第27話 旅立ちの前夜は波乱万丈
勇者選定の喧騒が遠い夢のように感じられるほど、王都の夜は静かに更けていた。
活気ある飯屋での一幕を終え、俺たち勇者一行は石畳の道を歩いていた。
月明かりが俺たちの影を長く、頼りなく伸ばしている。
「ふう……。もう夜も遅い。本格的な旅立ちは明日からにして、今夜は宿を取るとしよう」
リイナがそう提案する。声にはわずかな高揚感が滲んでいた。
俺は意外に思い、素直な感想を口にした。
「へえ、王女様、城に帰らないんだ。てっきり今夜は天蓋付きのふかふかベッドで寝るのかと。……内心、俺もそれで城に泊まれるんじゃないかって期待してたんだけどな」
「何を言うのだ、セイヤ。我々はもう出立した旅の一行なのだぞ。これから先、見知らぬ街の宿で寝起きするのが日常となる。早くこの生活に慣れておかなければ、いざという時に困るだろう」
リイナはさも当然というように、凛とした態度で言う。
だが内心はまったく別の期待で満たされていたのだ。
(フフフ……城では常に侍女たちの目があるが宿屋ならば誰にも邪魔はされん。レイラとアンナ……ふふ、念願だったお泊まりガールズトークで夜を明かすとしよう! 旅の仲間との親睦を深めるのは、リーダーである私の務めだからな!)
そんな王女の乙女心など露知らず、俺は腕を組んで唸っていた。
「うーん、俺が昨日まで泊まってた宿はちょっと客層がなあ……」
隣の部屋から夜通し聞こえてくる男女の喘ぎ声を思い出し、顔をしかめる。
すると、レイラが「それなら!」とぱっと顔を輝かせた。
「私、いい宿を知ってますよ! 貴族御用達の、とっても格式高い場所なんです!」
レイラに案内されてたどり着いたのは貴族街の一角にそびえ立つ、白亜の壁が美しい超高級宿屋だった。
ロビーは大理石の床が磨き上げられ、天井からは魔法の光で輝くシャンデリアが吊るされている。
この可愛い顔だけしかいいところがないちびっ子聖女、俺が宿代も奢るって約束したからって、いきなりここかよ!
「ほへーっ!」
アンナが感嘆の声を漏らし、口をあんぐりと開けている。
レイラが説明するに、ここはロビーにかけられた結界魔法によって、チェックインした者しか客室フロアへは上がれない、王都で最も安全な宿なのだという。
「まあ、安全っちゃ安全だな。じゃあ、詳しい話は明日の朝、冒険者ギルドで落ち合うってことで。今日はもう解散だ」
俺がそう言うと、三者三様の反応を返し、俺と女性陣は別々の階へと向かう。
リイナはこれから始まるガールズトークに胸をときめかせていたが、部屋に入るなり、レイラもアンナも激動の一日の疲れからか、ベッドに倒れ込むようにして即座に寝息を立て始めた。
「え……。色々、あったものな……。う、うらめしや……おのれセイヤめ……」
枕を涙で濡らしながら、リイナもまた静かに布団を被るのだった。
一方、俺は自室の、雲のようにふかふかなベッドに大の字になり、天井を見上げていた。
(異世界に来て、色々ありすぎだろ……。俺が王国公認の勇者ねえ。このパーティ、どうなることやら。リンネとフェルトの時のように、一晩で解散なんてのはもうごめんだ。……そうだ、明日の朝、勇者としてみんなに一つだけ、絶対のルールを課そう。『恋愛、一切禁止!』……ただし、俺とは可! ……いや、後者はまだ言うのが早いか。まずは恋愛禁止だけを告げよう。そうすれば、みんなも変な気兼ねなく旅ができるはずだ)
俺は名案だと頷く。
(このルールを破ったら、俺の『リア充絶対殺すマン』の能力ですぐにわかるんだが……さすがにこのスキルのことは明かせないな。俺が無の相手には瞬殺されるっていう弱点を教えるようなもんだし、万が一情報が漏れたら致命的だ)
そんなことを考えていると、控えめなノックの音が扉を叩いた。
コン、コン。
(えっ⁉ ま、まさか……! リイナ王女が俺に夜這い⁉ それともアンナか? レイラちゃんか⁉ いや、一番嬉しいのはもちろん全員まとめてだ! グヘヘヘ……!)
