第74話 30歳童貞は、大魔法使いになれますか?
「どうぞどうぞ」
「いえ、どうぞどうぞ」
俺と目の前の死んだ魚の目をしたおっさんが、陳列された魔法剣の前で互いに譲り合い、店内にひどく気まずい空気が流れていく。
ふわりと指先が触れ合った瞬間の、あのラノベ的運命の出会いフラグはどこへ行ったんだよ。
「あ~すいません。俺、装備できないんでマジ大丈夫なんで」
「あ~すいません。俺、金がないんで買えないから大丈夫なんで」
同時に口を開き、またもや微妙な空気が、重たい沈黙となって俺たちの間に覆い被さっていく。
(もう無理だろこの空気! おっさん、しかも【無】のおっさんの相手なんかしていられっか! 戦ったら負ける可能性のある相手と過ごす時間なんて、心臓に悪すぎる!)
何より40代【無】を見続けるのが、20年後の自分の姿を見ているようで悲しくなるわ。
「あっ、じゃあ、俺はこの辺で失礼します」
俺が踵を返した、その時だった。
「待ちなさい、少年」
おっさんの怠そうな、それでいてどこか芯のある声が俺の足を止める。
「君は魔法学校の生徒かね? この街、どうもおかしなことになってるみたいだが、何か知らないかね? 街の男たちの無気力っぷりは不気味を通り越して恐怖すら覚える」
おっさんは精気を吸い取られて虚ろな顔の店主ドワーフを指差しながら、鋭い洞察を口にした。
おお? 意外と頼れるおっさんだったりするのか?
「おっと、俺の自己紹介がまだだったな。ロンブローゾ魔法学校から要請されて、明日から教師の職に就くフェリックスという者だ」
「教師? このおっさんが?」
まあ、名乗られたらこっちも名乗らなければ礼に反する。
「俺はセイヤ。すまんなおっさん。俺は冒険者で魔法学校の生徒じゃない。俺もこの街に着いたのはついさっきだから詳しいことは知らないんだ」
……まあ、サーシャの仕業だろうが、「犯人は魔法学校にいるサーシャってサキュバスの生徒です」なんて言っても、信じてもらえるか分からんからな。
「そうか。悪かったな、引き留めて。……なんだか昔の俺を見ているようで、話しやすくってな」
フェリックスはフッと、諦観と親しみが入り混じった笑みを零した。
「この魔法剣、君は装備できないと言ったが、諦めては駄目だ。俺も君ぐらいの歳では装備できなかったが、30歳の頃には装備できるようになった。……諦めるなよ」
(いいおっさんじゃねえか。やる気ない外見と口調だけど、生徒を真摯に想う気持ちが伝わってくるぜ。担任だったらいずれ親友になれるタイプの、理想の教師のおっさんだわ)
……ん? 30歳?
「な、なあ、おっさん。やっぱり30歳になるまでアレだったら、魔法の才能なくても魔法使いになれたりするのか?」
「……あ、アレって?」
おっさんの顔色が変わる。意味は分かっているようだ。
「俺は今現在、アレだ。このまま30歳になったら魔法使いになれるのかって意味さ。……おっさんみたいに魔法学校の教師に要請されるぐらいのな」
俺は期待を込めておっさんの目を直視する。
考えるのも嫌だが、俺もこのおっさんみたいになる可能性が極めて高い。
ならば夢は持ちたい。30歳までアレのままだったら、大魔法使いに覚醒するっていう夢をな!
