第90話 舌戦は続くよどこまでも
「フフ、素敵なお友達をお持ちになって、お姉様は幸せ者でございますね。……アルディス、仕上げを」
マーサ王女の美しいのに温度を一切感じさせない声が、張り詰めたホールに響き渡る。
その声に侍女アルディスが恭しく一礼すると、禍々しい魔力をその身にまとい、唇が呪文を紡ぎ始めた。
「なっ⁉」
俺たちの足元から、じわりと薄緑色の霧のような空気が立ち上り、フェリックスのおっさんが張った黒い結界の中をみるみるうちに満たしていく。
なんだこれ⁉ 甘い花の香りが混じった、気色の悪い霧だ。
「睡眠魔法! 吸ったら駄目だ!」
カレンの鋭い叫びに、俺たちは咄嗟に口と鼻を腕で覆う。
だが、その魔法は皮膚からも吸収されるのか、抗いがたい眠気が脳髄を直接揺さぶってくる。
壇上でぐるぐる巻きにされていた叛乱教師たちが、その魔法を吸い込んだ途端、穏やかな表情を浮かべ始めた。
「マーサ様、アルディス様……我らが目覚めた時には……全ての決着がついていることを……祈って……ます」
リーダー格だったレギーナがうっとりとした表情でそう呟くと、他の教師たちも幸せそうに、穏やかに、次々と意識を手放して深い眠りへと落ちていった。
「ええ、決着はついていますわ。貴女方が一連の主犯で、第一王女リイナ姫殿下一行惨殺の容疑者として! 全員自害したとして!」
マーサの、勝利を確信した恍惚の表情がムカつくぜ。
……ちっ、そういうことかよ。俺たちを眠らせる……いや、こいつが本当に眠らせたいのはリイナだ。
「切り捨てかよ。こいつらはあんたらを信じていたんだぞ。愛ないんていう紛い物でな」
「セイヤ! 喋るな!」
薄緑色の睡眠魔法が漂う結界内、リイナが俺に鋭く忠告する。
その声には焦りの色が見える。ああ、俺の身を案じてのことだよな? 嬉しいぜ、リイナ。でも安心しな。
俺はリイナに手を上げて無事を示して続ける。
「答えろ、マーサ王女! グリーンウェルのおっさんが現れるのはリイナの意識がない時だけ。ってことは眠らせてから無理やりグリーンウェルを目覚めさせようってか?」
俺の確信めいた問いに、マーサ王女はパチパチと、心底楽しそうに乾いた拍手で応じた。
「ええ、残り数秒の命、大切にしなさい。結界内で目覚めた憑依体をお姉様の身体から引き離す衝撃で、全員死ぬのですから!」
そうかよ、なら迷いはねえ。
【リア充絶対殺すマン】発動!
俺は右腕を大きく振りかぶり、下から上へと抉るようなアッパーを繰り出す。
拳は誰にも当たらず、ただ空気を切り裂いただけだ。
だが、その一振りによって生み出された螺旋状の真空波が、結界内に充満していた睡眠魔法の霧を、まるで竜巻が霧を吹き払うかのように、一瞬でかき消した。
「な⁉」
マーサとアルディスが驚愕に目を見開くが、もう遅い。
残念だったなあ、アルディスの魔法なら、俺は掻き消せるんだよ。
「術式、展開します」
レイラちゃんが両手を前に突き出すと、彼女を中心に聖なる光の波紋が広がり、霧散した睡眠魔法の残滓を完全に浄化していく。
「……ちっ、魔法無効化か。だが、フェリックスの結界はビクともしてない。フフ、状況は未だにこちらが有利。聖女様の魔力が尽き、全員自然に眠るのを待つ。それでこちらの勝ちは確定よ」
余裕綽々な態度でアルディスが口にするが、嘘だな。声が震えてるし、苛立っているのが手に取るように分かるぜ。
「よお、アルディスさん。どうだ? 俺の拳だけで自慢の睡眠魔法が弾かれた感想は? 悔しいだろうなあ。高貴なエルフであるこの私が、仕える主の願いを叶えるのに自分の力量だけじゃ足りず、こんな中年の冴えない人族のおっさんをだまくらかして、なおかつ、見下していたこの俺に二度も自慢の魔法を木っ端微塵に防がれたんだからなあ。どうだあ? プライドまだ残っているかあ?」
「おのれ! 愚弄するか、冴えないガキの分際で!」
「アルディス、落ち着きなさい。下賤の挑発に耳を傾けても意味がないわ」
「しかしマーサ様、この男は不気味です。なぜこのような弱男の代表みたいな男に、マーサ様の計画を何度も邪魔されなくちゃならないんですか!」
クックック、いいぞお。その調子でもっと激高しな。
……ってか、弱男代表ってなんだよ。否定できねえのが余計にムカつくぜ。
「セイヤさんが喋ると、なんだかこっちが悪者になった気分ですね」
「もうさ、アレだけ聖女様の加護なしでいいと思うし」
「まあ、実際、カッコ悪いよな」
「国家を代表する勇者がこのような男とは、噂以上に酷いわね」
「カレンがあのような男のパーティにいるのは一族として不名誉。顛末後、例の人格矯正授業漬けにしてみましょう」
「それは名案です。一生そこにいてもらいましょう」
「私が時々訪れて、様子を実況して盛り上げましょう。あ~でも、途中で私も寿退職するかもです。後任を育成もしたいのでちょくちょく参上は難しいですね」
「待て待て、それは名門ロンブローゾ魔法学校の負担が多すぎる。カミラ学長殿……よければカリキュラムをお教え願いたい」
ちょっと待て。ちょっと待て。俺の背後でみんな好き放題言うのやめてくれない? ここは「きゃー! セイヤ様、素敵ー!」って黄色い声援を送って、俺の背中の大きさに胸キュンする場面でしょ? ヒソヒソ話するならもうちょっと声量低くしてやっててよ。
てか人格矯正カリキュラムってなんだよ。そんなもん、絶対受けねえからな。
「コホン。ともかくだ。俺たちが自然に寝落ちするまで、あと何十時間かな? それまでフェリックスのおっさんを洗脳しっぱなしにできるか? それに、ここは由緒ある名門ロンブローゾ魔法学校だ。他の生徒たちが、いつまでこの状況を放置しているかな? 詰んでいるのはテメエらだ! 御託はいいから、とっとと諦めて、尻尾を巻いてトンズラでもしな! 陰キャ王女様に、無能エルフさんよお!」
俺の勝確宣言に、背後から「「うわぁ……」」ってドン引きの声が聞こえ、前方ではアルディスの顔が怒りで真っ赤に染まっている。
「無能エルフだと⁉ 人間のガキの分際で! 貴様のようなド屑、初めて出会ったわ! 貴様だけは必ずこの手で殺してやる! マーサ様! フェリックスに一瞬だけ結界解除して、この男だけをこちら側に!」
いいぞぉ。もっと激高しろ。それをした瞬間、俺たちの勝ちが決まるんだからな!
アルディスを人質にして、あっちこっち触りまくってやる!
アンナも、レイラちゃんも、カレンも、カミラ学長にカーラ生徒会長、おまけのサーシャに、我らがリイナも、その一瞬に全てを決めるべく、全身に力を込めるのが分かった。
けれど、マーサ王女は至極冷静なまま、氷のように冷たい声で低く呟いてくる。
「そんなことより、結界を圧縮させたらどうなるのかしら? 圧死するのか見てみたくない?」
ちっ……。嫌な性格してる王女だぜ。リイナの妹なら、もうちょっと俺の口車に乗れよ。




