第78話 サーシャにだって事情があるし!
ロンブローゾ領の夜は王都やブリューレとは違う、アカデミックな落ち着きと学生たちの若々しい活気が混じり合った独特の空気に満ちていた。
俺たちはそんな街の一角にある、学生御用達らしき飯屋のテーブルを囲んでいた。
暖炉の火がパチパチと心地よい音を立て、店内にはシチューの香ばしい匂いが漂っている。
だが俺の心は少しも安らいでいなかった。何せ、この席の配置が地獄そのものなのだから。
「カレン様、これ美味しいし! あーんしてあげるし!」
「いや、自分で食えるから。てか腕、腕が当たってるんだが」
俺の対面の席では制服姿のサキュバス、サーシャがカレンの腕に自慢の豊満な胸をぐりぐりと押し付けながら、ぴったりと密着している。
情に流されるなよ、カレン! そこは「鬱陶しい!」と一喝して突き放す場面だろ!
(羨ましい! 俺なら腕に伝わる極上の感触を堪能しつつ、さりげなくテーブルの下で手を伸ばしてプリンと突き出た尻の感触を確かめずにはいられない! それだけで絶頂する自信があるぞ!)
俺が内心で血の涙を流していると、隣からボソリと、死んだ魚のような声が聞こえてきた。
「いやあ、悪いなセイヤ。服代だけでなく、飯まで馳走してもらって。……ちなみに、この後の宿代も奢ってくれると、おじさんは非常に嬉しいのだが」
フェリックスのおっさんが、一切の感情を殺した真顔で俺に全力でタカる宣言をしてくる。
まったく、どうしてこうなった。なんで俺の夕食に41歳童貞教師と15歳の処女サキュバスまで同席してんだよ。
「アンナもレイラちゃんも! 通常通り、嫌いな食材を選り分けたり、大盛りの皿を次々空にしたりしてないで! もう少し緊張感持とうよ!」
「えー、でもこのお肉、美味しいですよ?」
「にんじんは嫌いです。あと、この状況はセイヤさんが支払うと言えば丸く収まります」
俺の魂の叫びも、アンナのマイペースな食欲とレイラのブレない金の要求の前では無力だ。
そんなカオスな空気を切り裂くようにリイナが優雅に紅茶を一口啜り、すっと背筋を伸ばした。
「サーシャ、もう一度問うが、この街の男たちの異様な様子は、貴様の仕業ではないのだな?」
「あったりまえでしょ? そんな広範囲を数日でできるわけないし。私だってブリューレからロンブローゾに戻ったの、一昨日だし」
サーシャはカレンにひっついたまま、ぷいっとそっぽを向いて答える。
その言い分に嘘はなさそうだ。こいつがカレンを追いかけてブリューレにいたのは間違いない。
俺にラブリーショットを奪われ、半壊させられ、激おこ号泣しながら去ってから戻るまでの時間を考えても計算は合う。
(だが、そうなると話は別だ。サーシャ以外のサキュバスがこの学校にいて、魔王軍の工作は、カレンとサーシャが不在の間に進行していたってことか? ついに俺に、ポンコツじゃない、仕事のできるサキュバスとの運命の出会いが訪れるのか……⁉)
俺の淡い期待を打ち砕くように、サーシャが衝撃の告白を続けた。
「それに、もう気づいたし。カレン様を無理やり男にしなくても、女の子同士で愛し合えばいいって、私、悟っちゃったし!」
「なんでそっちに悟るんだよ! 男ならここにいるだろうが!」
「……サキュバスの生徒、俺は教師。何も起こらないはずがなく……」
俺の絶叫と、フェリックスのおっさんのどこか切実な呟き。だが、サーシャの無慈悲な声が俺たちの心を無惨に踏みにじった。
「は? この世が滅んで、生き残りが私とあんたたち2人だけになったとしても、私は生涯純潔を守り抜くに決まってるし」
ズゥゥゥン……。
俺とフェリックスの周囲にだけ、重たく、淀んだ空気が漂い始めた。
そんな俺たちの悲哀など意にも介さず、カレンが大人な対応で話を進める。
「それよりもサーシャ、聞きたいことがある」
「はい! なんでしょうか、カレン様!」
(カレンめ……! 男にされる可能性がなくなった途端、完全にこいつを手のひらの上で転がしやがって! 信じてるぞ、カレン! 絶対にベッドまで連れ込まれたりするなよ! 俺との初体験まで純潔を守り抜けよ!)
「聞きたいことは二つ。魔王軍にいるグリーンウェルという男について。それから、魔法学校で空間転移魔法を使ってセイヤを攻撃してきた人物に心当たりはあるか、だ」
「そうですね。それに加えて、魔王軍の組織体系や目的など、詳細な情報も要求します」
レイラがさらりと、的確に自分たちに都合の良い要求を追加する。
「そうです! 王国に潜入しているスパイだと私たちに看破されたんですから、これはもう、洗いざらい話して王国側に寝返るべきです!」
アンナもフンスッと鼻息荒く詰め寄るが、リイナがそれを手で制した。
「レイラ、アンナ、気持ちは分かるが、今は我々が情報を求めている身だ。まずはカレンの問いに答えてもらおう。……ただ、魔王軍から逃れたいと願うなら、我々はいつでも協力を惜しまないつもりだ」
追い詰めるだけでなく、優しく逃げ道も用意するリイナの巧みな交渉術に、サーシャも気分を良くしたのか、フンとそっぽを向きながらも表情はどこか照れくさそうだ。
「そうだぜサーシャ。いつでも俺たちを頼りな」
俺も負けじとカッコよく決めるが、返ってきたのは「うわ……キモ」という、ガチで嫌そうな顔だった。
(そこは俺にも照れた顔を見せてよ! サキュバスなんだから、男を誘惑する仕事をちゃんとしろ!)
「……条件を飲んでくれたら、考えてあげなくもないし」
「条件? カレンさんをあなたに差し出すことは、本人の意思を尊重しますので飲めません。セイヤさんの生殺与奪権でしたら、条件次第で交渉のテーブルにつきますが」
「レイラちゃん、さらっと言わないで! 勇者を大事に! 俺を大事にしてくれ!」
「……条件とは?」
リイナの緊張が伝わる問いに、サーシャは真面目な表情になり、俺たちの誰もが予想だにしなかった要求を口にした。
「明日のディベート大会、私のサポート役にカレン様を付けさせてほしいし」
「「「「「は?」」」」」
予想外すぎる要求に俺たちの声が見事にハモり、飯屋の静かな夜に虚しく響き渡ったのだった。




