第28話 さよなら、王都冒険者ギルド!
旅立ちの朝は驚くほど静かに訪れた。
昨夜のドタバタが嘘のように、王都の空は澄み渡り、朝日が石畳を清々しく照らしている。
俺たち勇者一行、勇者の俺、呪いの王女リイナ、呪殺シスターのレイラ、戦闘狂ウェイトレスのアンナは冒険者ギルドの重厚な扉の前に立っていた。
「よし、入るか。今後の具体的な方針会議と、何か有力な情報がないか確認する。……それから、ウッドに会えたら、旅立つ前に挨拶ぐらいはしておきたいしな」
俺がそう言うと、リイナは「ふん、あの男ならもう我々に関係ないだろう」とそっぽを向き、レイラは「ギルドで朝食は食べられますか?」と目を輝かせ、アンナは「また暴れるお客さんとかいたら経験値稼ぎのチャンスですね♪」と物騒なことを考えていた。
三者三様の反応に、俺は早くもこのパーティの先行きに一抹の不安を覚える。
ギルドの中は昨日の閑散とした空気が嘘のように、いつもの活気を取り戻していた。
俺はカウンターへと向かい、完璧な営業スマイルを浮かべる受付嬢サリアに声をかけた。
「よう、サリアさん。ウッドって剣士、まだいるか?」
「あら、セイヤ様。ウッド様でしたら、今朝早くに旅立たれましたよ? 故郷に帰るって、なんだかとっても晴れやかなお顔をされていました」
サリアはにこやかに答える。その、何気ない一言と共に、俺の視界の端に無慈悲なウィンドウがポップアップした。
【受付嬢サリア】【最終性交時間: 6時間12分前(相手:ウッド)】
俺は口をカバのように大きく開けたまま、完全にフリーズした。
脳内で、昨日のウッドとの魂の対話がフラッシュバックする。
そうだ、俺は確かに言った。「勇気を出してアタックしてみな」と。だがなんでこいつとなんだよ。
(おめでとう、ウッド……。お前、童貞卒業したんだな……。俺は嬉しいぜ……。だがしかし! なんでよりにもよってこの尻軽女なんだよ! ウッド! お前の幼馴染はどうしたんだよ! 練習相手にこの女を選んだってのかよ! それにこのクソ女! ウッドにまで手を出しておきながら、俺を誘う素振りは微塵も見せねえのが最高にムカつく!)
「セイヤ、何をしている。いつまで受付嬢を睨んでいるのだ。気色が悪い」
「そ、そうです。中に誰もいませんよ?」
リイナに耳を引っ張られ、サリアに言われ、俺はハッと我に返る。
中に誰もいませんよネタはやめろ。
俺たちはギルドの隅にあるテーブル席につき、本格的な作戦会議を始めた。
「方針は決まっている。北だ。一刻も早く魔王の本拠地を叩く。それが最も効率的で、確実な道だろう」
リイナが地図を広げ、自信満々に宣言する。
だが俺は首を横に振った。
「いや、俺は西の工房都市ザッハークへ向かうべきだと思う」
「は? なぜだ。遠回りになるだけではないか」
リイナが不機嫌そうに眉をひそめる。
レイラは「どっちでもいいですけど、ザッハークは美味しいお菓子が有名ですよ」とスイーツ情報を挟み込み、アンナは「どっちがより多く経験値稼げますかね?」と戦闘のことしか考えていない。
意見は俺とリイナで完全に対立した。
(やべえ……。ここで下手に反論したら、ただでさえ低い好感度がマントル層から核まで急降下する……。だがグリーンウェルのおっさんとの約束もある。ここは……意見をぶつけ合い、互いの本音を曝け出すことで、逆に信頼を深めるという高等戦術、『ツンデレ王女陥落大作戦』でいくしかねえ!)
俺は覚悟を決め、ギリギリの攻防を開始する。
「リイナ王女。あなたの言うこともわかる。だが聞いてくれ」
スキル【お土産提案】、脳内発動! ザッハークで有名なお土産でリイナ王女が欲しいものはなんだ?
