人か解らないや。

 デリアとズザナに聞くために見つめると、二人に背を押されて前に出された。

「姉さんに良く似ていますね」

「ええ、ですからビナー卿がもう大変で……」

「それはそうでしょう。教皇になった弟にすら敵意を向けるぐらい愛してましたから」

 サラッと怖いことを言っていた気がするが気にせず歩を進めるイオアニスに付いて行く。

——多分これは今、突っ込むべきじゃない。あとで聞こう。

 教会の奥にある小部屋まで案内され、ウルリケは恐る恐る中へと入る。

 ウルリケにとって受けたくない気持ちが強くなっていたが、それでも逃げることはしなかった。

 白で統一された部屋の中央にはガラスの机と台座に乗った王冠を被った林檎が一つ。

 その隣にイオアニスが立ち、部屋の奥には王国魔法士を示すローブを深く被り顔を隠した魔法士がいた。

——これが女神の林檎……。

「あれは林檎の形をしているけれど素晴らしい魔道具なのよ」

「触るとお嬢様の持っている魔力が放出されて、相性の良い魔法が解るのよ」

 デリアとズザナに背を押されて、ウルリケは両手を握りしめる。

 期待に満ちた瞳で見つめるイオアニスの視線に思わず俯いた。

——きっと今迄の私ならわくわくしていた。だってそうだったもん。兄様達から話を聞いていて、私は二人よりもっと凄いのが手に入るって考えてた。

 解りきっている結果を知りたくなくて、それでも逃げたくなくて、ウルリケは手を震えさせながらそれに触れた。

 鎖のように重たくて羽のように軽い時間が溶けていく。

 何も起こらない。

 ただ真っ赤だった林檎の色がどろりと抜けて、緑になっただけ。

「まさか……」

 呆然とするイオアニスを見つめて、急いで手を離した。

——私には魔力がない。漫画の中でそう書かれていて、解りきっていたのに……何でこんなに悲しいんだろうな。

 純血の貴族なら魔力があって当然で、その有無で出自を疑われることもあるのだと書いてあった。

 ウルリケは泣きそうになる気持ちを唇を噛んで、手を握りしめて抑える。

「七人目ですか」

「まぁ、それでは色々と準備をしなくては」

「ええ、忙しくなるでしょう」

 気持ちが沈まないようになのか嬉しそうにするデリアに頭を撫でられた。

「帰る」

「そうね。でも少しだけ待っていてくれるかしら」

「外でも良いわ。大人のやることがあるの。でもアイシェから離れないのが条件よ」

 ウルリケは頷いて扉を開けてもらう。

 そうすれば直ぐにアイシェが腰を下げて視線を合わせてくれた。

「お嬢様、どうでしたか」

「なにもない」

「おお! では特別な祝福を頂いたんですね」

 キラキラとその瞳を輝かせるアイシェが眩しくて、目を背けて走り出したくなった。

 ウルリケは深呼吸をして、手を握り締めて暴れたくなる気持ちを静めていく。

——ダメだ。暴れちゃダメ。前みたいにしたらいけない。

 そんな姿を見てか、アイシェはゆっくりと立ち上がり廊下を掌で示す。

「この先に中庭があるそうです。とっても綺麗な花があるようで気になるのですが、お嬢様を守るには此処に居る必要があり……なので、一緒に見に行きませんか?」

「ふっ」

 わざとらしくぎこちない演技に、ウルリケは思わず吹き出して笑いそうになった。

「仕方ないな。私も花は好きだから見に行く」

 アイシェに手を伸ばそうとしたが、首を振られた。

「申し訳ございません。私は護衛ですので」

「そっか。手がふさがるのはダメなんだ」

 いつも誰かに手を引いてもらうことが当たり前で、ウルリケは宙を彷徨う手を見つめながら中庭まで向かう。

「アイシェは花なら何が好きなんだ?」

「故郷の花になりますが魔法使いの嫁(セレスト・セリーニ)という花が好きです」

「どんな花?」

「魔法使いが妖精の花嫁に贈った透明な花びらを持つ花なんです。夜になると月光で青く光るんですよ」

「なんだそれ、気になる」

「ただ、運ぶことが出来ないのでそこに行かないと見られないのが難点なのと、お祭りの時しか咲かないので時期が限られているんです」

「直ぐに見られないのに教えるなんて残酷だな」

「そ、そんなつもりは……いえ、ああ……確かに」

 わたわたと慌てるアイシェを見つめて、ウルリケはくすくすと笑う。

「嘘だ。いつか行けば良いんだ。ダッドなら連れて行ってくれるだろう」

