第8話 公爵家の日常
王都は活気に満ち溢れていた。
石畳の道を、様々な人種、人間、耳の尖ったエルフ、屈強なドワーフ、獣の耳や尻尾を持つ獣人が行き交い、露店の威勢のいい声や、どこからか聞こえてくる陽気なリュートの音色が混じり合っている。
壮麗な街並みはまさしくファンタジーの世界そのものだった。
ただ、俺の目は街並みを楽しむ余裕は生まれない。
俺の視界を占拠する、行き交う人々の頭上に、無機質に浮かび上がる半透明のウィンドウのせいで。
【最終性交時間: 3時間14分05秒前】
【最終性交時間: 2日と8時間33分21秒前】
【最終性交時間: 2分03秒前】
【最終性交時間: 6時間59分40秒前】
( 目が……! 目がああああああ! やめろ、俺の脳を直接焼くな! なんという精神攻撃!)
俺は心の中で絶叫しながら、舌打ちを繰り返す。
活気は淫蕩の裏返しにしか見えず、人々の笑顔は全て欺瞞に思えた。
この世界も俺がいた世界と同じく、くそったれなようだ。
(ちっ、全員、性交係数オーバーで執行対象だろ。はよ爆発しろ)
やがて姉妹に案内されてたどり着いたのは他の建物を完全に見下ろす、白亜の壮麗な屋敷だった。
エルグランド公爵家の威容は、この国の権力の大きさがわかるぐらいだ。
門番はボロボロの姿のソフィとサファイヤを見つけると、一瞬目を疑い、次の瞬間には顔面蒼白になって屋敷へと駆け込んでいった。
間もなく、屋敷の重厚な扉が内側から勢いよく開かれ、立派な口髭を蓄えた壮年の男性と、気品のある美しい女性が飛び出してくる。
エルグランド公爵夫妻だ。
「ソフィ! サファイヤ! どうしたんだ! 一体、何があったんだ!」
公爵は娘たちに駆け寄り、姉妹の身体を強く抱きしめる。
うん、感動の場面だね。
でも俺の目にはそんな感動の再会よりも先に、公爵の頭上に浮かぶウィンドウが飛び込んできた。
【エンデバン・エルグランド公爵】
【最終性交時間: 5分41秒前】
(……いや、お前が何してんだよ)
娘の身を案じて飛び出してきた父親の生々しすぎる数字に、俺は思わず心の中でツッコみを入れる。
チラリと、悲壮な顔で娘を見つめる公爵夫人に目をやると、彼女の頭上にもウィンドウが浮かんでいた。
【カナリヤ・エルグランド公爵夫人】
【最終性交時間: 11時間22分08秒前】
(……なるほどな。相手は夫人じゃない、と)
貴族の腐敗した日常を垣間見た気がして、俺の口元に嘆息が漏れ出る。
「お父様、お母様……! 護衛の方々が……皆、盗賊に……!」
ソフィが震える声で、事の経緯を語り始めた。
護衛の全滅、盗賊団による襲撃、自分たちが陵辱されたこと。
……えっと、話すんだ。大丈夫かな?
姉妹の言葉に、公爵は怒りで顔を赤黒くさせ、夫人はその場で崩れそうになるのを侍女に支えられた。
「……そして、私たちが殺されそうになったところを、この方がたった1人で盗賊団を全滅させてくれたのです」
ソフィが俺を指し示すと、公爵家一同の視線が俺に集まる。
驚愕、疑念、感謝が入り混じった視線を浴びせられて、俺はちょっぴりこしょばゆい気分だ。
「……えっと、じゃあ俺はこの辺で……」
面倒なことになるのはごめんだと、俺は踵を返してその場を去ろうとするが?
「お待ちください!」
プライドの塊のような公爵が、あろうことか泥だらけの俺の前に深々と跪いたのだ。
その瞳は涙で潤み、わなわなと震える唇で懇願してくる。
「お待ちください! どうか……どうか、一晩だけでよい! 我が館に泊まってはくれまいか! 頼む! 神よ、我が祈りが通じたのか! この出会いは……この出会いこそが、我が一族を救う唯一の光なのだ!」
公爵の必死すぎる形相に、俺は少しだけ面食らっていると、ぐぅぅぅぅぅぅぅ……という俺の腹の音が、静まり返った玄関ホールに響き渡った。
いかん……腹が、減った。
「……ま、まあ、それじゃあお言葉に甘えて」
俺はばつが悪そうに頭を掻きながら、申し出を受け入れることにした。
屋敷に招き入れられると、メイドたちがずらりと並んで深々とお辞儀をしてくる。
その中に、俺とさほど年の変わらない、栗色の髪をした可憐な少女が混じっている。
彼女が顔を上げた瞬間、俺は頭上の表示に気づき、眉をひそめた。
【エリシャ(メイド)】
【最終性交時間: 13分02秒前】
(……公爵のヤツ、ついさっきまでこいつとやってたのか。リアルすぎてキメエ……)
俺は吐き気をこらえながら、少女から目をそらす。
ただ、その後のもてなしは最高だった。
テーブルに並べられたのは見たこともない豪華な料理の数々で、飢えていた俺は夢中で平らげた。
案内された大理石の風呂は、疲れた体を芯から温めてくれた。
用意された部屋のベッドは、雲の上にいるかのようにふかふかだった。
(明日は褒美をたんまりくれるって言ってたな。それで武器と防具を新調して、さっさとこんな家出ていくか……)
久しぶりの文明的な生活に満足し、俺は心地よい疲労感に包まれながら、深い眠りへと落ちていった。
どれくらい眠っただろうか。
俺の意識がゆっくりと浮上する。
ん? 視界は真っ暗で何も見えないぞ?
布のようなものが固く詰められ、声が出せない。
手足は荒縄で固く縛り上げられ、身じろぎ一つできない……だと⁉
ガタン、ゴトン。
身体は不規則に揺れている。これは馬車の荷台だ。
(な……んだ……? これは……⁉)
状況を理解した瞬間、俺の脳天を衝撃が貫いた。
なぜ? どうして俺がこんな目に?
昨夜の公爵の感謝の言葉、ソフィとサファイヤの崇拝の眼差しが脳裏をよぎる。
あれは全て、嘘だったというのか。
そして俺はネクストステージへ……なんちゃって。いや笑えねえ。
驚愕と混乱の中、俺を乗せた馬車は夜の闇の中をどこかへと走り続けていた。