第38話 ヒロインたちは一応主人公を信じている
薄暗く、カビと絶望の匂いが立ち込める石造りの広間。
壁際にずらりと並べられた松明の頼りない光が、無数の少女たちの青ざめた顔を不気味に照らし出している。
その人質の列の最前列に、リイナは気を失ったまま無造作に転がされていた。
「う、うーん……」
リイナが呻き声を上げてゆっくりと目を開ける。
最初に感じたのは手足を締め付ける荒縄の不快な感触と、聞き慣れた仲間たちの声だった。
「リイナ様も捕まってしまいましたか。これは完全にチェックメイトですね」
静かに嘆息するのは、同じく縄で縛られながらもどこか達観した表情のレイラだ。
「この身代わり人形、何体倒しても経験値ゼロで本当につまらないです。それに、ゴキブリみたいに1匹見たら30匹はいるんじゃないかってぐらい、ワラワラ湧いてきますし」
アンナもまた、再び縄で縛られたことに不満を隠せないのか、唇を尖らせてムスッとしている。
リイナは自分の状況を把握すると、仲間たちの安否を確認した。
「はっ……! アンナ、レイラ、無事だったか!」
「無事ではありません。ご飯が出ないのでお腹が空きました」
レイラが力なく首を振り、しょんぼりと俯く。
「でもでも! なんか、私たち、魔王様のところに奴隷として出荷されるらしいですよ? それって逆に大チャンスじゃないですか? わざわざ魔王を探しに行かなくても、向こうから会いに来てくれるようなものです! 目の前まで行ったら、ぶん殴ってやりましょう!」
アンナは絶望的な状況にも関わらず、目をキラキラと輝かせ、拳を固く握りしめている。
彼女のポジティブさに、リイナは安堵と呆れが入り混じった複雑な笑みを浮かべた。
「ふふっ……相変わらずだな、君たちは。セイヤではないが少し安堵したぞ。……性的なことはされていないのだな」
リイナは壁際に並ぶ、生気を失った他の人質たちに視線を移す。
彼女たちの衣服に乱れはないが、食事も水もろくに与えられていないのか頬は痛々しいほどにこけていた。
「それはあのラブドールがあったからでしょう。それに、私たちは魔王への献上品ですからね。傷モノにするわけにはいかないのでしょう」
レイラが冷静に分析する。
「おそらく、この場所は女性を年齢別に分別して収容しています。ここは10代の部屋のようですね。ピチピチなので私たちは助かっていますが、他の部屋はどうなっていることか……」
「……やはり、手をこまねいているわけにはいきませんね!」
レイラの言葉に、アンナが決意を固める。
「フンスッ!」
気合一閃。アンナは全身の筋肉を膨張させ、いとも簡単に自身を縛る縄を引きちぎった。
それはもはや人間の所業ではない。
やはりゴリラの化身。
そんな感想をレイラとリイナが抱いていると。
「なっ……! 通常の10倍の硬度を誇る、魔鉱石を編み込んだ特製の荒縄が……⁉」
広間の奥の暗闇から驚愕に満ちた甲高い声が響く。
姿を現したのはビヨーンと横に伸びた特徴的な髭を持つ、小柄な金歯の男だ。
アンナは伯爵の驚きなど意にも介さず、リイナとレイラの縄も手際よく解いていく。
「なるほど。貴様がこの事件の真の黒幕か。ザッハーク卿の側近でありながら、裏で私腹を肥やしていた悪徳貴族、ドリアン伯爵!」
リイナが憎しみを込めてドリアンを睨みつける。
手には愛剣が握られていた。
「きへへへ! いかにも! これは我らが敬愛するレンデモール王国第一王女、リイナ姫殿下! 気づいたところでもう遅い! この空間は完全に隔離されておる亜空間よ! 貴様らがどれだけ暴れようと、外には音一つ漏れはせんわ!」
ドリアンが勝ち誇ったように笑った瞬間、リイナの剣閃が音もなく奴を襲う。
だがその切っ先が届く寸前、どこからともなく現れた1体のラブドールが身代わりとなって両断された。
「って! 人が気持ちよく喋っておる途中じゃろうが! 少しは空気を読まんか、この無作法者が!」
ドリアンが癇癪を起したように叫ぶ。
その隙を見逃すリイナではない。
「アンナ! レイラ!」
リイナの短い号令に、2人は瞬時にその意図を理解する。
