第23話 呪いの王女、勇者をダシにして自由を得る
闘技場を支配していたのはもはや歓声ではなかった。
畏怖と、恐怖と、純粋な困惑が入り混じった、異様な静寂。
静寂の中心で、気高く手を挙げた一人の少女、リイナ・レンデモール王女に全ての視線が釘付けになっていた。
(キ、キタ……! キタアアアアア! 王女様が……俺の仲間になりたいって……! これはもう、間違いなく脈アリだ! 俺の戦いぶりと男らしさに、心を射抜かれたに違いない! ああ、リイナ様、俺はもうあなたの虜です!)
俺は脳内で歓喜のオーケストラを鳴り響かせ、バラ色の未来予想図を再び描き始める。
(……よし、これでリイナ王女は俺の攻略対象に正式エントリーだ。フラグは立った。ここから好感度を上げていけば、エンディングはベッドシーン……!)
デュフ……デュフフフ……コポォ。
最高潮に達した俺のときめきを乗せて、憧れの君に熱い視線を送った。
俺の視線に気づいたリイナ王女が涼やかな蒼い瞳をこちらに向ける。
目が合った次の瞬間、彼女の美しい顔はみるみるうちに歪み、道端で名も知らぬ虫の死骸が腐臭を放っているのを見つけたかのような、純度200%の侮蔑と生理的嫌悪に満ちた目で、俺の魂ごと射抜いた。
俺は隣に跪く聖女レイラがガクガクと小刻みに震えていることに気づく。
重苦しい静寂を破ったのは玉座に立つ王の、雷鳴のような怒声だった。
「ならん! リイナよ、そなたをこんな出自もよくわからん10級冒険者なんぞの仲間になど、この余が許すと思うか!」
王様の言葉に、俺は思わず立ち上がりそうになる。
(おいこら王様! あんた、さっき俺に勇者として魔王討伐を任せるって言ったばかりじゃねえか!)
王は俺の存在など意にも介さず、愛娘に向かって言葉を続ける。
「10級冒険者なんぞの仲間になんてさせたら、明日にはこの小僧、どこぞで無残な死体となって発見され、また武闘大会を開かねばならなくなるではないか! 手間がかかって面倒であろうが!」
ん? と俺の思考がわずかに引っかかる。
そんな疑問の答えを、隣のレイラが俺の耳元で小声で囁いた。
「……セイヤさん、ご存じないのですか? リイナ王女は10歳の時に、隣国リブレリア王国の第二王子と婚約が決まりました。……ですが翌日、その第二王子は自室のベッドで、ズタズタに切り刻まれた惨殺死体となって発見されたのです」
ゴクリ、と俺は乾いた唾を飲み込む。
レイラの解説は恐ろしい響きを伴って続いた。
「当然、戦争になりました。まあ、それは我が国が圧勝したのですが問題はその後です。11歳の時に王族の一人、つまり従兄にあたる方と婚約なさいましたがその方もまた、翌日に惨殺死体となって発見されました。12歳の時も、13歳の時も、14歳の時も、15歳の時もです。現在、王女様は16歳。普通なら婚約者がいて然るべきお年頃ですが……もはや、なり手がいないというのが現状なのです」
「な、な、な、なんだってー⁉」
俺のベタな絶叫が闘技場に虚しく響く。
だが俺の脳内コンピュータが弾き出した結論は絶望とは真逆のものだった。
(……それって、めちゃくちゃ好都合じゃないか! 嫁の貰い手がいないってことは競争相手がいないってことだろ! なら、俺にだってチャンスがある! 大いにあるぞ!)
俺は再び燃え上がった希望を胸に、リイナ王女へと視線を送る。
そんな俺の心を見透かしたかのように、リイナ王女はチッと、はっきりと聞こえる舌打ちをした。
彼女はゆっくりと前に進み出ると、凛とした声で語り始める。
「親愛なる父王陛下。この闘技場に駆けつけてくださった敬愛なる民たち。此度の勇者選定戦に参加された、勇気ある皆様。私は思うのです。我が身に次々と起こるこの不幸の原因は全て北の大陸に巣食う、あの忌まわしき魔王にあるのではないかと。ですから、私はこの目で確かめたいのです。この悲劇の連鎖を断ち切るために」
悲劇のヒロインを完璧に演じきる、気高く、美しい姿だ。
彼女の演説が終わるやいなや、会場は割れんばかりの大熱狂と、感動の涙と嵐のような拍手喝采に包まれた。
王様、めっちゃ号泣して娘と握手してるけど、それでいいのか?
(なんだかなあ……。王族の悲劇だろ? 魔王関係ないんじゃね?……)
俺は1人だけ冷めた目で見ていたが、すぐに名案が頭をもたげる。
(まあいい! グヘヘヘ……! 旅の道中で、この俺が王女様を危険から命懸けで護り、男らしい姿に惚れさせてやる! 俺の童貞を捧げる相手はあんたしかいないんだからな!)
