第4話 絶望のステータス
意識がゆっくりと浮上する。
最初に感じたのは湿った腐葉土の匂いと、むせ返るような濃密な緑の香りだった。
俺がゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは見たこともない巨木が生い茂る鬱蒼とした森だ。
天を突くかのような木々の枝葉が複雑に絡み合い、空はほとんど見えない。
木漏れ日が地面をまだらに照らし、神秘的だが同時に得体の知れない生物が潜んでいそうな、不気味な雰囲気を醸し出している。
空気は重く、じっとりとした湿気が肌にまとわりつくようだ。
俺はゆっくりと身を起こす。身体は泥で汚れているが不思議と痛みはない。
自分の格好がトラックにはねられた時のままの、県立高校の制服姿であることに気づく。
「本当に……来ちまったのか、異世界……」
半信半疑のまま、俺はあのクソ神の言葉を思い出し、祈るように心の中で呟いた。
(システム、コール! ステータス、オープン!)
すると、目の前に半透明のウィンドウが淡い光と共に浮かび上がったが、そこに表示されていたのはあまりにも絶望的な文字列だった。
【名前】 大石 星翼
【種族】 人間
【職業】 勇者?
【称号】 異世界人、童貞
【レベル】 1
【HP】 10 / 10
【MP】 5 / 5
【力】 1
【体力】 1
【速さ】 1
【賢さ】 1
【魔力】 1
【幸運】 1
【スキル】 なし
「……これが、勇者の力だというのか。……ククク、我が魔王軍の最下級インプにすら劣るではないか。話にならんな」
なんだよこれ! 物語スタートの最初の犠牲者のポジションじゃねえか!
「ふざけんな! なんでクソザコナメクジみたいなステータスなんだよ! 称号童貞ってなんだよ! 完全に馬鹿にしてるだろ、あのクソ神!」
村人Aどころか、生まれたての赤子レベルのステータスに、俺は愕然とする。
「こんなんでどうやって魔王を倒せって言うんだよ! スキルもねえじゃねえか!」
特典能力はどうした、と叫んでも、ウィンドウに変化はない。
俺はこの世界で最も弱い存在として、森の真ん中に放り出されたのだ。
俺が悪態をつきながら途方に暮れていると、森の奥から甲高い金属音と、複数の男たちの野太い罵声、それから甲高い幼い女性の悲鳴が聞こえてきた。
「……!」
俺は咄嗟に近くの巨大なシダの茂みに身を隠す。
心臓が嫌な音を立てて激しく脈打つ。
茂みの隙間から覗き見ると、少し開けた場所で、凄惨な光景が繰り広げられていた。
豪華な装飾が施された馬車が横転し、馬は首から血を流して無残に倒れている。
周囲には立派な鎧をまとった護衛兵らしき男たちが見るも無残な死体となって転がっていた。
生々しい血の匂いが風に乗って俺の鼻をつく。
惨状の中心で、10人ほどの屈強な盗賊たちが下卑た笑みを浮かべながら、2人の少女を取り囲んでいた。
少女たちは上質な絹のドレスをまとった、明らかに高貴な身分の姉妹だった。
年齢は小学校高学年ぐらいか?
姉らしき少女は美しい金色の髪を持ち、気丈にも震える妹を背中にかばい、盗賊たちを睨みつけているが、大きな瞳には隠しきれない恐怖の色が浮かんでいた。
「ひっ……! 近寄らないで!」
「へへへ、いい声で鳴くじゃねえか、お嬢ちゃん。金目のものだけじゃなく、お前たちの綺麗な身体も、たっぷり味見させてもらうぜ!」
盗賊の1人が少女のドレスに手をかけ、ビリビリッと下品な音を立てて引き裂いた。
雪のように白い肩の肌があらわになり、姉が悲鳴を上げる。
俺は息を殺してその光景を見ていることしかできなかった。
恐怖で足がすくみ、身体が石のように動かない。
助けたいという気持ちと、自分が出れば間違いなく殺されるという恐怖がせめぎ合い、思考が完全に麻痺していた。
(無理だ……! くそっ、ラノベの主人公なら、ここで迷わず飛び出して、隠されたチート能力で無双するのに……! 俺にはそんなものない! 称号:童貞しかない!)
