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第94話 そして日常と非日常は交錯する

 昨夜の死闘が嘘のように、ロンブローゾ魔法学校の朝は清々しい陽光と小鳥のさえずりに満ちていた。

 まあ、俺とフェリックスのおっさんにとっては、女子メンバーによる地獄のお説教&拷問タイムによって、朝日を拝めるかどうかすら怪しい夜だったがな。


「……じゃあな、おっさん。達者でやれよ」


 校門の前で俺は包帯だらけの身体を引きずりながら、同じく満身創痍のおっさんに別れの挨拶を告げた。

 お互い顔には無数の拳の跡、身体には呪いの痣がくっきりと残っている。女の怒り、マジで怖い。


「……ああ。セイヤもな。……その、なんだ。色々と、すまなかった」


 おっさんはバツが悪そうに頭を掻く。死んだ魚のような目に、ほんの少しだけ生気が戻っている気がした。


「いいってことよ。俺たち、ダチだろ?」

 

「……ああ」


 俺とおっさんは多くを語らず、ただ固い握手を交わした。

 そこに言葉はいらない。41年間の非モテ魂と、16年間の非モテ魂が共鳴し合った魂の絆が俺たちの間にはあった。


「セイヤさん、いつまでおじさんとイチャイチャしてるんですか! さっさと行きますよ!」

 

「そうです! 遅れたらお昼ご飯抜きにします!」


 アンナとレイラの無慈悲な声に、俺は「へーい」と気の抜けた返事をする。


「リイナ様も、カレンさんも、本当に世話になったな。……ありがとうよ」

 

「うむ。フェリックス殿も、達者でな」

 

「別に。教師なら生徒のこと考えな。あたしたちのことなんかよりさ」


 俺が手を振ると、リイナとカレンもそれぞれらしい言葉で別れを告げる。

 そんな光景を少し離れた場所でサーシャが腕を組み、不満げに見つめていた。


「……私も、カレン様たちと一緒に行くし!」


 駄々をこねる子供のように、サーシャが俺たちに駆け寄ってくる。

 けれどその行く手を遮るように、カレンが静かに首を横に振った。


「サーシャ、お前には魔王様との約束があるんだろ? 首席で卒業するってやつ。あたしたちのことは気にすんな。って、人間のあたしが言うのもおかしいか。それにサーシャは魔族なんだ。あたしたちといるより、ここにいた方が安全だろ」


「で、でも……!」


「また会えるさ。だから今は自分のやるべきことをやりな」


 カレンのイケメンすぎる説得にサーシャはぐうの音も出ない。

 彼女はわなわなと唇を震わせ、瞳に大粒の涙を浮かべると、やがて「……わかったし!」とだけ叫び、くるりと背を向けて校舎へと駆け出していった。

 サーシャの背中は、あまりにも小さくて健気だった。


(……フッ。青春だなあ。俺もあんなふうに、美少女に追いかけられてみてえもんだぜ)


 こうして俺たちは、新たな仲間と奇妙な友情を育んだ教師に別れを告げ、次なる目的地である王都へと旅立ったのだった。


 ***


 その日の午後。

 ロンブローゾ魔法学校の一室、魔法理論学の教室は生徒たちのひそひそ話と好奇の視線で満たされていた。

 教壇に立つのは新任教師のフェリックス。彼は緊張で背中にびっしょりと汗をかき、教科書を持つ手が小刻みに震えている。


「あ、あの……きょ、今日から、ま、魔法理論学を担当する、ふぇ、フェリックスです……。よ、よろしく、お願いします……」


 蚊の鳴くようなか細い声のあまりにも頼りない姿に、教室のあちこちからクスクスと隠す気もない嘲笑が漏れ始めた。


「うわ、何あの先生……声ちっさ」

「服もヨレヨレだし、大丈夫なの?」

「ていうか、顔、ボコボコじゃない? 昨日、変態勇者一行と一緒にいたっていう噂、本当だったんだ」


 サーシャはそんな光景を、一番後ろの席で頬杖をつきながら、大きな欠伸を噛み殺して眺めていた。


(……やれやれ。結界魔法の腕は本物なのに、勿体ないし。まあ、あたしには関係ないけど)


 彼女の興味はもはや、この退屈な授業にはなかった。頭の中は旅立っていったカレンと、謎に包まれた魔王のことでいっぱいだった。

 授業は案の定、最悪の空気のまま終わった。

 フェリックスは終始オドオドし、生徒からの簡単な質問にもしどろもどろになる始末。彼の教師としての評価は初日にして地に落ちたと言ってよかった。


 放課後、サーシャがさっさと帰ろうと席を立つと、フェリックスが「あ、あの、サーシャ君!」と、必死の形相で呼び止めてきた。


「……なに?」


 サーシャは心底面倒くさそうに振り返る。

 フェリックスは周囲に人がいないことを確認すると、声を潜めて言った。


「す、少し、話があるんだ。……カレン君たちのことで」


「……」


 カレンの名前を出されれば、無下にはできない。

 サーシャはチッと舌打ちし、仕方なくフェリックスに連れられて誰もいない空き教室へと足を踏み入れた。


 夕日が差し込む教室で、フェリックスは緊張した面持ちで口を開いた。


「……サーシャ君。君は魔王様に忠誠を誓っているんだな?」


「……だったら、なに?」


 サーシャの警戒心にフェリックスはフッと、今まで見せたこともないような、昏く、歪んだ笑みを浮かべた。

 その瞬間、彼の全身から昨日サーシャが感じたものと寸分違わぬ、禍々しいオーラが噴き出した。


「なっ⁉ あんた、まさか……!」


 サーシャが身構えるより早く、フェリックスの姿がぐにゃりと歪み、あの渋い傭兵然とした男――グリーンウェルの姿へと変貌していく。


「そうだ。昨日ぶりだな、サキュバスの小娘」


 ただ、その変化はグリーンウェルで止まらなかった。彼の魂がセイヤとのシンクロによって混じり合い、変質してしまった影響だ。

 グリーンウェルの身体にフェリックスの死んだ魚のような目が浮かび上がる。

 声もグリーンウェルの威厳と、フェリックスの情けなさが混じり合った奇妙に甲高い声になっていた。


「驚いたか? これが魂の融合……いや、汚染か。おかげで俺はこうして肉体を手に入れた。予定と違ったが、これも魔王様の導きよ」


 グリーンウェル(フェリックス融合体)は、愉悦に歪んだ顔でサーシャを見下ろす。


「教えてやろう。お前の敬愛する魔王様は今頃王都へ向かっている。……フフフ、馬鹿なサキュバスだ。あの場にお前の主がいたというのにな」


 その言葉が意味するもの。

 サーシャの脳裏に、昨日の仲間たちの顔がよぎる。リイナ、アンナ、レイラ、そして……カレン。

 まさか、そんなはずはない。ならば……マーサかアルディス? それともシャーロット?

 グリーンウェルの言葉が残酷なまでに真実の響きを伴って彼女の心を貫いた。


「そんな……! あの方が魔王様⁉」


 サーシャの震える問いにグリーンウェル(フェリックス融合体)は、この世の全ての悪意を凝縮したかのような、邪悪な笑みを浮かべて答えた。

 

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