第46話 曲がり角でぶつかって恋が始まるなんて幻想、猛スピードで走る人間を舐めてはいけない
保養都市ブリューレの夜は湯気と硫黄の香りに満ちていた。
俺は部屋を追い出されたやるせなさを胸に、宿自慢の大浴場の、檜の香りが心地よい湯船に肩まで浸かっていた。
ざあ、と湯が縁から溢れる音が静かな男湯に響き渡る。
(くそお……。これも全部、俺に人望がないせいだ……。だが、まあいい。温泉は最高だ。人類の叡智だ。長旅の疲れが骨の髄まで溶けていくようだぜ。……それにここは温泉だ。つまり、何が起きてもおかしくない……。リンネとフェルトのように、うっかり道を間違えたリイナが「キャッ!」とか言いながら入ってくるとか、アンナが「ここも経験値稼ぎの場ですね!」とか言いながら乱入してくるとか、レイラが「温泉饅頭は温泉で食べるのが一番です」とか言って……)
そんなラッキースケベへの淡い期待は、隣で湯に浸かるおっさんたちの、下世話な噂話によって無慈悲に打ち砕かれる。
「おい、聞いたかよ。北門前の土産屋の看板娘、今日から急に出勤してこなかったんだとよ」
「ああ、聞いた聞いた。またアレかねえ。また女がいなくなったって話だろ? この街も物騒になったもんだ」
俺は聞き耳を立てる。土産屋の看板娘……失踪事件の新たな被害者か。
「まあ、どうせどこぞの観光客とイイ仲になって、駆け落ちでもしたんだろ。あの娘も清純そうに見えて、裏は派手にヤることヤッていたのさ。今の若い娘はみんなそうだからな」
「そうか……。あの娘も、ヤッていたのか……。切ねえぜ……。男なんてみんな狼なのによお……」
なぜか、おっさんは遠い目をして、目頭を熱くしている。
その言葉と態度が俺の心の古傷を無慈悲に抉る。
(わかるぜ……その気持ち……!)
俺の脳裏に机の上で喘ぐ成瀬遥の顔と、体育倉庫で淫らな音を立てていた愛崎咲耶の姿が鮮やかにフラッシュバックする。
そうだ、清純に見えても、太陽のように笑いかけてくれても、女はみんな裏ではヤることヤッてんだ。
男の純情なんて、薄っぺらいガラス細工みてえに、いとも簡単に踏みにじりやがる。
俺の胸から、どうしようもない悲しみが溢れ、湯船の湯と混じり合った。
「でもよ……」
俺は同情と共感の念を込めて、噂話をしているおっさんたちに『リア充チェッカー』を発動させた。
こいつらも俺と同じ、女に裏切られた悲しき過去を持つ、非モテの同胞……なんかではない。
【中年のおっさんA】【最終性交時間: 18時間14分前(相手:援交少女(14歳))】
【中年のおっさんB】【最終性交時間: 15時間02分前(相手:援交少女(16歳))】
「てめえらもガッツリやッてんじゃねえかあああああああああ!」
俺の魂からの絶叫が、湯気立ち込める男湯に虚しく響き渡る。
おっさんたちは「なんだこいつ」という目で俺を一瞥すると、再び噂話の続きを始めた。
「それだけじゃねえ。なんでも近くの古城に、とんでもねえ腕利きの悪党が棲み着いたらしいぜ。悪党どものカリスマだとか」
「俺たちも今のうちに、この街から逃げ出した方がいいかもしれんな」
その話は今はどうでもいい!
(援交少女⁉ なんて魅力的な単語が出てくるんだああああ! くそっ! 金か! 金さえあれば、俺でもヤれそうな単語じゃねえか……!)
ゴクリ、と俺は乾いた喉を鳴らす。
温泉の熱に当てられたのか、それとも下世話な妄想のせいか、湯船の中の俺の分身が温泉の温度に負けないぐらい熱く、硬く、滾ってくるのを感じた。
まあ、援交少女に処女いねえから論外だがな。
「ちっ……! 温泉お約束である、小さい女の子がパパと一緒に入ってくるラッキースケベイベントすらなしかよ! ついてねえぜ!」
俺は悪態をつきながらザブンと湯船から上がり、火照った身体を冷ますのもそこそこに、リイナたちの様子を見に行くべく部屋へと向かった。
長い廊下を歩いていると、角から猛烈な勢いで走ってくる人影が現れた。避けようとする間もない。
突然だが、恋愛の始まりでベタな展開知ってるか? 主人公と美少女が曲がり角でぶつかるって出会いさ。
最後の最後に全員で拍手するアニメとか、鍵を持つ許嫁がたくさん出てくるマンガとかが有名だな。
後半のは上空からの爆撃のようだったが。
フッ……俺も前世で早朝に、よく食パンくわえて走ってたっけ。
全て躱されたがな!
そこから互いに惹かれ合う王道展開。
でもよ……ぶつかった今なら言える。
現実でぶつかると、めっちゃ痛えええええ。
ドゴッ!
凄まじい衝撃により、俺の身体はまるで紙切れのように軽々と吹っ飛ばされた。
「ぐはっ⁉」
「こんなところでチンタラ歩いてるんじゃねえ! このウスノロ野郎!」
俺にぶつかった人影は、悪態をつきながらも速度を一切緩めず、そのまま闇の中へと走り去っていく。
薄れゆく視界の中で俺が見たのは、どこかの学校の制服に身を包んだ、燃えるような長い赤い髪のロングヘア。
そして、俺の脳裏に最後に浮かんだウィンドウは……。
【赤髪の少女】【最終性交時間: 無】
(ああ、そうさ……。経験なしの……処女にぶつかったから……俺は吹っ飛んだのさ……)
ぶつかった相手も、まさかただ衝突しただけで男が瀕死の状態になるとは夢にも思うまい。
俺が吹っ飛ばされた先は運悪く中庭の生垣の影。外からでは死角になる場所だ。
(誰か……気づいてくれ……。リイナ……アンナ……レイラ……)
俺は仲間たちの顔を思い浮かべながら、ゆっくりと意識を手放した。
***
「……おい、無事か?」
誰かの声で、霞がかった意識がゆっくりと覚醒する。
頭上には満月が冷たく輝き、周囲の空気はひどく冷え切っていた。
時間は……深夜か?
ぼやけていた視界が徐々に焦点を結んでいく。
俺の顔を覗き込んでいたのは月明かりを浴びて幻想的に輝く、美しい金色の髪と、長く尖った耳を持つ少女。
「ふん……。勇者の割に、こんなところで酔い潰れて寝ているとはな。情けない」
その声、その姿……。
俺を助けてくれたのは、まさかのエルフの弓使い、シルフィだった。