俺はただ、自分の無力さを呪うことしかできなかった。
少女たちの必死の抵抗も虚しく、次々と屈強な盗賊たちに地面に押さえつけられていく。
美しいドレスは完全に引き裂かれ、まだあどけなさの残る柔らかな身体が、汚れた男たちの目に無防備に晒される。
「いやあっ! やめてっ!」
「お姉さま……っ! いやぁっ!」
姉妹の悲痛な叫びも、盗賊たちの下品な笑い声にかき消されていく。
俺は目を背けたくても、なぜか目が離せない。
教室で見た光景がより残酷で、暴力的な形で、目の前で再現されているかのようだった。
男たちは獲物を分け合うように、代わる代わる少女たちに覆いかぶさっていく。
1人が姉を押さえつけている間、別の男が妹の小さな身体を手荒にまさぐる。
抵抗する妹の顔の上に、別の男が無遠慮に跨り、自身の股間を押し付けた。
「んぐっ……! んんーっ!」
少女たちのくぐもった悲鳴が茂みに隠れる俺の耳まで届く。
(……なんだよこれ。なんなんだよ……)
教室の隅で「うわキモ」「ありえねー」とか言ってた連中は、今この光景を見てなんて言うんだろうな。俺と同じように、茂みに隠れて震えるだけか?
違う。こいつらにとっちゃ、これが『普通』なんだ。
『腹が減ったら、奪って食う』
『ムラムラしたら、襲ってヤる』
そこに倫理だの道徳だの、安全な場所から喚く声が入り込む隙はねェ。
金持ちの女? 綺麗な服? うるせェ。目の前に利用できる『モノ』がある。ただそれだけ。
それ以外の価値は全部、こいつらの興奮を煽るための追加オプションに過ぎねェんだ。
そうだろ? 紅林、庄司……。お前らみたいな奴らが、何の枷もなくなった世界に来たら、こうなる。これが真理。
これが……この世界の『普通』なんだ……!
男たちは恍惚とした表情を浮かべ、汗ばんだ額を少女の髪にこすりつけながら、自身の欲望のままに荒々しく腰を振っていた。
奴らの腰つきは紅林竜也が見せたものよりも、遥かに野蛮で、暴力的だった。
(あんな……あんな小さい子に……入るのかよ……! 口でも……できるのかよ……!)
俺の脳が理解を拒絶するが、目の前の光景は紛れもない現実だ。
男たちの腰が動くたびに、少女たちの体が小さく跳ね、か細い悲鳴が漏れる。
(ちくしょう……! やっぱ肝心な部分は見えねえ……!)
男たちの屈強な背中や、無作法に跨る足が壁となり、決定的な陵辱の瞬間は巧みに隠されている。
だがそれが俺の想像力をさらに掻き立てた。
見えない……! だが見える! 俺の脳内エロゲーエンジンが、最も残酷なスチルを勝手に生成しやがる! 最高のグラフィックとフルボイスで!
クソったれ! 俺は凌辱物じゃなくハーレム物が好きなんだよ!
見えないことが見えること以上に、俺の心を無力感と罪悪感で蝕んでいく。
やがて姉妹の瞳から抵抗の光が消え、暴れていた手足もだらりと力を失っていく。
彼女たちは虚ろな目でただピクピクと痙攣するだけの人形のようになってしまった。
その姿を見て、俺の胸に強烈な罪悪感と、どうしようもない無力感が突き刺さる。
(ごめん……ごめん……俺には何もできない……)
俺は唇を強く噛み締め、涙が溢れるのを必死に堪えながら、音を立てないように、静かにその場から後ずさった。
これ以上、この地獄を見てはいられない。今はただ、逃げるしかないのだと。
自分にそう言い聞かせ、俺は背を向けた。背後で続く、少女たちのくぐもった呻き声と、男たちの息遣いを聞かないように、耳を塞ぎながら。