「……ええ、そうですね」

 とても驚いて目を見開くアイシェを置いて、ウルリケは走り出す。目の前に中庭が見えていたのだった。

「真っ白だ!」

 白いデイジーが沢山咲き誇る姿にウルリケは目を輝かせて、腕を広げた。

「こちらは秋にマーガレット、冬はラナンキュラス、春はカランコエが咲くそうです」

「全部白いの?」

「ええ、全部白いようです。いつ見ても白です、と友人が言ってました」

 ほぉとウルリケは頷く。純白のドレスとも言えるような一面の様子は美しく、いつ見ても楽しめそうだった。

「そういえば修道士は皆、銀みたいな服を着ていたのに全部白なんだな」

「女神様の瞳の色がそういう銀のような美しい色だったようですよ」

 そんな話をしていると、誰かの足音が聞こえた。

 ウルリケはそちらを向いて、思わず息を止める。

——第一王子だ。何で此処に……いや、年が同じだからいるのか。

 フルール・クレシェンド・ネツーク・ケテル、と名前を思い起こす。今迄遠くから眺めていただけだったが、こうして近くまでくると背丈もそんなに変わらず、幼く見えた。

 ウルリケは姿勢を正してカーテシーをしながら、改めてデリアとズザナに感謝を胸の中で呟く。

「ちょうど良いところに居たな。お前にも教えてやる。俺はな、炎と一番相性が良かったんだ。見ろ、これだけ強い炎は見られないだろう。まぁ元々使えていたし、他の人間よりも——」

 鼻高々に尊大な様子で己の素質を自慢し始めるフルールに、驚いて一歩後退ってしまう。

 今迄遠くから見ていた時はちょっとかっこいいとすら思っていた。

 王族特有の赤髪と燃えるような炎の瞳は、ウルリケが手元に並べておきたくても手に入らないもので少しだけ憧れていた。

——本の中の私はそういう憧れを恋だと思ってしまったのだろう。顔は良いし。しかし、こんな性格……いや、勉強が嫌いで一度も勉強らしいことをしたことがなかったけれど、主人公に出会ってから……という話だったな。こういうタイプを真人間に変えていく素晴らしい主人公という感じだった。興味がないから忘れていた。

 ウルリケは前世のことを思い返しながら、フルールの話を聞き流す。

 早く終わってくれ、と半ば思いながら冷えた笑みを浮かべていた。

——私が前世を思い出して、しかもこういうタイプの人間が嫌いで良かったな。物語通りに進むことはなさそうだ。

 ただ目先の手に入れたものだけをあたかも全知全能になったかのように見せびらかす姿にウルリケは吐き気すら抱きそうになる。

「そうだ。お前、綺麗な顔だな」

 値踏みするようなじっとりとした視線にウルリケは笑みを作れなくなる。

 ゾッと背筋を駆け抜けた悍ましさになりふり構わず走り出した。

 淑女たるもの走ることは許されない。貴族の、それも純血の令嬢が息を切らして走るなんて神に咎められる。

 それを理解していたとしてもウルリケの足は動いていた。

——気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

 ウルリケの脳裏に浮かぶんだ男の記憶に、嘔吐感がせりあがる。

 前世の自分を振り回した綺麗だという一言が一番思い出したくない記憶を呼び起こしてしまった。

 息切れさえ忘れる程に足だけが動く。まるで赤い靴でも履いたかのように。

 胸は軋んで痛んで、頭は警笛を鳴らして、それでも止まれなかった。

「お嬢様!」

 その声と共に優しく抱きしめられる。

 視線を向ければアイシェが心配そうにウルリケの背を撫でていた。

「大丈夫ですよ、大丈夫です」

 壊れやすいガラスでも扱うかのように抱え上げて侯爵家の馬車に座らせる。

 無我夢中でいつのまにか馬車の前まで来ていたらしい。ウルリケを抱きしめてくれたのは、ぶつかって転ぶことを避けてだろう。

 何も聞かず、微笑んでくれるアイシャの姿に漸く深呼吸する。

「にげた……にげられたんだ……」

 息を切らした所為で呂律すら怪しいが崩れ落ちるように後ろに倒れ込む。

 見慣れた馬車の内装に涙が止まらなくなった。

 まるで五歳児の癇癪のように泣きじゃくる。

「きもちわるい。きらいだ。わすれたい」

 繰り返す言葉のようで言葉にならない声で喉が焼けた。それでもウルリケは泣くことを止められなくて、感情を塞ぐことができなくて、息継ぎすら忘れるのをアイシェに支えられる。

