第36話 男は女の一言で闇に堕ちる生き物なんだから、言葉選びは慎重に
領主邸の重厚な扉を蹴破った俺たちの目に飛び込んできたのは、男の欲望を煮詰めて凝縮したかのような、あまりにも羨ましい光景だった。
広大なエントランスホールではメイド服に身を包んだラブリーちゃんたちが、執事服や重厚な鎧をまとった男たちにあらゆる奉仕を行っていた。
あそこのソファはご主人様の膝枕でうっとりと耳掃除を。
こっちの柱の陰では鎧騎士様のお口へ「あーん」と果物を。
階段の手すりにもたれかかり、見つめ合って、口づけを……。
「ここは某ファミレス風メイド店⁉ いや、……ここはメイド服風俗店⁉ ……いやあ、最高じゃぁないですかぁ」
俺が羨望と嫉妬で涎を垂らし、この楽園の住人になりたいと本気で悩み始めていると、俺の視界がふわりと柔らかな布で覆われた。
「セイヤ、見るな。貴様が見たら魂ごと相手側に寝返りかねん」
背後から聞こえる、リイナの冷静だがどこか呆れた声。
「あの……リイナさん? そこは『生々しい他人の営みをセイヤに見られたくない』っていう、純真な乙女心を発揮するところじゃないんですかね? てか、俺だってリイナにこんな破廉恥な光景、見てほしくないんですけど!」
「安心しろ、セイヤ。私も目は瞑っている。こんな汚らわしい存在ども、心眼で対処してやる。貴様も勇者なんだ。心眼で対処したまえ」
「……心眼って、俺、剣の達人とかじゃないし……。てか『汚らわしい存在を対処してやる』って、すっごく嫌な予感がしてきたんですけど⁉」
くっ! クールになれ大石星翼ッ!
リイナの匂いはもう覚えた! 俺が避ければ済む!
ああ……マーキングして俺の匂いも混ぜてぇ……。
ん? 目隠しされているのに、なぜか見えるぞ。
そう、俺の脳内『リア充チェッカー』は健在だ。
煌々と輝く24時間以内の表示が敵の位置を正確に教えてくれる!
こうして、目を瞑っている王女剣士リイナと、布で目隠しされた勇者俺という、傍から見ればただの不審者コンビの領主邸での快進撃が始まったのだった。
次々と、チェッカーの表示が地面で微動だにしなくなる。
「そこだ!」
リイナの鋭い声と共に、剣閃が空気を切り裂く。
「うわっ! 俺だよ俺! リイナ!」
俺は寸でのところで斬撃を避ける。
「むっ……すまない。一際、邪で下劣なオーラを感じたものでな。……悪いがセイヤ、間違えないためにも、戦闘中は常に喋り続けてくれ。わーわーと騒いでいるだけでもいい」
「嫌な予感、的中かよ! コンチクショーめ!」
ただ、わーわー騒ぐのも芸がない。どうせなら、この溜まりに溜まった鬱憤を晴らさせてもらう!
口の悪さなら負けはせん!