俺の脳裏に、リイナが今一番欲しがっているものが鮮明に映し出された。
(ザッハークの職人が作る、限定品の着せ替え少女ドール『リリアンちゃん』……だと⁉ しかも流行に乗り遅れたくない、ですと⁉)
俺は内心の動揺を隠し、さも自分の考えであるかのように語り始めた。
「ザッハークは今、若い女性の間で流行している『リリアンちゃん』という人形が名産だそうじゃないか。そんな平和な街がもし魔王軍に狙われていたらどうする? ザッハークは西からの補給路を担う、王都の生命線だそうじゃないか。ここが落ちれば、物資の供給が断たれ、北の戦線どころではなくなるぞ。これは戦略的な判断だ」
「なっ……! そ、そんな人形、私は別に興味はないが……戦略的観点は一理あるな……」
リイナが動揺し、頬を微かに赤らめる。
そこへ、レイラが決定的な一言を放った。
「そうですよ、リイナ様。ザッハークが落ちたら、王都に美味しいお菓子が入ってこなくなります。それは国家の存亡に関わる、由々しき事態です!」
「む……。レイラの言う通りだ。食は文化の根幹。それを脅かす魔王軍の蛮行は断じて許せん」
リイナは深く頷き、俺の提案を受け入れた。
(よし! 勝った! これで王女様からの信頼もゲットだ!)
俺が内心ガッツポーズをしていると、ギルドの入口から見慣れた一行が現れた。
尻をさすりながら、痛みに顔を歪めて歩くリュカと、その両脇を支えるシルフィとミャミャだ。
俺は再び絶句した。
【シルフィ】【最終性交時間: 2時間15分前(相手:ウッド)】
【ミャミャ】【最終性交時間: 2時間1分前(相手:ウッド)】
「オオイシセイヤ。精々、王女様たちを守って華々しく散ることね。次の勇者選定戦で、必ずリュカ様に勇者になっていただくために」
「そうにゃ。まぐれで勇者になったぐらいで、いい気になるにゃよ。リュカ様こそ勇者にふさわしいのにゃ」
シルフィとミャミャが吐き捨てるように言う。
(どの口が『リュカ様こそ勇者にふさわしい』とか言ってんだ、このビッチどもがあああああ! てかウッド! 童貞捨てた勢いで、なんでこいつらとハシゴしてんだよ! あの純粋だった剣士が、見境のない男に変わったというのか!)
俺のこめかみに青筋が浮かび、拳がギリギリと音を立てた。
リイナが「よせ、セイヤ。相手は女の子だ。仲間を想うあまりの言動、察してやれ」と仲裁に入ろうとする。
リュカもまた、心からのイケメンスマイルで言った。
「よせ、お前たち。セイヤは僕たちの代表なんだ。晴れやかな気持ちで送り出してやろうじゃないか」
だがそのリュカの頭上にも、非情な表示が浮かんでいた。
【リュカ】【最終性交時間: 1時間24分前(相手:ウッド)】
「なんでお前もウッドなんだよおおおおおおお!」
俺の理不尽な怒りが乗った右アッパーがまたしてもリュカの顔面を完璧に捉えた。
リュカは綺麗な放物線を描き、天井の梁に突き刺さって気絶する。
「リュカ様! ……ブサメン酷いにゃ! リュカ様は朝起きてからずっとお尻が痛いって言ってたのに!」
「卑怯者! 自分がブサメンでモテないからって、リュカ様に嫉妬するな!」
リイナやアンナ、レイラ、そしてサリアまでもが「うわー……」とドン引きしている。
だが俺は気づいてしまった。
リュカの反応、対応、仕草で。
(リュカ……寝てる間にウッドにヤラれたのか……。ウッドの奴、女なら誰でもよかったのか? 男でもよかったのか? いや、違う。こいつは……ただ、俺の言葉を忠実に実行しているだけなんだ。「小さいのを気にするな」「テクニックを磨け」……その結果がこれか)
俺が過去を悔恨していると、リュカを介抱しているシルフィとミャミャと目が合った。
(シルフィとミャミャの顔、微妙にニヤついてやがる! あいつら、全部知ってて、面白がってやがるのか! なんて女だ……!)
レイラに気絶したリュカに回復魔法をかけてもらう。
またこのシスターに借りが増えたじゃねえか!
意識を取り戻したリュカが「貴様、いきなり何を!」と叫ぶ。
そんな彼に、俺はそっと近づき、肩を強く抱いた。
俺の瞳からは男の友情の涙がこぼれ落ちていた。
「……すまなかった。強く、生きてくれ」
「貴様、一体何を言っているのだ……? あ、それより聖女様、お尻も診ていただけませんか?」
リュカの悲痛な願いに、レイラは満面の笑みで、きっぱりと告げた。
「嫌です♪」
ギルドに響き渡る、リュカの「尻が……痛いです」の呟き。
俺はもう何も見なかったことにして、仲間たちと共にザッハークへと向かうべく、ギルドを後にするのだった。
ウッド、お前の旅がどんなボートが映っている結末を迎えるのか、俺はもう知らない。
だが、覚えておけ。言葉は時として刃よりも鋭く人を傷つけ、そして世界を狂わせるのだということを。