最高潮の期待に胸を膨らませ、俺はウキウキしながら扉を開けた。
そこに立っていたのは歴戦の傭兵然とした、あの男だった。
「よう。晴れて勇者になったな。おめでとう」
魔王軍のグリーンウェル。その顔には相変わらず亡き妻への純愛を示す【22年と3ヶ月15日前】の表示が浮かんでいる。
「おっさん……! なんでここに⁉ この宿、身分チェックが厳しくて、宿泊者しか入れないはずじゃ……」
「フン、その程度の結界、俺にかかれば無意味だ」
相変わらずの威圧感だ。
だが根底にある純愛を知っている俺は、不思議と彼に信頼感を覚えていた。
八百長を持ちかけてきた脅迫者ではあるが、人としては信じられる。
俺は彼を部屋の中へと招き入れた。
「それで、なんの用だ?」
「まずは意思の確認だ。俺との約束……八百長の話は覚えているか?」
「……ああ。俺も別に、魔王軍に個人的な恨みはないしな」
(そうだ、よく考えたら、俺がこの世界で酷い目に遭ったのは全部人間相手だ。盗賊も、公爵も、冒険者も……。魔族にはまだ会ったことすらないじゃないか)
俺の答えに、グリーンウェルは満足げに頷いた。
「ならば仕事の話だ。王国側はお前に北の戦線へ向かうよう命じるだろう。だがそれを断れ」
「断って、どこへ行けと?」
「王都の西にある工房都市ザッハークだ。表向きは『魔王軍に補給路を断たれる』という名目でな。……実を言うと、魔王軍は北の戦線で陽動を仕掛け、その隙にザッハークを内部から乗っ取る計画を進めている」
(うおおおお! めちゃくちゃ重要な軍事機密じゃねえかあああ!)
俺は内心の動揺を隠せない。
「なあ、おっさん。なんで人間のあんたが魔王軍に? それに、なんでそんな最重要情報を俺に教える? 八百長にしてはあまりにもリスクがデカすぎるだろ」
「言ったはずだ。魔王様は無駄な血を流すことを望んでおられない。戦わずして勝つのが最上……戦線を膠着させることが次善の策だと。俺の正体はいずれ知る時が来るだろう」
底知れない男だ。俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「じゃあな。ちょくちょく顔を出す。俺を仲間たちに知られるなよ」
嵐のように現れ、嵐のように去っていくグリーンウェル。
俺はどっと疲れてベッドに倒れ込むが、再び扉がノックされた。
コン、コン。
(またおっさんか? 忘れ物かよ)
気だるげに扉を開けると、そこにいたのはパジャマ姿のレイラとアンナだった。
(えっ⁉ マジで⁉ こ、こ、この2人が俺の部屋に……夜這い⁉)
俺の心臓が歓喜に爆発しそうになったが?
「え~と、セイヤさん。リイナ王女知りませんか?」
「まさか、無理やり部屋に連れ込んだりしてないでしょうね。確認させてもらうわよ」
アンナがズカズカと部屋に上がり込み、クローゼットやベッドの下を覗き始める。
俺が、え? どゆこと? と思っていると、レイラがおもむろに俺に向かって手をかざした。
『……闇よりもなお昏きもの、ヤマの投げ縄が汝の生命を捕らえ、ヴィタラニーの腐水が汝の骨の髄……』
「ぎゃああああ! なんでいきなり呪殺しようとすんだよ! 神に誓って知らねえ! 俺の部屋には来てない!」
「本当ですか? 死にたくなければ真実を告げるのです」
俺の絶叫に、アンナも「ガチでいないみたいね。王女様だし、誘拐されたのかも……!」と動揺し始める。
ヤバいヤバい死ぬ! まさか勇者初日で仲間に殺されてエンドかよ⁉
なんて、俺が生命の危機を感じていると、廊下の奥から剣を構えたリイナ本人が殺気を放ちながら現れた。
「やはりここにいたか! 目を覚まして2人がいないと思えば……オオイシセイヤ! 乙女を夜更けに自室へ連れ込むとはその罪、万死に値するぞ!」
「待て! 誤解だ! 俺は何もして……ぎゃあああああああああああ!」
リイナの剣閃とレイラの呪詛、アンナの拳が同時に俺を襲った。
俺の断末魔が高級宿の静かな夜に虚しく響き渡る。
……数分後。
「リイナ、どこに行ってたの? トイレも見たけど、すれ違ったのかなあ」
「私はずっと部屋で寝ていたが……? どうかしたのか?」
きょとんと小首を傾げるリイナに、レイラとアンナも顔を見合わせる。
「「「夢でも見てたのかな?」」」
3人はくすくすと笑い合い、仲良く手をつないで部屋へと戻っていった。
後には床でピクピクと痙攣しながら、泡を吹いている俺の姿だけが残されていた。
(酷えスタートだぜ……グフッ)