第47話 誰だって好みがある
月明かりが手入れの行き届いた庭園を幻想的に照らし出していた。
夜風に乗って運ばれてくる、硫黄と檜の香りが混じり合った独特の匂いが鼻腔をくすぐる。
俺は宿の貸し浴衣に身を包み、気まずい沈黙の中、目の前に立つ少女の姿から目を逸らせずにいた。
黄金のナイト、リュカのパーティメンバー、2級冒険者シルフィ。
月光を浴びて淡く輝く金色の髪に、長く尖った耳。
浴衣姿でも隠しきれない、しなやかで蠱惑的な肢体。
彼女の美しさは、まさしく物語から抜け出してきたエルフそのものだ。
(ちくしょう……。クソビッチに助けられるとは一生の不覚だ……!)
だが同時に認めざるを得ない。
金髪美少女のエルフの浴衣姿。この組み合わせは反則だ。
考えても見ろ、金髪ショートヘア、尖った耳、ビッチ、2人っきり!
ここで誘惑されたら俺の貧弱な理性などひとたまりもない。
いや、誘われなくても理性が蒸発寸前だ。
(落ち着け、俺! ここで童貞を失ったら、俺の勇者生命は終わるんだ! 俺の『リア充絶対殺すマン』がただの『非モテ』に成り下がる! それに……俺の初めてはリイナって、心に決めてるんだ……!)
激しく葛藤しながらも、俺は社会人ならぬ異世界人としての最低限の礼儀を思い出し、なんとか言葉を絞り出す。
「……た、助けてくれて、ありがとうよ。精霊魔法ってのは回復もできるんだな。さすがは2級冒険者、肩書きは伊達じゃねえな」
そうだ、褒めるのを忘れるな。
こいつは1週間以上ご無沙汰、つまり俺のスキル補正は『わずかに上回る』レベルだ。下手に争い、苦戦でもしたら「あれ? 勇者って思ったより強くなくない?」なんて思われたら、俺の威厳に傷がつく。
そんな打算に満ちた俺の言葉に、シルフィはふっと、それこそ反則的なほど艶めかしい笑みを浮かべた。
「礼はいらん。こっちも貴様の仲間に助けられたからな、貸し借りなしだ。それに、今はリュカ様を救うため、貴様に協力をお願いする身だ。その程度の分別は弁えている」
(へえ……。単なる強くて嫌味で尻の軽いビッチ女だと思ってたが、意外にしっかりしてるんだな)
少しだけ見直すと同時に。俺の脳内で都合のいい妄想が爆発的に構築される。
(ま、待てよ、この展開……。助けてもらったお礼として、俺に身体を捧げようとするやつじゃないか? 夜の庭園、2人っきり、ちょっとだけはだけた浴衣から覗く太もも! あれ絶対、俺に見せつけてるだろ! グヘヘ……心臓のドキドキが止まらねえ! リイナには悪いがここで経験を積んでおくのもアリだよな? うん、アリだ! 世界平和はリイナとアンナとレイラに任せて、俺はここで引退しよう。それがいい、そうしよう!)
俺がハアハアと荒い息を吐きながら、人生の岐路に立っていると、シルフィがすっと俺の前に進み出て、その場で深々と頭を下げた。
「勇者オオイシセイヤ。リュカ様を救ってくれたあかつきには貴様の願いを……性的以外のあらゆることを最大限叶える努力をしよう。頼む、この通りだ」
「……」
俺の心臓のドキドキがピタリと止まった。
時が止まったかのような静寂の中、俺はゆっくりと、震える声で聞き返す。
「……うん、礼儀正しいよな。すごく礼儀正しい。でもさ……なんで今、わざわざ『性的以外』って付けたの?」
「は? 何を言っている?」
「って! もう一度言わせる気か! 『性的以外』ってなんだよ! だよ! リュカ以外の男とも寝てる、クソビッチのくせに!」
俺の魂からの叫びに、シルフィは心底不思議そうな顔で、平然と答えた。
「噂のことか? それがどうした。リュカ様だって、私以外の女に誘われたら、嫌な顔せずに片っ端から抱いているんだ。私が他の男と寝て、何が悪い」
「はああああ⁉ ハーレムの主が浮気するのは許されても、ハーレムメンバーが他の男と寝るなんてのはタブー中のタブーなんだよ! 一番やっちゃいけねえことなんだ! それがハーレムの掟ってもんだろ! 敵組織の裏切り者だったとしても、ダメージでけえんだよ!」
俺の目から涙が溢れる。
男だったとしてもダメージでかいんだぞ。裏切ったあげくに相棒が戦って殺してしまうのを想像してみろ。
それが女の子だぞ? デートして救っていたつもりなのに世界の根幹が揺らいでしまうだろ。
「なんだその、ふざけた男尊女卑のとんでも理論は。王族の後宮でもあるまいし、誰と寝ようが私の自由だろうが」
「ざっけんな! ていうか! リュカに悪いと思わねえのかよ! どうせリュカは、お前が他の男と寝てるなんて知らないんだろ!」
俺の言葉に、シルフィの表情が一変した。
それまでの余裕のある笑みは消え失せ、代わりにぞっとするほど冷たい、昏い光がその瞳に宿る。
「リュカ様に、悪い……? フフッ……フフフフフ」
(ひいっ! な、何その怖い笑み⁉ 俺の心臓、凍りつきそうなんですけど!)
「私はリュカ様と24時間、寝ている時も、お風呂の時も、トイレの時も、離れず結合していても構わないというのに……。リュカ様は誘ってきた女を、見境なく抱く。……当然、私はリュカ様が他の女を抱いている間、リュカ様が私の中に入っていない。……リュカ様に悪い? 違うな。リュカ様が悪い、だ!」
シルフィから放たれるオーラに、俺は完全に気圧されていた。
ヤバい。こいつ、ガチでヤバい奴だ。
だが……そうだ、まだ肝心なことが残っている。
「……な、なら! なんで俺には性的は拒否なんだよ! 俺は年中無休、開店休業状態で空いてるんだぞ!」
俺の悲痛な問いに、シルフィはハッと我に返ると、俺の頭のてっぺんから爪先までをじろりと値踏みするように見下ろし、心底どうでもよさそうに、こう言い放った。
「決まっているだろう。私にだって、好みがあるんだ」
月夜が俺たち2人を静かに照らしていた。
俺は庭園の冷たい石畳に両手をつき、がっくりと項垂れる。
「ちくしょう……ちくしょう……ウッドにも抱かれたくせによお……」
大粒の涙がぽたぽたと地面に染みを作っていく。
そんな俺に、シルフィはさらに追い打ちをかけるように、衝撃の一言を告げた。
「……オオイシセイヤ。古城に巣食う悪党のカリスマは……」
シルフィの声のトーンが真面目になり、俺は顔を上げる。
そして……最悪の一言を耳にする。
「ウッドだ」