「無限に湧いてくるというのなら、有限になるまで殴り続けるだけです!」
アンナが嵐のような速度でドリアンに肉薄し、回し蹴りを放つ。
それもまた、別のラブドールによって防がれる。
だが破壊速度は明らかに、1体ずつ相手にするよりも速い。
リイナとアンナ、二方向からの猛攻に、ドリアンの額に焦りの汗が滲み始めた。
「ええい、忌々しい! ラブドールども、そこの人質を始末せい!」
ドリアンの号令一下、壁際で見張りをしていたラブドールたちが無機質な動きで人質たちへと向き直る。
だがラブドールたちが、か弱い少女たちに手をかけようとした刹那、広間全体が聖なる光に包まれた。
「私の存在を忘れては困ります」
レイラが胸の前で静かに手を組むと、彼女を中心に防御結界が展開され、ラブドールたちは光に弾き飛ばされていく。
にっこりと微笑むレイラの顔は、まさしく聖女そのものだ。
「さあ、勝負と行きましょうか、伯爵様。私のお腹が空腹で限界を迎えるのが先か、リイナ様とアンナさんがあなたを倒すのが先か!」
「おのれ、おのれえええええええええ!」
追い詰められたドリアンが裏返った声で叫ぶ。
「アガット! アガットォ!」
ドリアンの呼び声に応じ、奥の扉から現れたのは、あのラブドール工房の主、アガットだった。
「アガットよ! もはや躊躇している場合ではない! あの試作品どもを使うのじゃ!」
「やれやれ……あれは魔族の女性用で、人間用ではないのですがねえ」
アガットがため息交じりに指を鳴らすと、彼の背後からぞろぞろと現れたのは、超絶イケメンの同じ顔をした男たちの集団。
筋肉質で、彫刻のように整った顔立ち。瞳には感情がなく、ただ目の前の獲物を求める欲望だけが宿っている。
女性用のラブドール、ドール君の集団だ。
「ええい! もはや貴様らは用済みじゃ! 女なんて代わりはいくらでもおるわ! 美少女だからと調子に乗りおって! 顔だけの雌豚どもは魔王様にでも可愛がられるがよかったものを! フハハハ、こいつらは無限の勃起力を持つ究極の兵器じゃ! それが数十体! 永遠に腰を振られ、身も心も快楽の奴隷となるがよい! さあ行け! ドール君たちよ!」
ドール君たちが下半身の衣服を自ら引き裂き、パンツ一丁の姿でじりじりと迫ってくる。
ドン引きするしかない異様な光景に、さすがのアンナとレイラも一瞬、動揺の色を見せた。
だがリイナだけは違った。彼女はフッと、美しい唇に自信に満ちた笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、アンナ、レイラ。……もうすぐ、きっと来る」
「「え?」」
「セイヤが来る。奴が来れば、この状況は必ずひっくり返せる」
確信を込めて言い切るリイナの力強い瞳に、アンナとレイラも気圧され、再び闘志を燃やす。
「あの小僧がここにたどり着けるじゃと? 万に一つもありえんわ! ……じゃが面白いことを思いついた。貴様らが陵辱される様を、あの小僧に見せつけてやろう。惚れた男に無様な姿を見られる快感を、たっぷりと味わうがいい!」
ドリアンの下卑た言葉に、3人は少しも恐怖や羞恥の表情を見せなかった。
「……ふぅ。何を勘違いしているのやら」
「そうです。快感なんて、ぶん殴って経験値に変える快感に勝るものはありません!」
「というか、あれに本気で惚れる女性はいませんよ。……ですが」
リイナ、アンナ、レイラ。3人の声が奇跡のように重なり合った。
「「「オオイシセイヤは必ず現れる。自分以外の外道を退治するために」」」
「ええい、黙れ黙れ! 行け! ドール君たちよ!」
ドール君たちが一斉に襲いかかろうとした瞬間。
ドゴオオオオオオオオオオオオンッ!
広間の分厚い鉄の扉が、凄まじい轟音と共に内側へと吹き飛んだ。
逆光の中、そこに立っていたのは全身から怒りのオーラを立ち上らせ、両目を血のように真っ赤に染め上げた女装した男。
「女子トイレの神隠しは……俺がこの世で最も許せねえことなんだよおおおおおおおおおおおッ!」
勇者、大石星翼が現れたのだ。