第33話 異世界の女子トイレの仕組みは考えてはいけない
工房都市ザッハークの冒険者ギルドは不気味なほどに静まり返っていた。
本来ならば、昼下がりのこの時間はエールを呷る冒険者たちの野太い笑い声や、次の依頼を巡る口論で満ちているはずだ。
だが今、巨大なホールに響くのは俺たちの足音と、どこかの窓ガラスが風でガタガタと鳴る音だけ。
まるでゴーストタウンのようだ。
「……何かがおかしい。ギルドがこれほど閑散としているなど、ありえん」
リイナが眉間に皺を寄せ、警戒心を露わにしながらホールを見回す。
カウンターの奥にも、酒場のテーブルにも、人の気配は一切ない。まさかの開店休業状態だった。
壁に設置された依頼掲示板だけがこの場所がかつて機能していたことを示している。
そんな掲示板から、古くなった羊皮紙の依頼書が一枚、はらりと力なく床に落ちた。
「この街は一体どうなっているのだ? 万が一、魔物や盗賊が街を襲った時、衛兵だけで対処できるとでも思っているのか……」
リイナが絶句する中、アンナが「あ、すみません」と軽く手を挙げた。
「ちょっと、お花を摘みに行ってきますね♪」
「あっ、私もです。ちょうど行きたいと思っていました。ご一緒します、アンナさん」
レイラもにこやかに続き、2人は連れ立ってギルドの奥にあるトイレへと向かっていく。
そんな2人の後ろ姿を見送りながら、俺はつい、思ったことをそのまま口にしてしまった。
「ははっ、女の子って本当に連れション好きだよなあ。まあ、リイナはそういうのしないもんな。王女様だし」
俺のデリカシーのない一言に、リイナが氷のように冷たい視線を向けてくる。
「……セイヤ。貴様、私のことを何だと思っている? 人でも、魔族でもない、排泄すらしない生命体だとでも思っているのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ただでさえ貴様の下劣な言動に、貴様のイメージは地に落ちているというのに……これ以上、私を貶めるのはやめてもらおうか」
心底呆れたようにため息をつくリイナの反応に、俺は少しだけ胸をときめかせた。
(うん、やっぱリイナ王女はこうじゃなくっちゃな。気品があって、ちょっとツンとしてて……それでいて俺に真面目に相手してくれる。そこが最高だぜ)
俺が1人悦に入っていると、リイナは気を取り直して掲示板へと歩み寄った。俺もその後に続く。
掲示板に貼られた依頼書はどれも色褪せ、古いものばかりだった。
だがリイナがあることに気づき、息を呑む。
「……セイヤ。行方不明者の調査依頼が妙に多くないか?」
「ん?……本当だ。ていうか、ここ最近の日付の依頼って、全部それなんじゃないか?」
俺たちは顔を見合わせた。依頼書に書かれている内容はどれも酷似していた。
行方不明になっているのは例外なく若い女性。
そんな彼女たちがいなくなった状況は……。
「……入浴中、就寝中、トイレの個室。どれも女性が1人きりになる瞬間を狙っている……」
リイナが震える声で呟くと、俺たちの脳裏に同じ光景が浮かんだ。
さっき、トイレへと向かったアンナとレイラの姿が。
「「ハッ!」」
俺たちは同時に顔を上げ、視線を交わす。
リイナの顔からサッと血の気が引いていく。
「セイヤ! 君はここで待機だ! 私が女子トイレを探索してくる!」
「ふざけんな! それでお前までいなくなったらどうするんだ! 俺に生涯の後悔を背負わせる気かよ⁉」
俺はリイナの腕を強く掴む。彼女の華奢な腕が驚きでわずかに震えた。
「安心しろ、俺にスカトロ趣味はない! 絶対に変な目で見るような真似はしねえから、一緒に行くぞ!」
「……最後の台詞さえなければ、少しは見直したんだがな」
リイナは心底うんざりした顔でそう言ったが、俺の手を振り払うことはしなかった。
俺たちは駆け足で女子トイレへと向かう。
扉を開けると、そこには案の定、誰の姿もなかった。
いくつかの個室の扉は開け放たれ、中には争ったような形跡もない。
まるで、そこにいた人間だけが神隠しにでもあったかのように、忽然と姿を消していた。
「おい、お前ら、何か知らんのか?」
俺はトイレに棲息して、人間の大小を畑に運ぶ役目を担っているスライムたちを睨むが、スライムたちは一目散にゼリー状となって逃げていく。
ちっ、ただあいつら問い詰めても人語喋らんし、追い詰めすぎると大小ぶち撒けてくるから無駄か。
「アンナ……レイラ……! そんな……嘘だッ!」
リイナがその場に崩れ落ちそうになるのを、俺は肩を抱いて支えた。
「落ち着け、リイナ! 今、慌てても事態は好転しねえ! まずは状況整理だ。さっき暴れていた男、いただろ? あいつが何か知っている可能性が高い! 一緒に牢屋へ向かうぞ!」
俺の冷静な言葉に、リイナはハッと顔を上げた。
彼女の瞳に、わずかながら理性の光が戻ってくる。
「セイヤ……」
彼女が俺の名前を呼ぶ声にはほんの少しだけ、信頼のような響きが混じっていた気がした。
俺はここぞとばかりに、彼女の肩を抱く腕に力を込め、キザなセリフを囁いた。
ここでカッコつけなくてどうする!
「あっ、それからリイナ。この事件が解決するまで、俺の側から絶対に離れるな。風呂もトイレも……もちろん、ベッドでもな」
カッコよく決めたつもりの俺だったが、リイナはすっと俺から身を離すと、強い意志を宿した瞳で真っ直ぐに俺を見つめ返した。
「……いいか、セイヤ。私もいつ、奴らの毒牙にかかるかわからん。だから、この事件は短期間で解決するぞ。だが……万が一、私が奴らに捕らわれた時は君1人で、必ずこの事件を解決してくれ」
「え? いや、だから俺がずっと一緒に付きっきりでいて守るって……」
「約束だ。私がいなくなっても、必ずアンナとレイラを助け出し、事件を解決すると。……わかったな?」
俺はリイナの王女としての気迫の眼差しに気圧され、ただ頷くことしかできなかった。
「……はい」
俺の異世界ライフ、どうやら恋愛シミュレーションゲームではなく、高難易度のサスペンスホラーへとジャンル変更されたらしい。
ちくしょうめ。
(……だが、待てよ。この状況、この展開……。何かに似ている。閉鎖的な街、連続する失踪事件、そして俺をゴミカスの目で見ている王女様……! ええい! 金属バットは異世界にあるのか⁉)
俺の脳裏にクスクス笑う看護婦の顔と、高校で落ちこぼれた金髪巨乳カチューシャの顔が浮かぶ。
……キャッキャウフフが見たかったです。