「よし! 宴もたけなわじゃが、最後に勇者の証である勇者の剣を勇者セイヤに贈呈じゃ」
チャーンチャンチャチャーンチャンチャチャチャチャチャンチャンチャン
やる気のない音楽隊のリズムと共に、石に挟まった剣が運ばれてくる。
こ、これは⁉ まさしく伝説の勇者にしか抜けないという剣!
俺は気合を入れて抜こうとするが?
「ぐぬぬぬぬ……ふおおおおおおおお……ゼエゼエ、抜けん」
「何を戯けたことをしとるんじゃ! これは演出なんじゃからはよせい!」
「んなこと言われても……! てか伝説の剣じゃねえのかよ!」
「何を抜かすか! 最高の鍛冶師がこの日のために作った金貨100枚の価値ある剣ぞ! 現世でこれ以上の剣なんぞないわ!」
金貨100枚⁉ そりゃ凄いが、ステータスの力が1でも装備できるようにしとけよ。
「フッ、俺にはこの拳さえあれば良いのさ」
「装備せずとも王からのプレゼントにして大会の目玉なんじゃ! はよ持って帰れ!」
そんなこと言われてもなあ。王様にリア充絶対殺すマン発動するか? そうすりゃ、剣抜けるよな? まあ一生追われる立場になるよなあ。
俺が剣と奮闘して客も帰り支度を始めだした時だ、一旦剣から離れ呼吸を整えていると、リイナ王女がスルリと石に挟まった剣を抜いた。
ん?
「勇者セイヤ、不要ならこの剣、私に下さらぬか?」
「あ、ああ。喜んで王女様に進呈致しましょう」
よっしゃ! 初プレゼント! これは好感度爆上がりに違いなし!
剣を持ち、ドレス姿に自らの指で紐解いていく王女の姿に、俺と観客の男たちの興奮度は最高潮。
でも、なんでドレス脱いだら白銀の鎧に黒マント姿なんだよ!
王女は男たちの巨大なため息を無視し、剣を鞘から抜き放った。
闘技場の空気が変わる。
彼女が取ったのは、剣を腰溜めに構え、右足を前に、左足を後ろに置く、一見すると不自然な構え。
だがその姿は、抜刀術の理の全てを体現しているかのように、あまりにも完成されていた。
(なんだ……あの構えは……?)
俺が疑問を抱いた、その刹那。
リイナ王女の左足が石畳を強く踏みしめる。
それはただの踏み込みではない。
踏み込んだ左足が、抜刀による遠心力をさらに加速させるための、完璧な起点となっていた。
壱弐参肆伍陸漆捌玖……。
異世界なのに音速の大字が……見えた。
神速の抜刀。
常人にはもはや光の線にしか見えない剣閃が、空間を切り裂く。
音は、なかった。
ただ、リイナ王女が剣を振り抜いた、その一瞬後。
闘技場の分厚い石壁に、まるで熱したナイフでバターを切ったかのような、滑らかで美しい一本の亀裂が走った。
そして、わずかな間を置いて、切り裂かれた巨大な石の塊が、自重に耐えきれず、ゴゴゴゴゴ……という地響きと共に崩れ落ちる。
そこは観客席で、ミイラのように包帯で巻かれたリュカが座っている足元だ。
そこには奈落のような暗い空洞が口を開けている。
リュカは信じられないといった表情で目を見開き、包帯の隙間から滝のような冷や汗を流しながら、ガタガタと全身を震わせた。
抜刀した剣を、鞘に納める音すらさせずに戻すリイナ王女。
抜刀から納刀まで、全てが一つの流れるような動作。
あまりの神速ぶりに、観客の誰もが何が起きたのか理解できずにいた。
だが、その一撃が持つ意味を、俺だけは痛いほど理解していた。
(抜刀術は、初撃を外せば無防備になるのが理……。だが、あの一撃は……! 遠心力で加速した剣を、鞘と衝突させることで生まれた超高速の二撃目が、真空の空間を生み出し、相手の動きを封じる……! そして、その真空状態に引き寄せられた相手を、回転の勢いを乗せた三撃目が完全に粉砕する……! 理不尽の三段構え……! 防ぐことも、避けることも不可能……!)
これが、リイナ王女の実力だと⁉
あまりの理不尽さに、俺の全身から冷たい汗が噴き出した。
「この剣、勇者の剣改め、プリンセスソードと命名します。勇者セイヤ。私の心配などご無用です。あなたはただ、勇者としての任を全うすることのみをお考えください」
彼女は絶対零度の視線で、俺に告げた。
俺は平静を装い、唇の端に不敵な笑みを浮かべる。
「フッ……中々やるな」
そう呟いた俺の右頬から、一筋の赤い血がツーっと流れ落ちた。
リイナの剣閃が作り出した真空波が、俺の頬をも浅く切り裂いていたのだ。
俺は強がる自分の足がカタカタと小刻みに震えているのを、必死に抑え込むのだった。