 前世で一番忘れたい記憶がフラッシュバックしていく。


=■■=■■=■■=


「綺麗だって言ったのに騙したんだ」

「はぁ? 騙したって、お前ホントに自分が綺麗だと思ってたのか!?」

「思ってない。思ってないけど、好きだからそう言ってくれるんだって——」

「誰がお前みたいに整形失敗した化け物を好きになるんだよ。つーか醜くなったのも自業自得だろ。被害者ぶってんじゃねーよ」

 震える手がスマートフォンを落としそうになった。それでも必死に握りしめて、呼吸を整える。

「化け物と恋人になって、家事もして、足を引きずって歩くしかないのを支えながらデートして、なんて素敵な彼氏なんだろうってチヤホヤされるのがそんなに気持ち良かったんだ……そんなに……そんなに人気者になりたかったんだ」

「つーか金。お前の整形代って名目でクラファンしたらめっちゃ集まったし、広告でも稼げてるしな」

「あたしに一円だってくれたことないのに? デート代だってあたしが出してるんだよ」

「慰謝料だよ、慰謝料。俺はお前のせいで毎日毎秒苦しんでる慰謝料だよ」

「へぇ? そう。ああ、そう」

 怒りたいのに怒りが湧いてこなかった。ただ笑いだけが浮かんでくる。

「良いよ、そのお金全部あげる。その代わりあたしと別れて。もう二度と永遠に関わってこないで」

「はぁ!?」

「当然でしょ。あたしはもう恋人ごっこに疲れたんだ。それじゃあ、さよなら」

 路肩に停めていた車に乗ると、動画の配信を止めた。それと同時に車は発進する。

「めめんともっぷさん、ありがとうございました」

「いいよ、アユミさんに会わせてくれたお礼だよ」


=■■=■■=■■=


「はっぁ」

 ウルリケが勢い良く体を起こすと、いつものベッドの上だった。

「あ……」

 思い返したくなんてないが脳裏にその記憶が焼き付いていた。

 綺麗でなければ生きる価値がないのだと植え付けられた幼少期を、綺麗だと嘯いた男の気持ち悪い記憶を……。

 ウルリケの視界に鏡が映る。

 美しさ、悪役令嬢としての完璧な姿形。

 作り上げらた理想。

 主役の座を輝かせるための傾国と評された美貌。

 前世で喉から手が出てしまうほどに欲した筈なのに、喜びなんて何一つ感じられない。

 ふとウルリケの目に暖炉の火が映る。

 全てを赦すかのような輝かしく燃え盛る炎が、ウルリケの瞳を飲み込む。

「ああ……そうだ……」

 ウルリケは前世の死因を思い出した。

「あたし、自殺したんだ」

 あと一週間で二十歳で、恋人だと思っていた人に裏切られ、産みの親に一言でも良いから優しい言葉をもらおうと思ったのが原因だった。

 全てがどうでも良くなって跡形もなく消えてしまいたかったのだ。

「あたしってほんとばか」

 だらりと両腕を垂れ下がらせて、また鏡を見つめた。

——あの人のためにあんなに痛い思いして何度も頑張ったのに失敗して醜くなったのに、今は何の苦労もしない美しさがそこにある。

「ねぇ、もしも醜くなっても愛されると思う?」

 笑みを浮かべて、ウルリケは亡霊のようにふらりと立ち上がる。

 お気に入りのネグリジェを脱ぎ捨てて、暖炉の前に座り込む。

 ウルリケは何の躊躇いもなく、暖炉に顔を突っ込んだ。

 熱さを、痛みを、感じることなんて出来なかった。

「あったかい……」

 ただ幸福感が胸を満たす。

 ウルリケは笑みを浮かべて目を閉じていく。

——いつか失ってしまう時間なら、今……幸せなまま、終わってしまっても良いかも。

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