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第69話 翌朝の目覚めはいつも通りに

 闇だ。

 どこまでも続く、光のない漆黒の空間。

 身体の感覚はなく、ただ私の意識だけが、凍てつくような冷たい虚空を漂っている。

 ここにいるのが自分なのか、それとも自分ではない何かなのかの境界すら曖昧になっていく。

 ふと、視界の端に自らの右手が映った。白いレースの手袋に覆われた、見慣れたはずの手。

 けれども、その手には白銀に輝く愛剣が氷のように冷たく、吸い付くように握られている。


 自分の意志ではない。得体の知れない力が、ギシリ、と音を立てるかのように腕をゆっくりと振り上げた。


(やめろ)


 心の中で叫ぶ。


(やめてくれ……!)


 喉が張り裂けそうな叫びなのに音にならない。

 身体は完全に支配され、自分はただ、自らの肉体という牢獄の中から、これから起こる惨劇を傍観することしかできない。

 剣が振り下ろされる。抵抗する術はない。

 ぐじゅり、という生々しい感触が剣を通して伝わり、真っ赤な飛沫がスローモーションのように宙を舞った。

 私の頬に、べっとりと生温かい液体が降り注ぐ。

 鉄錆の匂いが鼻腔を満たし、吐き気がこみ上げた。

 

 静寂。

 歩みを止め、ふと目の前の鏡に映る自分を見た。

 そこにいたのは純白のドレスを返り血で真っ赤に濡らし、口の端を歪ませて狂気の笑みを浮かべる自分の姿だった。

 瞳は、溶岩のようにどす黒く燃え盛っていた。


「うわあああああああ!」


 ガバッと、リイナは勢いよく上半身を起こした。

 心臓が警鐘のようにドクドクと鳴り響き、全身にびっしょりと掻いた寝汗がじっとりと肌に張り付いている。

 窓から差し込む朝の光がやけに眩しく、現実との境界を確かめるように、彼女は自分の手のひらを何度も見つめた。


「ハア……ハア……ハア……。ゆ、夢か……」


「あっ、目覚めましたかリイナ。気分はどうですか?」

 

「封印魔法は機能しています。今日明日で破られることはないでしょう」


 すぐ側から聞こえる声に、リイナはハッと我に返る。

 顔を覗き込んでいるのは、心配そうな顔のアンナと、いつも通り冷静に温泉饅頭を頬張るレイラだった。


「ね、寝起きを覗かないでくれ! ……気分? 封印魔法?」


 リイナはわずかに頬を染めながら、状況を思い出そうとする。

 そうだ、昨日、私たちはセイコとカレンと一緒に宿で一泊して……。

 そこまで考えて、部屋の外から聞こえてくる、やけに賑やかな声に気づいた。


「私たち、気づいたんです! 女の子同士のままでもいいって!」

 

「お願いします! 私たちもカレン様のハーレムメンバーに加えてください!」

 

「誰か1人を選ぶのではなく、全員でカレン様に奉仕する。それだけが私たちの望みなのです!」


 扉の前では、カレンがカレン様親衛隊の少女たちに囲まれていた。

 相変わらず彼女たちの瞳は熱狂と崇拝に満ちている。

 そんな少女たちの切なる願いに、カレンはフッと、どこか困ったようにしながらも、優しい笑みを浮かべた。


「あんたたちの想い、本当に嬉しい。あんたたちに好かれたのはあたしの人生で最高の誇りさ」


 その一言に、親衛隊の少女たちの瞳がうるうると潤む。


「……でもな。あたしは魔王を倒すために旅立たなければならない。……回答は、魔王を倒して凱旋したときまで待っててくれないか? 何年かかるか分からない旅路だ。だからみんな、母親になっていても構わない。むしろあたし1人に妄執せず、自身の人生を歩んでくれ。待っててくれなくてもあたしは恨んだりしないし、帰ってきた時に、みんなの子供に魔王を倒した自慢話をするのを楽しみにしてるからな」


 親衛隊の面々の涙腺が完全に崩壊した。

 少女たちは次々とカレンに抱きつき、カレンは一人ひとりの頭を撫で、彼女たちの想いを優しく受け止めていく。


 俺はそんな感動シーンを、絶句しながら眺めていた。


(なんちゅう男前なセリフ! 要は振っただけのことなのに、感動的な名シーンにしやがった。俺にそんな台詞吐けるか? 吐けるはずがない! 全員に待ってろ! 千葉佐那のように俺が死んでも誰ともアンアンするなあああああ! って叫ぶわ。ウッドの悲劇を味わってたまるかあああ!)


 リイナもカレンが繰り広げている光景にポカーンとしていたが、やがて部屋の中に転がる異様な物体に気づいた。


「セ、セイコ⁉ なぜ布団で簀巻きにされて、天井から逆さ宙吊りに⁉ い、一体何がどうなって⁉」


「あ~、リイナ。落ち着いて聞いてね。セイコちゃん、セイヤさんだったんです」


 アンナが苦笑いしながら、残酷な真実を告げていく。

 

「……は?」

 

「拷問して自白させました。サキュバスサーシャからパンツ強奪スキルで、サーシャのパンツを奪って、ついでに性転換銃も奪って自らに撃ったそうです」


 レイラは淡々と述べるが、瞳はまだ俺への軽蔑の色に染まっている。


 リイナは絶句した。

 アンナとレイラの淡々とした説明が、彼女の脳内で意味を結ぶのに数秒を要した。


「……はあああああああ⁉ つ、つまり、昨日一緒に温泉に入ったセイコの中身は……」


「「セイヤさんだったんです」」


 アンナとレイラの声が完璧にハモった。

 リイナの脳裏にセイコとの思い出が走馬灯のように浮かぶ。

 盗賊に絡まれていたのを助けた出会い。温泉で一緒に湯船に至近距離で浸かったこと。自分のブラジャーを貸してあげたこと。その全てが、あの下劣な男の策略だったのだと。

 リイナの怒りが爆発するのに、またまた数秒を要した。


「おのれセイヤ! 外道を越えた外道の行い許すまじ! 唯一の救いは男でなくなり美少女になったことだが、なぜ私たちに黙って一緒に温泉に入ったのだ! 答えによっては一刀両断にしてくれようぞ!」


 おお! オーラが見える。昨日のグリーンウェルのような邪悪なオーラではない、清廉潔白で、純粋に悪を成敗する聖なるオーラが!


「ワワ! リイナ! リイナちゃん! リイナ王女様! 落ち着いて!」


 俺の制止も虚しく、リイナは枕元に置いてあった愛剣に手を伸ばし、躊躇なく鞘から引き抜いた。

 ……だが。


「ん? なんだこれはああああああああ! 私のプリンセスソードがあああああああ!」


 リイナの悲鳴が部屋に響く。

 彼女が抜いた剣は、もはや剣の形を留めていなかった。高熱でドロドロに溶かされ、そのまま歪に固まった、ただの鉄塊となっていたのだ。とてもではないが、鞘に収まっていたのが不思議なほどの、無様な姿。

 わなわなと震え、固まっているリイナに、玄関で親衛隊を見送っていたカレンが、ペコリと申し訳なさそうに頭を下げたのだった。

 

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