第25話 最強ウェイトレス、ストレスを溜める
活気と熱気に満ちた飯屋は、汗とエールと焼かれた肉の香ばしい匂いが混じり合う中、俺たち一行のテーブルだけが奇妙な緊張感に包まれていた。
「……で、セイヤ。どうするつもりなのだ? あのウェイトレス、並大抵の説得で動くとは思えんが」
リイナが腕を組み、猜疑心に満ちた目で問う。
視線は「お前のような下劣な男に名案などあるはずがない」と語っているぜ。
俺はシチューのスプーンを止め、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「まあ見てなって、王女様。こういうのはな、正面からぶつかるだけが能じゃないんだぜ」
自信満々な俺の態度に、リイナはますます眉をひそめる。
そんな俺たちに構うことなく、レイラが空になった巨大なパエリア皿を前に、ぱっと手を挙げた。
「あのー! すみませーん、お代わりください! 『ドラゴンステーキ・火山ソース添え』を!」
(この子、さっきからどんだけ食うんだよ⁉ シスターで大食いって、頭の中に魔導書でも詰まってるのか! それとも胃袋が四次元ポケットにでも繋がってんのか!)
ここは大食い選手権会場じゃねえんだぞと、レイラの底なしの胃袋に俺が内心で悲鳴を上げている最中だ。
ガシャン!と大きな音と共に、店の隅で酒瓶が割れる。
屈強な身体つきの商人がアンナの腕を掴み、下卑た笑みを浮かべていた。
「ひひっ、姉ちゃん、ちっと付き合えや。金ならいくらでも……」
【リア充チェッカー】が俺の脳内で発動する。
【酔客の商人】【最終性交時間: 18時間前(相手:奴隷少女)】
「……ビンゴだ」
俺は呟くと、椅子を蹴るように立ち上がった。
俺が動いたのはアンナが「困ります、お客様」と笑顔のまま、掴まれた腕に力を込めようとする直前だ。
一陣の風が吹き抜けたかと見紛うほどの速度。
誰もが何が起きたか理解する前に、商人は「ぐべっ」という奇妙な悲鳴を上げて床に伸びていた。
俺がそいつの首筋に手刀を打ち込んでいたのだ。
しーん、と静まり返る店内。
やがて、誰かが「おおっ⁉」と声を上げたのを皮切りに、どよめきが波のように広がっていく。
「す、すげえ……! あのゴロツキ商人を一撃で……!」
「勇者様、噂は本当だったのか……!」
飯屋の俺への空気が、侮蔑から畏怖と称賛へと変わっていく。
助けられたアンナは一瞬ぽかんとした後、にこやかな営業スマイルで深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます、勇者様。助かりました」
「いい子だなあ、アンナちゃんは!」
だが、客たちが和む完璧な笑顔の裏で、アンナの心は苛立っていた。
(チッ……私の経験値が……)
俺はそんなアンナの内心を見透かしたように、にやりと笑い、自分の席に戻る。
間もなく、別のテーブルで冒険者グループが掴み合いの喧嘩を始めた。
どうやら報酬の分配で揉めているらしい。
「お客様、おやめください!」
「んだとゴルァ!」
アンナが言いながら、拳に力を込めて近づいていくも、俺が彼女より早く割って入る。
残像すら残さぬ踏み込みで、俺は喧嘩する両者の両腕を掴み、そのまま軽々と持ち上げて頭同士をゴツンとぶつけ合わせた。
2人組は白目を剥いて崩れ落ちる。
「「「うおおおお! ええぞー! 兄ちゃん!」」」
今度は店中が歓声と指笛で湧き上がった。
俺はヒーローのように片手を挙げて応えてやる。
俺の隣ではアンナはハアハア、と肩で息をし、瞳は興奮で見開かれ、瞳孔が開いている。
フッ、気づいたか。俺の真の狙いに。
(この男……私がここで稼げるはずの経験値を、全て横取りするつもりだ!)
俺はそんなアンナにだけ聞こえるように囁く。
「フフフ……君が俺のパーティに入るまで、君のバイト中は未来永劫こうさせてもらう。残念だったなあ、アンナちゃん。今日から君のレベルはもう1も上がらない」
アンナの顔が怒りで引きつっている。
が、彼女はそれを完璧な営業スマイルで覆い隠し、「ごゆっくりどうぞ」とだけ言って厨房へと戻っていく。
彼女の背中が小刻みに震えているのを、俺は見逃すはずがない。
(よしよし、チョロいもんだぜ。この調子なら今日中にも陥落だな!)
「……良いことをしている顔ではないな」
一旦席に戻った俺に、リイナが冷ややかに呟いてきた。
「俺は自分が正しいことをしているとは思わない。けれど、間違っているとも思わない」
リイナは「は?」と怪訝な顔をする。俺は構わず続ける。
「やらない善より、やる偽善ってやつさ。結果的に店の平和は守られてるんだ。俺が助けなければ、アンナちゃんは怪我をしていたかもしれないし、他のお客さんにも被害が及んでいたかもしれない。動機が不純な偽物でも、何もしない本物よりはずっといい。……違うかい? 王女様」
開き直る俺の、気取らない物言いに、リイナはふいと顔をそむける。
(……まあ、理屈は通っている。この男、やはり一筋縄ではいかんな)
少しだけ、星翼を見直すリイナだった。
その後も、俺はアンナが動く前に全てのトラブルを解決し続けた。
飯屋は俺への称賛で祭り状態だ。
そしてついに、その時が来た。
別のウェイトレスに絡んだ男がナイフを振りかざしたのだ。
【リア充チェッカー】
【チンピラ男】【最終性交時間: 20時間前(相手:絡まれているウェイトレス)】
【ウェイトレス】【最終性交時間: 20時間前(相手:チンピラ男)】
(痴情のもつれかよ! 面倒くせえな!)
俺は一瞬で男を無力化し、飯屋の喝采を浴びる。
「勇者様、万歳!」
これでアンナも観念するだろう。俺がそう確信した刹那。
顔面に凄まじい衝撃が走り、俺の身体は紙切れのように宙を舞い、壁に叩きつけられた……だと⁉
この俺を倒せる奴なんて……童貞と処女しかいない……のに。
視界に俺を殴った人物のシルエットが見える。間違いなく奴だ。
(その反応は……予想外……だったぜ……)
……グフッ。俺の意識が闇に沈んだ。
飯屋の喧騒が嘘のように静まり返る。
そこには右の拳を突き出したまま、ハアハア、と荒い息をつくアンナが立っていた。
「……ハア……ハア……これで、私も……経験値、ガッポリ……」
恍惚の表情を浮かべるアンナ。
経験値稼ぎを奪われ続けた彼女はついに我慢の限界を超え、勇者を倒すという最も効率の良い経験値稼ぎに手を出したのだ。
「ふふふ……勇者を倒した私、一体どれだけの経験値が……!」
アンナは歓喜に震えているが……。
「……経験値、ゼロ⁉ なんでええええええええええっ!」
彼女の素っ頓狂な絶叫が静まり返った飯屋に響き渡った。