俺は襲い来る男たちをいなしながら、魂の叫びをぶちまけた。
「おい、野郎ども! 聞かせてもらおうか! お前ら、本当にラブリーちゃんで満足してんのかよ!」
「何だと、この余所者め! おかげで俺は生まれて初めて童貞を捨てられたんだぞ!」
「そうだ! 若くてピッチピチの肌を、俺が飽きるまで触っていても、優しく微笑んでくれる! こんな最高の女で満足しないわけがないだろうが!」
そうだそうだ、と野郎どもの大合唱がホールに響き渡る。
「本当にそうか? 空気に流されてる奴がいるんじゃないのか? 確かにラブリーちゃんはめちゃくちゃスペックの高い超絶美少女だ! 乳首も綺麗なピンクだし、張りのある巨乳だし、まさに男の夢を叶えるために産まれた存在と言っていい! ヒエッ⁉」
俺の頬に剣の風圧が掠めた。
「うわっ! 喋ってるでしょ、俺! なんで攻撃してくるの、リイナさん!」
「すまん、手元が狂った」
「嘘だ!」
俺は涙目になりながらも説得を続ける。
「と、ともかくだ! 容姿、若さ、スタイル、ラブリーちゃんは完璧だ! 俺も絶対欲しい逸品だ! 街で見た時、思ったぜ! 男に守られるように腕を組んで、上目遣いに目をキラキラさせて語りかけるラブリーちゃんをな! でもよ、それで本当に満足か? そいつら、お前らが他の女にうつつを抜かしても、嫉妬してくれるのか?」
「嫉妬だと⁉」
「そうだ、嫉妬だ。他の女の胸を見ていたら耳引っ張られたり、頬を思いっきり平手打ちしてくれるか? しないだろ? そんな女に満足か? 俺は……嫌だね」
俺の言葉にある男が怒りを込めて叫ぶ。
「それで俺たちがどんな目に遭ってきたか、男ならわかるだろ、勇者!」
(え? 俺が嫉妬されたことなんて、あるわけないじゃん!)
「ちょっと娼館を利用したのがバレただけで、井戸に逆さ宙吊りにされたんだぞ!」
「そうだ! 女は横暴だ! 妻だって浮気してた癖に、俺が浮気したのを利用して慰謝料と親権を奪いやがって……!」
「『私と仕事、どっちが大事なの!』と毎日毎日……! 心身ともにすり減ったぜ……」
「初めての時に『え、もうイッたの⁉』と言われたあの屈辱、俺は生涯忘れん! 女なんてただのビッチだ! 処女血も流れなかった! ラブリーちゃんはそんなこと断じて言わない! 直せば処女血も毎回出る!」
そうだそうだ、と再び怒りの大合唱。
(あるぇ? 俺、説得の方向、間違えたか?)
すると、穏やかで知的な紳士の声がした。
「勇者殿、貴殿もこちらへ来たまえ。共にラブリーちゃんを愛で、男だけの理想郷を築こうじゃないか」
「セイヤ、貴様ッ!」
リイナが慌てた声で目を見開き、俺の方を振り向いた。
その時の俺がどんな顔をしていたのか、自分でもわからない。
ただ、俺の魂の叫びが響き渡ったのだけは覚えている。
「じゃかあしいわああああああ! 俺は誰にも肌を触れさせたことのない女にしか興味ねえええええ! 俺が最初に触る! ずっと触り続ける! 片時も離れねえええ! 皺が増えたねとか言って殴られてええええええ! 永久に若い肌羨ましいじゃねえか、クソったれええええええ!」
【ユニークスキル:『リア充絶対殺すマン』発動!】
俺は雄叫びと共に、目隠しされたまま、ただ本能のままに駆け抜けた。
一瞬だった。
俺がホールの中央で止まった時、そこには無数の男たちとラブリーちゃん人形が折り重なるようにして倒れ、完全に沈黙していた。
(な、なんという早業……。オオイシセイヤ、性格は下劣でアホだがその実力はやはり勇者にふさわしい……のか……?)
リイナが内心で俺の実力を再評価する。
「さあ、行こうぜリイナ。惨劇を終わらせるために。この家の主、領主の部屋に」
俺は目隠しをしながら、クールに決めた。
「待て、セイヤ」
「ん?」
ドゴッ!
「ぐべっ⁉」
俺は目の前の硬い何かに、見事なまでに真正面から激突し、その場に崩れ落ちた。
……俺の意識はここで途切れている。
全ての戦いが終わったはずのこの場所で、一体誰が俺を襲ったというのか。
もし、この場面を誰かが見たなら教えてください。何故、俺は気絶したのですか?
それだけが私の望みです。大石星翼。
「柱が……それとセイヤ、領主なら、貴様が今なぎ倒した連中の中にいるんだが……」
リイナは白目を剥いて伸びている俺を見下ろし、深いため息をついた。
「……これから私に、一体どうしろと言うのだ」
リイナはセイヤのよくわからん強さと脆さも目撃しつつ、天を仰ぐのだった。