第48話 グリーンウェルの本性
シルフィとの衝撃的なやり取りで、俺の繊細な心はズタズタに引き裂かれた。
一睡もできるはずがなく、俺は宿屋のロビーの長椅子で、死んだ魚のような目をして夜を明かした。
まあ、その前に赤髪ロングヘアの処女に吹っ飛ばされて、ずっと気絶していたから眠くなかっただけだがな。
(ウッドが悪のカリスマ……だと? 嘘だろ……。あいつ、武闘大会であんなに晴れやかな顔で『故郷に帰って幼馴染に結婚を申し込む』って言ってたじゃねえか……。童貞卒業して男として自信を付けたんじゃなかったのかよ。サリアだのシルフィだのミャミャだのリュカだのに手を出しまくって、それで自信がついたんじゃないのかよ……)
俺はそこでハッとする。
(まさか……幼馴染が死んでたとか、そういうベタな展開か? それなら世界全てを恨んで闇堕ちする理由も十分だ。……だがよ、ウッド。だからといって女の子を無理やり誘拐するなんてのは言語道断だぞ。武闘大会では戦わずに勝ったが、今回はガチでやるしかねえようだな……悲しいぜ、友よ)
そんな感傷に浸りつつも、俺の脳内コンピュータは冷徹に計算を弾き出していた。
(まあ、悪党のカリスマなんぞやってるんだ。間違いなくヤッてるだろ。それも毎日、攫ってきた女とパンッパンッてな! つまり24時間以内確定! 俺の『リア充絶対殺すマン』が発動して、瞬殺確定だ! 待ってろよウッド、ボコボコにしてやる!)
日が昇る直前の、独特の静けさと冷気がロビーを支配していた。
温泉宿特有の、湿り気を帯びた木の香りが思考をクリアにしてくれる。
すると……。
「よう」
短いが、その場の空気を一瞬で凍てつかせる、腹の底に響く声。
俺の目の前の椅子に、いつの間にか浴衣姿の男がどかりと腰を下ろしていた。
魔王軍のグリーンウェルのおっさんだ。
「こんなところにいたのか、部屋にいないから少し探したぜ」
(おっさん、相変わらず神出鬼没だな。また情報提供か? さすがは奥さん一筋の純愛マン!)
何度目かのやり取りで、俺はこのおっさんに妙な信頼感を覚えていた。
魔王軍の内情を俺に教えてくれる、デキる男。そして俺の『リア充チェッカー』がそれを裏付ける。
【グリーンウェル(人間・魔王軍)】
【最終性交時間: 22年と4ヶ月27日前(相手:故・妻・マリア)】
(ううっ……日付、ちゃんと進んでる……。泣かせてくれるねえ、おっさん……!)
俺は心の中で感涙にむせびながら、今回も「魔王軍に都合が悪いからウッドを退治してくれ。情報はこうだ」と、いつものカッケー態度で語ってくれるのを心の底から期待していたのだ。
だが俺の淡い期待は、檜の香りと共に綺麗に霧散した。
「今回も情報くれるのか? さすがおっさんだぜ」
「悪いが、その悪党のカリスマとやらも、この街の女性失踪事件も、魔王様は一切関与していない。悪いな、力になれん」
余裕のある、大人の男の態度だ。
だが俺は少しも落胆しなかった。
「謝らなくっていいぜ、おっさん。それも貴重な情報だ。つまり、犯人は100%人間の仕業ってことだろ? そりゃあ、めちゃくちゃ重要な情報じゃねえか。サンキュー」
俺が心の中で、よし、これで心置きなくウッドをぶん殴れると気合を入れていると?
「そいつはよかった」
そう言いながら、グリーンウェルは懐から一枚の、絵葉書程度の大きさの肖像画を取り出し、俺の目の前のテーブルに置いた。
そこに描かれているのは快活そうな笑顔を浮かべた、燃えるような赤い髪をポニーテールにした少女。
制服姿なのがポイント高い! ん? 赤髪……ポニーテール? どっかで見たような……。
「おっさん、これは?」
「ザッハークの騒動と違い、今回は魔王様は無関係だ。だから、俺があんたに協力できることはない。だがな、都合のいいことに、魔王様があんたに協力してほしいことが、この街に一つだけあるのさ」
ゴクリ、と俺は乾いた唾を飲み込む。
これはあれだ。持ちつ持たれつの八百長関係。今回はおっさんの方から俺に協力を要請してきた、そういうことだな。
「へへっ、任せとけって。で、この肖像画の女の子を見つけて、おっさんに引き渡せばオーケーか? 魔族の家出娘とか、そういうやつだろ?」
俺の親しげな問いに、おっさんはフッと微笑んだ。
「こいつの名前はカレン。とある魔法学校に通っていた、ただの人間だ」
(カレン? 魔法学校? それってパーカッション爺さんの曾孫かよ! よっしゃ、なんだか知らんが話が繋がったぜ! 俺たちも探す予定だったし、ここでおっさんの口から詳しい情報を得られれば一石二鳥じゃねえか!)
俺が内心でガッツポーズをしていると、おっさんの声のトーンが一段階、低くなった。
「こいつは魔法学校に、人間に擬態して通っていた魔族の正体を見破ってな。だが魔王様は寛大な御方だ。魔王軍に寝返れば命は助けると交渉の使者を送ったんだが、拒否しやがった。それどころか、交渉人が何人も帰ってこない。……寛大な魔王様も、ついにご決断を下された。この街に逃げ込んでいるそいつを……」
嫌な予感が滝のように背中を流れ落ちていく。
俺は恐る恐る、おっさんの顔を見た。彼の目は冗談など一切通じない、冷徹な光を宿していた。
「殺せ、とな」
「……!」
やられた。
八百長を持ちかけ、俺に有利な情報を渡してきたのも、こういうことをさせるためだったのか!
断れば用済みとばかりに消しにかかり、受け入れれば「じゃあ次はこいつを殺せ」と命令する。ヤクザの手口そのものじゃねえか!
「じゃあな。よろしく頼むぜ、勇者様」
俺は心臓がドックンドックンと警鐘を鳴らす中、立ち上がって背を向けるグリーンウェルをただ見つめることしかできなかった。
純愛の表示は変わらない。なのに……もう、こいつを尊敬できるおっさんだなんて、到底思えない。
「ああ、そうそう」
去り際、グリーンウェルは振り返ることなく、決定的な一言を俺の心臓に突き刺した。
「こういうふうに、俺はいつでもお前の側に現れる。お仲間が大事なら、これからも俺と仲良くしてくれよな」
かんっぜんな、完璧な脅迫じゃねえか!
スタスタと朝靄の中へと消えていくグリーンウェル。
「グリーンウェルのおっさん、インテリヤクザだったのかよ。俺、完全に手玉にされてたんか……」
そんな俺たちの姿を、ロビーの柱の影から、1人の少女が息を殺して見つめていた。
猫獣人のミャミャだ。彼女の猫の耳と尻尾は恐怖で逆立ち、わなわなと震えている。
彼女の優れた動体視力と、人ならざる知覚能力を持つ目には、グリーンウェルの姿はただの浴衣姿のおっさんには見えていなかった。
そこにいたのは全身から禍々しいオーラを放ち、その瞳だけが業火のように真っ赤に燃え盛る、ドス黒い何かの影だった。