するとおっさんは動揺し、目を逸らして口走る。
「お、俺は、ど、ど、ど、童貞じゃないぞ」
「いや、そういうのいいから。気にしないでくれ、俺も童貞だ」
「バッカか少年。お前さんの年齢なら普通だろうが!」
「本当か? おっさん、俺のことを昔の俺を見ているようだって言ったよな? 本音を言ってくれ! 20年後の俺がどうなってるかを、一切合切隠しだてせずにな!」
「ああ? 喧嘩売ってんのか? そこまで言ってほしいのか? なら言ってやろう、後悔すんなよ。……あんたは童貞のままだ。それが世界の真実ってもんさ」
「いや、それ、おっさんが現状童貞って意味だよな? 予言ぽく言っても、未来の俺をおっさんの現状で語っただけだよな?」
「な、な、な、ちょっと何を言っているのかよく分からないな。お、大人をからかうものではない。俺は今年41歳だ。早い奴なら孫がいたっておかしくない年齢だぞ?」
「……隠すなよおっさん。俺はあんたが童貞だと知っている。そんで俺も童貞だ。……それでいいじゃねえか? だから聞かせてくれ。男が童貞のまま30歳を過ぎると大魔法使いになれるという、噂の真相を!」
俺の涙を浮かべた真っ直ぐな瞳に、フェリックスのおっさんもついに観念したようだ。
彼の死んだ魚のような目から、ほろりと一雫の涙が頬を伝った。
「……セイヤと言ったな。これだけは言っておく。20歳の誕生日の夜はなんとも思わん。希望に満ちあふれている。だがな、30歳の誕生日の夜はずっと叫びたい気分になるぞ。ベッドの上で、俺は悔し涙で枕を盛大に濡らしたものさ」
「ひっ! 怖い! どんな怪談話よりホラーじゃねえか!」
「大魔法使い……か。残念ながら、30歳を過ぎた翌日、俺の魔力は1も上がってなかった。結論から言おう。噂は嘘だ」
俺は膝から崩れ落ち、両手を地面につけた。
そっか……俺は魔法使いになる夢も絶たれたんだな。
「ありがとう、おっさん。現実を教えてくれて」
「いいってことよ。もう一つ教えておく。40歳の誕生日はもうなんとも思わん。一度も腰振ったことないのに、腰が痛えと嘆くことしか思い浮かばない。フッ、案外これは忘却の魔法を習得したのかもな。もう童貞喪失なんて夢も見なくなる」
「い、嫌だ! 自分限定にしか効かない魔法を習得しても意味がない! おっさん! 41歳までなんにもなかったのかよ! なんでだよ! 世の中の女の子はヤりまくってるのにおかしいだろ!」
両手両膝を地に着けたまま号泣する俺の肩に、おっさんは優しく手を添えた。
「30歳の誕生日の翌日、俺は意を決してお口でしてもらう店に行ったんだ。結果は……お喋りで終わった」
俺の身体に電流が流れるような衝撃が走る。
「それって、金だけを取られてお喋りだけで時間を潰させ、行為をしないという噂に聞く嬢の下衆にして高等テクニック!」
「1年間トラウマだったが、意を決して生本番ありの娼館に行ったさ。でも人気No.1と紹介されて出てきたのが……背中にでっかく刺青が彫られた嬢だった。結果は分かるな?」
「逃げる! 俺なら確実に脱出する!」
「その後も何度か色んな娼館に行ったが、俺は童貞のままさ。飲み屋でナンパってのも勇気を出してしてみた。『あ、あの! お嬢さん、今度俺と一緒に散歩でもしない?』ってな。……結果は、翌日から半年間、牢の中さ」
もはや言葉にならない。俺の視界はとめどなく溢れる涙で歪み、思考もままならなかった。
酷いぜ神様……このおっさんになんの恨みがあってこんな仕打ちをするんだよ。
「セイヤ。お前はいい奴だな。こんな話を人にしたのは初めてだ。いつでも魔法学校を訪ねてくれ。困ったことがあれば力になるぞ」
「おっさん! いや、フェリックス先生!」
俺とおっさんは2人して涙を流しながら見つめ合う。そこには純度100%の信頼と友情の空気が満ち溢れていた。
「セイヤ、何をしているんだ?」
凛とした声に振り返ると、リイナたちが怪訝な顔でこちらを見ていた。
「うわっ……セイヤさん。なんでおじさんと号泣してるんですか?」
「せめて回復魔法が効くダメージを負ってください。これだからセイヤさんはダメンズなのです」
「ん? 天パのおっさん、どこかで見たことあるような?」
その瞬間、フェリックスの表情と空気が一変した。
「……敵だ」
「え?」
「セイヤ! 貴様は敵だ! このリア充めが!」
うわあああああんと泣きながら、フェリックスは外へと走り去っていく。
「はあ? 俺がリア充? ざけんなおっさん、早とちりするなああああああ! 俺はリア充絶対殺すマンだっつーの!」
まあ、美少女4人と一緒に入ればそう思われても仕方ないか。客観的に見たらリア充だと思われても不思議ではあるまい。
消えていくおっさんの後ろ姿を眺めながら、今度俺がリア充でないことをみっちり説明しなきゃな、と思うのだった。
「ところでセイヤさん、お財布出してください。お会計のお時間です」
レイラのブレない一言に、俺は「あっ、はい」と金が入った革袋を渡すのだった。




