第30話 昔語り(レイラ)
アンナの壮絶な過去語りの余韻がまだ車内に重く漂っている。
気まずい沈黙を破るように、俺が「さーて、次は誰の番かなー?」とわざとらしく明るい声を出すが、リイナはまだアンナの過去にショックを受けているのか、窓の外を眺めて考え込んでいる。
「それじゃあ、次は私がお話ししますね」
静かに手を挙げたのは、巨大な骨付き肉の最後の一片を名残惜しそうに飲み込んだレイラだ。
彼女はナプキンで口元を丁寧に拭うと、コホンと一つ咳払いをして、淡々と、遠い目をして語り始める。
「私も、両親の顔は知らないんです。物心ついた時には王都の大教会で暮らしていましたから」
彼女の言葉にアンナがハッとしてレイラを見る。
孤児という共通点が、2人の間に絆を生み出しかけている。
「毎日、お祈りと、お勉強と……。それから、教会のお掃除、神父様たちのお食事の準備、山のようなお洗濯……。夜、眠る時間以外はずっと働いていましたね。教会では私たちのことを見習いシスターと呼んでいましたけど、平たく言えば、無報酬で都合よく使える駒って扱いです」
淡々と語られる過酷な労働。
だが彼女の口調には悲壮感もなければ、憎しみもない。
まるで他人事のように事実だけを述べている。
そんな無感情さが、逆に彼女の置かれていた状況の異常さを際立たせる。
「そうだったのか、レイラ……。君も、辛い子供時代を……。だが私が聞いていた『聖女レイラ』の伝説とは少し違うな」
「聖女伝説?」
「ああ。聖女レイラは幼くして聖典を読破し、神学の粋を修めた天才少女。昨年、教会で原因不明の疫病が流行り、名のある神父や高位のシスターたちが次々と病死していく中、残された人々を清き心でまとめ上げ、ついには疫病の根源すらも絶ったという……。だから私は勇者選定戦に参加せずとも、是非とも君に魔王討伐の一員になってもらいたいと思っていたのだ。君の回復魔法も、噂に違わぬ見事な腕前だったからな」
リイナからの賞賛の言葉に、レイラは「えへへ……」と子供らしく照れてみせる。
車内は一瞬、感動的な雰囲気に包まれる。
(……ん? ちょっと待てよ……)
俺だけがその感動的な話の裏にある、恐ろしい矛盾に気づいていた。
(疫病? 名のある神父やシスターが……次々と病死? まさか……)
俺が驚愕の瞳でレイラを見つめると、視線に気づいたレイラが俺にだけ聞こえるように、脳内に直接、澄み切った、感情の読めない声を響かせてくる。
『世の中には、気づいてはならない事情があるのです』
ゾクリ、と俺の背筋を氷のような悪寒が駆け抜けると同時に、あの呪殺の詠唱が脳内で響き始める。
『……闇よりもなお昏きもの、ヤマの投げ縄……』
「わー! わー! 黙ってます! 完全に黙秘権を行使させていただきます!」
俺は慌てて両手で自分の口を塞ぎ、ぶんぶんと首を横に振る。
「どうしたのだ、セイヤ。急に」
「ああ、そういえば」
俺の奇行にリイナが訝しげな顔を向ける中、アンナが会話に割って入る。
「レイラちゃんが有名になる前の大教会って、王都でも評判最悪でしたもんね。私のバイト先にも、神父様たちがしょっちゅう来ては『神への献金が足りない』とか言って、売上を要求してきましたよ? 断ると、店の前に汚物をばらまかれたりして、本当に迷惑でした」
アンナは思い出したように、さらに続ける。
「そういえば、私より少し年上で、とっても可愛い先輩がいたんですけど……ある日、『高位の司祭様に呼び出された』って店長に告げたまま、お店に戻ってこなかったことがありましたね……。次の日、司祭様は何事もなかったかのように、またお店にたかりに来てましたけど」
アンナの言葉に、リイナも深く頷く。
「ああ……。決して褒められた者たちではなかったな。教会は腐敗し、その力は王国の政治にまで及んでいた。癒着していた貴族たちが教会の力を笠に着て私腹を肥やす……。父も長年、その問題には頭を悩ませていたが司祭死亡後、ようやく重い腰を上げて教会への介入と、腐敗貴族の処断に踏み切ってくださったのだ」
「……その進言をしてくださったのがリイナ王女であったと、後から知りました。この場で改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました」
レイラがリイナに向かって深々と頭を下げる。
「よ、よせ、レイラ! 照れるではないか!」
顔を赤らめ、慌ててレイラを立たせるリイナ。
(……なるほどな。つまり、平たく言うとこういうことか)
俺は感動的な光景を横目に、脳内で恐るべき物語の全貌を再構築していた。
(教会のお偉いさん方はロクでもない悪党揃い。アンナの先輩を性奴隷にしたり、街から金を巻き上げたりやりたい放題。それを見かねたリイナ王女が親父に『あいつらどうにかしろ!』と進言。王国が本格的に調査に乗り出す。悪事がバレると悟った教会幹部たちが証拠隠滅や口封じに走る。そのゴタゴタの中で、教会に都合よくこき使われていた孤児の少女、レイラが何らかのきっかけで、恐るべき呪殺能力に目覚める。そして……自分を虐げ、街を苦しめていた悪党どもを、全員まとめてお掃除した、と……)
俺はゴクリと唾を飲み込む。
(怖えええええええ! この子、マジでやってること暗殺者じゃん! 善意と正義感から出た行動なのが余計にタチが悪い! ていうか、その呪殺能力は一体どこで手に入れたんだよ!)
俺が目でそう問いかけると、レイラは俺の心を見透かしたかのように、にっこりと天使のような笑みを浮かべ、右手人差し指を唇に近づけると、俺にだけ聞こえる声で囁いた。
『それは秘密です』
俺はゆっくりと視線を窓の外に移す。
どこまでも流れていく平和でのどかな田園風景。
まるで、この馬車の中だけが別の世界みたいだ。
(……やれやれ。天使の顔した悪魔か、悪魔みたいな天使か。どっちでもいいが、とんでもねえ女に出会っちまったもんだ。まあ、死んだ奴らがロクでもねえってんなら、それはそれでいいのかもしれねえな)
俺は肩をすくめ、乾いた笑いを一つ漏らした。
「フッ……過去は過去さ。背負うには重すぎる夢だった、てな」
俺の呟きに、リイナが訝しげな顔を向ける。
「セイヤ? 何か言ったか?」
「いや、別に。ただのジョークさ」
俺は外の景色に目を向ける。
「この旅路、俺は死にに行くわけじゃない。俺が本当に生きてるかどうか確かめにいくんだ」
そう言って、俺は指で拳銃の引き金を引く真似をした。
馬車の外は、相変わらずのどかな田園風景が広がっている。
トイレ休憩まだかな?